商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
ざっくりとした方針が決まってから約一カ月、冬はまだ過ぎ去らない。
廃神殿での生活には慣れたものであり、相変わらず余裕はないが後がないほどに追い詰められている訳でもなく、狩猟と燃料集めの毎日である。
激しい雪が降れば活動もできないので、身を寄せ合いながら静かに過ごすことになるのだが、その逆に天気に恵まれて晴天となれば少しばかり遠出をすることも可能であった。
食料と燃料の確保を最優先にしながらも、廃神殿を中心に遠征を行うことも可能である、余裕があればという前提だが。
そして本日は、天気と食料事情に恵まれた日であるようだ。
寒いながらも太陽の光が降り注ぐ中、膝下まで積もった雪の中を突き進むのはキャロルとミューである。
方向感覚を失ってしまうような、白く染め上げられた木々と大地が広がる光景がどこまでも続いている、だというのに先頭を預かったミューのつま先は揺らぐことなく雪を踏み固めていた。
目印になるような物はどこにもない、代わり映えのない木々しかないのだが、それでもミューは迷うことはないらしい。
時折、両手で雪を掻き分けて地面に掌を押し付けて、何かを感じ取るかのように瞼を閉じている。
「……地脈の乱れが大きい」
彼女が感じ取っているのは大地を血液のように流れる巨大なエネルギーの流れであった、どこまでも果てしなく流れるそれに触れることによって地理を理解しているのだろう。
後ろを歩くキャロルにはさっぱりわからないが、ミューには見えない地図があるのだと理解しているらしい。
大地を流れる力の脈動に触れることによって、常人では知覚できない規模の情報を仕入れているのだ。
ミュー曰く、地脈の流れに触れることを極めれば地震や噴火などが起こることを事前にわかることができるそうだ、そんな説明をされてもやはりキャロルにはわからない。
ただ一つわかったことは、現在地と人間の文明圏の距離である。
川の流れのように、もしくは血液のように、大地を流れるエネルギーはこの大樹海よりもなお広く、それこそ世界中に伸びているのだ。
そこに触れることによって大まかな距離を測ることも可能であり、実際に触れていたミューが言うには、徒歩ならば年単位の覚悟がいるほどの距離があるらしい。
あまりにも遠すぎる、根気よく進めば踏破することは決して不可能ではないが、現実的な距離でもない。
それならば神獣たちとの契約を果たす方が手っ取り早いとキャロルは思うのだった。
「しかし何故……まるで吸い上げるかのように乱れている、この方向は世界樹の……」
「……ミュー?」
「あッ、失礼した……少し気になることがあったもので」
「その、地脈? が乱れてるとどうなるの?」
「あまり喜ばしいことではありません、激しい川の流れが被害を齎すように、よからぬ事態を招くでしょう。不自然な地脈の乱れは自然の均衡を崩すものだから……最悪、大地震や火山の噴火などが起こるかと」
「……それは大変」
「異変には原因があるものです……その根元にあるのが」
緑色の瞳が白く染まった大樹海のとある方向へと向けられた、おそらくその先に彼女の故郷であるエルフの里があるのだろう。
神獣たちが言う神食らいを行う悪魔もまたそこにいる、因果関係が皆無などと思える筈がない。
可能ならば今すぐにでも故郷へ帰りたいという思いがあるのかもしれない、だが現地の状況が二人にはさっぱりわからないので無謀でしかない。
魔王に挑むことは決まっていても、そこに至る為の道筋はまだ不透明であった。
しかし今はまだ準備を整えるべきだろうという考えは共有できており、二人が目指している魔術工房も色々な理由があるが最終的には有用な物を求めている点に向かっている。
焦る気持ちもあるが、現在の目標はエルフの里ではなく魔術工房である。
「……今は魔術師たちの工房が優先しましょう。地脈から位置は把握できた、この先ですね」
「……うん」
雪を踏み固めて先を進むミューの背中に、キャロルは小さな言葉と頷きを返す。
「魔術師たちの工房ならば知識だけでなく道具も期待できる」
「鱗とか、牙とか……加工できたら良いね」
「ええ、どうあっても我々が素手で加工するのは難しいですから」
目下の悩みは神獣たちから賜った牙や鱗などの加工方法であった、道具もなく環境も伴わない二人は正直に言えば持て余してしまっているのだろう。
単純に尖らせて刃にするにしてもしっかりとした道具が必要なものである、それもまた魔術師たちの工房に期待するしかない。
拠点である廃神殿から歩くこと半日、深い雪道に苦労しながらもミューが案内したのは、この大樹海にチラホラと存在しているかつての文明の名残であった。
森に浸食されて呑まれてしまっている点はキャロルたちが拠点にしている廃神殿と変わらないが、ボロボロで今にも崩れそうな雰囲気は皆無である。
古い建築物を再建して補強した様子が伺えるのだ、廃神殿と異なり完全に寂れて風化している様子ではない。
「あれが魔術師たちの工房ですね、元は神代の頃から続く地下墳墓だった筈だが……」
「あぁ……お墓なんだ」
「エルフである我々からしてみても、大昔の話ですけどね」
二人の目の前に広がるのは太い柱と木々を支えにして森の中に立つ重厚な建築物だ、それだけ見れば神殿のように見えるのだが、ぽっかりと口を開くように地下へと階段が続いている。
異端の、それも危険な研究を続けて人の世から逃れた魔術師たちが拠点とした、いかにも怪しげな雰囲気を放っている場所であった。
地下へと延びる階段は、その先にある暗闇は、邪悪な魔術師たちにはぴったりだとキャロルは思う。
「……ふむ、どうやら沈黙しているようだな、魔術の気配を感じない」
「うん……でも、ちょっと厄介かも」
要塞は長い年月によって無力化されているようだ、魔術師たちが設置した罠も数十年は持たなかったらしい。
それ自体は予想通りである、だが問題なのは出入りが自由に可能であるという点であった。
キャロルの瞳が地下墳墓の周辺に残された大きな足跡を見つけた、ゴブリンでもなく人間の物でもない、それがこの場所を中心に周辺へと広がっているということは、何者かがこの場所を出入りしている証拠である。
「大きな足跡……ゴブリンじゃない」
「オーク、でもありませんね……このサイズとなると」
雪の上に残された足跡はキャロルの頭よりも広いサイズであった、足跡からざっと予想しても巨体であることは間違いない。
キャロルは足跡から墳墓の階段へと視線を向けて、スンスンと鼻を鳴らした。
「……臭い」
「何かが潜んでいる様子はありますか?」
「うん、多分だけど……いる」
匂いが新しい、獣のようでありながら魔臭も感じ取れてしまう、ならば墳墓に潜むのは魔王の眷属だろう。
「足跡から察するに相手はおそらく群れではなく単体、加えて巨体……どうしたものか」
「ん……中で戦うのは駄目、かな」
「そうですね、光の届かない墳墓の中では戦えません。ならば誘き出すとしましょう」
二人はどうするかと悩んだりはしない、示し合わせたかのように役割を分担していく。
キャロルは魔力の矢を形成しながら墳墓の入口から離れていく、そして白い毛皮のマントで全身を隠しながら雪で白く染まった森の中へと身を潜ませる。
ミューは墳墓の入口から動かない、地下へと続く階段を注意深く見つめながら暗闇の向こうを鋭く睨んでいた。
そして魔力を高まらせて魔術を構築していく、細い指先が暗闇を指し示すとそこから力の奔流が放たれる。
エミリーが得意とする炎の魔術と違い、熱で何もかもを焼き払う凶悪なものではない、ただただ純粋な魔力の弾丸を放ち、それを暗闇の奥で破裂させたのだ。
衝撃と振動が墳墓に響き渡ったことだろう、暫く遅れて鼓膜を震わせる咆哮が返事として帰って来る、それはミューの放った魔力の衝撃よりもずっと巨大で、爆発するかのような大音響であった。
油断して近距離でその咆哮を受ければ、ただそれだけで意識を失うこともあり得る、声の主がいかに恐ろしい存在なのか咆哮だけで察することができてしまう。
やがて地下へ通じる長い階段を踏みしめて、暗闇の向こうから重厚な足音がミューに届く。
「……ミノタウロスッ!!」
墳墓の入口から這い上がるように姿を現したのは牛の頭に人間の体を持つ怪物であり、ミューの言葉の通り一般的にミノタウロスと呼ばれる存在であった。
巨体である、雪に残された足跡から察していたのだがそれでも目の前に現れたのならば衝撃の方が大きい。
身長は頭にある角のから足まで三メートルは軽く超える、ミューの倍はあろうかという存在感であった。
「ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
咆哮を再び、まるで殴られたかのような衝撃がミューを襲う。
「魔の眷属が我らが森を踏み荒らすか!!」
ゴブリンしかり、オークしかり、このミノタウロスもまた魔の系譜に連なる存在であった、遥か昔に魔王によって生み出されて先兵となっていたのだが、長い年月をかけて野生化してしまったのだろう。
その内の一体がこの墳墓に住み着いてしまった、エルフの国からそう遠くない場所にも関わらずにだ、それはミューからしてみれば受け入れがたい状況である。
常ならば、里を守る結界によってよほど強力な存在でなければ近づくことはできないのだ、この墳墓もまたその結界の影響を受けているのだが、このミノタウロスはここを拠点としていた。
それが示す状況は、何らかの理由によってエルフの領域を守る結界が弱まっているのか、或いは完全に破壊されてしまっているかのどちらかだろう。
ミューは眉を顰める、エルフの里を守る戦士階級の一人として、無視することのできない何かが起こっていることに憤りを感じていた。
だが、今は目の前の怪物だ、墳墓の入口から這い上がって来たミノタウロスをミューは勇敢に迎え撃つ。
研ぎ澄まされた武器はなく、肉体の強度や力の差など比べられる筈もない、倍以上もの体格差があればそもそも戦いなど成立しない。
だからミューは迫るミノタウロスの攻撃を回避することに全力を出す、躱し、流し、常に距離を取り懐には入らない、どんな攻撃であっても指一本の隙間を残して届くことはなかった。
「ぶおおおおおおおおおッ!!」
自分の半分ほどの体格しかないミューに翻弄されることに苛立ちを感じたのか、伸ばされるミノタウロスの拳は更に力強くなっていく。
「雑なだけの攻撃など当たるものか!!」
ミノタウロスができたことと言えばミューの前髪を揺らす程度だ、回避に徹しているとはいえ簡単にできることではないが、戦士として教育されて経験を積んできた彼女には容易いことだろう。
問題なのは相手に痛痒を与える手段がないことだ、剣も槍も持っていないので出血を強いることができない。
だがそれは彼女の仕事ではない、風に運ばれる木の葉ようにミノタウロスから逃れながら囮になることを優先しているのだ。
反撃する必要はどこにもない、何故なら白いマントで身を包んで雪に紛れていたキャロルが百メートルほど後方で弓を引き絞っているのだから。
「弓神よ……悉くを撃ち落とす力を与えたまえ」
彼女は祈りと共に魔力の矢を放つ、巨大な加護を纏ったそれはミューの頭上を越えてその先にあるミノタウロスの心臓を穿つ。
一射一殺、いつしかキャロルの放つ矢は彼女も知らない内にそうなっていた。
だから二本目の矢は番えない、仕事は終わったとばかりにキャロルは墳墓の入口へと駆けだす。
彼女が持つ黄金の瞳は、心臓を穿たれて崩れ落ちる巨体を驚くこともなく見つめている。
そうなることを知っているかのように、キャロルは冷静であった。