商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「まさか一撃とは……ミノタウロスは本来ならば強敵だというのに」
一撃で心臓を穿たれて倒れ伏したミノタウロスを見て、ミューはただただ驚いていた。
倒すにしても大量の出血が必要になるだろうと覚悟しており、それが当然の相手なのだが、結果は一撃である。
こんな簡単に倒せる存在ではない、ゴブリンとは格が違うのだ、固く分厚い外皮や筋肉は鋼の鎧にも例えられる程に強固であり、巨体を支える骨格は人間と比べて分厚く強靭であった。
だがキャロルの矢はそんな物は存在しないとばかりに肉や骨を貫通して心臓へと届いている、戦士の嗜みとして弓術を取得しているミューに同じことができるかと問われれば、彼女は迷うことなく不可能と断じるだろう。
単純に技術や武器が高みにあるからと言ってこうはならない、この静かでありながら鋭い一撃を再現するには、それこそ強い神々の加護が必要であった。
狩人や猟師から広く信仰され、戦いの分野を司る弓神の加護が強くなければこうはならない。
「……それだけ、弓神に認められているということか」
それとて簡単なことではない、才能のある者が鍛錬を続け無ければ神の目に留まることはないのだ、少なくともキャロルに加護を与えても良いと思われるくらいには愛されているということである。
ミューはこちらに駆け寄って来るキャロルを見つめながら、少しばかり恐れたような様子を見せる。
もしかしたら自分が主と見定めた人物はいずれ半神へと至るのかもしれない、今現在でさえ神性を有しており片鱗が見え始めているのだ、絵空事と笑うことはできないだろう。
「ん……どうかした?」
「いえ、なんでも……見事な腕前だと感心していたのです」
「……そう」
誇るでもなく、謙遜するでもなく、淡々とそう言ったキャロルは、倒れ伏しているミノタウロスの胸に刺さった魔力の矢を力強く踵で踏みつける。
念には念をいれて更に深くまで差し込んで完全に命を絶ったことを確認すると、そこでミノタウロスへの興味を失ったのか彼女の黄金の瞳は地下へ続く墳墓の階段へと向けられた。
「中、進もう……楽しみだな」
彼女にしては珍しくわかりやすい感情を露わにした、それほど付き合いが長い訳でもないが、言葉少ない彼女の変化を察することができるようになってきたミューは首を傾ける。
「楽しみ、ですか?」
「ん……ほら、古代の墳墓とか、遺跡とか、探索してお宝を探すのって……冒険者みたいだから」
立ち塞がる怪物を打倒してその先にある宝物を入手する、危険な場所に赴き探索をして生きる者は冒険者と呼ばれるものだ。
勇敢で、偉業を成し遂げ、莫大な富を得た者はそれこそ歌になって語り継がれることになる、キャロルもまたそういった歌を幾つも知っているのだろう。
今の状況はまさに冒険者らしいと言える、巨大なミノタウロスを倒して魔術師たちが拠点としていた墳墓を暴こうとしているのだから、歌になっても違和感がない状況であった。
「……お宝とかあるかな」
「元は墳墓ですから、死者と共に財宝が埋葬されていても不思議ではありません……しかし、う~ん、既に魔術師たちが手を付けている可能性が高いかと思うのですが」
「なら、その魔術師たちの財産とか欲しい」
「ええ、そちらに期待するしかありませんね」
少なくとも数十年は手付かずの拠点であることは間違いない、キャロルは高まる期待と共に墳墓の階段を下りていくのだった。
墳墓の内部は想像通り薄暗い、夜目の利くキャロルは特に不自由した様子はないのだが、後に続くミューはそうもいかないようだ。
そこで事前に廃神殿で用意していた獣脂を固めて作った蝋燭を懐から取り出す、それを木の枝の先端に括り付けて火を灯せば光源となる。
雑な作りであり長くは持たないだろうが、無いよりはずっと広く視界を確保できるだろう。
「思ってたよりも広い」
「確かに、広大ですね」
墳墓の階段はとても長い作りになっている、それを最後まで下りきると無数の巨大な柱によって天井を支える広大な空間が広がっていた。
その場所がとにかく広い、獣脂の蝋燭では果てが見えない程である。
広くはあるが伽藍洞という訳ではない、ミノタウロスが食い荒らしたであろう獣の骨が散乱していることもそうだが、墳墓としての機能もしっかりと果たしているのだろう。
二人の周囲に並び立つのは巨大な柱だけではない、数えることも馬鹿らしくなる程の遺骨が山のように積み重なっているのだ。
決して雑ではない、頭蓋骨の一つ一つが火葬された後にこの場所に埋葬されて並べられたのだろう、壁のように重なったそれらは崩れている場所もあるのだが、健在な部分は乱れることなく聳えている。
何千人もの頭蓋骨が、一つの方向を眺めている様子は、思わず背筋が震えてしまうような雰囲気がある、静謐と共に恐れを抱かせるこの場所は正しく墳墓ということだろう。
「ミノタウロスや魔術師たちが拠点としていた割には整っていますね」
「ん……少し汚れてるけどね」
汚物らしき物や獣の骨らしきものはミノタウロスの残した痕跡だ、しかしどれだけ見渡しても魔術師たちの痕跡は発見できないままだ。
丁寧に積み上げられている骸骨たちに観察されているような気分になりながらも、地下墳墓の探索を続けていくと、蝋燭を掲げたミューが声を上げる。
「キャロル殿、あちらに扉があるようだ」
太い柱に支えられた広大な地下空間の最奥、そこには細い通路があり左右には幾つもの扉が並んでいた、どうやらここが本格的な魔術師たちの工房のようだ。
扉を一つ一つ開けていき、蔵書室や実験場らしき部屋があることで確信した、間違いなく魔術師たちの拠点であったのだろう。
「宝石の加工場もあるようですね、これならば神物の加工も容易いかと」
「角はどう加工するの? やっぱり弓?」
「いえ、キャロル殿が弓を持っているのならば、私は前衛を受け持った方が戦略的にも有効かと、なので槍に加工しようと考えています」
賜った黄金の角を槍先として加工するらしい、無数に枝分かれしているので槍には向かないのではとキャロルは思ったのだが、そこは腕次第らしい。
加工には自信があるようなので何も言わない、彼女としても前衛が必要だという考えには共感もできた。
「牙類は短刀にするとして、神魚の鱗はどうしたものか……鎧に張り付けるにしても、物がない」
地下墳墓の一室にある宝石の加工場で、持て余していた神物を広げてミューは考え込む、これは贅沢な悩みであるだろう。
一つ一つが同じ重さの黄金よりも価値があるのだ、本来ならば触れることすら難しい物ばかりである、それを潤沢に所有しており使い方に頭を悩ますなど、世の鍛冶師から恨まれてしまいそうだという自覚もあった。
「鱗は……鏃にして欲しいな」
「あぁ、なるほど。大きさも適していますし数もありますからね、それで行きましょう」
これで深刻な問題でもあった矢の不足は解決できる、戦いの度に魔力の矢を作るのは本格的な魔術師ではないキャロルには負担が多い、神魚の鱗を使ってこんなことを言うのは間違っているのだろうが、気軽に放てる矢が欲しかったのだ。
鼻歌を奏でながら神物の加工を始めるミューの背中から遠ざかり、キャロルは黄金の瞳を揺れ動かしながら工房を観察していく。
部屋によって用途が分けられていることがわかる、宝石の加工場はミューが占領しておりそれほど広くもないので面白味がない、だからなのかキャロルは残った部屋の探索を続けるようだ。
どれほどの魔術師たちがここを拠点にしていたのかはわからないが、アリの巣のように幾つもの部屋に枝分かれしている様子からそれなりに規模であったのではないかと推測できる。
どのような研究で、何を成そうとしたのかはわからない、しかし人の社会から逃げ出して追手が迫るくらいには悪だくみをしていたのだろう。
「……人造天使?」
執務室、或いは資料室と思わしき場所でキャロルが見つけた書類にはそんなことが書かれていた。
魔術的な専門用語が多いので完全には理解できないが、どうやらこの書類には人造天使なる存在の製造に関して書かれているらしい。
「祝の器によって物質化に成功……しかし数分後に崩壊……大きな一歩」
書類を流し読みしながら意味の分かる文字を言葉にしていく、専門用語や意味のわからない計算式などは無視する。
「髪や血を使っても効果が薄い……瞳を使う?」
資料にはそう記されている、祝の器という物がキャロルには理解できないが、その瞳をくり抜いて何らかの魔術を行使したのか研究に使ったと推測はできた。
「ん……よくわからない」
既に存在しない魔術師たちの、果たされることのない目標を記した資料である、彼女には何の関係もなく興味もないのだろう。
その資料を雑に放置して資料室の本棚を眺めていくと、本当に様々な魔術書や巻物が保管されていることがわかる、戦いに利用できそうな物を物色していると房中術に関する本も発見することができた。
難しいことが書かれた資料よりも、気持ちの良いセックスができる情報が詰まったこの本の方が彼女にとってはずっと貴重な物である。
不純だ、と自分でも理解しているが、目的の一つでもあるので見つかったことに安堵しているらしい。
神秘を宿した黄金の瞳で魔術書を注意深く観察して、開いた瞬間に爆発したりしないことを確認すると、房中術関連の魔術書や資料を本棚から抜き去っていく。
試しにその内の一つである巻物を広げ、中に書かれていた内容にざっと目を通す。
「……不老不死、の研究?」
やはりよくわからない、房中術と不老不死がどう関わりがあるのかキャロルには上手く腑に落ちないらしい。
多少なりとも肉体の変化や体調の良し悪しに役に立つという知識はあるのだが、それが不老不死に結びつかないのだろう。
極めればそういった領域に辿り着けるのかもしれないが、やはり彼女には不要な知識であった。
そもそも彼女は勘違いをしている、房中術はセックスを楽しむ為の手段ではなく一つの魔術形態であり、それはそれは長い歴史があるのだが……こればかりは理解には遠いらしい。
なんであれ房中術に関する資料や魔術書は入手することができたのだ、これだけでもここに来たかいがあるとご満悦な様子を見せて、雑嚢へと放り込んで本棚を後にした。
しかし扉から通路へと出ていく瞬間にキャロルのうなじにピリッとした痛みが走る、虫の知らせのような奇妙な感覚をどこからか受け取った彼女は、指先を資料室の本棚へと向けて小さな火の魔術を行使する。
そうせよと、神が命じたかのように迷いなく、躊躇もなく、埃と紙で満たされた空間に火花が広がった。
そこにあった様々な情報はそうやって灰となっていく、もう二度と人前には晒されないことだろう。
何故自分がそのようなことをしたのかと、疑問に思うようなこともなく、キャロルはその場を後にするのだった。
「ミュー……房中術の本、見つかったよ」
専門用語が多いのでキャロルには完璧に内容を理解することができないが、魔術にも深い理解があるミューならば有意義な知識になるだろうと考えているらしい。
宝石の加工場で神物に手を加えているエルフの背中に声をかけると、目的の一つを達成できたからなのか、嬉しそうな声が帰って来る。
「それは喜ばしい!! これでキャロル殿を……ふ、ふふふッ!!」
「ん……加工に集中して」
「そこはお任せを、完璧な物を作りますとも」
神魚の鱗の一つを摘みあげて鏃の形に一つ一つ加工しているようだ、傍らには牙類も転がっていた。
「……牙は短刀? こっちは私がやる」
宝石を加工する為の工具で大きな牙類を削る必要がある、ただでさえ鋭い牙を更に研ぎ澄ませていくと、すぐに淡い輝きを宿していく。
キャロルの持つ黄金の弓の時も同じであったが、神物というものは不思議なことに在り方を定めると途端に強固に変化するのだ。
工具で削り、無駄を削ぎ落とす、その過程だけみれば加工は容易く脆い印象を与えるが、弓なら弓、鏃なら鏃と形を整えて在り方を固定すると、それ以上の変化が起こらなくなる。
実際に、キャロルが刃の形に研ぎ澄ましている狼神の牙も、短刀に形を整えるとこの世のどんな金属よりも固くなってしまうのだから、やはり不思議に感じてしまう。
牙も鱗も、それ以外の神獣たちから賜ったあらゆる神物が同じように固定されていく。
そして、在り方を定めれば最後、担い手以外にはまともに振るうことができなくなるのだった。
「鏃はこれで良し、キャロル殿が牙も加工した……ならば後は」
様々な神物を加工していたミューが、最後の仕事とばかりに残された黄金の鹿角へと手を伸ばす。
彼女に与えられた、おそらく彼女とキャロルにしか扱えないであろう角だ、自分が振るうことを考えればより気合が入ることだろう。
槍にすると決意していたが枝分かれしているので形は向いていないように思われるが、それぞれの突起の先端を更に鋭く尖らして刃とすると、想像以上に鋭い印象を与えて来る。
担い手が形をこうだと定めたからなのか、黄金の角はそれ以上の変化を嫌うかのように輝きを増していく。
そして大樹海の中からミューが選び抜いた長い木の枝を真っすぐ加工して槍芯として扱い、そこに槍先を固定するのだった。
まるで木と角が溶けるかのように接合点は混じり合う、最後に魔力を走らせると繋がり合う感触と共に黄金の槍はミューの一部となる。
「キャロル殿、完成いたしました」
出来上がった黄金の槍を、ミューは跪いて恭しく差し出した、どうやら戦士である彼女はこれを下賜という形にしたいらしい。
例え形だけの儀式であったとしても、戦士階級であるミューにとって重要なことである、ましてキャロルを主としているのだから外せない儀式であった。
「ん……これからも宜しくね」
差し出された黄金の槍をキャロルは受け取る、同じ存在から認められたからなのか、この神槍は問題なく彼女にも持てるらしい。
そして受け取った槍を直ぐに跪くミューの掌に戻す、ここに主従の制約は完了するのだった。
「はい、このミューリアン、全力全霊をもって貴女をお守りいたす!!」
あまり難しく考える必要はない、という言葉をキャロルは飲み込んで頷きだけを返す。
「じゃあ、必要そうな物を集めて……帰ろうか?」
「えぇ、大樹海の天気は変わりやすい、雪が降る前に帰還いたしましょう」
なにせ魔術師の工房だ、既に確保した魔術書もそうだが有用な物で溢れている。
この加工場の隅で埃を被っている宝石の輝きだって、キャロルは見逃していない。
小さな物なので懐に置いておける、文明圏に帰った時に売りさばけるだろうと考え、キャロルはそれを雑嚢へと放り込む。
これ以外にも色々と役に立つ物が多いだろう、自分たちの生存の為にもミューと手分けしながら工房を暴くのだった。