商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
それは雲に届くほどに巨大な大樹であった、幾千幾万にも枝が分かれており、冬の寒さにも負けないような青々とした葉が星の数ほど広がっている。
世界樹、と称されるそれは人間社会から遠く離れた大樹海の奥地に聳えており、神々が世界に最初に植えた木であるとされていた。
この世界樹を中心に様々な植物が大地に広がり、人々が当たり前のように口にしている麦や芋なども起源を遡ればここに辿り着く。
花も木々、ありとあらゆる植物の母であり、同時に神々に近い場所である、ここは神の膝元なのだ。
同時に、世界において不可欠な場所であるとも認識されてもいる、かつて勇者と魔王たちの戦いが激化するにつれて、大地の多くが毒と病に汚染されることがあった。
とある魔王の一柱、人間側から病の王、または呪いの王と呼ばれた存在があり、その魔王が放った瘴気は大地の多くを汚したという。
幾つもの国が滅び、汚れた大地は生き残った人々すらも蝕んで犯しつくしたそうだ、植物も例外ではなく多くの木々や緑が腐って枯れ落ちたとされている。
そんな死の大地を救ったのが、世界樹の実から生まれた苗木であった。
当時のエルフの王族が各国の代表たちから要請された結果、世界の行く末を思って勇者へ託し、汚れた大地の中心に苗木を突き刺したのだ。
その結果、世界樹の苗木に内包されていた力は大地へと流れて、死の大地に緑が広がった。
世界樹には、この世全ての植物の因子が保存されているだけでなく、大地の浄化作用もあるということだろう。
いつかまた世界が汚染されてしまったら世界樹の力を頼ることになる、その日の為に大樹海に暮らすエルフたちは備えているのだ。
だが、世界樹を中心に広がるエルフの領域は、今現在、悲惨な状況となっている。
森と調和して共存していた家々も、田畑や川の流れさえ、奪われて汚されているらしい。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
散々たる様子のエルフの里である、そんな里を従えるかのように中央に立つ世界樹の枝壁の奥で、叫び声とも鳴き声とも聞こえるような耳障りな音が響いていた。
思わず耳を塞いでしまいたくなるような、生理的嫌悪感を掻き立てる異音だ、男とも女とも判別できない程の雑音である。
無数の枝と葉によって隠された世界樹の内部にそれはいた、黒い靄を全身に纏った胎児の姿をした存在だ、その頭上には体と同じようにどす黒い輪っかが浮いており、それだけを見て色に目を瞑ればなんとか神の使いに見えなくもない。
黒い靄が邪魔をして胎児の容姿はハッキリとしないが、ただただ悍ましい存在であるということだけは察することができるだろう。
そんな黒い胎児は無数の枝に虫のように張り付き、小さな手で捕まりながら大きく口を開いている。
バクン。簡単に表現するのならばそんな感じだろうか、小さな退治に不釣り合いなほどに大きく口を開いて、彼は世界樹の枝に噛みつくのだった。
幼い姿に不釣り合いな咬筋力を持って、枝の一つを蝕んでいく。
すると世界樹は噛み砕かれた場所を即座に修復していく、持ち合わせている巨大な生命力に加えて大地に深く根を張っているので、地脈から必要なエネルギーを吸収することができるのだ。
例え周辺の森が炎上したとしても、この世界樹だけは焼け落ちることなく立ち続けることができるのだろう。
だが嵐の王はそんな世界樹の性質を利用していた、世界樹を食らうということは即ち大地を流れる地脈を食らうことである、それは世界中に血管のように広がり流れる力を得ることと同じである。
それは、無限にも等しい力を得ると言えるのかもしれない。
だから嵐の王は世界樹を食らっているのだ、バリバリムシャムシャと雑に食い散らかして、そこにある巨大な力を吸収している形であった。
無意味にそんなことをしている訳ではない、目的もなく食らっているのではなく、小さな体に押し込められたエネルギーは魔力となって満ちていく。
「ふふふ、今日もやっているのね」
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇!!」
世界樹を食らう嵐の王に声をかける者がいた、それは彼を生み出した存在である魔獣母エキドナであった。
彼にとって創造主であり、母でもある。
その声と姿を認識した瞬間、嵐の王は世界樹を貪ることを止めて飛び上がると、フワフワと漂いながらエキドナの下へと向かう。
それは幼子が母へ飛びつくかのようにも見えた、実際にその認識に間違いではないのだろう。
「あらあら、貴方は長男なのに甘えん坊ね」
母親であるエキドナも息子を胸で受け止めて頭を撫でていた、どす黒い靄で包まれて悍ましい雰囲気を持った赤子だが、彼女には気にならないらしい。
そこは母親ということだろう、それとも悪魔故に感性が異なるのか、何であれエキドナの顔は母性に満ちていた。
「順調に魔力を吸収できているようね、さすがは世界樹……無駄にでかいだけはあるってことかしら」
吸収できる魔力はごく僅かでしかないが、大地の奥深くまで根を伸ばしている世界樹だ、本来は届かない無限に近い力の流れにまで手を伸ばすことができる。
その力は嵐の王から、エキドナへと流れていくのだ。
「んん、ふぅ……チャリオットが集めた魂を磨り潰した分も合わせれば、腹八分目ってとこかしら。ふふふ、もうすぐ新しい兄弟が生まれそうよ」
受け渡された魔力によって彼女の腹部が膨れ上がる、まるで妊婦であるかのように。
エキドナは膨れた腹を掌で愛おしそうに撫でながら、もう片方の手では嵐の王を撫でていた。
「このまま地脈を吸い続けなさい、それが私の力となるのよ」
「▇▇▇▇▇▇ッ!!」
「ふふ、そうねぇ、次はどんな子が生まれるのかしら」
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
「他の子も勿論頑張ってるわよ、貴方と同じようにね」
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇!!」
黒い胎児は意味のある言葉を発していないが、それでも不思議なことに会話が成立しているようだ。
「エルフの国は制圧できているみたいだし、魔族も集まってる……ここは人間の国から遠く離れてるから、暫くは身を隠せるでしょ」
深紅の瞳が揺れ動いて、世界樹の枝によって阻まれた外を睥睨した、普通ならば枝や葉が邪魔をして周囲の状況などわかりはしないのだが、エキドナの瞳はそれでもしっかりと認識できているのだろう。
世界樹を中心に広がるエルフの国は、今や大量のゴブリンやオークに占拠されており、かつての穏やかさは欠片も残されてはいない。
「そもそも、ゴブリンやオークってまだこんなに残ってたんだ……懐かしい」
そして、それらの生みの親であるエキドナは、懐かしむかのように眺めている。
彼女が大昔に生み出した先兵である、野生化してしまったからなのか昔よりもずっと魔王の因子が薄くなってしまっているが、それでもエキドナの系譜に連なる存在であった、つまり彼女の子供と言っても過言ではない。
最も、野生化して長いので話もまともに通じないだろう、あれらが世界樹の周辺に集まっているのは論理的な思考や行動ではなく本能的な物なのだ。
野生の獣が自分より強い者に挑まぬように、あのゴブリンやオークたちもより上位の存在に導かれているに過ぎない、火によって来る虫と大差がないのだろう。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇!!」
そんな彼らの火がこの黒い胎児であった、悍ましい見た目とは異なり大きな神性を宿している、その神秘の輝きに引かれているのだ。
両手を上げて叫ぶオーク、独特の叫び声を上げるゴブリン、それら以外にも無数の魔物たちが世界樹を玉座とする黒い胎児を野性的に称えている。
その光景は、神を前に熱狂する信者にも見えるのだった。
ようやく雪解けの季節がやってきた、まだ緑や花が芽吹く季節ではないが肌を刺すような冷気はどこかに引っ込み、冬の間に積もった雪は徐々に溶け始めている。
廃神殿の屋上に降り積もった雪から水が落ちてきて地面に水たまりを作っている、あと半月もすれば大樹海もいよいよ春に包まれるだろう。
暖かくなって来たこの頃、廃神殿を拠点にして冬を乗り越えようとしていたキャロルとミューの二人は、周囲の様子を観察しながらいよいよ行動を開始したようだ。
「キャロル殿、準備は万全だろうか?」
「ん……大丈夫」
彼女たちには使命がある、魔王を倒すといういつか歌になるような壮大な役目であった。
冬の間は思うように動けず雌伏の時間であったが、春が近くなり雪解けが目立ち始めた季節となったことで、ようやく動けるようになったのだろう。
世話になった廃神殿の片づけを行い、必要な物を纏めてキャロルは立ち上がった。
彼女の装いも大きく変化している、神獣たちから下賜された様々な神物を加工して作られた装備の数々にまず視線が向かう。
愛用している黄金の弓は勿論だが、きらりと輝く狼神の牙から作られた短刀が脇にぶら下がっている、腰には皮で作られた矢筒が皮紐で結ばれており、そこに収められた矢束は鏃が神魚の鱗で作られた特注品である。
それ以外にも様々な神秘が垣間見える、無数の加護がそこにはあった。
「……」
そんな彼女の姿を見て、ミューは頬を赤くして言葉を無くす。
白い毛皮のマントがふわりと舞い上がり、廃神殿の横穴から差し込む陽光が無数の神秘を纏う彼女を照らす、その姿は美しく幼い少女でありながら雄々しく英雄らしさが感じられた。
カッコいい、美しい、可愛い、そんな言葉がミューの頭で混ざり合いながら、最終的には熱い吐息となって吐き出されていく。
昨晩の交わりは主にキャロルが上であったので、余計に雄々しさを感じてしまうのかもしれない。
「ん……行こう」
「あッ、はい、先導いたします」
世話になった廃神殿も今日で去らなければならない、二人が目指すのはミューの故郷でもあるエルフの国であり、そこにいるとされている魔王を討つことが目標である。
その為に必要な知識や武器を集めて慣らす冬でもあった、ミューの手に握られている黄金の槍もこの冬の間に手足の延長と思えるほどに馴染んでいた。
後は実戦で振るうだけである、彼女は魔術にも理解が深いので近距離も遠距離もこなせる万能の魔法戦士なのだが、槍を主武装にしたことから白兵戦の方が得意なのだろう。
彼女が前で戦い、キャロルが後ろで戦う、そんな形の戦術がこれから基本になるはずだ。
廃神殿の横穴から外に出て、溶け始めた雪を踏みしめながら大樹海へと進む。
一度振り返り、足跡の向こうに残される拠点を見つめて、僅かな寂しさを感じながらも二人の足は先へと伸ばされる。
「エルフの国……楽しみだな」
「……あぁ、その、おそらくは期待に応えられないかと思います」
ミューがエルフの国から離れた原因がそもそも魔王の襲撃だ、自分が暴風で吹き飛ばされたのだから、仲間や里も無事であるとは思えない。
「……どのような状況になっているのやら」
懸念はやはりそこである、だからまずエルフの里に近づいて情報収集が優先だ。
もしかしたら遠距離からの狙撃で暗殺できる場面もあるかもしれない、楽観視するつもりは無いのだが、キャロルの腕なら不可能ではないだろう。
理想を言えば、戦いが成立する前にキャロルが一方的に暗殺することが好ましい。
魔王を相手に簡単にはいかないだろうという予感はあるのだが、まともに戦ってもおそらく苦戦はするので、一撃に賭けることは間違いではないはずだ。
「参りましょう、エルフの里はここからまだ距離がある」
「うん……道案内、お願いね」
キャロルの持つ金色の瞳が大樹海を眺める。
そしてまた、ミューが持つ金色の瞳もまた、雪解けの始まった大樹海を眺めた。
神秘を宿した四つの瞳の先にあるのは、巨大な世界樹である。
まだ距離がある、しかし一歩近づく度に戦いは近くなっていく。
彼女たちの瞳は、これから立ち塞がる困難をしっかりと認識しているようだ。