※この作品はR-18です。

商人と冒険者と娼婦   作:にやまな

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第十五話 潜入失敗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その悪魔をキャロルは知っている、病的を通り越して一切の温もりを感じさせない白い肌も、大きな蝙蝠のような一対の羽も、宝石を溶かし込んだかのような輝きを放つ深紅の瞳も、彼女は知っていた。

 

 

 

 その強さもだ、聖都の大神殿の戦いではあれだけの戦力が集ったというのに、結局は取り逃がしてしまった相手である。

 

 

 

 魔王、そんな言葉が頭に浮かんでは消えていく、蔵の屋根からこちらを面白そうに見下ろすエキドナが自分たちの最終目標なのかと疑うのだがすぐに否定した、神獣たちやミューが言うには撃破する相手は嵐を従える相手なのだ。

 

 

 

 無限城で一目だけ見ることができた黒い胎児、あれが自分の倒すべき相手なのだと理解しているのだが、エキドナがいるという現実が最悪の状況を証明してしまう。

 

 

 

 ここには魔王が二体いる、最悪の中の最悪だ。

 

 

 

「覚えてるわよぉ、貴女のこと……奇妙な神性を宿していたからね。まさかこんな場所で再会できるだなんて、どこの誰の思惑かしら」

 

 

 

 バサッと、羽を広げてエキドナは蔵の屋根から地上へと降り立つ。

 

 

 

「まぁなんだって良いわぁ、こんなに面白い相手なんだもの」

 

 

 

 深紅の瞳がキャロルを観察するように下から上へと移動する、魂の奥底まで見透かすようなそれを、キャロルは黄金の瞳で睨み返して応戦していた。

 

 

 

 両者の距離はほんの数メートルだ、キャロルにとってもエキドナにとっても無に等しい距離だろう。

 

 

 

 その僅かな距離を、何が面白いのかエキドナは気楽に詰めていく、そこに警戒も罠もないかのように。

 

 

 

 或いは、キャロルを完全な格下と認識しているのかもしれない、それは間違いではないが正解でもなかった。

 

 

 

 今のキャロルは二年前に戦った彼女ではない、その差を武器にするしか活路はないだろう。

 

 

 

 キャロルの手が腰へと延びる、そこにある皮の鞘に納められていたのは二振りの刃であった。

 

 

 

 背中に背負っていた黄金の弓は今更取り出せない、そんな隙はない、だからキャロルが握ったのは狼神と蛇神の牙から作られた短刀である。

 

 

 

 その二つを握ってキャロルは音もなく突っ込んだ、相手が油断している内に秒殺しなければ潜入が見つかってしまう、最初の数秒が重要だ。

 

 

 

 ここで殺す、音もなく、騒ぎも立てず、そんな決意を込めて彼女は一歩を踏み出す。

 

 

 

 当然ながらエキドナがそれを黙って見過ごす筈がない、キャロルの突進を予期していたかのように、彼女の白い両腕は解けて分裂していく。

 

 

 

 右手に四本、左手に四本、合計八つの触腕となって、それぞれが鞭のようにしなって迎え撃つのだ。

 

 

 

 八つの触腕の先端には人間のような唇と獣のような牙がある、それが鞭のように振るわれるのだから、十分な殺傷力があるだろう。

 

 

 

「ふッ!!」

 

 

 

 浅く、そして強い呼吸と共に、刃が鋭く虚空を走る、二年前の頃は見切ることもできないであろう触腕を、今の彼女は難なく両断して見せる。

 

 

 

「えッ?」

 

 

 

 軽い驚愕の声はエキドナの唇から漏れ出たものだ、小さく弱弱しい子犬に噛みつかれてしまったかのような表情で、切り落とされて虚空を舞う自らの触腕を見つめていた。

 

 

 

 狼神の刃は魔王の肉を間違いなく断った、一切の抵抗もなくキャロルの感触としては斬ったと言うより肉をすり抜けたかのような手ごたえである。

 

 

 

 逆に左手に握った蛇神の刃はそこまで鋭くない、だが刃に触れた瞬間にエキドナの触腕は劇毒によって腐り落ちてしまった。

 

 

 

 全てを切り裂く刃と、全てを腐らせる刃、その二つを握ったキャロルは、少なくとも魔王を驚愕させられる程に鋭く研ぎ澄まされているのだろう。

 

 

 

 迫る八つの触腕を、二つの腕と刃で切り開いたのだ、それは只人には難しい。

 

 

 

 英雄と呼ばれるような存在でなければ、エキドナを前に二歩目を刻むことはできないのだ。

 

 

 

 既にキャロルは、その領域へと片足を突っ込んでいるらしい。

 

 

 

「あぁ、そう、どうりで奇妙な気配だと思った」

 

 

 

 目の前に二つの刃が迫っているにも関わらず、エキドナはどこか遠くを眺めて昔を思い出すかのように瞼を細めた。

 

 

 

 思い出すのは勇者との戦い、苛烈を極める争いの中、黄金の弓を持った英雄の姿が脳裏に過る、恐ろしいほどの精度で次々と魔の眷属たちを屠って見せたエキドナから見ても怪物だ。

 

 

 

 その姿と目の前のキャロルが重なる、姿形はまるで異なるが、あの黄金の英雄の気配は確かにここにある。

 

 

 

「神獣の加護がやたらと濃いこともよく似ているッ」

 

 

 

 エキドナの白い肌が裏返るかのように波打ち紫色の鱗が現れた、それは迫る狼神の刃を阻もうとするのだが、やはり何の抵抗もなく肉をすり抜けてしまう。

 

 

 

 魔王の肩から鮮血が飛び散った、首を狙った一撃であったが僅かに身をひねって回避した辺り、彼女は楽に倒せる相手ではない。

 

 

 

「……ふん」

 

 

 

 だが焦りはない、寧ろ冷たく冷酷に集中力が高まっているかのようだ、それは彼女の中から侮りや油断が消えている証拠でもあるだろう。

 

 

 

 厄介な相手だ、身に纏う神性や加護は強く強固、そんなことを考えながら深紅の魔眼に輝きを灯す。

 

 

 

 そこから放たれる巨大な呪いは相手の理性を破壊して狂わせるものなのだが、クモの糸のようにキャロルの体に絡みついたそれを、彼女は強引に引きちぎってしまった。

 

 

 

「やっぱり加護が強い……神に愛されてるわね」

 

 

 

 そこでエキドナは完全に侮りを捨てることになる、キャロルが自分を殺しきる脅威だと認めたのだ。

 

 

 

「キャロル殿!! 如何なされた!?」

 

 

 

 表の騒ぎを察したのかミューも大きな蔵の中から飛び出て来る、そしてエキドナを発見した瞬間に驚愕してしまう。

 

 

 

 だが足は止まることはない、戦士として鍛え上げられた彼女は一切の躊躇なく黄金の槍を振るった。

 

 

 

「こいつもかッ!!」

 

 

 

 エキドナは前後から迫る神器の猛攻を、両手から伸びる触腕を即座に再生して迎え撃つ。

 

 

 

 三者の間で無数の輝きと鮮血が飛び散り、重たい金属が擦り合わされる音を最後に彼女たちは距離を置いた。

 

 

 

 エキドナは無数の傷跡を白い肌に残しているが致命傷は一つもなく、キャロルとミューは暫く続いた無呼吸運動の反動で肩を激しく上下させている。

 

 

 

 それが意味することは、潜入は勿論のこと暗殺すら失敗する結果となってしまったということだ。

 

 

 

「ざ~んねん、まぁ悪くはないけど……まだ足りないわぁ。そして時間切れよ」

 

 

 

 次の瞬間、夜の帳に包まれて静寂が広がるエルフの里をひっくり返すかのような衝撃が周囲に吹き荒れた。

 

 

 

 

 

「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇ッ!!」

 

 

 

 

 

 女とも男ともとれない耳障りな叫び声が響いたかと思えば、凄まじい風圧が彼を中心に放たれていく。

 

 

 

 キャロルもミューも風の壁とも言うべきものに押されて体幹を崩すと、跪いて体を強張らせた二人はそのまま上空を支配する圧倒的な存在感を放つ魔王へと瞳を向ける。

 

 

 

 まるで跪くことを強制されているかのような重圧と風圧である、見上げればそこには神威を放つ黒い胎児が漂っており、彼を中心に嵐が渦巻いていた。

 

 

 

 強いであろうことはわかっていた、苦戦するであろうことも想定していた、だがしかし、実際に目の前にすれば本当にどうしようもないほどに圧倒的な存在感を放っている。

 

 

 

 あれは、人にどうにかできる存在なのだろうか、天の使いのように神々しくもあり、邪悪の化身であるかのように悍ましい。

 

 

 

 神か、悪魔か、どちらにせよ触れることができない程に超越した相手であることは間違いない。

 

 

 

「ミュー……逃げるッ」

 

 

 

 暴風に押しつぶされそうになりながらも、キャロルは何とか踏ん張ってミューの側へと移動する。

 

 

 

 潜入も暗殺も失敗だ、魔王も二体いておまけに魔の眷属さえ群れとなしている、ここから逆転はないと判断したのだろう。

 

 

 

「何を言ってるのよ、逃がすわけないじゃない……さぁ、嵐の王、やってしまいなさい」

 

 

 

 母親からの、上位者からの命令を、嵐の王は忠実に守った、従えた暴風を操り集束すると竜巻を生み出し、それを二人に向けて走らせたのだ。

 

 

 

 家屋と土と木々を巻き上げながら、凄まじい速度で突っ込んで来る巨大な竜巻に抗える筈もなく、華奢な少女たちは大地から救い上げられるかのように宙へと浮かんでしまう。

 

 

 

「キャロル殿!!」

 

 

 

「ッ!」

 

 

 

 伸ばし合った指先が絡み合うが一瞬だけだ、小さく細い繋がりは簡単に引き裂かれて二人は風に流されてしまった、瞬く間に離れていく互いの姿に思わず奥歯を鳴らしたのはキャロルだろうか。

 

 

 

 状況は絶望的としか表現できない、だが、それでもだ、彼女の中に諦めはどこにも無い。

 

 

 

 寧ろ、開き直って好機とさえ考えているのか、腰の矢筒から神魚の鱗から作られた鏃の付けられた矢を取り出している。

 

 

 

 世界樹に隠れている時は姿形もわからず距離も測れなかったのだ、しかし今は確かに視界の中にいる、空中であるが故に障害物もない。

 

 

 

「弓神、よ……この、一撃を……捧げますッ!」

 

 

 

 風に流され、宙を漂い、上下どころか前後の感覚すら曖昧であるというのに、キャロルの瞳と引き絞った矢は嵐の王へと間違いなく向けられているのだ。

 

 

 

 当たる筈がない、あざ笑うかのようにそんなことを思ったのはエキドナかそれとも嵐の王か、どちらであったにせよ、そんな考えは決して間違いではないだろう。

 

 

 

 確かにキャロルと嵐の王の間に障害物はない、どちらも空中にいるのだから邪魔する物はない。

 

 

 

 だが彼女の体幹は崩れに崩れている、それに加えて竜巻に弄ばれているのでいつまでも姿勢が定まらない、そんな状況で矢を放ったところで結果は語るまでもないはずだ。

 

 

 

 障害物や距離がどうのという状況ではない、それ以前の問題である。

 

 

 

 それに加えてこの暴風だ、放たれた矢が真っすぐと進む理由が一つもない。

 

 

 

 だから当たらない、この一撃は必ず逸れる、そんな確信が嵐の王にはあったのだろう。

 

 

 

「悉くを……穿つ力を、与えたまえッ!!」

 

 

 

 もし命中するのならば、幸運と奇跡と神々の加護が高い次元で交わることが必要だ、それは奇跡と言い換えても良い。

 

 

 

 当然ながら軽々と奇跡が起こる筈もない、そんな存在は勇者以外に存在しない。

 

 

 

 だが何故だろうか、黒い胎児はこちらに鏃を向けるキャロルを観察していると、心の奥底に封印していた絶望とでも呼ぶべきものが悲鳴を上げていることに気が付く。

 

 

 

 嵐士の王が思い出すのは大昔の戦いであった、今の器のその前、勇者たちとの戦いが苛烈を極めていた頃の記憶である。

 

 

 

 勇者の天剣を持ってしても空を支配する黒い胎児には届かなかった、常に距離を取って決して近づくことなく戦い続けた彼を撃ち落としたのは、狩猟王と呼ばれた黄金の英雄であった。

 

 

 

 矢が届くはずのない距離から攻撃しようとしていた彼を見て、黒い胎児は愚かだと嘲笑ったのだろう。

 

 

 

 その一撃が自分を地面に叩き落とすとも知らないまま、馬鹿な奴だと笑ったのだ。

 

 

 

「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇ッ!!」

 

 

 

 小さな体に走り抜ける悪寒に嵐の王は耳障りな咆哮を放った、当たる筈がない矢を彼に向けるキャロルを恐れているようにも見えた。

 

 

 

 その恐れは、間違いではない、キャロルが引き絞った弓を解き放った瞬間に、確信へと変わったのだから。

 

 

 

 あれは、魔王である自分を殺せる一撃だ、神の領域に指先が届こうとしている。

 

 

 

 嵐の王はかつて自分を殺した狩猟王の一撃に匹敵するそれから逃れるように、恐怖に強張る小さな体を僅かに傾けた。

 

 

 

 ほんの数センチ、たったそれだけだが、その差が黒い胎児の命を繋げたのだろう。

 

 

 

 嵐を貫き、暴風に阻まれることもなく、寧ろ周囲に渦巻く風すらも利用して、キャロルが放った矢は彼の左肩から先を穿って食いちぎるかのように吹き飛ばす。

 

 

 

「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇ッ!!」

 

 

 

 激痛にのたうち回るかのように黒い胎児は叫びをあげて、彼が支配していた嵐が無秩序に吹き荒れて周囲へと放たれていく。

 

 

 

「うッ!!」

 

 

 

 その法則の無い力の流れは風に弄ばれるキャロルにも当然ながら向けられた、狙い撃ちされたのではなく力の規模が大きすぎるので巻き込まれた形である。

 

 

 

 痛みに苦しむ嵐の王は自らの力を制御できないのだろう、幾つもの竜巻を生み出しては四方八方に放ち、それらは合体と分裂を繰り返しながら大樹海へと深い爪痕を残していった。

 

 

 

 そんな力の奔流に流されながら、キャロルは体が引き裂かれそうになり、最後には意識を手放してしまうのだった。

 

 

 

 地面に叩きつけられて、二度三度と跳ねて、最後にはエルフの里に残された半壊した家屋に突っ込んでしまう。

 

 

 

「ちょっと落ち着きなさい、死にはしないわよ……全く、貴方は長男なのに泣き虫なんだから」

 

 

 

 エキドナは暴れまわる嵐の王を抱きしめて赤子を落ち着かせるかのように頭を撫でた、すると無秩序な力の流れは徐々に鎮まっていく。

 

 

 

「はいはい、痛いの飛んでけ~……ほら、もう大丈夫でしょ?」

 

 

 

 泣きじゃくる嵐の王を母親として不憫に思ったのか、エキドナは自らの器に収まる膨大な魔力の一部を息子へと流す、それによって彼女の腹部は僅かに引っ込むが、代わりに黒い胎児の左肩から先が再生していく。

 

 

 

「それにしても面倒な相手ね。半神には届かないにしても、あそこまで神獣の加護を宿すだなんて……ふんッ」

 

 

 

 どうしてやろうかしら、とエキドナは意識を失って伏しているキャロルを見下ろす。

 

 

 

 彼女の腕の中にいる嵐の王はガタガタと震えるだけでそちらへ視線をやろうとしない、どうやら先ほどのキャロルの一撃がかつての狩猟王と重なってトラウマが蘇ったらしい。

 

 

 

「魔獣の母体にしようかしら、でもあそこまで加護と神性が宿っているとさすがに難しいわよね……まぁ、やるだけやってみましょうか」

 

 

 

 神獣の加護や弓神の神性だけでなく、娼婦神の加護も強いようにエキドナには見えるのだろう、魔獣の因子を流し込んで母体にしようにもそれらが邪魔をするはずだ。

 

 

 

 殺した方が確実なのかもしれないという考えはあるのだが、もしかしたら強力な魔獣を生み出せるかもしれないという淡い希望もあった。

 

 

 

 エキドナはどうすべきかと暫く悩んだ末に、気絶したキャロルが魔の眷属たちに取り囲まれていることに気が付く。

 

 

 

 そういえばあんな者も昔に生み出したな、と懐かしみ、オークやゴブリンと言った魔物は薄いながらも魔王の因子を宿していることを思い出す。

 

 

 

 それは神性や加護とは真逆の性質を持った因子だ、ぶつければ時間はかかるだろうがキャロルの神性を削れるかもしれない。

 

 

 

 そうなれば魔の因子を植え込むことも難しくはないだろう、エキドナは良いことを思いついたとばかりに唇を歪めて見せる。

 

 

 

 そして女の匂いに群がる魔の眷属たちと、彼らに運ばれていくキャロルを見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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