商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
雲にまで手が届くほどに巨大な姿を持つ世界樹の中心に嵐の王はいた。無数の枝と星の数ほどはあろうかという青い葉に身を隠すかのように彼は震えているのだ。
彼は恐怖している、前の器を撃ち落とした黄金の英雄の姿が頭から離れず、自分を殺した一撃が鮮明に思い起こせるので彼としてはトラウマが蘇ったのだろう。
流星のように光の尾を引きながら、自らの左肩から先を食いちぎったキャロルの一撃は、かつての致命傷と重なったのだ。
それは強くあれと創造されて産み落とされた魔王の命にすら届く一撃に他ならない、彼を殺しえる領域にある矢である。
かつての自分を殺した一撃なのだ、彼が震えながら逃避するように世界樹の枝に齧りつくのも仕方がないだろう。
ガリ、ガリ、世界樹を食べる咀嚼音が周囲に響き、それは止まることなく続いていく。
地中深くまで根を張る世界樹から地脈を吸い取るのは彼の仕事ではあるのだが、苛立ちと恐怖でやけ食いしているようにも見えなくはない。
実際に、吸収したエネルギーは膨大である、生まれたばかりの胎児ほどの体格しか持たない彼は大量の空気を溜め込んだ風船のように膨らんでしまっている。
全長は二メートルを超えているだろうか、腹が膨れているので横にも大きくなっており肥満体となっているようだ、それだけ大きくなっているのに姿形は胎児なので違和感しかない状態となっていた。
そんな嵐の王は何かから逃れて忘れたいかのように世界樹の枝を齧り続けていく、その器に大量の魔力を凄まじい速度で貯め続けている。
このままではいつか破裂してしまうのではないか、そんな危機感を覚える程度には世界樹を食らい続けているようだ。
例え魔王の器を持とうとも吸収しているのは星を巡る無限の流れである、小さなコップに大量の水を流し込むようなものであり、加減を間違えれば死んでもおかしくない凶行ではあるが、全ては恐怖故、この暴食は逃避であった。
「あらあら、そんなにブクブクに太って、地脈を吸い取れとは言ったけどやりすぎじゃないかしらん」
そんな息子の様子を見に来たエキドナは、苦笑いを浮かべながらもそんな姿を可愛らしいと思っているのか、慈しむように嵐の王へと手を伸ばして頭を撫でていく。
そして彼女と彼が触れ合った瞬間に、房中術によって作られた魔術の道を通ってエキドナへと大量の魔力が流れていき、腹部が妊婦のように膨らんでいった。
代わりに嵐の王が縮んで行くのだが、それでも胎児らしからぬ大きさを維持している。
「うっぷ……さすがにこれ以上は無理かしら、半分はお姉様に渡さないと」
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
「そうね、あっちはあっちで大切なお役目があるし……でも兄弟も増やしたいしね、上手く分配しないと、だから貴方の仕事は大切なのよ」
大地から吸い出したエネルギーをエキドナたちへ渡すことが彼の仕事である、間違っても暴食することではないと母親であるエキドナは言い聞かせるのだが、嵐の王の震えは止まらない。
強くあれ、そして無垢であれと産んだからなのか、精神的に脆い所があるのは彼女も気が付いていた、これが他の兄弟姉妹ならば……例えば死の王である首なし騎士なのであれば、上手く恐怖を飼いならして戦うことができたであろう。
だが嵐の王は幼い、魔王の中でも特に際立った力を持ち、創造者であるエキドナから見ても「最強」の二文字が相応しいとさえ断言できるほどである。
規模と言う一点において他の魔王は並び立てない、生みの親であるエキドナでさえ純粋な力比べでは嵐の王に敵わないだろう。
勿論、力の強弱や規模だけでは優劣は語れない、それぞれの特性や在り方によって様々なのだが、間違いなく黒い胎児は最強であった。
エキドナが限られたリソースの中で一番最初に彼を産んだのは、嵐の王が最も強いからだ。
しかし力に性能を偏らせた結果なのか他が追いついていない、彼が幼い胎児の姿をしているのも力の分配が偏っているからである。
だから肉体に引っ張られて精神も幼い、魔王らしからない恐怖に震えるという醜態をさらしているのだった。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
「あの人間を殺せって? 気持ちはわかるけどそれは駄目よ、上手くいけば強力な魔獣を生み出す母体になるわ、それは勿体ないもの」
「▇▇▇▇▇▇▇」
「それは駄目、貴方たちだけじゃ戦力が足りないわぁ」
だからこそエキドナはキャロルに期待していた、普通の人間とは異なる子宮を持っているのだ、成功するかどうかは現時点でハッキリと断言はできないのだが、最初から諦めることはできないと考えているらしい。
だが息子の発言にも納得はできる、あれは危険な存在なので殺した方が確実なのだと。
その判断ができないのが、魔獣母としての在り方を優先するエキドナの特性であり弱点なのかもしれない。
処理よりも、産むことをどうしても優先してしまうのだ。
「まぁ、暫くは我慢なさい、私はこの魔力で新しい魔王を産まなきゃならないのよねぇ、お姉様にも渡さなきゃダメだしさ」
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
「そうね、だから少しここを離れることになるかしら……あぁ、はいはい、そんなに怯えないの」
一メートルほどの黒い胎児を抱き寄せながらエキドナは母親の顔で微笑む、そして震える我が子を慰めながらも、名残惜しそうに手を放すのだった。
「じゃぁ後は宜しくね、このまま地脈を吸って魔力を貯めておきなさい、ペース配分をしっかりしながらね。今受け取ったこれで新しい兄弟を産んだら、お姉様の分も取りに来るわ」
力は巨大であっても精神は未熟な我が子が心配でないと言えば嘘になってしまうが、エキドナとて暇ではない、各地に散らばって役目を果たしている他の魔王の様子を見なければならず、それに加えてもう一人のエキドナの面倒を見なければならない。
この場所には魔力の受け渡しの為に定期的に顔を出してはいるが、いつまでもいられる訳ではないのだろう。
「名残惜しいけど、しばらくお別れかしら」
そんな言葉に嫌だ嫌だと駄々をこねる息子を微笑ましく思いながらも、エキドナは翼をはためかせて空中へと飛び上がる。
「しっかりなさい、貴方は長男なんだから」
そう言い残してエキドナは世界樹の枝から飛び去って行った、徐々に遠ざかっていく母親の姿を見つめながら、黒い胎児は大きな溜息を吐く。
母から離れた瞬間に、彼は体の震えが大きくなっていくことに気が付いた。
どれだけ遠ざかろうとしても、かつて自分を殺した黄金の一撃が脳裏をよぎるのだ。
「▇▇▇▇▇▇」
そんな恐怖から逃れたいが為に、彼は器に見合わない大量のエネルギーを貪り食う。
もっと、もっとだ、あの輝きを消し去る為にはもっと巨大な力が必要になる、そんな強迫観念にも似た感情が黒い胎児の中で渦巻き、更なる巨大な力を求めて口を開く。
幸いにもここには世界樹がある、地中深くにまで根を張って星の力に触れることができる場所であった、吸収する力には困らない。
だから彼は終わることなく世界樹の枝を食い荒らし、本来ならばその身に余る力を体に溜め込むのだ。
いつまでも、いつまでも、口を動かし続ける、あの黄金の輝きを前にしても怯えぬようにと。
妖精女王であるテイタニアの朝は早い。
本音を言え自らの領土でぐうたらと過ごしたいのだが、彼女は神秘が薄まった世界と神々を繋ぐという重要な役目があった。
残念なことに自ら望んで得た仕事ではない、妖精という種族全体に与えられた義務のようなものであり、それ故に妖精たちは人よりも神々の距離が近い存在である。
神獣と呼ばれる存在と同じように神性を帯びており、決して軽い扱いはできないのだが。
「ひゃいッ!! サボってすいませんでしたぁ!!」
そんな彼女は自分の領地である世界の裏側で小さな体を折り曲げ地面に埋まるかのような勢いで頭を下げていた。
彼女だけでなく周囲にいる妖精たちも同様であり、何十もの妖精たちがガタガタと震えながら青い顔をしている。
妖精たちの周囲には、おそらくひっそりと人間たちからくすねたであろう酒瓶や菓子の欠片が転がっている、つい直前までここで宴会でもしていたかのような有様であった。
その為か、この世の物とは思えないほどに美しい花畑が広がっているというのに、どうしてもゴミが目立ってしまう。
美しい景観を損ねる様子であるが、そんなことよりもテイタニアが優先しなければならないのは、巨大な気配で彼女たち妖精を睥睨する存在である。
「で、でも、言い訳させてもらうとですねぇ……へへへ、最近働きっぱなしだったから多少の休みも必要かなって……あッ、いや、違います、別に批判している訳じゃなくてですね」
お馴染みの揉み手を作りながらにへらっと笑ったテイタニアの頭上にある重圧が増した、姿形は見えなくとも確かに感じることのできる存在感に、彼女は冗談すら言えない雰囲気を感じ取ってしまう。
あぁ、これはマジギレだ、そう理解してからテイタニアの反応は早い、ただひたすらに見えない何かに頭を下げる姿は王女としての威厳が欠片も感じられなかった。
「で、でもぉ、世界樹の周辺って今はシャレにならないくらいに荒れてるらしくて、私たちみたいな可憐で小さな存在は危険と言いますかぁ……えぇ、何の為の妖精女王かって言われましても」
テイタニアは周囲で同じように頭を下げる同胞へ助けを求めるかのように視線をやるのだが、そんな彼女から遠ざかるかのように誰もが顔を背けてしまった。
孤立無援である、女王であると言うのにだ。
「それにい、例の魔王は人間の戦士に任せるって話になったんじゃ……あれだけ神性を纏った存在なんだし、どうにかできるんじゃないかなって……だからってサボって良い理由にはならない? ひゃい、おっしゃる通りです!!」
妖精たちの頭上に広がる押しつぶされるかのような重圧が更に増していく、それに応じて彼女たちの震えも増していくのだった。
そんな彼女たちに呆れたように、見えない何かは大きな溜息を吐くのだが、そんなことですら下界の存在には大きな衝撃でしかない。
青い顔をしてガタガタと震える妖精たちは、沙汰を下される罪人であるかのように絶望してしまっている。
良くも悪くも奔放な妖精たちだ、そういった性質を神々も理解しているのだが、世界を繋ぐ役目を放棄して宴会している状況は呆れるしかないのだろう。
これでも地上で最も神々に近い種族なのだが、どこかだらしない所があることが欠点でもあった。
「す、すぐに動きます!! ですからもう暫くのご猶予をぉぉ!! うおおおおおおッ、せっかくの休暇があああぁぁああッ!!」
こうやって叱りつけて追い込まなければちゃんと働かない妖精たちを超常の存在がそれでも重宝するのは、代わりがいないということもあるがこんな様子でもちゃんと役立つからだ。
蜘蛛の子を散らすように行動を開始する妖精たちを眺めながら、遥か超常の存在はまたも溜息を吐く。
有能な怠け者は、無能な働き者と同じくらい扱いが難しい。
そんなことを、天上の神々は考えているのかもしれない。