商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
虜囚としての生活はそれほど長く続かなかった、正確には続けることができなかったと表現すべきだろうか。
彼女たちを求めて牢獄代わりである大きな蔵へとやって来る魔の眷属たちは、その多くがキャロルの房中術によって魂を掌握されてしまったからだ。
キャロルに触れて、その体を味わった彼らは例外なく魂から従属することになる、そこが底なし沼であると知らないまま多くの魔の眷属が沈んでいった。
キャロルとしても単純に逃走するだけでは意味がないと思ったのか、それともこの方が都合が良いと判断したのか、何であれ雌伏の時とばかりに耐え忍び、自らの手をエルフの里へ伸ばしていたのだろう。
オークやゴブリンといった魔の眷属たちは、キャロルの手足となって広がっていき、彼女を主と仰いで食料や水を提供して、同時に情報なども教えてくれた。
両者の間に会話は成立しないのだが、魂の上限関係が確立されているので意思疎通そのものは問題がなく、そこまで魂を掌握されてしまえば魔の眷属にとってキャロルは神にも等しい存在なのかもしれない。
エルフの里に広く散らばり、その時を待ち続ける戦力へと徐々に変えられていく、そのことに気が付いているのはどうやらキャロルだけらしい。
「う……うぁ?」
虜囚たちが捕らわれている大きな木造の蔵の内部でミューは目を覚ます、重たい瞼を開くと広がっているのは醜悪なゴブリンやオークの姿であったのだが、その日は凌辱者はおらず穏やかな覚醒となった。
「ん……起きた?」
「……キャロル殿? あれ、私は……一体」
捕らわれて惨めに凌辱される日々であった筈なのだ、実際に敗北して暫くの間は便器のような扱いを受けていた。
しかし蔵の中をどれだけ見渡しても魔の眷属はどこにもいない、つい昨日まで自分を嬲っていたゴブリンやオークは見当たらず、確認できるのは布を被せられて穏やかな眠りに身を委ねる同胞のエルフたちだけである。
助かった訳ではない、ここは今も牢獄の代わりに使われていた蔵であることは間違いがないのだから。
そして自分の体から凌辱の汚れが消えていることにミューは気が付く、蔵の隅には薄汚れた布が幾つも積み上げられており、彼女だけでなくこの場にいるエルフの全てが汚れを拭われて寝かされているようだ。
ミューの傍らには、オークたちに奪われてしまっていた黄金の槍が寄り添うように置かれている。
「キャロル殿……申し訳ない……私は」
「……なに?」
「貴女を守ることができなかった……使える主すら守れないなんて、戦士の名折れだ」
なんだそんなことを言いたいのかと、キャロルは少しだけ呆れたような視線を送った。
「気にする必要ない……うん、私は守って欲しいからミューと一緒にここに来た訳じゃないから」
「……キャロル殿」
「旅は責め合っても無意味……そう教えられた」
キャラバンと言う共同体で暮らしていたキャロルにとって、他者の失態を責めることの無意味さをよく知っており教育をされてきたのだ、そんなことよりも先へ進むことの方がずっと優先度が高い。
そもそもミューはミスなどしていないのだ、それを責めることの方がおかしい、ただ単純に相手の方が強かったというどうしようもない問題が立ち塞がった末に虜囚となったのだ。
ただキャロルはミューの気持ちを理解することもできる、戦士の在り方に自分よりずっと拘っていることは短い付き合いで察することができていた。
戦士の誇りは、折ることも錆び付かせることもあってはならない、戦士でないキャロルにだってそれくらいはわかる。
「気に病むのは無意味……それよりも、これからのことを話そう」
だからこそキャロルは次へと話を進める、長々と無意味な後悔や懺悔に時間を割くことに価値を見出せないのだろう。
何より、ミューの力や存在はこれからも必要だと分かってもらいたかったのかもしれない、挽回の機会などいくらでも転がっているのだから、ミューがどれだけ自分を責めようともキャロルにとっては必要不可欠な存在である。
魔王を殺すには、どれだけ戦力があっても足りることはないのだから。
「ん……とりあえず、ここから脱出しようか」
「は、はい……しかしどのようにして、周囲は魔の眷属たち囲まれております」
「そこは大丈夫、かな……かなりの数を洗脳したから」
「洗脳……まさか房中術を使って?」
「ん……後は命じるだけ」
自分が嬲られている間にキャロルが強かに状況をひっくり返す策を生み出していたことに、ミューは大きな衝撃を受けたらしい。
同時に、余裕がなかったとはいえ何故同じことを自分ができなかったのかと恥じ入ることになるのだが、そんな彼女の葛藤も無視して次へと繋げる。
黄金の瞳がエルフの虜囚たちへと向けられる、粗末な布で体を隠された彼女たちはここだけではなく周囲の蔵からも集められた虜囚たちであった。
数は百人ほどだろうか、誰もが疲れ切ったかのように横になっており、一時の安心に身を委ねているようだ。
彼女たちの身の安全をまずは確保しなければならない、今はキャロルの手先となった魔の眷属たちが大勢いるが、ここが敵地であることは変わらない。
虜囚の確保もできたので脱出すべきだろうと、キャロルは考えているらしい。
「……だからミューも手伝って」
その言葉は静かなものであったが口を挟ませない迫力があった、ミューが抱く見当はずれの自責の念よりも先に手足を動かそうとしているようだ。
「は、はい……全力を尽くします」
「ん……それでいい」
二人の瞳が虜囚であったエルフたちへと向けられた、長い凌辱によって肉体的にも精神的にも疲れ切っている彼女たちはお世辞にも機敏に動くことはできないだろう。
言葉を飾らないのであれば足手まといでしかない、百人以上の虜囚を敵地のど真ん中から助け出すのは簡単ではないのだ。
魔の眷属たちの領域と化したこの場所を制圧できるほどの戦力があるのならばともかく、たった二人だけでは苦労することは間違いない。
そこでキャロルが洗脳した魔の眷属たちの出番である、強力で強固な魂の上下関係があることで彼女を神と仰ぐまで洗脳された彼らを動かすしか脱出路は存在しないだろう。
「ミュー……あの人たちに活力を分けてあげて」
「わかりました、キャロル殿は?」
「指示を出す……ゴブリンとかに」
そこでキャロルは少しだけ言いよどむ、ミューや虜囚であるエルフたちを見つめながら暫し考え込み、最後にこう言った。
「ん……ごめん。ミューたちの故郷を傷つけることになる」
支配下にある魔の眷属たちを使って脱出する、逃走の策としては現状で出せる手札の中でももっともまともで強力だろう、しかしそれは勝利にはまだ遠い。
勝つためには逃げるだけでなく相手への損害も重要だと彼女は考えていた、策士でも軍師でもないが敵にどれだけ出血を強いるかが戦争なのだと彼女は理解している。
逃げるついでにどれだけ魔の眷属を減らせるか、最も効率的なのは魔の眷属を割った上で戦わせて、そこに火を放つことだろう。
彼女は、これを機にエルフの里を放火するつもりらしい、幸いにも緑豊富な土地なので燃える物には困らない。
だがそれは、ミューの故郷を滅ぼすことに他ならないのだ。
「火を、放つのですね」
キャロルの考えを察したのだろう、ミューは黄金の瞳で同胞のエルフたちを見つめた。
「気にしないと言えば嘘になる……けれど、それが必要だと私も判断します」
「……ごめんね」
「我々は世界樹と共にあり、世界樹を守る為に存在している。重要なのはそこであり里そのものではない、長老や王族ならばそういう筈だ……だから」
そこでミューは同胞のエルフからキャロルへと振り返る。
「私は貴女を責めるようなことはしない……どうか、存分に」
「ん……じゃあ焼く、盛大に燃やす」
もしかしたらキャロルにもストレスが溜まっていたのかもしれない、これしかないと判断して凌辱を受け入れていたが、歓迎すべき状況でなかったことは間違いない。
これは八つ当たりであり復讐でもあるのだ、ならばキャロルの言葉の通り盛大であることが好ましいだろう。
彼女は支配したゴブリンを使役して集めさせた神獣の装備を身に纏い、特に気負った様子もなく蔵の外へと身を出した。
重厚な扉の先に広がっているのはエルフの里ではなく今や魔の領域だ、そんな場所にか弱い女性がノコノコ顔を出せばろくなことにならないのだが、蔵の周囲にいるのはキャロルの支配下にいる者ばかりである。
ゴブリンやオークを中心にそれなりの数が揃っており、闇神殿を奉っていた彼らは今や仰ぐ対象がキャロルへと変わってしまっているのだ。
「ん……やって」
そんな彼らにキャロルは短く指示を出す、内容も何もあったものではないが、房中術で繋がって支配しているのでそれでもしっかりと意思疎通ができる。
キャロルの手足となって、キャロルの為に戦い、そして死んでいくことに欠片の疑問すら抱かない、それほどまでに強烈に魂を縛られているのだった。
その行動に意味を見出さず、何故自分たちが戦うのか思考もしない、痛みを感じることも無ければ恐怖に震えることもない、彼らはキャロルの為だけに戦う戦士……いや、最早人形と評すべきかもしれない。
雄たけびを上げることもなく、これから死んでいく彼らは規則正しく歩き始めて、同じ魔の眷属たちへ攻撃を仕掛けることになる。
「……行こう」
ミューの故郷であるエルフの里に火と煙と戦いの怒号が広がるまで、そう時間はかからなかった。
少し離れた位置で立ち上る戦いと炎の気配を眺めていたキャロルは、風に流されて漂って来た煙を確認すると、蔵の中へと合図を送る。
ミューが疲れ果てていた虜囚たちに房中術である程度の活力を与えており、足を引きずりながらも歩ける程度にまでなっていることを確認して、キャロルを先頭にエルフの里を離れていった。
殿を受け持つのは黄金の槍を握ったミューである、彼女は炎と煙と混乱の広がる故郷へと一度だけ振り返り、黄金の瞳でその光景を観察していく。
まだ火の手は遠いが煙は流れて来る、視線を遠くへやれば深紅の輝きも発見できてしまう。
炎の魔術が、そして炎の派閥に属する魔術師たちが恐れられていることも今ならわかる。
炎は脅威であり、恐怖なのだとミューは理解したのかもしれない。
そしてそれは魔の眷属とて同様であった、肉の体を持つ以上は熱には抗えないのだ。
炎と煙と同胞であった筈の相手に追い立てられるように、大きな火傷を負ったミノタウロスが慌ててミューたちがいる方向へと逃げて来た、こちらを狙っている訳ではなく炎から遠ざかろうとした故だろう。
火傷で全身が爛れており酷い有様であるが同情などできる筈がなく、ミューは黄金の槍先で美しい軌跡を描きミノタウロスの喉元を切り裂いて見せた。
「拙い、キャロル殿!! 敵が来ます!!」
「ん……援護する」
炎上と内輪もめによる大混乱の中だからこそ全力で逃走する者たちも多い、秩序だった撤退ではなく逃れる為の行動なのでそこまで脅威ではないが、大勢の虜囚たちを引き連れているキャロルたちにはそれでも障害になってしまうだろう。
ある程度は回復させたとはいえ、それでも疲労の濃い大勢のエルフたちを徐々に進ませて逃がす必要があり、殿の役目は重要であった。
秩序だった追撃でない為に押しつぶされるようなことはないが、散発的であったとしても戦える者が二人しかいないので苦戦は免れない。
ミューが槍を振るい、キャロルが矢を放つ、そうやって炎の向こうからやって来る魔の眷属たちを討ち取って距離を稼ぐのだが、やはり虜囚だった者たちの行動がどうしても遅くなってしまう。
疲れ切った体に一時的な活力を宿しているにすぎないのだ、機敏に走って逃げることなどできる筈がない。
大人数の護衛対象を守るのはキャロルとミューだけだ、状況が混乱しているので何とか凌げているに過ぎない。
キャロルの放った弓が煙の向こうからこちらに逃げて来た大きな影を穿つ、倒れ伏したのは火傷を負ったオーガであった。
その更に向こうから同じように熱から逃げ出したであろう大きな影が現れた、見上げるほどに大きな体に顔の半分ほどを埋め尽くす巨大な眼球を持つサイクロプスと称される魔の眷属である。
やはりそのサイクロプスも火傷で爛れていたが、見た目通りの強靭さをもって体はまだまだ健在らしい、煙の向こうから顔を出した瞬間にエルフの集団とそれを守るミュートキャロルをその大きな瞳で発見した瞬間に、少しだけ驚いたかのように躊躇したのだが。
「ぶおおおおおおおおおおおッ!!」
すぐに大きな拳を振り上げて邪魔だと言わんばかりに振り下ろしてくる。
五メートルは超える巨体なのだ、当然ながら拳も大きい、しかし鈍重でもあった。
「キャロル殿、お頼み申す!!」
短い掛け合いを済ませてミューは黄金の槍を構えて僅かに身を反らした、するとほんの数センチの間を開けてサイクロプスの大きな拳が彼女の目の前に突き刺さる。
「戦神よ、戦場の王よ、力をお与えください!!」
そしてミューは祈りと祝詞と共に振り下ろされて半分ほどが埋まったサイクロプスの拳を踏みつけて、そのまま足場にすると肩まで走り抜けていく。
サイクロプスとミューの瞳が同じ高さになるまで瞬く間であった、自分よりはるかに小さな存在が同じ目線にいることに驚いたサイクロプスだが、彼の視界は黄金の輝きを最後にして闇と激痛に閉ざされてしまう。
ミューが攻撃をしかけたタイミングに合わせて、キャロルが矢を放ったのだ、サイクロプスの大きな眼球を射貫くように。
「もらい受ける!!」
そして、ミューの槍がキャロルの矢を追いかけるかのように、サイクロプスの眼球へと鋭く突き込まれるのだった。
槍先が鹿の角らしく無数に枝分かれしているのだ、そんなものを瞳に突き込まれれば容易に致命へと届く。
会心の一撃はサイクロプスの巨体を揺らして地面へと崩してみせた。
大金星とも言える戦果ではあるが、素直に喜べないのは煙と炎の向こうに蠢く影が幾つもあるからだろう。
ミューは背後にいる同胞たちを数秒見つめた後に、黄金の瞳を迫る影たちへと向けて、深呼吸を繰り返す。
「ふ~……何も守れず、何も成せない戦士など無価値だ」
決意と共に、彼女は黄金の槍を握り直した。
そして引くのではなく一歩踏み出す、炎と煙が渦巻く戦場に。
そんな彼女の後を追うように、矢が先駆けとなる。
「……えッ?」
その矢はキャロルの援護であると最初は思った、しかし雨のように降り注ぐ光景を見せられれば、それが無数の射手によって放たれた物だとわかるだろう。
魔の眷属たちを穿ったのはエルフの魔術が宿った木から作られている。
それを確認したミューは、煙に交じって感じ取れる懐かしい匂いと気配に、体が震えた。
「突き進め戦士たち!! 我らが同胞を救うのだ!!」
次の瞬間、数百の矢が煙と炎の先にいる影を襲うのだった。