商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
魔王は大地へと落ちた、そこに追撃するようにエルフの戦士たちが誘導した地脈の噴火が巻き起こり、醜く肥え太った体を炙った結果、巨大な体の半分ほどが焼け落ちてのたうち回っている。
エルフたちはあれだけ深手を与えられてまだ動けるのかと驚く半面、同時にまだ足りないだろうという確信もあったのだろう、彼らはそれぞれの武器を握って状況を確認するまでもなく嵐の王へ駆けていた。
おそらく、二度と来ないであろう千載一遇の好機、もしまた空へと上がられたら墜落させるのは至難であることはまちがいないだろう。
テイタニアが注意を引いてキャロルが落とし、地脈を誘導して追い打ちを与える、そんな一連の流れが二度通じるような相手ではないと言われなくてもわかっているのだ。
次は無い、だからこの攻勢に全てを注ぎ込む。
魔王が痛みで前後不覚に陥っている時間はそう長くはない、何十分もそのまま無抵抗でいる筈もないだろう。
長くとも数分、それとて希望的な観測でしかない。
「弓隊合図を待つ必要はない、あるだけ放て!!」
カーバンクルは魔術を準備しながら魔王へと駆ける瞬間に、後方の戦士たちにそれだけ言い残して自分も前衛へと加わった。
「一番槍は私が引き受ける!!」
ミューもまたここぞとばかりに駆けだした、黄金の槍を片手に鹿神の健脚を彷彿とさせる踏み込みと共に。
宣言通り誰よりも早く光の尾を残しながら枯れた森を駆け抜け、あと一息と言った所で高く跳ね上がる。
「貴様を見下ろす時が来るとはなッ!!」
彼女の跳躍は鋭く高い、重力に引かれるまで数秒の時間がかかり、大地で痛みに震える嵐の王の巨体を完全に見下ろすまでになっていた。
醜悪そのものとさえ評せる黒い靄に包まれた胎児の姿であり、その状態で肥え太っているのだ、どれだけへたくそでも振れば当たるだけの面積がある。
狙うは心臓、この一撃で決着をつける覚悟でミューは黄金の槍を落下の速度に合わせて突き下す。
激痛にのたうち回る黒い胎児はミューの接近にすら気が付いていないのか、あまりにも無防備にその一撃を受け入れるのだった。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇ッ!?」
肉と脂肪を切り裂き肉を穿つ感触は確かにミューの掌へと伝わったことだろう、しかし彼女の表情は優れない。
彼女の槍が嵐の王を穿ったのは間違いない、だがとにかく分厚い肉が致命傷まで届くことを防いだのだろう。
「くッ、無駄に太っているからッ!!」
だがそこで彼女は諦めない、寧ろもっと深くまで槍を届かせようと、魔王の腹の上で突き刺さったままの槍をグリグリと動かしていく。
積もった鬱憤を晴らすかのような槍捌きに追従するかのように、エルフの弓隊が放った矢が魔王へと届いた。
「ここまでか」
矢の雨が降る直前に彼女は槍を引き抜いてその場から逃れるのだが、その表情はまだ足りないと不満が残っているようにも見える。
彼女にとって、いや全てのエルフにとって嵐の王は怨敵そのもの、どれだけやろうと復讐心が晴れるようなことはないのだろう。
何百もの矢がその巨体に突き刺さろうとも、欠片も物足りなかった。
そして矢の次は魔術が魔王へと殺到する、カーバンクルを筆頭に魔術を得意とする者たちがある程度の距離まで近づいた段階で様々な現象を練り上げていく。
それは雷であったり炎であったり純粋な魔力の塊であったりと様々であるが、どれもが人を死に至らしめるには十分な威力があるようにも思えた、肉の塊、或いは肉の山のようになっている黒い胎児にそれらがぶつかった瞬間に、様々な現象の衝突によって巨大な爆発が周囲に吹き荒れる。
「止めるな、息を整える必要もない、何もかもを押し通せ!!」
魔術の爆発で途切れそうになった攻勢の流れを緩ませないようにカーバンクルは声を張りあげる、彼の手には既に雷光が煌いていた。
そんな姿に妥協はいらないとわかったのだろう、相手の損傷や生死など関係が無いとばかりに様々な攻撃が黒い胎児へと殺到するのだった。
熱が大地ごと肉を焼き、冷気が周囲の水分の全てを氷へと変えていく、雷が肉に無数の蚯蚓腫れを刻み込めば、それらの力の相克が更なる痛痒を引き起こす。
人間相手ならば過剰とも言える力の放出である、少なくとも生きていられる者はおそらく存在しないはずだ。
魔王とて、これならば。
そんな風に思ったエルフの戦士も少なくはなかったのだろう、文字通り持ちうる全てを一つの対象へ注ぎ込んだ攻勢であったのだ、数え切れないほどの矢が肉の山に突き立てられて、様々な魔術が魔王の肉を削り取ったことは間違いない。
やがて魔力が尽きてふらつく者が現れて、矢筒から矢が無くなり、呼吸すら忘れていた彼らが片膝を付くまで至った所で、ようやく攻勢が緩まった。
「はぁ、はぁ……やったか?」
戦士の一人が荒い息で縋るようにそんなことを呟く、答えを求めたものではなく、そうあって欲しいという願望が言葉になったのかもしれない。
もう立つな、もう動くな、頼むから死んでくれ、それが彼らの共通する思いだろう。
大地に黒い胎児が落ちてほんの数分、僅かな時間でしかなかったが彼らの中では呼吸すら忘れてしまう永遠の攻勢のようにも感じられた。
その場にいた戦士たちの疑問はすぐに解消された、無数の矢が突き刺さり様々な魔術によって深刻な重傷を与えられた魔王が土埃の向こうから姿を現したからだ。
胎児の姿をした見上げるほどの肉塊は、彼らの願いが通じたかのようにピクリともしない。
「やった、アレはもう動けないだろう……」
「あぁ……さすがの魔王も、耐えれなかったということか」
その敗者の姿を見てエルフの戦士たちの間に安堵の溜息が広がっていく、想定よりもずっと被害が少なく終わったことに拍子抜けしながらも、理想通りとも言える展開であったので納得もあるのだろう。
隙を突き、容赦なく攻めたてて、一方的な戦いとする、そんな理想像をそのまま形にしたような戦いであった、その結果が横たわって全く動かない魔王である。
どれだけ巨大な力を振るえたとしても万全に生かせずに反撃の機会すらも与えられないのならば、この結果も不思議ではない。
彼らの勇気と行動が身を結んだ結果なのだ、胸を張って笑い合っても良いのだろう。
「ん……終わり?」
「そうみたいねぇ、あれだけボコボコにすれば魔王だって死ぬわよ」
「テイタニア、凄かったね」
「ふふん!! そうでしょう、まぁアンタもなかなかのもんだったわよ、私の次くらいにね」
勝鬨を上げるエルフの戦士たちから少し離れた位置でキャロルは彼らを眺めていた、そんな彼女の頭の上にはテイタニアがいる、彼女たちも想定通りに作戦が進んで気が緩まっているのか、少しだけ余裕が感じられた。
「キャロル殿、テイタニア様、ご無事ですか?」
そんな彼女たちに駆け寄るのはエルフの輪から離れたミューである、誰よりも早く切り込んだ彼女は同胞たちに功績を称えられていたのだが、キャロルを見つけたからなのかすり抜けるようにこちらへ近づいてくる。
「……ミューも凄かった」
キャロルがグッと親指を立てて賞賛を贈るとミューは照れくさそうに頬を染めた。
「キャロル殿もお見事でした、まさに必中そのもの、貴女ならば狩猟王の名も相応しい」
「ん……それほどでもない」
素直な賞賛にキャロルには珍しく照れたような表情を見せた、そんな姿を愛おしく思ったのかミューが両手を大きく広げて彼女を抱きとめる。
「……ミュー?」
「貴女がいてくれてよかった……他の何物にも代えがたい奇跡です」
それは持ち上げ過ぎだと、キャロルは思ったのかもしれない。
しかし抱きしめるミューの体が歓喜と緊張と安堵で小刻みに震えていることに気が付いて、彼女の中では言葉通りの意味なのだと理解する。
故郷を蹂躙されて、魔の眷属に捕らわれて、そこで終わる筈だった彼女の人生は、しかしひょんなことからキャロルと出会い大きな転機となったのは間違いない。
二度と果たせないと思われていた戦士の責務をこうして全うすることができたのだ、キャロルはあそこで終わる筈だった彼女の虚しい人生に現れた光明なのだろう。
彼女にとって、キャロルは間違うことのない奇跡そのものだ、大袈裟でも必要以上に持ち上げている訳でもない。
「さぁ凱旋です!! 我々の勝利を称えましょう」
「ん……これでようやく帰れる」
「よっしゃ貢物を沢山用意しておきなさいよ、私がいたからこその勝利なんだからね!!」
気の緩みがあったことは間違いない、だがそれを責められる者は一人もいない。
魔王は完全に沈黙しておりピクリともせず、そんな様子を見せられればどんな者であっても勝利に酔うものだ、それはエルフの戦士たちもキャロルもテイタニアもかわらない。
勝てない筈の戦いに、圧倒的な強者を沈めたという快楽、これで問題の全てが解決したという現実に、誰も彼もが酔っていた。
だからなのか、そこに隙があることは間違いなく、横たわる魔王に異変があることに気が付くのが遅れてしまったのだろう。
いや、仮に気が付いたとしても、それに対処できる者がいたとは思えない、小手先の抵抗でどうにかできるような存在でもないのだから。
「……ん?」
最初に気が付いたのは一歩引いた位置で魔王の亡骸を眺めていたキャロルである、神性が高まったことで常人より遥かに研ぎ澄まされた感覚が異常を拾い上げた。
それはほんの僅かな異音、肉の中で何かが掻き混ぜられる、不快感を伴う音であった。
同時に彼女の脳内に直感が火花を散らす、まだ戦いは終わっていないのだと。
神のお告げにも近いその直感に従って、キャロルは黄金の弓に矢を重ねて魔王の亡骸へと差し向ける。
「……まだッ!!」
注意を促す掛け声は短い、だがこの場にいる戦士たちはそれだけで状況を察したのか、荒れる呼吸のまま警戒を広げていき、それを認識してしまう。
ボコボコと、大きな魔王の亡骸の真上で沸騰した水のように肉が泡立ち膨れ上がっているのだ。
それは人間の子供ほどの大きさにまで急速に大きくなり、そこで肉のこぶは静止すると、表面が硬質化していった。
長い年月をかけて固まったマグマの塊のようにも、或いは固く分厚い卵のようにも見える、どちらにせよ既に肉の塊ではないだろう。
「総員戦闘態勢!! あれを焼き払え!!」
既に彼らに余力はない、しかしそんなことは関係がない。
限界ギリギリだろうと限界の向こう側だろうと、敵は待ってくれないのだから。
カーバンクルの掌で雷光が煌いた、最初の一発よりかなり細々とした光であったがそれでも寿命を削るかのように絞り出す。
彼に続くようにエルフの戦士たちは疲れ切った体へ強引に活力を宿す、破裂しそうになっている心臓が更に脈打つが、膨れ上がった肉の卵の向こうにいる何かに急かされるように前へと進んでいった。
再びの攻勢は、その向こうにいる何かに届くことはない。
炎が、冷気が、雷が、弓が、魔王の屍の上に作られた肉の卵へ殺到するのだが、それらは突如として発生した死の風に全てが薙ぎ払われてしまう。
「ミューリアンッ!! 二人を守れええぇぇぇぇッ!!」
何もかもを吹き飛ばす衝撃の中、カーバンクルだけが次を見据えて指示を出すのだが、そんな彼も暴風の中へと消えていく。
そしてその余波によって周囲を取り囲んでいたエルフの戦士たちすらも吹き飛ばされてしまった、肉の卵を中心に大地が切り取られたかのように粉砕されて、数え切れないほどの瓦礫が周囲に飛び散っていった。
後に残るのは静寂である、戦場とは思えないほどの静謐な空間が広がって、最後にそれを壊すかのように「ピシッ」と卵に亀裂が入る音だけが響く。
肉の卵に大きな傷が入ったかと思うと、そこから小さな手が飛び出て殻を崩した。
小さな人間の手だ、胎児よりは大きく、しかし大人よりはずっと小さな手である、それだけを見れば少年か少女の手のようにも見えただろう。
だがどす黒い靄に包まれている所だけは変わっていない、小さく無垢な掌であっても邪悪の寄せ集めのような雰囲気だけは変わっていないのだ。
そして彼は扉を開くかのように自らを閉ざす殻を打ち破る。
二度目の誕生は、とても清々しいものであった。
「あt……b……▇▇あさ……g……▇▇」
黒い靄に包まれた禍々しい姿はそのままに、しかし彼は少年の姿にまで成長した姿を卵から覗かせる。
この世の悪意の全てを少年の形に押し込めたかのような有様は、それこそ心の弱い者が半端な覚悟で直視すれば、それだけで発狂してしまうかのような悍ましい雰囲気を放つ。
「▇▇▇……あ……▇▇……かた……▇▇な▇▇と」
喉に何かが引っかかるかのような、それでいて男なのか女なのかわからない聞きづらい声は変わらない、しかしほんの僅かにだが言語らしきものの片鱗も感じられるようになっている。
彼は成長したのだろう、多大なストレスと死の恐怖を糧にして自らの体を作り替えたのだ。
無垢であれ、幼くあれ、成長と成熟を捨ててそれ故に最強であれ、そんな思想で生み出された彼にとって胎児の姿を捨てることは母親への反逆にも等しい。
だが、今の彼は不安やストレスから解き放たれていっそ清々しい気分であった、大地に立っているというのに彼の玉座である空が普段よりも近く狭く感じられる。
今ならば、世界の全てを押しつぶせそうだ、そんなことを思っているのかもしれない。
「▇▇▇▇……あ▇▇……まだ……▇▇▇▇」
黒い靄の向こうで怪しく輝く母親譲りの真っ赤な瞳が空から地上へと向けられると、巨大なスプーンでくり抜かれたかのような状態になっている大地の中で、一人だけ動く者を見つけた。
先端が無数に枝分かれした黄金の槍を持つ、鮮やかな金色の髪が映えるエルフの戦士、ミューがそこにいた。
暴風をその身に受けながらも吹き飛ばされることなく耐えられたのは意地が誇りか、それともカーバンクルの命令があったからなのか、何であれ彼女は震える体を槍で支えながらもそこにいることは間違いない。
しかし満身創痍といった様子である、槍が無ければ立っていることはできなかっただろう。
「はぁ、はぁ……うッ、く」
彼女の背後にはキャロルが倒れている、暴風に乗った瓦礫がぶつかったのかこめかみ辺りから血が流れており、黄金の弓を握ったまま地面に沈んでいた。
そのすぐ隣には小さなテイタニアの姿も確認できる、こちらは怪我をおうことがなかったのか、華奢すぎる体を必死に動かしてキャロルの服を掴んでどこかへ引きずろうとしている様子が伺えた。
「テイタニア様、キャロル殿をお願いします……彼女しかアレを倒せない」
「そ、そりゃわかるけど……あ、アンタはどうすんのよ!?」
「今、わかりました……」
自分が生まれて、戦士として教育されて、研鑽を積み重ねて、数奇な運命によってこの黄金の槍を握って今ここに立つその意味を。
「私は、今日ここに立つ為に……生まれて来たのだと」
理屈ではない、確証もない、だが確信はあった。
自分が積み重ねて来た時間は、研鑽の全ては、この為にあるのだと。
ここがミューという戦士の最果てにして終わり、全ての努力の終着点。
「彼女を守ります、私の全てをもって……だから、行ってください」
主を守れない戦士に価値などない、彼女にそう教えたのは戦士として教育してくれた父親であった。
そして彼女はその言葉を未だに守れていない、故郷を守ることも主を救うことも果たせていないのだ。
だからここが分水嶺、ミューが戦士としての責務を果たせるか否かの分かれ道なのだろう。
共に逃げる選択肢などありはしない、ここに、次の一瞬に全てを込めて疾走するしかない。
主の戦って死んでいく、これは彼女が待ち望んだ終わりであった。
「戦神よ、戦場の主に、我に力をお与えください」
強く深い祈りによって神々の加護を宿す、戦いの時はいつもやっていることであり、慣れ親しんだものではあるが、今日は少しだけ下ろされた加護に違和感があることに気が付く。
普段は感じる巨大な神々の存在感はそのままに、しかし彼女の魂が感じ取ったのは、大地を埋め尽くすほどのアンデットの大軍勢に立ち向かう一人の聖騎士の姿である。
名前も存在も知らない、だがその聖騎士の勇猛果敢な戦いぶりはまさに戦神の武威を見せつけているようにも見えた。
「あぁ、彼女が戦神なのか……」
なぜ、今日に限ってそんなイメージが祈りと共に流れ込んで来たのかはわからないが、そのあり方を見せつけられて戦士の魂が震えないはずがない。
大地を埋め尽くすアンデットに彼女は立ち向かっているのだ、ならば一人の魔王に挑むことなど容易いではないか。
だから彼女は笑って見せた、不敵に、そして余裕を見せつけるように。
震える体はどこにもない、後は戦士の誇りを押し通すだけであった。
「我が名はミューリアン!! 我が武は、我が研鑽は、この時の為にあった、魔王ならば相手にとって不足なし……神々よ我が戦士の輝きをご照覧あれ!!」