商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
一歩踏み出す、死地とわかっていながら。
二歩踏み出す、それが最善だと言い聞かせて。
三歩踏み出す、目の前に迫る暴風に挫けまいと。
「はぁああああああッ!!」
そしてミューは気迫をこれでもかと込めた槍を全力で振り下ろす。
枝分かれした黄金の槍先が断ち切るのは嵐の王から気まぐれに放たれた暴風である、それは様々な砂利や木々の破片を砲弾にするだけの威力を持っており、それらが渦巻けば鑢となって肉を削ってしまう。
ミューは勿論のこと、その背後にいるキャロルやテイタニアとてそれは変わらない、だからこそ彼女は引くことができない。
背後に守るべき主がいるのなら、ここが戦士としての正念場。
黄金の槍先が描く軌道には、ただの一つも迷いやブレがない、それは迫る風を断ち切ってそこに乗った石や木々を見事に打ち払う。
瞬きする間に描かれた黄金の軌跡は数え切れないほどに尾を引いて、彼女を、そして背後にいるキャロルを守る光の壁と化していた。
風に押し流されて迫る無数の砲弾を迎撃してみせたのだ、それこそ数え切れないほどの石や木々の軌道を予測して、必要最低限の動作でもって凌駕している。
「う▇▇▇?」
ほんの僅かな驚愕の気配が嵐の王から伝わった、まるでうるさい羽虫を手で払ったら思わぬ反撃をくらったかのように、予想外の反応であった。
彼の前に立ちふさがる黄金の輝きはよく知っている、己の天敵が持つ忌まわしい黄金の光だ、しかし彼女の背後でこめかみから血を流して気絶しているキャロルよりはずっと薄い。
神々より人間に近いのだ、どれだけ巨大な加護を宿して神器を握ろうとも、嵐を前に抗える筈がない、ない筈だった。
しかし結果はどういうことか彼女は今も立っており、嵐の砲弾を凌いでみせた、だからこその驚きである。
抗えない力に抗って見せたのだ、ならば嵐の王とて認識を改めるしかないだろう。
余裕綽々に屠るなど言語道断、蠅を払うかのような動作で撫でることに意味はない、全力全霊で過剰なまでの力で薙ぎ払うのだ、それが戦士としての在り方である。
彼は成長して理解した、力の扱いとその心がけを。
恐れて縮こまるのではなくそれを糧にすることを知った、不安やストレスは溜め込むのではなく発散することを理解した、幼さ故に戸惑っていた様々な問題を受け入れて今の姿になったのだ。
戦士とは、油断なく相手を沈めてこそ戦士なのだと、彼は理解した。
だから嵐の王は気まぐれに力を放ち雑に敵を殺すことはしないようにと自らを戒める、どれだけ巨大な力を持っていたとしても地面に落とされて散々責め立てられたからこそ慢心を消し去るのだ。
敵はまだ立っている、ならばそれ以上の力でもって迎え撃つ、戦場で考えることなどそれだけでいいのだから。
「▇▇▇▇▇よッ!!」
嵐の王は空へとゆっくりと浮遊してミューを見下ろす、そして少年らしい華奢な手を空へと掲げられると、それを合図にしたかのように嵐が集う。
それは暴風であり、無数の石や木々の集まりであり、曇天と雷と雹のうねりであり、圧倒的な破壊の塊であった。
それらを彼は束ねる、圧縮して一つに纏めて法則性を持たせて解き放つのだ。
ただそこにあるだけで都市や国を滅ぼせる力を、彼は一人の敵に向ける。
それはもう恐れからではない、ここで倒しておかなければならないという戦士の直感によるものだ、見下ろす先にいるミューは勿論のことその後方でテイタニアに引っ張られて引きずられているキャロルもそうなのだろう。
ここで倒さなければ、奴らは自分を殺す。
嵐の王はそんな確信を抱いているのだ、過剰に過ぎることはない。
丁寧に滅ぼすとも、彼は恐れを飼いならしているのだから。
束ねた嵐の砲弾を彼は地上に放つ、いや、その重量感は落とすと言った方が正しいのかもしれない。
勝った、これで終わりだ、妥協なき全力の一撃で決着となる、そんな彼の確信を切り裂くかのように、黄金の煌きが嵐の中へ向けられていた。
「とどけええええぇぇぇええッ!!」
巨大な嵐の砲弾に差し向けられる一条の光の正体は、ミューが投擲した黄金の槍である。
鹿神譲りの健脚は大地を踏み砕き、それほどの踏み込みの勢いを下半身から上半身へと流し、片へと集約される、その勢いは最後には槍へと集い天にも届く力を宿す。
嵐の王が二度目の驚きに晒されるのは、その投げつけられた黄金の槍が嵐を穿った瞬間であった。
黄金の輝きは分厚い嵐の壁に穴を開けると、魔力をバラバラに引き裂いてそこにあった法則性を瓦解させ、すると束ねられていた様々な力が解き放たれる。
石も木々も雲も雷も雹も、一方向に流れるのではなく四方八方に飛び散るのだ、そうなれば最早砲弾ではなくなってしまう。
「戻れッ!!」
そして投擲された槍はミューの掌に吸い寄せられるかのように、美しい光の尾を引きながら手元に帰って来た。
「ば▇▇▇▇▇」
己の全力を込めてなお凌駕された、嵐の王の驚きはいかほどのものだろうか。
勝ったという確信をねじ伏せられる屈辱は、一体どれほどのものだろうか。
「……あぁ▇▇▇▇▇……▇▇▇▇▇」
だがそこから焦りには移らない、それは己の全力を凌駕したミューの姿を見たからだろう。
彼女は見事に嵐を貫いて見せた、しかしその代償は大きい、槍を投擲した右腕は限界を超えた一撃に耐え切れなかったのは肩から外れてしまっており、だらりとぶら下がるだけである。
それに加えて嵐を貫いた衝撃を完全には吹き飛ばせていない、四方八方へ無秩序に吹き飛ばされた様々な物が細かいながらも確かな威力をもって彼女の体に届いており、無数のキズと出血が見て取れた。
例え嵐を貫けたとしても、そこに付随する凶器の全てを打ち払えたわけではないのだ、必殺の一撃を凌いだとしても怪我は多い。
まして投擲した右腕はもう使い物にならない、ただ体にぶら下がるだけでありそこまで来れば重しにしかなっていないだろう。
だから嵐の王としては焦る必要が無い、己の力を一時的にでも凌駕されたのは驚愕に値するのだが、その為に満身創痍になっていては意味がないのだ。
次でミューを終わらせる、その次はキャロルだ、この二人だけは何が何でも倒さなければ明日のわが身が危ぶまれてしまう、恐怖ではなく魔神に連なる眷属の一人としての責任感からそれを成すという決意と共に、嵐の王は再び嵐を束ねた。
空が曇天に染まり渦巻く、それを見上げながらミューは左手に持つ黄金の槍へと視線をやる。
右手は肩からぶら下がるだけでまったく動かない、残る左手でなんとか槍を支えるのだが、先ほどと同じように投擲することは難しいだろう。
だが、そんなことは関係がなかった。
諦めるなどと弱音は吐けない、彼女がこの場に立っているのは個人の意地ではなく、主を守るという責任感からの行動だ。
勝てる勝てないではない、生きる死ぬではない、これは戦士としての誇りを押し通す為の戦いである。
だから彼女は健在な左腕で槍を握り直し、圧倒的な破壊を齎す嵐へ再びの投擲を試みた。
「思いを槍に」
限界を超えた力を込めた瞬間にビキッと嫌な音が体の中から響く、それを聞かなかったことにして彼女は左手から黄金の槍を解き放つ。
「この矜持を、押し通すッ!!」
落下してくる嵐に向けて再びの投擲、利き手ではない方の腕だったので威力が弱まるかと思ったのだが、勢いは先ほどよりも鋭いように思えた。
それもそのはず、限界など知るかとばかりに力を込めたのだ、心臓がその場で破裂しなかったのが不思議なほどの衝撃が彼女の体に広がっていたのだ。
その結果、黄金の槍は先ほどと同じように嵐を貫いてそこにあった法則性を切り裂いてみせた。
「ぐッ……あ」
代償もまた変わらない、ミューの左腕は肩からぶら下がるだけとなってしまい、両腕共に動かなくなってしまう。
それと同時に彼女は体幹を崩して膝からその場に倒れこむ、もう指の一本すらも動かすことはできない。
つまりここで彼女の戦いは終わってしまった、三度の嵐を落とそうとする嵐の王は未だに健在であり、それを防ぐ術は彼女にはないのだろう。
「あぁ……これ、で……良い……戦士の、終わりとしては、十分だ」
だが、彼女としては満足できる結末であった、これ以上ないほどに。
何故なら彼女の背後にいたキャロルとテイタニアの姿は既になく、気配を辿れないほどになっている。
「上手く、逃げられたのですね……良かった」
ならば欠片の悔いもない、ここが自分の終わりだ。
そんな風に思い、ミューは僅かに微笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を閉じる。
上空には巨大な嵐が束ねられており、それは地面に倒れ伏す彼女めがけてゆっくりと落ちてきていた。
風がうねり渦巻く音はミューの長い耳には届いていない、寧ろ彼女の耳には空よりもぴったりと張り付いた大地の音が大きく聞こえているようだ。
その先にある地脈の流れや、そこに溢れている様々な情報を感じ取りながら、まるで自分が世界に溶けていくかのような感覚に陥り、最後に迫る破壊に身を任せる。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇ッ!!」
遠くから嵐の王の咆哮が降り注ぐが、その理由は彼女にはわからない。
ただ、徐々に光を無くしていく視界の中で、彼女は黄金の輝きと大地の胎動を感じ取るのだった。
時間は少しだけ遡る、ミューが嵐の王と向かい合いテイタニアとキャロルを逃がそうとするその時、彼女が作った僅かな隙間と時間を使ってその場から逃れたキャロルとテイタニアは、今もその体を引きずって距離を取ろうとしていた。
妖精の小さな体では人間の中では華奢で小柄なキャロルであったとしても思うようには運べない、服の襟を掴んでズルズルと引きずるようにその場から離れようとしているらしい。
「ふぎぎぎぎぎッ!! 重たすぎるわよぉ!! こんな重労働は可憐な私には似合わないってのぉお!!」
半透明の羽を動かして何とかキャロルを運ぼうとするのだが、やはり体格差が圧倒的なので楽にとはいかないようだ。
「あッ!! そうよ!! わざわざ運ばなくったって、私たちの領域に引きずり込んじゃえばいいのよ」
すると小さな妖精を中心に空間が歪んでいき、それはキャロルを包み込もうと周囲に広がるのだが、そんな力の流れを遮るかのように暴風が吹き抜けていく。
それは妖精の領域とぶつかり合って彼女の力を乱す、先ほどの空中での戦いよりも穏やかな風だと感じられるのは、それがテイタニアに向けられたものではなく、ミューを排除する為に放たれた余波だからだろう。
だが余波であってもその力は強大だ、妖精の小さな体では踏ん張ることができずに流されそうになってしまっている。
「うわわわわッ!?」
自らの領域を大きく広げてその暴風を防ごうにも、キャロルを守らなければならないので全ての力を振るえないらしい。
暴風に乗って押し流される石や木々からキャロルを守りながら、徐々に彼女の体をあちら側へと沈めていき、こちら側との繋がりを無くしていくしかない。
嵐の王がミューに注目している間は余波しか届かない、その間が逃亡の好機であった。
迫る暴力を自らの領域で押しとどめながらテイタニアは背後にいるキャロルへと振り返る、地面に横たわるキャロルはこめかみ付近からかなりの血を流しており、重症に近いようにも思えた。
おそらく暴風に流された石か木片が命中したと思われ、出血量から察するに頭蓋骨に穴でも開いている危険性すらもある、仮にそうでなかったとしても重症には違いないのですぐに治療が必要だろう。
「死ぬんじゃないわよキャロル!! アンタが倒れたら誰がアレを倒すっていうのよぉ!!」
彼女が倒れてしまえば嵐の王は無敵になってしまう、例えテイタニアがいたとしてもせいぜいが互角、その命までは届かない。
だからこそのキャロルだ、弓神の寵愛と神獣たちの加護が濃い彼女ならば空を支配する嵐の王にも攻撃が届く、果たしてあの領域まで自らの力を届かせられる者がこの世界にどれだけいようか。
テイタニアには確信があった、おそらく世界中を探しても存在しないと。
それこそ天剣を握った勇者でも引っ張ってこないと話にならないだろう、アレはそれこそ他の魔王とも格が違う、英雄が一人二人いたところで結果は変わらず、ならばここでキャロルを失う訳にはいかないのだ。
必ず守る、その為にも安全地帯にまで退避して治療が必要であった。
二度目の暴風の余波がテイタニアの近くにまで届く、やはり大量の石と木々が押し流されてくるのだが、妖精女王の領域……領土までは汚すことはできないようだ。
だからこその互角、押しても引いてもそこだけは変わらない、二度目の爆発を凌ぎ切った彼女は次の攻勢の間にある僅かな隙を潜り抜けるようにキャロルの体を自らの領土へと取り込もうとするのだが、彼女を中心に展開される結界に侵入する力が存在した。
「えッ……これは?」
その力の流れは嵐の王ではない、彼の魔王の力は正面から向かってくるので背後からの侵入はありえない、何よりテイタニアが驚いたのは自らの領域に入った巨大な力の性質である。
そこに悪意はない、キャロルやテイタニアを傷つけようとする意志が欠片も感じられずに、だというのにその規模は比べようがないほどに巨大でもあるのだ。
テイタニアは最初その力を感じ取った瞬間に、この緑豊かな大樹海に突如として大海が生まれたのではないかと勘違いしたほどであり、その認識はあながち間違いでもないらしい。
「海、じゃない……地脈!?」
巨大な力のうねりの正体は大地に流れる地脈であった、世界中に血管のように広がるそれならば、確かに力の規模で言えば海と大差がないだろう。
だからこその勘違い、だからこその驚愕である。
そして何より彼女を驚かせたのは、ただの力の流れに過ぎない地脈が倒れ伏すキャロルに纏まりつくように渦巻いていることであった。
まるで何かの意思に導かれるように彼女へと集っている、ただのエネルギーの流れではない。
キャロルへと纏まりつく光は留まるところを知らないまま勢いを増していくと、やがて大地がひび割れ隆起したかと思えば、火山の噴火のように巨大な力が吹き出る。
まるで巨大な光の柱が大地から飛び出たかのような光景だ、それだけに留まらず大地の脈動は広がっていき、最後には放射状にひび割れて大地に大きなクレーターが出来上がってしまう。
地下深くから噴出した地脈によってできた大穴だ、底が見えない程に深く広い、そして地脈の噴火が徐々に収まるとその中心点にいたキャロルは大穴へと落下していくことになる。
「キャロル!!」
薄暗い地下へ落ちていくキャロルをテイタニアは半透明の羽を動かして即座に追いかけていく、この小さな体で引っ張り上げるなど不可能だという考えも少しはあったのだが、体が無意識に動いていたのだろう。
テイタニアは大穴の中へと落ちていくキャロルに追いついたのだが、予想通りその体を持ち上げることはできなかった、妖精の小さな体では引きずることはできてもそこから地上への復帰は難しい。
「うわ、わわわわッ!?」
結局、彼女もまた大穴の底へと落ちていく、そこに流れる溶岩のように煮えたぎる力の中へ沈んでいくのだった。
心臓の鼓動のような脈動をその身に感じられる場所だ、巨大に過ぎる力の流れに満ちている。
これほど巨大な物に包まれる感覚は、神の膝元でその存在に触れることに近いだろう。
或いは母親の腹の中にいるかのような感覚と似ているのかもしれない、テイタニアは自らとキャロルを包み込む力の大きさと熱に、そんなことを思うのだった。