商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
戦いの終結を物語るかのように空は澄み渡っている、あれほど濁っていた曇天はどこにもなく、雲一つない空がどこまでも広がっていた。
空を支配していた魔王の姿はどこにもない、あれほど巨大な力を振るっていたというのに肉片一つも残さずに蒸発してしまったのだろう。
圧倒的な輝きと共に流星のように光の尾を引きながら放たれたキャロルの一撃は、雲すらも吹き飛ばしてみせた、さすがの魔王といえど耐え切れなかったに違いない。
彼は死んだ、消滅した……いや、蒸発した。
あの一撃を受けてまだ存在していると思っている者は一人もおらず、地上で生き残っていたエルフの戦士たちもまたそこの心配はしていないのだろう、そんなことよりもやらなければならないことが多い。
まずは負傷者の救助、この戦いに参加した戦士たちの多くが大なり小なり怪我をしており、中には死亡してしまった者もいる、寧ろそちらの方が多数派となってしまっているようだ。
生き残ったのは両手の指で数えられる程度である、嵐の王を前にしてそれだけ生き残れたのは幸運と言うべきなのかもしれない、全滅でもおかしくはなかったのだから。
勇敢にも魔王へ挑み、散っていった仲間たちの葬儀もまた必要であった、彼らを導いていかなければならないカーバンクルは忙しいようだ。
折れた腕に添え木をして必要最低限の治療だけを行った彼は、深い爪痕を残した故郷と、山積した問題への対応を迫られているらしい。
「世界樹の実はいくつか確保できました、生育も問題なく行えるようです」
生き残った部下の一人から聞かされた報告に、カーバンクルは勿論のこと他のエルフの戦士たちもまた心の底から安堵の溜息を吐く。
嵐の王に寄生されて膨大な生命力を吸い取られていた世界樹は酷い状態であった、それこそ立ち直ることができないほどに。
周囲の森も枯れるほどに地脈が吸い取られており残された傷も深い、彼らの見立てではもう暫くすれば世界樹は完全に腐り落ちて自重を支えきれずに崩壊すると予測されていた。
つまり、あの世界樹は遅かれ早かれ死んでしまうのだ、ならばそうなる前にやるべきことを成さねばならない。
次代の世界樹の育成、それも今回のように魔王に奪われることも考慮して、複数の世界樹を生み出すことがエルフたちの中で計画されていた。
例え一つ奪われても別の世界樹によって世を継続させる、管理も大変になるだろうがリスクも分散ができるだろう。
世界樹はこの大地に芽吹く全ての植物の起源でありその情報が内包されているのだ、もし大地が汚染されて多くの緑が失われたとしても、世界樹があればまた取り戻すことが可能である、だからこそ失う訳にはいかずリスクも分散しなければならない。
これまでにも世界樹を複数に分けるという考えがなかった訳ではないのだが、ここまで実現しなかったということはエルフたちにも怠慢があったのかもしれない、もしくは長命であるが故に熟考を尊ぶので結論がでなかったのか、何であれ魔王の襲撃は良い機会になった。
これを機会に、世界樹を複数に分けるべきだという意見で彼らは一致したらしい、その為に必要な世界樹の実もなんとか確保することができたようだ。
その実の数は五つ、一つはエルフの故郷で育てることが決まっているが、残りの四つはまだ未定である、おそらく避難組へ一つは渡されると思われるが正式決定ではない。
「育てる場所の選定も必要か……この森のように地脈と比較的近い場所が好ましいが、すぐにとはいかないか」
「はい、世界中を探索する必要があるでしょう」
カーバンクルの言葉に側近がそんな言葉を返す、せっかく植えてもすぐに枯れてしまっては意味がないので、実を植える場所は慎重に選ぶ必要があった。
エルフの故郷であった場所はその条件を満たしている、地脈がとても近いのでそこに実を植えれば無限のエネルギーへ根を伸ばすことで世界樹は大きく育つ。
同じ条件を満たしている場所が他にあるのか、それはしっかりと調査が必要だろう。
カーバンクルは世界樹の実の一つを掌に乗せて転がす、そして彼は少し離れた位置で埋葬の手伝いをしているミューを呼びつける。
「ミュー、これを君に渡しておこう、世界樹の実だ」
そして近づいてきたミューへと実を差し出す。
「若様、これは貴重な物なのでは?」
「だからこそ、この中で最も生存率の高いであろう君に渡しておく。世界中の植物の起源が詰まった実の一つだ……それに、君は彼女に付いていくつもりなのだろう?」
葬儀の手伝いをしているキャロルを二人で見つめた、魔王を打倒したことで神獣たちの依頼を達成することができた彼女は、報酬として大樹海から人間の社会へと帰ることができる、ミューはそこに付いていくつもりらしい。
主と定めた相手の旅路なのだ、戦士である彼女もまた同じ道を歩むことになる、少なくともキャロルの寿命が尽きるまでは共に行く筈だ、エルフは長命なのでそれくらいの時間は存在する、里に戻るのはそれからでも遅くはないのだろう。
ならばミューは世界中を旅することになる、世界樹の実を植える環境を探す役目を与えるには相応しい筈だ。
「こちらは暫く動けそうにないのでな、葬儀に復興に……やらねばならないことが多すぎる」
それらを解決する為の苦労を想像したのかカーバンクルは大きな溜息を吐く、既に疲れ切っているかのような様子である。
「あぁ、それと、これも渡しておこう」
そう言って彼が懐から取り出したのは小さな徽章のような物である、エルフの首領が受け継ぐ物であり身分を証明するものでもあった。
国旗のようなものである、それを握るということは国家や種族の代表者であると断言してもいいだろう。
「ミューリアン、旅をする傍らで構わない、聖都に寄ることがあれば我々の代表として人間たちの今回の一件の説明を頼む。世界樹が死んでしまったこと、次代の世界樹を育てようとしていること、それに魔王の脅威もだ」
その為にもミューの身分を証明する物が必要ということだ、この徽章を持っていれば彼女は王族に近い扱いを受ける、そうなれば国家や神殿の上層部にも話が通しやすい。
「おそらくだが……我々だけが魔王の脅威に晒された訳ではない、直感でしかないが、世界は今大きな戦いの中にあるのかもしれない、かつてのようにね……我々も更なる戦いに備えようと思う」
「では人間たちとの同盟を?」
「可能ならば……それが難しくても情報収集と危機感の共有が必要さ、外へ行く君にこそ任したい」
ミューの掌へ徽章が渡る、彼女はそれを頷きと共に握りしめて懐へとしまうのだった。
「お任せください、キャロル殿の目的地も聖都のようなのでとても都合がいいかと、必ずや任務を果たします」
「頼むよ、後は、そうだな……偶には里帰りでもしておくれ、便りがないのは元気の証と言うが、それでは少し寂しくもあるのでね」
「はい、それが許される状況であるのならば、顔を出します」
「ふふ……では、君の旅路に幸と良縁が多くあらんことを願おう」
最後にそう言い残してカーバンクルはその場を離れていく、残されたミューもまた懐に徽章の存在感を感じながらキャロルへと近づいていくのだった。
殉職したエルフの亡骸を埋める為の穴を生き残ったエルフたちと共に掘っていたキャロルは、ミューの存在を感じ取ったのか穴から顔を出す。
「ん……もう良いの?」
「えぇ、大丈夫ですよ、永遠の別れではありませんから、また会うこともあります」
エルフの寿命は長い、それこそ幾らでも機会はあるのだから寂しくはなかった、それよりも戦士としてキャロルの側にあることを優先しているのだろう。
彼女は目の前にいる華奢な英雄を守ることが、自らが進む戦士の道だと見定めたのだ。
「キャロル殿は聖都を目指されるのですよね?」
「ん……祝祭の日にキャラバンが来ると思うから」
毎年その日には大陸中から商人が集う、商機を逃すまいとするのは春風のキャラバンも同様である、当てもなく探し回るよりはずっと現実的な合流方法であった。
それほど利口でもない自分がそう考えるのだから他の仲間たちも同様に考えるはずだ、キャロルはそんなことを考えているのかもしれない。
「……何かあるの?」
「若様より任務を任せられまして、聖都を目的地とするのならばとても都合が良いんです」
「……じゃあ決まりだね」
キャロルとしては仮に目的地が別だったとしてもミューの都合に合わせるつもりだった、例え今年の祝祭を逃したとしても来年があるのだから先延ばしになるだけであり、それでも別に構わないのだろう、既に二年は逃しているのだから今更一年ほど遅れたとしても問題はない。
だが目的地が同じならばこれ以上ないほどに都合が良いのも事実である。
「……お迎えも、そろそろかな」
キャロルは何かを感じ取ったのか、掘っていた墓穴から這い上がって枯れた森の一部へと視線を向けると、そこには大きな枯れ木に体の半分ほどを隠した黄金の体毛と角を持つ鹿がいつの間にか立っていた。
テイタニアと融合したからなのか、人ならざる感覚や直感が備わっているかのような察しの良さである。
「じゃあ、行こうか」
「はい、お供いたします」
残念ながら葬儀の手伝いはここまでだ、その意思を伝えると周囲のエルフの戦士たちは二人の無事を祈って送り出してくれた。
「どこか大きな町にでも入ったら……旅費も貯めないとダメかな」
「当てがあるのでしょうか?」
「……聖印があるから娼婦神の神殿が助けてくれる。多分、深刻なほど困らない」
「なるほど、神殿の庇護下に入るのですね」
仕事ならばそこで見つけられるだろう、生活費も旅費もそこまで窮屈な思いをしなくてもいいはずだ。
「ん……ミューも美形だし、凄く人気が出る」
「うッ……私はその……いえ、女の旅となると楽ではないでしょう……ふぅ、仕方がありません」
「大丈夫……ミューは素質ある、だってセックス大好きだし」
冬の廃神殿での生活でそれは証明済みである、今更言い訳はできないだろう。
「そ、それは……キャロル殿が悪いかと、あんなに……」
「ん……そうでもない」
そしてキャロルの記憶が確かならばミューの方から求めて来ることも多かったはずだ、それに冬の間に調教も行った、彼女の見立てでは容姿の美しさもあって人気の娼婦になるだろうとされている。
初めての人間社会であっても、困窮することはないだろう。
「小さな勇士よ、見事であった」
鹿神は開口一番にそう言った、そして立派な角の生えた頭を下げる。
「その武勇、賞賛するしかない……そして誇るとよい、其方は強い」
「ん……ありがとう」
神々に連なる存在に褒められることは素直に嬉しかったのか、キャロルは少しだけ照れくさそうに小さな笑みを浮かべる。
「そして森の子よ、そなたもまた見事であった……我が角を握るに相応しい奮闘であったぞ。両者には神獣を代表して礼を伝える……感謝を」
「私ごときにそのような言葉、恐悦至極でございます、これからも槍の輝きに恥じぬように精進いたします」
「うむ、契約はここに果たされた、其方たちの望みを叶えよう」
すると、神獣とキャロルの間で不可視の力が行き来する、とても強い制約と共に契約書を作成した時のように、そこには契約神の権能が交じっていた。
「さてと、行先はどこであろうか? あまり細かな所には飛ばせぬが」
「……そうなの?」
「うむ、いや、単純に人の世の地理に疎いのでな」
「ん……なら貴方と私が始めた出会った場所が良い」
鹿神にどこどこにあるこの都市と説明しても伝わらないらしい、なのでキャロルはそう要求をした。
彼女からすればこの大樹海から出られて人間の社会に帰れるのならばどこでも構わない、聖都にぐっと近づくのだから。
ただキャロルと鹿神の間には認識を共有できる場所がある、あそこならば鹿神も覚えているだろうと推測して伝え、実際に彼女のその考えは間違いではなかった。
「おお、あそこであるな、それならばわかる……よしよし、任せるがいい」
そこで契約神の力が更に強まり巨大なうねりとなってキャロルとミューを包み込む。
「ではそこへ運ぶとしよう……うむ、ここに契約は果たされた」
やがて巨大な力のうねりは二人の姿を消した、後に残るのは神の力の名残だけである。
「ふふ、良き縁であったな……あの狩猟王と全く似ていないのに、不思議と重なる……奇妙なものだ」
そして鹿神はそんな呟きを残し、黄金の粒子になって森の中へ消えていく。
彼は大昔に自分の角を折った狩人の姿を思い浮かべながら、ふと人間たちの間で歌われている物語を鼻で奏でた。
悪魔を穿ち、雲を穿つ、黄金の英雄の歌を。
「あぁ、そうか……世は廻るということか」
きっと、新しい英雄の歌が世に響く筈だ、鹿神はその時を楽しみにしながら、また気ままに自然の中を進むのであった。