商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
アントニウスとの情報共有関係が成立して数日、エミリーは研究や仕事の合間にかつて行われた天使に関する情報を集めることになった。
彼女はその当時、生まれてもいないので噂程度のことしか知らない、だというのにエミリーがそれらに関して欠片でも認識できていたのは、キャラバンの先輩団員であり長い時間を生きているエルフの聖人、ローレライから聞いたことがあるからだ。
エミリーにとっては生まれる前のことでも、ローレライにとってはこの前のことになる、直接的な関わりはなかったようだが、様々な伝手を使って情報は仕入れていたらしい。
昔にこんなこともあったのよ、そんな感じで絵本でも読み聞かすかのような雰囲気で話してくれたことをよく覚えている。
アントニウスが接触した天使と、かつて研究が行われていた人造天使に接点があるかどうかはわからないが、調べてみる価値はあるだろう。
関係がないのならば、それはそれでいいのだとアントニウスも言っている、エミリーとしてもそれくらいの感覚で調べる方が気が楽なのだろう。
世の為、人の為、それがエミリーの在り方である、そうやって徳を積み重ねるのが信仰の道であると考えているのだ、アントニウスへの協力もその一環であった。
しかしだ、自信満々に協力を呼びかけたは良いが、どうやら成果は上がっていないらしい。
「……うぅん、それらしい記述はありませんね」
彼女は現在、懇意にさせてもらっている娼婦神の神殿にいた、時刻は昼間なので娼婦として仕事に来ている訳ではなく、完全に個人的な都合でそこにいるようだ。
神殿の奥にある厳重な施錠が施された資料室は、本来ならば入ることのできない場所である、それもそのはずで、神殿の資料室とはつまり研鑽された魔術の集積所でもあるからだ、そう易々とは入室できない。
もし無理に入ろうとすれば、物理的にも魔術的にも強固な守りに阻まれて、呪いを返されることになるだろう。
それに加えて派閥そのものを敵に回すことになる、扱いを間違えれば大きな厄災を齎す技術を求めるとは、戦争する覚悟が必要になるということだ。
娼婦神の神殿と、房中術を柱とする魔術師の派閥はとても距離が近い、殆ど同じ組織と言っても良い程である、つまりこの神殿にある資料室にはそれに関わる知識と技術が多い。
房中術は使い方次第で国を傾けることも容易い、当然ながらここも相応に危険な知識と情報に満ちているので、守りは厳重である。
それでもエミリーがここにいられるのは、首からぶら下がる聖印が彼女の身分を証明しているからだろう、彼女はここに入れる鍵と権利を持っているのだ。
ただ思っていたほどの情報は収穫できない、ここにある知識の多くが房中術やそれに関する知識や歴史が多いので、人造天使に関する記述は見当たらない。
「この様子だと、生命神の神殿も同じ状況でしょうね……禁忌とされた研究なので仕方がないと言えばそうなのですが」
エミリーは手に持っていた分厚い魔術書に鎖をかけなおして鍵をかけると、それを資料室の本棚へと戻す。
房中術に関する稀有な知識は得られたが、ここには人造天使に関する知識はないと思われる。
自分から協力を申し出た手前、やっぱり無理でしたでは恥でしかないだろう、責任感の強さもあってかぐるぐると目を回しながら慌て始めているようだ。
例え有用な情報がなかったとしてもアントニウスはガハハと笑ってそれで終わらせそうだが、それでは気が済まないのがエミリーであった。
どうしたものかと頭を悩ませてみるが、冴えた方法は思い浮かばない、そもそも禁忌とされた実験や研究なのでそう易々とは見つからないだろうと今になって気が付いたらしい。
可能性があるとすれば、記録ではなく記憶、その当時の事件を把握している人物か、禁忌とされる知識であっても把握できる存在と接触するしかないだろう。
おそらく、神殿や魔術師たちの記録を探ってもこれ以上の情報は出てこない、時間の無駄でしかないのだ。
「あの方がいれば……もっと詳しく聞けるのに」
キャラバンの先輩団員の顔を思い出しながら、エミリーはそれは深い溜息を吐く。
長く生きているだけにその知識は豊富であり深い、先人としては勿論のこと魔術師としても頼りになる存在である。
ローレライと同じだけの時間を生きた者も、豊富な魔術師としての知識を持つ者はいない……と考えた瞬間に、エミリーの脳裏にはもう一人の魔術師の姿が思い浮かぶ。
同時に、巨大な空飛ぶ城の様子も思い出すことができた。
そこまで考えれば、なぜその選択肢を最初から外していたのかわからなくなってしまう、およそこの世の全てを見通す存在であるのならば、たかだか数十年前の出来事くらいは容易く知りえるのは自然なことである。
例え知らずとも、深淵に手を伸ばす彼女にとっては、人造天使に関しては未知ではなく既知である可能性すらあるだろう。
「……あの方なら」
少なくとも、ここで資料と睨めっこしているよりは、ずっと可能性が高いだろう、それは確信でもあった。
藁にもすがる思いとは少し違うのかもしれないが、そこにしか希望がないのではと彼女は考えて、神殿の資料室を足早に後にするのだった。
資料室を回覧させてもらったことの礼を神殿娼婦たちに伝えながらエミリーは自分の工房へと向かい、無数のフラスコの中で燃える色とりどりの炎をチェックしてから、いつも借り受けている馬車と馬のいる場所へと進む。
積み込むのは様々な物資である、それは食料や水といった旅の必需品もそうだが、行く先で取引する交易品なども存在していた、キャラバン時代の経験を生かしての小遣い稼ぎであり研究費用を集める為の手段の一つでもあった。
神殿の依頼で遠出することもあるので、主軸はそちらであり交易品の取引はそのついでなのだが、馬車一台分とはいえ馬鹿にできない稼ぎを得られる。
勿論、旅には危険がつきものである、ましてや最近の情勢では楽にとはいかない、都市の外に出るにしても傭兵を雇うのが基本となるだろう。
だがエミリーは特に警戒した様子もなく馬車の上に乗って手綱を操った、向かう先は聖都の門であり、その先にある空に浮かぶ無限城である。
聖都からはその城は指の先ほどの大きさにしか見えないのだが、近づくに連れて山のように巨大になっていく筈だ。
そこに住まう始まりの魔女への謁見を求めて、彼女は馬車を走らせるのだった。
時折、彷徨うアンデットが姿を見せることがあったが、その全ては彼女が操る炎によって灰へと帰ることになる。
「~~~~~」
穏やかな鼻歌がそこには広がっていた、寝つきの悪い子供に聴かせるように緩やかで落ち着きに満たされた音色だというのに、周囲に広がる光景の全てがその美しさを損なってしまっている。
音色の中心にいるのはけがれ無き純白の翼と、幾何学模様の光輪を頭の上で回転させている、言葉では表現できない美しさを持った天使であった。
その姿を見た者は老若男女の例外なく見惚れるだろう。
まず火に吸い寄せられる虫のように魅せられてから、そして同じように身を破滅させることになる。
熱によってではない、寧ろその天使を中心に変化する環境は冷たく寂しいものであった、極寒の冷気の中で鋭く尖る氷柱のような寒気を与えてしまうのだ。
しかしそんな存在感を放ちながらも視線を逸らすことはできない、吸い寄せられるように引き寄せられてしまい、最後には腐り落ちてしまう。
そう、この天使は美しくとも毒でしかないのだ。
「~~~~~~」
彼女が腰かけているのは明らかに巨大な角笛である、腰にぶら下げられるようなものではなく、両手と体で支えなければまともに扱えないであろう大きさであり、どうやらそれを椅子代わりにして寛いでいるらしい。
瞼を閉じて特に感情を込めることもなく、機械的に鼻歌を奏でる美しい天使は、彼女を中心に広がる光景に興味はないのだろう。
おそらくは、この場所に元々はそれなりの規模の農村があったと思われる痕跡が随所に見受けられる、無数に並び立つ家屋や牧場に、至る所で横たわる人々や家畜の姿が、この場所でかつてあったであろう賑わいを証明していた。
しかし今は全てが呪いと病に沈んでしまっている、育てられていたであろう家畜もピクリともしないまま眠るように沈んでしまっている状況だ。
この農村にいる動物や人々はまだ死んでいる訳ではない、呪いと病によって意識を失って動くことが出来ないだけである、だが放置しているばそのまま衰弱していき最後には死んでしまうだろう。
美しい天使はそれでも表情一つ変えることなく、穏やかに鼻歌を奏でるだけである。
静かで、天使の存在も相まってどこか幻想的な空間ではあるのだが、その場所に存在する異音は彼女の鼻歌だけではない。
美しい音色とは正反対の、下水の泥を掻き混ぜたかのような不快感を伴う歓喜の笑い声も存在していた。
「ふふ、ふははははッ!! 素晴らしい、やはり最高だッ!! お前こそ真の芸術、至高の存在……あぁ、美しいよプリメーラ、この破壊、この殺戮、これほどの歓喜は存在しない!!」
笑い声の主は小太りの男であった、初老に近い年齢でありその顔は皺とシミがよく目立つ、美しい天使とは対照的に醜悪な印象を与えるような男であった。
それは見た目だけの話ではない、角笛に腰を下ろして鼻歌を奏でる天使の足元に跪き、その太ももに頬擦りをしながら股間を熱くしている様子があってこその評価である。
そんな彼の様子とは正反対に、プリメーラと呼ばれた天使は頬擦りをして涎を垂らす男を気にも止めないまま、機械的に鼻歌を奏でていた。
「エキドナも良い因子を譲ってくれたものだ、悪魔の力など邪道そのものではあるが……ふふふ、なぁに、お前はこんなにも美しく育った、結果さえ伴えばそれでよいとも」
天使の太ももに頬擦りをする男はとある悪魔の姿を思い出して動きを止めた、病的なまでに白い肌に深紅の瞳を持つ悪魔の名はエキドナと言った。
「はぁ~……長かった、長かったとも、お前を認めない愚かな者たちがどれほど邪魔してきたことか」
そこで小太りの男は歓喜の表情を引っ込めて忌々しそうに歯を食いしばる、同時にプリメーラの太ももを撫でていた掌を丸めてぐっと爪を立ててしまう。
天使の肉をそぎ取って僅かに血が流れるのだが、それに気が付いていないかのように男の苛立ちは増していく。
「あの神殿騎士にエルフどもめッ!! いや、それ以前に派閥の連中すら邪魔をしおって、魔術の発展に犠牲は付きものだと何故わからんのだ……はぁ、はあ」
「お父様……痛い」
「痛い? 痛いだと? お前にそのような感覚がある筈がないだろう、何を言っているんだ、一体何を……お前は、お前は完璧で至高の存在なんだ、そんなことがッ・・・・・ありえるはずがないッ!!」
突然、小太りの男は情緒不安定になって太ももから頬を離し、勢いよく立ち上がって天使に激高してみせる。
そしてそのまま拳を固めると、美しい天使の頬を殴りつけるのだった。
「このッ、完璧な存在が痛いなどとッ!! 何のバグだ、それとも感情でも芽生えたというのか……ダメだ駄目だ駄目だぁぁぁあッ、お前は無垢でなければだめなんだ、余計な物も余分な物を必要ない、完全完璧な数式の上に成り立つ調和!! それこそがお前なのだ、至高の存在にプラスもマイナスもいらないんだ!!」
早口でまくしたてながら暴行を続ける男をプリメーラは冷めた瞳で見つめて、処置無しとばかりに瞼を閉じる。
「~~~~~」
そして彼女は暴行を受けながらまたも鼻歌を奏でる、つまらない何もかもを置き去りにするかのように。