商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「~~~~~ッッ!!?」
相変わらず無限城へ向かう手段にはなれないらしい、飛龍の……エミリーの認識では大きな鳥の足首に結ばれた頑丈な縄を足場にして運んで貰うのだが、探索業が行われていた頃には念に何回か死亡事故があったことからも、安全には程遠い。
飛龍の足首に結ばれた縄の先端は輪っかになっており、そこに足の先を入れて固定して手は縄を掴む形で後はしっかりと調教された飛龍任せである。
当然ながら危険である、徐々に地上が遠ざかっていきそれに連れて恐怖も増していく、そしてエミリーは声にならない悲鳴を上げていた。
二年前にも経験したことではあるが、おそらく何度経験しようとも慣れることはないのだろう。
しっかりと縄にぶら下がって恐怖と浮遊感と戦うこと十分ほど、ようやく空に浮かぶ城へと運ばれたエミリーは、腰を抜かしたかのようにその場に座り込んでしまう。
そんなエミリーを、飛龍はどこか馬鹿にするかのように見つめていると思ってしまうのは、彼女だけだろうか。
「はぁ……もう二度とごめんです」
二年前にも同じようなことを思ったような気もしたが、結局はここに来てしまっているので、もう仕方がないのかもしれない。
巨大な、それこそ山のように巨大な城の入口はやはり巨大である、大都市を守る大手門のように重厚な存在感を放っており、物理的な重さは勿論のこと魔術的にも要塞と称すべき分厚さを持っていた。
嵐の王による襲撃で無限城はその姿の多くを削り取られて損壊したのだが、既に修復されたのかここから見る限りは元通りになっているようだ。
大きな門を見上げながらエミリーの視線が右往左往する、辿り着いたは良いがここからどうすれば良いのかわからないらしい。
人の体重で押したところで開けられるような門ではない、試しに掌を当てて押してみるがピクリともしなかった。
「あれ、えっと……どうすれば」
慌てふためく彼女のことをどこからか観察していたのか、重厚な門が軋むような音を上げながら徐々に開いていく。
しかしその先に広がっていたのは城内にある様々な環境を整えた大自然ではなかった、空間が突如としてぐにゃりと歪み、手を伸ばすかのようにエミリーの周囲に広がって包み込んでしまったのだ。
すると景色が流転する、一瞬だけ水の中へと落ちてしまったかのような感覚に陥ってしまい、咄嗟に瞼を閉じてしまうのだが、予想した衝撃や浮遊感がやって来ないまま着地することになる。
「……空間転移」
その現象を恐れるように言葉にしてしまうのは、常識ではありえないほどに高度な魔術であったからだろう、少なくともエミリーに同じことはできないのだから畏怖するしかない。
こんな現象を意のままに操れるのは、世界の裏表を行き来する妖精女王か、或いは最古にして最新の魔術師以外はありえない。
衝撃に備えて閉じていた瞼をゆっくりと開いていけば、視界にはいつか誘い込まれた結晶の部屋が広がっていた。
有りえない程に巨大な結晶を加工して強引に部屋にしてしまったかのような場所なのだ、壁や床には幾重にも幾何学的な模様が彫り込まれており、神殿のように異質な空間を作り上げているのだろう。
二年前にも招かれたこの場所は、この無限城の中心であり城主が住まう場所でもある。
「お久しぶりですね、エミリー……最新の世代よ」
結晶の部屋の中心に彼女はいた、同じように結晶で作られた椅子に腰かけて、結晶の机の上にある様々な模型図を前にしながらも、その瞳はエミリーに向けられている。
相手の魂を見透かし、本質を見抜く瞳は、虹を注ぎ込んだかのように鮮やかで無数の色と輝きを宿していた。
その虹色の魔眼に見つめられると、心臓を握られたような気分になってしまうのは、きっとエミリーだけではないのだろう。
「お、お久しぶりです、始祖様!!」
「無事なようでなにより、守りの魔術で加護を与えたかいがあるというもの」
「あッ、はいッ!! 感謝いたします、おかげで生き残れることができました」
あの時、嵐の王が従える暴風によって、無限城の残骸と共に吹き飛ばされてしまったのだが、普通ならばその落下の衝撃に耐えられる筈もない、エミリーが生存できたのは始まりの魔女が咄嗟にかけた魔術によるものであった。
全身を包み込むような薄い膜が、落下地点に大きなクレーターを作るほどの衝撃から守ってくれたのだ。
そのことに感謝して頭を下げるのだが、始まりの魔女は特に反応を示すこともなく、虹色の瞳で見つめるだけである。
しばらくそんな状態が続いたかと思えば、何かに満足したかのように小さく頷いて見せる。
「また器が大きくなっているようですね……ふむ、大変宜しい」
どこか教師的な態度を見せるのは彼女の癖なのかもしれない、かつて無数の弟子を育てていた頃の名残なのかもしれない。
言ってしまえばエミリーもまた始まりの魔女の弟子なのだ、孫の孫の孫のそのまた更に続く最新の世代がエミリーたち世代の魔術師であるのだから、その表現も間違いではない。
「本日は突然の来訪であるにも関わらず受け入れてくださり恐縮です……その、ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「問題はありません……時間は有限なれど、他者との語らいはそこまで嫌いでもありませんので、時間を割くに値する」
指先が向かい側にある結晶の椅子を指し示す、どうやらそこに座れということらしい。
遠慮も過ぎれば相手を不快にさせるので素直に座ると、エミリーの正面には結晶のカップが置かれるのだった。
「飲みなさい」
「あ、ありがとうございます……」
「甘いものは?」
「い、いえ、大丈夫です」
「そうですか? では果物は?」
「本当にお気遣いなく……その、恐縮してしまいますので」
「ふむ、そうですか……ふむ、大変宜しい」
始まりの魔女はそこで深く考え込むかのような仕草をした、何を思案しているのかエミリーには察することはできないが、勧められていた飲み物やお茶菓子は下げられることになる。
互いにお茶を飲むだけで暫く時間が過ぎていく、始まりの魔女は特に気にした様子もなくカップに口をつけるのだが、対面に座るエミリーは緊張で固くなっているのか瞳をグルグルと回すだけであった。
目の前にいる圧倒的な存在感が心臓の鼓動を速めている、魔術師にとって神との対話にも等しいのでそれも仕方がないのかもしれない。
「それで……エミリー」
「ひゃい!?」
「何用でここに?」
「あ、あぁ、ええっと……人造天使の研究に関して知りたいことがあり、縋らせては貰えないかと」
始まりの魔女の眉が僅かに跳ねる、そして胡乱気な視線が向けられることになった。
「人造天使ですか……懐かしい研究です。あれは古くに破綻したのですが、まだ研究が続けられていたのですね」
カップに口を付けながら瞼を閉じて虹色の瞳を隠すと、始まりの魔女は昔を思い出したかのように深い思考の海へと沈んでいき……目の前に客人がいることを思い出してなんとか踏みとどまる。
「いえ、始祖様、研究は禁忌指定となって何十年も経っています」
「ふむ、まぁそれも納得です……あれは危険も多い上に、神々も煩い」
何かしらの知識や理解があるのか、禁忌指定されていることに驚きはないらしい、ならば知りたいことも把握しているのだろう。
「私がその研究に関して知りたいのは、今現在の状況が関係していて……実は巨大な呪いをまき散らす天使の姿が確認されたました」
「……ふむ」
始まりの魔女は続けろ、と視線で促してくる。
「私自身は人造天使に関してそこまで深い知識はなく、神殿の資料室を調べてもこれといった記述も発見できなかったのです……それで、始祖様ならばと、ここに来た次第であります」
「……」
返事は無い、瞼を閉じて虹色の輝きを隠した状態で深く考え込むだけであった、そして僅かな緊張感を感じながら返事を待つこと約一分、ようやくその唇が開かれる。
「エミリー」
「はい」
「天使とは、すなわち天の使いです……地上の存在よりも神々に近い存在と言えるでしょう。深い寵愛を受け膨大な加護を宿している半神とも異なり、完全にあちら側の存在です」
半神は神々の加護が極めて強い存在を称するものだ、他とは比べられない程の寵愛を受ける彼らは神性すらもその身に纏うのだが、それでも地上の存在であることは変わらない。
だが始まりの魔女曰く、天使は半神ともまた異なるらしい。
「神によって作られた存在、それが天使……人造天使の研究とは、つまりそれを人の手で作ろうというものとなります、言い方を変えれば神の権能の再現……しかしそれは人の手に余る」
「……危険な研究であるとも聞いたのですが」
「否定はできません……天使はある種の奇跡の体現者ですから」
どういうことだろうと首を傾けるエミリーに、始まりの魔女はこう言った。
「神々によって生み出された奇跡の塊……天使とも言いますが、別の言い方をすれば、勇者とも表現できるでしょう」
「……天使が、勇者様と同じ存在」
「神々が奇跡を固めて作ったという点においては……そう解釈すれば人造天使とは人造勇者とも言えるのかもしれません」
「人造……勇者」
小さな溜息が困ったように零れ落ちる、両者ともにだ。
「研究が禁忌指定されたのは、おそらく神々から神託があったのでしょう……単純に天上の領分を犯すこともそうですが、人造天使の製造は奇跡の前借とも呼べるものですから」
「……」
「奇跡は安くなく、そして有限……それを強引に形作るのは未来を閉ざすことと同義なのでしょう」
「もし人造天使を生み出した場合は、どのような影響が出るのでしょうか?」
「未来の資源を強引に持ってきて使用するようなものです、そう聞くと大したことのないようにも思えますが、可能性を狭めることにもなる……例えば何十年か先にどこかで雨が降るとして、可能性の先取りとはその事象の先取りです、まぁあくまで例え話に過ぎませんが」
つまり、何十年後かに降る筈の雨は降らなくなる……それ自体は小さな歪なのかもしれないが、積み重ねれば大きな亀裂となるのかもしれない。
「人造天使の存在は大いなる流れを乱すと神々が判断した可能性が高い、何度も何度も無際限に生み出せば、未来に起こりうるはずだった奇跡を吸い寄せて……いえ、この場合は資源と言った方が良いのかもしれません、それらを奪うことになる」
「奇跡を吸い寄せすぎれば、例えば……自然に生まれるはずだった勇者様が、生まれなくなるといったことも?」
「その理解は間違いではない、大変宜しい」
奇跡は有限と言うことだ、あまり無駄遣いはできないのだろう、だからこそ人造天使の研究は禁忌指定になったのかもしれない。
神々が禁止したのか、それとも魔術師たちが自発的に止めたのか、どちらが先かはわからないが、この研究は存在してはいけないものだと決められているようだ。
エミリーとしてもその判断が間違っているとは思えない、未来に必要な奇跡のリソースが足りなくなれば、どのような状況になるのか想像もできないのだから。
それで困るのは、きっと地上の子たちだと彼女は考える。
「貴女が関わっている問題が、人造天使か否かはわかりません……しかし、どちらにせよ困難が立ち塞がることは間違いないでしょう……ふむ、何か方策は?」
「彼の天使は巨大な呪いを扱うと聖騎士様より教わりました、それらを祓う力が必要になると考えております、それに――」
そこで一旦言葉を止めて、数秒の間を置いた後、意を決したようにエミリーはこう言った。
「あ、新しい、魔術を考案しています……その、神々より恐れ多くも神託を賜り……灯の魔術を研究していて、あの、その」
始まりの魔女に、最古にして最新の魔術師に、自分は何を言っているのだろうと慌てふためきながらも、説明を止めることはできない。
天使に関する情報もそうだが、この説明をする為にここまで来たという側面をあるのだろう。
彼女の研鑽を、研究を、最古にして最新の魔術師に見てもらいたい、そんな思いと共に懐から取り出したのはこれまでの研究を纏めた魔術書であった。
魔術師にとっての神にも等しい存在に粗末な物は見せられないとわかっていても、出さずにはいられなかったのだろう、緊張で喉が渇いていくことを感じ取りながらも魔術書を前に出すしかできない。
「ふむ……神託ですか」
「はい、その、二年前に吹き飛ばされた直後に下知を賜りました……灯の魔術を学べと」
エミリーが柱としている炎の魔術ではなく、その前身である火の魔術でもない、灯の魔術を調べ発展させる神託を受け取った時から、彼女の研究が始まった。
聖都にあるあの工房は全てその研究に集約しているのだろう、その為の場所でありその為の資金稼ぎでもある。
つまり、エミリーの二年は神々の言葉を形にする為の二年でもあった。
「灯の魔術……あれは私よりもなお古い時代のものだ」
「始祖様よりも長い歴史があるのですか?」
「当然です、火とは人類史そのもの、房中術と並んで最も古い魔術に数えられる」
始まりの魔女の指先が差し出されたエミリーの魔術書に伸びる、そして虹色の瞳がそこに書かれた様々な情報を眺めていく。
テストの答え合わせを待っている生徒のような気分なのか、エミリーの緊張はページが捲られる度に増していった。
「かつて人は獣と大差がなかった、知能も文明も突出したものはなく……歴史を作れるほどの存在ではなかったとされていました」
「それは聞いたことがあります、野を駆ける獣の一つでしかなかったと」
「えぇ……しかしそんな人類が文明を築くことができた理由の一つが火を扱えたことだと言われている、人類史とは火と寄り添った歴史とも表現できる……逆説的に、火を扱えたからこそ人という獣は人類になれた」
無論、それは一つの可能性でしかない、しかし人とそうでない者の明確な差異の一つでもあった。
「文明の黎明期、最初に火を手にした者は畏怖と尊敬を集めました」
「つまりそれが、原始的な魔術ということですね」
今のように体系化されて学問の領域に収まった魔術とは異なるものなのだろう、だから原始的という表現がよく似合う。
「大変宜しい、まさにその通り」
他者から畏怖を集める、単純にして最も強力な魔術であり呪いでもあるのだろう、その人は人類史において最初の王になったのかもしれない。
「同時に人々は火に神秘を見出しました、人ならざる力と認識して恐れ敬い衝撃を与えた……火を扱うことで知恵を得たのか、それともその火の神秘が知恵を与えたのか、今となってはわからない」
始まりの魔女は結晶の部屋で、結晶の椅子に座り、虹色の瞳は魔術書を注意深く眺めながらも、言葉を途切れさせない。
「かつて灯の魔術と呼ばれたものと、この時代の炎の魔術は異なるものです……そこを理解することこそが、貴女の研究に最も必要なものでしょう……灯は火でも炎でもない、原始的な神秘の在り方です」
パタッと、音を立てて魔術書が閉じられた、そしてエミリーの手元に戻される。
「悪くありません、と言えば調子に乗るかもしれませんので言いません……」
「はい、そのお言葉だけで十分です……研究も進化も跳躍しない、一歩一歩階段を上るように、ですね」
その言葉に始まりの魔女は人形のような表情を崩して、人間らしい笑顔を僅かにだが見せた。
「宜しい、えぇ、大変宜しい……でもそうですね、我が弟子の系譜に、助力はいたしましょう」
すると白魚のような指先が虚空に伸びて歪んだ空間に滑り込むと、そのまま彼女の手は奥へ奥へと沈んでいく。
「確かこの辺りに……ふむ、こっちだったかな……あぁ、あったあった」
歪んだ空間に沈んだ手が引き抜かれると、そこには掌サイズの結晶が握られていた。
何かしらの宝石だろうかと一見しただけでは考えてしまう、しかし手渡されてじっくり観察してみると、それが淡い輝きを宿した結晶ではなく卵であることがわかる。
「それを貴女に、きっと役に立つ」
「始祖様、これは一体?」
「神秘を宿した火が封じられています、貴女の研究に必要なものだ」
エミリーは視線を結晶のような卵に落とす、不思議と冷たい感触はなくぼんやりとした熱を感じることができる卵だ。
冬場に懐に入れておけば暖かそうだ、そんなことを考えてしまうくらいには温もりがある。
「精進しなさい……魔術の研鑽は、未来を描くためにあるのですから」
そこでエミリーの周囲の空間がぐにゃりと歪み、来た時と同じように彼女を飲み込むのだった。
やがて彼女の姿が消えていき、結晶の部屋には始まりの魔女だけが残される。
「……ふむ、人造天使」
懐かしい研究だ、どこか遠い目になった彼女は古い時代を思い返す。
かつて弟子の一人が同じ研究をしていたはずである、ということを思い出してから緩やかに結晶の椅子から立ち上がった。
「少し、調べてみましょう」
必要があれば後処理も必要になるだろう、自分の弟子が残した研究が今の時代に歪を残しているのならば、それを正すのもやぶさかではない。
何より、勇者は、天使はこの世に一人で良い……紛い物など不要である。
そして彼女は足跡だけを残してその場から姿を消していく、どうやらこちらはこちらで動くことに決めたらしい。
虹色の瞳は、ここではないどこかを見つめているのだった。