商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
大規模な遠征が行われることが聖都の住人に布告されて数日が過ぎた、反応は様々であるのだが大部分は好意的に受け止められたのは間違いない。
やっと治安が回復するのか、そう考えた多くの者の表情は極めて明るい、ここ最近は小王国郡から流れて来たアンデットの跋扈に加えて原因不明の呪いと病が蔓延していたのだ、暗い雰囲気が漂っていたことは誰もが気が付いている。
この遠征で状況が好転してくれるのならば歓迎の声は大きいだろう、誰だって暗い気分のまま過ごしたくなどないのだから。
また、徴兵されて修羅場に立たされる訳でもないのだ、主な戦力は聖騎士団と守備隊であり、自分たちの血が流れる訳でもない。
聖騎士団と神官団が忙しそうに動き回っているのを眺めながら、住民たちは治安が回復することを祈るしかないだろう。
さて、大規模な遠征を行う上で必要となるものがいくつかある、それは食料や水といった物資も当然ながら、それを行う上での様々な書類仕事もそうである。
前線へ出ることにない文官肌の神官たちは遠征を行う上で必要となる様々な書類をさばきながら汗を流し、遠征に参加することが決まった者もまた相応の準備が必要となるだろう。
エミリーもまたそれは同様である、従軍する上で必要となる様々な準備、彼女の場合は契約書を結ぶことだ。
神殿に属しているとはいえ彼女の身分は外様、外部協力者と言うのが正しい、そんな人物を従軍させるのならばしっかりとした契約を結ぶことが重要になる。
神殿側にとってもエミリーにとってもだ、どれだけの報酬を払うのか、従軍期間中の職務や身分の保証や、与えられる権利、それらを話し合って纏めた契約書へと署名をするのだ。
それ自体は難しいことではない、そもそもエミリーはそこまで主張が激しいという訳でもなく、神殿側もまた人を雇う上で必要な交渉はしっかりと弁えている、ぶつかり合うことなどない。
なので契約書を片手にやって来たマリーと和やかに談笑しながら、特に不満もない契約書に署名することになる。
そこから先は神殿に雇われた神官としての立場と振る舞いが求められることになる、おそらく前線に出ることはないだろうと思われるが、従軍である以上は絶対とも言い切れない。
だが可能性としては低いだろう、聖騎士団や守備隊が前に出て神官団は後方勤務が基本となるからだ。
エミリーの立場は生命神の神官として医療従事、医者としては勿論だが突出した魔力を持つ彼女はいざという時の補助を期待されている、高い確率で大量の怪我人と呪いを刺された者たちの面倒を見ることになるので、魔力が切れた神官たちの背中を押すことが一つ。
それに加えて娼婦神の神官として従軍することも決まった、つまりは従軍娼婦である。
治安を安定させる為の軍勢が狼藉を働いて住民から疎まれていては意味がないので、そういった職業もまた重要である、大規模かつ長期の遠征になればなるほど需要は高まるだろう。
今回のように国が斡旋することもあれば、どこからか遠征の噂を聞きつけて娼婦たちが勝手に集まって来ることもある、実際に娼婦神の神殿には大勢の娼婦が一時的な契約を求めて殺到していた、高給取りである聖騎士団との縁を作れる機会なのだ、予想以上の娼婦が集まったらしい。
そんなこんなで様々な準備と契約書の作成に時間を費やすこと数日、いよいよ遠征本番となった。
聖都の大広場で高い練度を見せつけるように整列する聖騎士団と守備隊に交じって神官団も並んでいる、彼らの前には檀上が用意されておりそこには神殿の代表者と、聖騎士団の代表者が立っているようだ。
「え~……まぁあれだ、怪我の無いように進めていこう、無茶して死んでしまっても意味がないのでな」
だが壇上の上にいる代表者であるアントニウスは特に気負った様子もなく、緊張感の欠片もない激励を行っている。
思わず姿勢を崩しそうになった者は一人や二人ではない、目前に迫った遠征に少しばかりの緊張もあったのだが、アントニウスの言葉に気が抜けてしまったらしい。
それが狙いであったのか、それとも彼の素なのかわからないが、緊張感のない演説が続いていく。
「とりあえずの目標としては、徘徊しているアンデットや無法者の排除、それに加えて例の奇病にかかった患者たちの保護と治療、これらを一斉に行って治安と不安を改善する訳だが……そこまで気負う必要はないだろう」
壇上のアントニウスはボリボリと頭を掻いてから、少し悩んだ様子で言葉を選ぶ。
もしかしたら彼はこういったことに慣れていないのかもしれない、彼は聖騎士団の団長であり人を率いる立場なのだが、言葉よりも行動を優先するのだろう、戦士らしいと言えばそうなのかもしれない。
「私から言うべきことはそう多くは無い、無茶せず無理せずのんびりと行こう……ようは緊張することなく普段通りに任務を行えばいい」
彼は目の前に広がる騎士団や守備隊の者たちにそう伝えるが、いざという時は誰よりも無茶と無理をする男だと理解されているので、幾人かが苦笑いを浮かべていた。
しかしだからこそ、彼に率いられることを拒否する戦士はいないのだろう。
「まぁ長話して面倒だろう、私も面倒になってきている、さっさと終わらせるとしよう」
そこで彼は腰にぶら下がった鞘から祝福の光が宿った聖剣を抜き放ち、切っ先を空へと向ける。
「剣を持つ者はその責務を全うせよ、何も難しいことはないだろう?」
最後の最後までどこか気の抜ける演説ではあったが、伝えるべきことは伝わったので彼は満足気に壇上から下りていくのだった。
そんな彼に苦笑いを贈りながらも、しっかりと伝えられた大雑把な言葉を広場に集まった戦士たちは受け入れる。
演説が始まったばかりの頃はまだ緊張が広がっていた集団ではあったが、今では軽い笑い声が広がるほどである、軍隊としてはどうかと思う士気状態ではあるが、これはこれで良いのかもしれない。
一日二日で終わる遠征ではないのだ、長い緊張は邪魔になる……そんな風にアントニウスが考えたのかは誰にもわからないが、聖都の外へと進む行軍の足取りはどこか軽やかでもあった。
「ヘステア、良い子にしていてくださいね」
そんな行軍の中にエミリーの姿もある、神官団に交じって大きな荷馬車の中で腰を下ろす彼女は、自らの豊かな胸元へと声をかけているようだ。
「ぴ~」
すると清潔感の漂う法衣の内側から小さな鳥らしき鳴き声が届く、どうやらエミリーの胸元にはあの不死鳥が丸まっているらしい。
燃えるような姿をしていても主従関係にあるので火傷を負うこともなく、胸元に僅かな温もりを感じるだけで大きな問題もないのだろう。
少しだけ窮屈そうな意思が魔術的な道を通じて伝わってくるが、柔らかな胸の感触は悪くないとも思っており、結局そこで不死鳥はウトウトしているようだ。
そんな意思交換を行ってエミリーは僅かに微笑む、そして指先で法衣の上から不死鳥の頭を優しく撫でる。
彼女は自分の胸元にいる不死鳥の雛をヘステアと名付けたらしい、因みに幾つか候補があったのだが、最終的に決めたのはヘステアであった。
どれが良いかしら? と暖炉で寛ぐ不死鳥の雛に名前の候補を上げると、迷うことなくヘステアを選び取ったことからも高い知能が伺える。
また気に入ってもいるようだ、ヘステアと名付けた瞬間から二人の間にある魔術的な契約はより太く強固になったと実感できるほどであり、強い信頼関係へと繋がっているのだろう。
エミリーは胸元に感じる柔らかな温もりを感じながら、馬車の揺れに身を委ねている。
「エミリー様、ヘステア様は大丈夫ですか?」
同じ馬車内にはマリーの姿もあった、彼女はエミリーの眷属となったヘステアの存在を知っており、その胸元に収まっていることも理解しているので、視線が豊かな膨らみへと向けられている。
「少しだけ窮屈に感じているようで……まぁ、我慢できないほどではないようです」
「そうでしたか、なんでしたら鳥籠などをご用意しようと思ったのですが」
「実はそれはもう試したんですよ、ですが簡単にすり抜けて暖炉へ住み着いてしまいまして」
実際に、工房に放置もできないので連れていく際に市場で購入した鳥籠に入れて連れて行こうとしたのだが、ヘステアは格子など存在しないとばかりにすり抜けてしまったらしい。
小さな体を駆使して隙間から抜けた訳ではない、その体を炎へ変えて脱出したのだ、それを見せられたエミリーとしては頭を悩ませるしかなかっただろう。
最終的に胸元に潜り込ませることに落ち着いたのは、ヘステアがそこに潜り込んだからである。
エミリーの熱と魔力と心臓の鼓動が感じられるその場所は、ヘステアにとって燻る暖炉の代わりになったようだ。
「長期の遠征になると思われますが、ずっとそちらに居られるのは疲れてしまいませんか?」
「その時は少しだけ羽を伸ばさせようかと」
不死鳥の存在はあまり表に出したくないというのが彼女の考えなのだろう、伝承は多くとも実際に姿を見た者は少ないのが不死鳥だ、その存在が明らかになれば高い確率で面倒ごとがやって来るのは想像に難くない。
例えば、契約魔術を柱として動物を眷属にすることに長けた魔術師であったり、資金だけは豊富な好事家であったりと、珍しい生物を好む者は多い、それこそ幾らでもいるだろう。
自分の魔力を与えて生まれたからなのか、既に母親のような気分になっているエミリーにとって、それらを相手にすることは避けたい。
だからあまり他人の目に晒すことはせず、かといって工房に放置もできず、現在の形に落ち着いたのだ。
「ふふ、エミリー様、なんだか母親のような顔をなされていますね」
「えぇ? そうですか? あまり自覚はないのですが……」
「とても慈しみに溢れた表情をなされてしましたから、やはり眷属と言うのは特別なのでしょう……それこそ血を分けた肉親と変わらないという魔術師も多いと聞きますし」
それはエミリーも知っている、特にそういった契約に長けた魔術師にそういった傾向が強いのだ、愛情が契約をより強めることもあるのでその為にという側面もあるのだが、少なくともエミリーの中にあるのはそこまで義務的なものでもない。
なるほど、と彼女は納得する、エミリーに肉親はもういないが血を分け存在と言うのはやはり特別なのだろう、実際に愛着と愛情をその旨に秘めているのだからきっと特別なのだろう。
彼女の魔力と炎を食らって生まれた存在なのだ、魔術的な繋がりもしっかりと存在するので、それこそ繋がりの固さで言えば普通の肉親よりもなお強固である。
結ばれた契約を通じて互いの意思や感情を読み取ることもできている、ただそれは危険なことでもあるのだ。
繋がりが強いが故に、例えばどちらか片方が怪我を負った場合、もう片方に魔術的な道を通って衝撃が伝わる可能性がある、痛みは勿論だが繋がりの強さ次第では怪我を共有することも可能性としてはありえてしまう。
共有するのは、なにも意思や感情だけではないということだ。
今後はその辺りにも注意をする必要があるだろう、もし仮に不死鳥がどこかで重傷を負って死亡したとして、それは強固な繋がりがあるエミリーにも伝わることになる。
逆もまた然り、エミリーの負傷や衝撃は高い確率でヘステアにも繋がるだろ。
眷属と主として強固な契約が結ばれてしまったということは、ヘステアとエミリーは心臓を共有していると言っても間違いではない。
親のような慈しみも湧いてくるだろう、家族のような繋がりがあるのだから。
「確かに、ヘステアは我が子のような存在なのかもしれません……まぁ、私は子供を産んだことはないのですが」
「ふふ、もしかしたらいつか子を授かった時に実感を得るのやもしれませんね」
「ヘステアを育てていた時を懐かしんだり? なんだか不思議な感覚になりそうです、初めて子供を産むのに前にも経験していたりだなんて」
そんな雑談を馬車の荷台で繰り広げながら遠征は続いていく、周辺地域をぐるりと回ることになるのでそれなりの期間を拘束されることになるのだが、マリーやヘステアが近くにいるので退屈することはないだろう。
ヘステアはまだまだ手間のかかる雛鳥であり、マリーは気心知れた友人である、緊張する必要もない。
おそらく最前線では聖騎士団や守備隊が戦っているのだろうが、後方勤務の彼女たちがそこまで同行することはないだろう。
怪我人が出て後方にまで下がって来るまでにまだ時間はかかる、それまではゆったりと過ごしても問題はない筈だ。
なので彼女たちは、和やかな談笑を繰り返しながら馬車に揺られることになるのだった。