商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
二人の魔術師の瞳が互いを値踏みするように細められる、普通の人々よりも遥かに膨大な情報量を認識することのできるそれが、今は何も認識することができない。
常ならば、相手の持つ魔力量を測定できたり魔術の予兆などを観測できるのだが、それら全ての情報が遮断されてしまっている状況であった。
それは男側もそうでありエミリー側もそうである、どちらも相手に情報を探らせまいと妨害しているのだろう。
魔術師と言う人種は基本的に警戒心が強い、なので相手に探らせまいと視界情報を遮る魔術を行使することは基本中の基本であった、中には幻術などを使って見た目すらも偽装する者もいるくらいである。
なので相手の情報がわからないことは想定通りである、よっぽど近しい友人か圧倒的な実力差が存在すると理解している相手でなければ視覚を妨害するようなことはしない。
観測できないことは魔術師同士ならば挨拶のようなもの、問題なのはエミリーが何故そうしたのかだ。
単純に一言で表すならば直感だろう、目の前の小太りの男から発せられる異質な雰囲気に警戒を高めたのだ。
相手が魔術師であることもまた理由の一つである、相手がどこの魔術師かは知らないが、相手の派閥によっては殺し合いが起こっても不思議ではない。
魔術師の派閥は様々であり、同じ数だけの目標と考えがある。
それは国と国同士の関係にも似ているとも言えた、敵対する相手もいれば協力する相手もいる、派閥関係とはそういうものだ。
なので、本当に仲が悪い派閥同士が出くわせば、殺し合いも現実的であると断言できる。
現時点では相手の思惑も、目標も、そして所属もわからない。
わからないが、中年男から発せられる雰囲気に炎の魔術師として最大限の警戒心が剥き出しとなっていた。
「小娘、名は?」
「……」
エミリーは言葉を返さない、軽はずみな発言によって魔術を差し込まれる切っ掛けになることを恐れてだ。
「あぁ、いや、そうか……その特徴的な魔力、炎の系譜だな、ふん」
そこでエミリーの眉がピクリと跳ねる、相手の視覚情報を妨害しているというのに、こちらの情報を盗み取られていることがわかったからだろう。
だが動揺は表に出さない、それすらも魔術を押し込まれる要因の一つになるからだ。
「エミーロンデ……あの戦闘狂めッ、忌々しくも弟子を残していたかッ!!」
何が地雷であったのかはわからないが、突如として男の怒りが爆発する、その感情的な綻びからエミリーは相手の力量を観測することができた。
その結界として、互いの戦力差を大まかにだが察する。
単純な魔力量は自分の方が上、それがエミリーが出した結論であった。
魔術師にとっての物差しである魔力量は言ってしまえば腕力とも表現できる、大きい方がそのまま強い、単純なものだろう。
ただそれだけで魔術師の技量が測れる訳ではないが、一つの物差しであることは間違いない。
相手の出方を伺いながらもエミリーは徐々にその場を後ずさっていく、そもそも彼女にこの場で争い合う意思もなければ理由もないのだ、ましてや宿場町の大通りで魔術師同士の闘争などこれ以上ないくらいの無価値である、それが彼女の考えだ。
相手がわからない、その理由も行動理念も目標も、そしてプリメーラとの関係もだ。
そして色々と気になることもあるのだが、相手から膨れ上がる魔力を警戒して後ずさる。
本当に、こんな大通りで白昼堂々と戦うつもりなのか? そんな考えを抱いた瞬間に、エミリーの頬から冷や汗が流れた。
その汗がポツッと地面を叩いた瞬間に、男はエミリーに向けて魔術を放つ。
その予兆を感じ取った瞬間にエミリーも最大限の魔力を乗せて言葉の魔術を周囲に放つ。
「この場から離れなさい!!」
強く鋭いセリフは眼前の男ではなく大通りで輪を作る人々に向けてのものである、その言葉の魔術に強い強制力を感じた人々は一斉にその場から逃げ出してしまう。
避難はこれでいい、すぐに騒ぎとなってこの街にいる聖騎士や神官たちへ広がるだろう。
馬鹿正直にこんな闘争に付き合うつもりなど欠片もない。
「なかなかの言葉の魔術だな、強い強制力を感じるぞ……悪くはない、さすがは最新の世代といったところか。私がその域にまで辿り着くには手探りだったのでざっと二百年はかかったのだがな」
そんなことを言いながら男から不可視の力が放たれる、普通の人々から見れば何も観測することはできないが、魔術師の瞳では半透明の手が伸びているように見えるた。
蛇のように蛇行しながらエミリーに触れようとしたそれを、しかし寸前で撃ち落とされる。
エミリーの喉元へ届こうとしたそれは突如として虚空に現れた青い炎に焼かれたのだ。
「術式の展開も早いな、性質の見抜く目もしっかりと養われている……その年齢で大したものだ、効率的に育った証拠だな、忌々しい」
男はエミリーを最新の世代と称した、それは魔術師が長い年代を積み重ねて蓄積された経験や知識の最先端であるということだ。
積み上げられた失敗を、歩んできた歴史を、その先にある成功を、教科書を眺めながら効率的にしることができる世代ということである。
個人差は勿論だがあるだろう、だが魔術師と言うものは若い世代であればあるほど効率的に成長できるものであった。
当然である、エミリーは先人たちの失敗も努力も成功も、全てを教えられてきたのだから。
男から伸びる不可視の手を幾つも防ぎ、互いの距離と実力を測りながら暫くの時間が過ぎる、一流の戦士同士が牽制し合うように、二人の間にも無数の駆け引きが行われているのだろう。
圧倒的な実力差があれば、或いは初手で殺すつもりでもなければ、勝負は一瞬で終わるのかもしれないが、少なくとも現状は膠着状態にある。
男が無数の魔術を放つ、それは不可視の手もそうだが様々な現象を巻き起こしながらエミリーへと届こうとするのだが、その干渉の全てを封殺してみせた。
もしこれが剣士同士の戦いであれば凄まじい剣戟が繰り広げられているだろう、両者ともにその場から一歩も動いていないが応戦は呼吸も忘れるほどに行われているらしい。
エミリーの真下にある地面と石畳が盛り上がったかと思えば、彼女はすぐさまそこに纏わりつく術式を打ち払い沈静化すると、視線を向けることもなく足元に転がったレンガの一つを浮かせて討ち放つ。
矢のような速度で放たれたそれは、しかし男にぶつかる直前で不可視の壁に阻まれてあらぬ方向へと消えていく。
よく見ると彼の周囲には六角形の形をした半透明の盾が連なっており、あらゆる干渉を阻んでいるようだ。
貫くには相応の火力がいる、レンガを放った程度では揺るぎもしないだろう。
エミリーの最大火力である熱線ならばおそらくといった強度はあるはずだ、ただその場合は男の上半身ごと吹き飛ばすことになる、エミリーとしてはそれは避けたかった。
そもそも目の前の男と戦う意味も理由もわからない、どうしてこんな状況になっているのか彼女としては教えて欲しいくらいである。
そしてプリメーラの存在も気がかりであった、彼女はこの魔術比べをどこか他人事のように眺めているようだ。
フードに隠された表情はここからでは伺えないが、僅かに見える頬は殴られたことで腫れているようにも見える。
それでも男から逃げないのは何かしらの理由があってのことか、あれだけ暴行されても傍にいるだけの縁があるということなのかもしれない、エミリーにはわからないが。
ある程度は応戦してから隙を見つけて退避する、色々と気になることはあるのだが、全てを横に置いてそんな勝利目標を頭の中で思い描いていると、目の前の男から大きな舌打ちの音が聞こえた。
苛立ちが募っているのだろう、怒りやすい性格だということはよくわかる。
「ふん、何とも若く才能に溢れた魔術師だ……私の生まれた時代にはお前のような者はいなかったな」
今よりもずっと昔の話である、文明も歴史も技術も、そして魔術も幼かった時代だ。
例えまだ魔術師としては若くとも最新の世代である、どれだけ経験を積み重ねたとしても旧時代の魔術師が押し切るのは難しいだろう、それは公平な戦力評価であった。
もし経験が互角ならば、おそらくあっという間に押し切られてはずだ。
「だが悪くはない、この体もだいぶガタついてきた所だ……新しい器としてもらい受けよう」
その瞬間、男の魔力が更に膨れ上がる。
エミリーの最大質量には及ばないものの、膨大と評しても問題ない量であることは間違いない。
本気になった、そう理解すると対抗するようにエミリーの魔力が吹き荒れて幾つもの魔術が築きあげられていく。
だが、それでもだ、全力は出せても本気にはなりきれていない……つまりは殺す気になれていないのだろう。
ここから先は本気の殺し合いになる、理由も意味もわからないままだ、そこに価値を見出せないことは焦りにも繋がっていた。
「ここから先は命の奪い合いになります……私は炎の派閥に属する者、戦争になりますよ?」
「恐れるに値せんな、私を誰だと思っているのだ」
「知りません、だから戦いたくないんです」
「甘い、才能は一流でも心構えは幼いな……だからこうなる」
また不可視の手が伸ばされる、しかしそれは前方のエミリーではなく男の後方へとだ。
何をするつもりなのかと警戒していると、すぐに答えはわかった、男の愛護からか細い悲鳴が広がったかと思えば見えざる手に拘束された幼い少女が連れてこられるてしまったからだ。
逃げ遅れたのか、それとも遠巻きに魔術師の戦いを眺めていたのか、なんであれわかりやすい人質だろう。
男は見えない手で掴み取った少女へ暴れないように魔術で拘束すると、これでもかと見せびらかすように前に出す。
「陳腐な言葉だが、貴様のような者には効果抜群だろう? この子供を殺されたくなけれ――」
言い終わる前に、男の言葉は途切れる。
それは相対するエミリーから吹き出る魔力の質が上昇したからであり、放たれる圧力が明確に重くなったからだろう。
大きな魔力の流れを感じ取り、男はエミリーの評価を改める。
甘く幼い相手だと思っていたが、必要があれば殺しにかかるだけの覚悟もあるのだと。
子供を人質にすることで優位に立とうとしたが、虎の尾を踏みつける結果になってしまったようだ。
膨れ上がる魔力に呼応するようにエミリーの髪が赤く輝く、そして周囲の温度が上がったかと思えば灰と火花がまき散らされていく。
そして懐を弄ったかと思えば、その手には細く薄い短剣が握られていた。
戦いに使用するには少し綺麗で装飾が目立つ、美術品としてはともかく剣としての性能は低いと見ていいだろう。
実際にその評価は間違いではない、エミリーが握った美しい短剣は二年前に無限城で始まりの魔女から拉致された礼として受け取ったものであり魔術武器の側面が強い。
宝石や特殊な鉱物を加工して杖の先端に固定するのが魔術師の基本なのだが、短剣の形もないわけではない。
エミリーには剣戟の技術など皆無である、だがその短剣は斬り合いに用いる物ではなく魔術の補助として扱う物である。
短剣に魔力が集う、すると元々刃の中に貯蔵されていた魔力と結合して更に膨れ上がった。
それだけではない、構築する魔術の速度も明らかに早くなっているようだ。
「警告です、その子を離してください」
「できぬ相談だな、そうしたいのならば勝ち取って見せろ」
「そうですか、警告はしましたからね」
会話はそれで終わりとなった、目の前の男には何を言っても無駄だと理解したエミリーは、躊躇なく短剣の先端を男へ向ける。
次の瞬間、深紅の炎が吹き上がる、壁と評しても良いほどの規模と密度であった。
一切の躊躇も容赦も感じられない炎の濁流に男は舌打ちをしてしまう、子供を盾にしているというのに思い切りの良さに苛立ちが募っているのだろう。
「子供ごと焼き払うつもりか貴様ッ!!」
返答はない、会話に意味がないとうねる炎が証明しているかのようだ。
そもそもエミリーに子供を犠牲にするような覚悟は無い、それでもこれだけの炎をまき散らすのは怪我をさせることはないという確信があるからだ。
これらは自然発生した炎ではない、エミリーが生み出した炎の魔術である、激しく燃え盛っている熱の奔流に見えても彼女からしてみれば手足を伸ばしているのと大差がない。
その炎の在り方や性質を律することなど呼吸をするのと変わらないのだ、例えば燃やす対象を選別することすらも容易い。
子供はその炎に包まれた瞬間に肌が爛れるような熱を感じるようなこともなく、まるでぬるま湯に浸かっているような感覚に陥った。
暖かい、そんな呟きが男の耳に届いていたが、そちらは対照的に肌を焼き払うだけの熱量が存在している。
同じ炎に晒されていても感じ方はそこまで異なる、この炎が巧みに操られている証拠でもあるのだろう。
盾は無意味、ただ相手を怒らせただけ、それがわかれば最早人質に意味は無い、男は苛立ちながらも子供の身柄を投げ捨てて無数に連なる六角形の盾で己だけを守った。
だが、守りを固めた彼に追い打ちをかけるかのように更なる熱が加わる、短剣を介して放たれる魔術の予兆を肌で感じ取った瞬間に、それは既に放たれていた。
短剣の切っ先が真っすぐに男へ向けられると、そこに集束された熱が線となって走り抜ける。
膨大な、そんな言葉すら陳腐に思えるほどに圧倒的な熱量が一点に集められて放たれたのだ、それは彼女の先にある何もかもを貫通するだけの火力が備わっているのは間違いない。
無限城で戦った腐竜にすらも届く一撃は、半端な盾など存在しないとばかりに突き刺さる。
気が付いた時には連なる六角形の盾を焼き払い、その先にいた男の左肩を蒸発させて熱線は消えていく。
「ぐッ……うッ……これだから炎の魔術師はッ!!」
あまりの熱量に左腕は蒸発して消え去り、一瞬で水分が焼かれた肩は肉が炭化してボロボロと落ちていった。
「くそがぁぁあッ!! 世代を重ねるごとに手が付けられなくなるなお前たちはぁッ!!」
経験では圧倒していても火力勝負では話にならない、古い魔術師と最新の魔術師の差は明白である。
このまま術比べを続けて命を落としていては本末転倒にしかならない、炭化した肩がそれを証明しているかのようだ。
頭に血が上って冷静な思考を失っていたことに気が付いた男は、エミリーを凄まじい形相で睨みつけながらも、落ち着くように言い聞かせながら苛立ちを逃がすように大きな溜息を吐く。
炎の魔術師相手に火力勝負に付き合う必要はない、自分の領分と得意分野を押し付けるのが魔術師の戦いである、まさに今のエミリーのようにだ。
だから彼は自らの最高傑作に声をかける、二人の魔術比べをどこか他人事のように眺めていたプリメーラと言う切り札を見せる時だと判断したのだろう。
「プリメーラ!! 力を振るうのだ!!」
「了解……お父様」
「プリメーラさん!?」
少女の体を包み隠していた分厚いローブの結び目が解かれると、エミリーの力によって生まれた上昇気流に流されて吹き飛んでいく。
それによって姿を現したのは一人の美しい天使、純白の羽と雪のように白い肌を晒す、神秘の体現者。
羽ばたきと同時にエミリーを中心に広がっていた炎が術式を壊されて綻び流されると、プリメーラはその両手に光を募らせて大きな角笛を顕現させた。
両手で抱えなければ持てない程に大きなそれは、ぐにゃりと形を変えて彼女の体に巻き付くと、蛇の大口を連想させる先端をエミリーへ……いや、町へと向ける。
「さぁ見るがいい最新の魔術師よ……これが私の最高傑作だ」