商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
すっと、細められたプリメーラの瞼の向こうにある美しい瞳孔が爬虫類のように縦に割れていた、血のように濁っていながら宝石のように怪しげな光を放つそれは、嫌でも二年前のエキドナとの戦いを思い出させてしまう。
もしや何らかの関係が? とアントニウスが考えたことも自然な思考であった、そういった前提で相手を観察してみると、確かにエキドナの面影を感じさせる顔をしていた。
そんな色々な考えを巡らせながらも、彼は聖剣を迷いなく振りぬく。
プリメーラが持つのは剣でも槍でも斧でもなく、両手で抱えるか背負わなければならない程に大きな角笛である、およそ武器には遠い物であり聖剣と打ち合うには些か足りないようにも思えた。
だが、それでもだ、両者の間には剣戟が成立している、一息に重ねられる聖剣の軌跡と同じ数だけ角笛は振るわれており、やはり同じ数だけの火花を散らす。
殺すつもりで振るった聖剣を防がれたことに驚きはない、寧ろ納得さえ感じているのかアントニウスに焦りは感じられなかった。
角笛と聖剣が重なる中で一際鈍い音が二人の間に広がると、アントニウスの巨体とプリメーラの華奢な体が暴風に押されたかのように押し下がる。
それでも爪先にはぐっと力が込められており、次の一歩はあまりにも鋭いものであった。
「プリメーラッ!! 何をしている、さっさと片付けろ!!」
「……」
背後から聞こえる声を無視して彼女は角笛を迫るアントニウスに叩きつけるのだが、力任せな攻撃は軽くいなされてしまい勢いを止めることは叶わない。
「ふむ、幼いな」
それがアントニウスのプリメーラに対する評価であった、力も瞬発力も自分と打ち合えるのだから圧倒的と表現できるのだが、どこかそれに振り回されているように感じたのだ。
例えるのなら、生まれたての赤子に巨大な力を持たせたかのような、そんなアンバランスな様子である。
だから幼い、膂力は凄まじいがただそれだけである、戦士としての技量は皆無であるとさえ言っても良いだろう。
それでも圧倒的な力を持っているのは間違いなく、その角笛をただ振り回すだけで大抵の相手は挽肉にできてしまうのだ、そもそも鍛える必要がなかったのかもしれない。
対してアントニウスの剣技は流麗そのものだ、大きな体からは想像できないほどに鮮やかで流れるような剣である。
力が互角であるのならば後は技術の勝負となる、そしてその領分においてプリメーラは彼の足元にも及ばない、なんだったら剣を持ったばかりの新兵にすら届かない。
まさに赤子に大きな力を持たせた状態だ、武器と武器をぶつけ合う剣戟をどれだけ続けようとも防戦一方になってしまう。
ただ出鱈目な膂力で角笛を振り回すだけでは意味がないということだ、僅か数秒で剣戟の拮抗は傾いて聖剣の刃が迫る事態となった。
もう少し接近戦の知識と経験を与えるべきかと、背後にいる魔術師の男が考えた段階で、祝福の力を宿した聖剣はその切っ先をプリメーラの肌へと届かせていた。
彼女の頬から鮮血が舞う、首を両断する筈だった刃をかろうじて躱せたのは技術でも経験でもなく運である、つまりその細やかな幸運が無ければプリメーラはここで死んでいたということだ。
「これが、痛み……これが、血」
初めての情報である、知識としては知っていたがただそれだけ、実感の伴わないものであったが、ようやく現実と化したのだろう。
接近戦では敵わない、何をどうしようともそれは揺るがない……だがプリメーラや魔術師の男にとってそれで良かった。
何も問題は無い、元より真価はそこに無く、殴り合いや斬り合いなどそもそも前座に過ぎないのだから。
プリメーラが背負う純白の羽が大きく揺り動かされると、その華奢な体は上空に飛翔して聖剣から遠ざかる、そして彼女は大きな角笛を咥えると本来の使い方へと戻す。
すなわち、強力な呪いの拡散だ。
これで蹴散らす、そんな思いと共に竜の咆哮にも似た爆音が発せられるのだが、何もかもを呪いで塗り潰さんとする力の奔流に対抗するかのように、巨大な祝福の光も膨れ上がった。
アントニウスの背後には同胞の聖騎士がいる、無力化した市民もいる、そこに再び呪いを放出されればこれまでの努力が水泡に帰す、だから迎え撃つしか方法がないのだろう。
それにだ、神格を宿す聖騎士であるアントニウスにとって、プリメーラの放つ呪いはそこまで脅威に感じられなかったのだ。
巨大な何かが破裂したかのような呪いの音色が迫るのだが、それに対するのはアントニウスを中心に広がった祝福の波動である、ドーム状に広がった祝福の光はそのまま呪いとぶつかり合って拮抗してみせた。
呪いはそこより先へと侵入できず、祝福の波動もまたそこより先へは進めない、拮抗状態である。
両者の力のせめぎ合いは凄まじい衝撃を周囲にまき散らし、聖水と汚泥をぶつけ合うかのような光景が二人の中間に広がっていく。
アントニウスから見れば空からどす黒い汚泥が降り注いで見えるだろう、逆にプリメーラからは光り輝く傘で防がれているかのような光景に見えた。
剣戟とは異なり長い拮抗となる、押し合い引き合いを繰り返し、どちらも最大出力を出し切った瞬間に互いの力は弾けるように収まっていく。
「……逃げられたか」
呪いの豪雨が消え去った時そこにプリメーラの姿は無く、魔術師の男もエミリーの姿も消えていた。
「空を飛べるというのは厄介だな」
相変わらず宿場町は混乱が続いている、それを放置して追うこともできず、彼は生命神にエミリーの無事を祈るしかできない。
そして親しくしていたマリーにどう説明すべきかと悩みながら、襲い掛かって来る住民たちを無力化していくのだった。
体がとても重い、幾つもの鎖を巻き付けられているかのように身動きがとれず、金縛りにあったかのごとく体と頭の思考が噛み合っていない。
意識が覚醒してからそんな状態がずっと続いているのだ、思考は冴えていても体がとても重いので、少しだけ恐怖しているのが今のエミリーの状態である。
あの宿場町の一件からどれだけの時間が経ったのかはわからない、気が付けば薄暗い地下室らしき場所に放置されており、そこから動けない様子であった。
両手には手枷が嵌められており、それに加えて体中にミミズが走ったかのような跡が幾重にも刻まれており、それがエミリーの体から自由を奪っているようだ。
「う……あ」
また舌も上手く回らないらしい、痺れたように動かない。
そんな状態であっても瞳だけはしっかりと右往左往させて周囲の状況を探っているあたり、彼女もまた諦めが悪いようだ。
観察する限りはどこかの地下室、それも魔術師の工房らしき薬草や薬品の匂いがこびりついた独特の匂いが鼻孔を擽った、聖都にある彼女の工房も似たような匂いがしているので魔術師らしい場所でもある。
自分はあの魔術師の男に拉致された、そして身動きも上手くとれない、そんな現状を正しく理解した彼女は諦めるでも泣くでもなく、何とか脱出しようと方法を模索した。
体は、やはり上手く動かない、金縛りにあったように酷く重たく僅かに身動ぎできる程度だろうか、少なくとも軽快に歩き回れるような状況ではないだろう。
両手に嵌められた手枷も面倒である、分厚い鎖と繋がっておりそれは天井へと伸びていた、彼女の力では例え体が自由に動いたとしてもその鎖は引きちぎれない。
次は体中に魔力を漲らせようとするのだが、蓋でもされてしまったかのように上手く絞り出せない、どうやらそちらも制限されてしまっているようだ。
つまりは絶体絶命、見える鎖と見えない鎖で雁字搦めにされているのがエミリーの現状である。
どうしたものかと悩んでいるとこの地下工房へ近づいてくる足音に気が付いた。
そして錆てガタついている分厚い扉が嫌な音を立てて開かれると、その向こうには穢れない純白の翼を背負った天使の姿がある。
「プ……リメ……ラ……さん」
「そう、私はプリメーラ」
相変わらずどこか会話が噛み合わない。
しかしプリメーラはエミリーを心配するかのような表情をしており、深紅の瞳で地下工房の床に横たわる姿を観察していた。
「大丈夫?」
「い、え……体が、重たく、て」
「うん、だと思う……私の呪いだもの」
「うッ……助け、ては……貰え、ませんか?」
「それは無理、子は親には逆らえない、逆らってはならない、そういう契約」
エミリーはその言葉を何らかの契約による強制力が働いているのだと受け取った、それを破くのは簡単ではないと考える、魔術師だからこそその強さをよく理解しているのだろう。
プリメーラの指先が横たわるエミリーに伸びてその頬を撫でる、傷つけようとする意図は無く慈しむような動作である。
もしかしたら、彼女自身も心の奥にある感情を持て余しているのかもしれない、指先が迷うように揺らめいているのだ。
強力な制約が結ばれているのならば説得は無駄である、プリメーラの内心はどうであれそんなことは関係がない。
それでも助けに縋ろうと考えてしまうのは、エミリーがプリメーラと僅かな時間であっても共に過ごしたからだろう。
「どういうことだエキドナッ!! まだ猶予はある筈だろう!?」
再び会話をしようと痺れた舌を動かそうとするのだが、その前に地下工房の入口から苛立った男の声が届く。
プリメーラが入って来た扉の向こうには地下へと続く階段があり、上階からは例の魔術師と思われる声と、やけに耳に残る女の声が響いていた。
「予定が変わったのよぉ、思ってたよりも魂の集まりが悪いの……私の子供たちも頑張ってくれてるけど、何だかんだで抵抗が激しくてね」
「貴様の眷属ならば魔王の因子を持つ悪魔だろうが、何がどうすれば苦戦するというのだ、仮にも魔王だろうッ!?」
「仮にじゃなくて本物の魔王よ……でもどれだけ力を持っていても死ぬときは死ぬ、つまらない死なせ方は避けたいし、まだ準備だって終わっていない」
「心配せずともそれぞれ仕事は全うする、私は強力せんぞ、絶対にだ!!」
「あらあら……誰のおかげであの天使を生み出せたとおもっているのかしら?」
「逆だ、誰のおかげでアレを作れたと思っている?」
「共有財産という形で契約を結んだと記憶しているのだけど、私の記憶違いだったかしら」
「あぁ、だから互いの同意が必要だと決めただろう、そして私は反対している」
その段階で上階から地下室へと流れ込んで来る雰囲気がとても重くなる、エミリーの心臓を鷲掴みにするかのような悍ましい気配が広がったのだ、その扉を閉じてくれと、上手く舌が回るのならば叫んでいたかもしれない。
魔王がすぐ近くにいる、おまけに体は上手く動かない、そんな危機的状況である。
「おいクソデブ……ここで死ぬか?」
どこか飄々とした雰囲気を消して怒気が込められたエキドナの声が階段の上から聞こえて来る、思わず悲鳴を上げてしまいそうな重圧と共に。
「ッ!? ふ、ふん、こちらにはプリメーラがいるんだぞ」
「あんな半端な天使が私に勝てるとでも思っているのかしら? そもそも半分は私の因子でできてるんだから、戦いにもならないわよ」
プリメーラとエキドナは完全な上下関係にあると断言した、おそらく嘘ではない。
単純な殴り合いで勝った負けたの話ではないのだ、もっと魂の奥底に刻まれた呪いのようなものが格を決めている。
最弱の魔王と称されるエキドナは殴り合いや魔術の打ち合いはそこまで強くはなく、だからこそ仲間や家族や眷属を増やすことに執着している、そして軍勢とも言うべきものを形成するのだ。
そして数が増えた場合に起こることは内紛や仲間割れと相場が決まっている、それは悪魔であっても変わらない。
ましてや魔王など我の塊のような連中ばかりである、エキドナも魔神に生み出されたばかりの頃はよく眷属たちに反旗を翻されたりしたものである。
だから彼女は家族という契約で強い強制力を生み出すのだ、血と魔術と契約という繋がりによって反乱を抑止する、当然ながらプリメーラにもまたその繋がりが存在していた。
親の命令は絶対、破ることのできない絶対の約定、例え半分だけしか血を分けていなかったとしてもそれは変わらない。
プリメーラは半分はエキドナからできている、逆に言えばもう半分は自由にできないという意味でもあった、こうして魔術師の男と意見を交わすのもそれが理由らしい。
契約は絶対だ、ましてや契約神の力が込められた契約ならば破ればろくなことにならないのは常識である、こればかりは魔王であっても翻すことはできないのだろう。
まぁ、だからといって苛立ちを感じないわけではないようだが。
「戦力が足りないのよぉ、いつまでも遊ばせている訳にはいかないの」
そこでエキドナは先ほどまでの怒気を引っ込めて艶やかな笑顔を向ける、思わず魂を奪われてしまうようなそれは男にとっては呪いにも等しい。
「それとも……ここで殺し合いでもするのかしら?」
「……もう少し時間をくれ」
「具体的にはいつまで?」
「……貴様が言ったようにプリメーラはまだ不完全な天使だ、どれだけ勇者に魂を近づけてそれに相応しい肉体を作ろうとも、足りない物が一つだけある」
「あぁ、天剣ね」
「そうだ、アレがなくては完全な天使……勇者とは言えん」
「それを手に入れるまではこっちは手伝えないという訳ね」
「納得しろ、聖騎士や守備隊も今は遠征で聖都の守りは薄い……連中を釣りだす為にわざわざ暗躍していたのだ、この好機を無駄にはできん」
恐ろしい話を聞いてしまったとエミリーは思ったことだろう、天使云々もそうではあるが聖騎士団や守備隊の動きが仕組まれたものであるという点に驚きを禁じ得ない。
確かにアンデットや呪いの跋扈に困らされていた、そして全うな指導者であれば事態の改善に戦力を動かす、ごくごく当たり前の判断である。
それこそが魔術師の男の狙いであったのだろう、確かに聖都の守りは薄くなっている、必要最低限の戦力は残されているだろうがプリメーラを突っ込ませればどうにでもできるだろう。
天剣が奪われてしまえば、その被害はエミリーには想像もできない影響が生まれるはずだ、アレはただ歴史的文化的な価値では語れないものなのだから。
この情報は何としても持ち帰って聖騎士団に伝えなくてはならないだろう、彼女は偵察兵でもなんでもないが、それが必要なことくらいはわかる。
何とか脱出しなければ、そんな決意を固めるのだが体は軽快には程遠い。
「ヘス、テア……」
谷間にいる筈の不死鳥に助けを求めようとするのだが、そこにある筈の柔らかな温もりは感じ取れない、もしかしたら拘束されている間に取り上げられたのかもしれない。
だが魔術的な繋がりを通して互いの存在を感じ取れるので、生きていることはわかる。
どれだけ離れていようとも燻る暖炉のような熱は認識できる、それはきっとヘステア側も同じだろう。
ならばこの状況を打開する術もあるはずだ、エミリーはその時を待つことにするのだった。
悔しくはあるが、自分は一人ではないのだとわかるだけで、心細さは感じない。
燻る暖炉の熱は、あの幼い不死鳥は、例え弱弱しくても炎であることは変わらない。
その熱は、エミリーに絶望ではなく希望を与えるには十分なものであった。