商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
彼方にこそ栄光あり、そう言って人々が海の向こうへ進出し始めたのはもう五百年も前のことになる、ある者は小さなボートで、またある者は大きな船で、その果てにある何かを目指して地図の無い旅を続けては、その多くが海の藻屑と化してしまったという。
海には多くの危険が満ちているのだ、下手すれば陸の危険よりも遥かに巨大な困難が待ち受けていることだろう。
それでも彼らは海の向こうを目指す、難破して死ぬとも、クラーケンに襲われて食われようとも、その先にこそ栄光が待っているのだから。
何百、何千、何万という犠牲の上に航路を確立し、空白の地図を埋めていき、彼らはいつしか自らの国を作り上げることになる、大陸の最も東にあるこの国はそうして出来上がったのだ。
建国は二百年前、元々は別大陸との貿易玄関口になっていた港が首都となり、王となったのはその当時において最も権勢を振るった大商会の主であり、海運王とも称えられる男だった。
有する艦隊と商船は百を超え、率いる手下は数えきれない、首都となった港を中心に様々な大陸へと進出して莫大な富を築き上げ、力と勢いと金を併せ持つ姿はまさに海の王である。
そんな彼を中心に作り上げられたこの国はまさに海運が主であり、この街は大陸と大陸を繋ぐ上で必要不可欠な場所でもあるのだ。
今となってはその王も存在せず、王権ではなく有力な商会が会合を開いて国政を行う共和制国家となっているのだが、根底にあるものは何も変わってはいないのだろう。
すなわち、彼方にこそ栄光あり、だ。
港には今日も多くの船が行き来しており、その数は年々多くなっている。
これらの船を率いるのは貴族ではなく商会であり貿易商人だ、代々の船を受け継ぐ歴史ある商会はもちろん、真新しい船は最近になって購入したであろう新参者が所有しているのだろう。
別の大陸に行くも良し、この大陸をぐるりと回って貿易をするも良し、あるいは未だ誰も知らぬ世界へと商機を見出すのか……どれも簡単なことではないが上手くやれば莫大な富を得ることができるはずだ。
その栄光を信じているからこそ彼らは船に乗って海を行く、例え道半ばで死ぬ者が多かったとしても先人たちはそんな困難を乗り越えて今に至り、かつては王を名乗る者さえいたのだから自分だってその頂を目指して見せる。
この国に、この街に集い商いを行う商人たちは誰もがそんな野心を抱いているのだ、ここはまさに商人の国といえるだろう。
つまり金と財産を持っている者が一番偉い、王も貴族もいないのだから権威など意味をなさない、国の舵を切る商会の代表たちは歴史ではなくその莫大な金を持って為政者だと認められているのだ。
今日もまたその為政者たちは定期会合に参加している、最近の話題と言えばやはりこれだろう。
「いい加減、あの海賊どもを一掃したいものですな」
そう言ったのは商人会の一角である椅子に座る一人の男だ、およそ戦いには向かない体をしているが、かつては自ら船に乗り三つの大陸に跨って様々な貿易を行ってきた男である。
船も十隻は保有している、老いと商会の成長と共に書類へサインするだけの生活になってしまったが、その眼光は体と違って少しも衰えてはいない。
「全くですな、奴らめ海に出れば悉く邪魔をしてくる……おかげでこちらは大量の傭兵を雇わなければならない、いったいどれだけ出費が増えたことか」
反応は直ぐに帰ってくる、当たり前のことだがこの場に参加している商会主にとって海を荒らしまわる海賊たちは最悪の存在と言えるだろう。
およそ秩序とは無縁の連中、彼らにとって邪魔でしかない。
海賊自体はどんな場所どんな時代にでも存在するのだ、実際にこれまでも手を煩わされることも多かったのだが、その度に金の力で解決してきたので大きな問題にはならなかった……しかし今回ばかりは少し毛色が違いらしい。
「しかし……連中は海龍のマークを掲げているのだろう、大丈夫なのか?」
商人会の椅子に座る一人の男がそう反論すると、場は一斉に静まり返る。
「そう噂をされていますが、海賊という連中にとっての神のような物ですからね、我々が商いの神に祈るようなもんでしょう……まさか本当に塩の海賊が蘇ったとでも考えてらっしゃるとか?」
「そうではない……だが、今回の海賊騒ぎはこれまでとはどこか違うように思うのだ、規模もそうだがこれまでの被害状況を見ても統制が取れすぎている、まるで一つの軍隊のようだ」
「まぁ、それは確かに……」
軍隊のようだ、その言葉には反論しずらい、実際に暴れまわっている海賊たちは場当たり的な襲撃を行うのではなく、常に計画的に略奪を行っている節がある。
だがそれは同時に、こちら側の状況や戦力を把握していなければできないことであり、それはつまり何らかの手段で情報収取を行っているということなのだ。
強力な指揮系統の下、相手の戦力を見極めて冷静に暴れまわる海賊、だからこそ彼らも苦戦している。
「腹の探り合いはもう結構、誰も言わないのならワシから言葉にしよう……塩の海賊たちが本当に復活したかどうかは置いておいて、この中に裏切り者がおるのではないかとな」
商人会の中で最も古株であり議長を務める老人が、誰もが思っていても言葉にはしなかった議題を投げかけてしまう。
「ベルシュア殿、我らの中に海賊と通じている者がおると?」
「そうでなければ納得できまい、相手は狡猾にも必ず勝てる戦いしか行わぬ、しかも金になる略奪しかしない……こちら側の戦力や資金を把握していなければ出来ぬ芸当じゃろうて」
ベルシュアと呼ばれた老人はその老いて濁った眼で議会を見渡すと、年齢を積み重ねた人間特有の不思議な圧力を感じる視線に多くの者が居心地の悪さを感じて顔を逸らす。
「キグナスの船は被害が少ないらしいが、どうなのだ?」
老人の視線はこの集まりの中で唯一の女性に向けられる、よく日焼けして鍛えられた体を持つ女だった。
名をキグナス、この中で一番の新参者であり、商会の代表が女であることからどこか下に見られがちな所もある存在である。
「おいクソ爺、ウチの船が全て軍船だってわかって言ってんだろうな? だれが好き好んで武器と海兵をわんさか積み込んだ船を襲うんだよ、海賊連中も馬鹿じゃないんだからさ」
キグナスは荒々しい口調と共に鋭い視線で今にも折れそうな老人を睨みつける、しかし相手はその程度で怯むような相手ではない、老いてはいるがこの商人会をまとめ上げる狡猾な蛇なのだ。
「しかしお前さんの手下はこの海賊騒ぎの中で一向に働かん……その上、海賊たちはキグナス商会の稼ぎには手を出さないときている」
「アタイらは別に暇してるわけじゃないんだよ、商人会にも書類と報告を上げただろうが……それとも目もまともに見えないほどに老いたのかい? ならさっさと引退した方が身のためだね」
「言葉には気を付けろクソガキめ」
「なら少しでも報告書を読むことさ、議長ってのはサインするだけの仕事じゃないんだからさ」
そこで女と老人はにらみ合う、どちらも一向に引く気配がなく、今にも殴り合いが発生しそうな気配があった……いや、実際にキグナスは腰のサーベルに手をかけているので殺し合いになるだろう。
「あ~……ええっと、とりあえず双方ともに落ち着かれよ。キグナス殿も、この場での抜刀はいかなる状況であったとしても重罪であるぞ」
商人会の椅子の一つに座る男性がなんとか場を落ち着かせて、今にも飛び掛からんとしていたキグナスを席に座らせる。
「これだから傭兵上りは困る、海賊と何も変わらんのだからな」
「昔の栄光にいつまでも縋ってんじゃないよ、自分が老い先短いってことをまだ自覚できないのかい?」
再び剣呑な雰囲気が流れ始めるが、会場の誰かが行った大きな咳払いによって霧散した。
「ご老公、キグナス殿の船隊は現在、クラーケンやサハギンの排除に当たってもらっているのだ」
「そういうことだ、断じてサボってるわけじゃない、ちゃんと報告書は上げたんだけどねぇ」
「だが貴様の傘下にある船や島を海賊は襲わないのも事実であろう?」
「何度も言わせるんじゃないよ、アタイらの船は殆どが軍船だっての……船や拠点がある島や港にも大量の団員を張り付かせてるんだ、アタイが海賊ならもっと楽な相手を選ぶね」
「どうだかな、同じ賊同士、示し合わせているのではないか?」
「……お前、死にたいのか?」
本日何度目かのぶつかり合いが起こる前に会議は解散となった、お互いに冷静ではなかったというのもあるのだが……残念なことに冷静であったとしてもこの二人はいつもこんな感じなので会議はいつも喧嘩別れに終わってしまう。
苛立ちながらもキグナスは海賊帽子をかぶって大股で会議所を後にする、部屋を出るとすぐに部下の女が左右に侍った。
片方は武力部門の代表であり、もう片方は経理部門の代表である、彼女たちはいつもどうり不機嫌そうに部屋を出て来た主を見てホッと安心したように息を漏らす。
「提督、本日の会議は無事に終わったようですね」
「無事なもんか、あの耄碌爺め、事あるごとにアタイに絡んできやがる」
「いえ、サーベルに血がついてないので無事終わったと言えるでしょう、いつもハラハラします」
「お前なぁ……アタイがそんなに喧嘩っ早くみえるのかい?」
「はい、だからいつも心配なんです」
部下の女からの評価にキグナスは愕然とした、ここまで信頼がないとは思わなかったのだ、海賊や海の魔物を相手にしている頼りになる提督とは思われていないらしい。
「あぁもういいや……それより報告しておくれ」
「はい、まず新造船が完成したので乗組員を募集していますが、集まりが悪くもう少し時間がかかるかと」
「理由は? 金をケチってるわけじゃないんだろう?」
「給金の問題ではなく職務内容が合わないようです、キグナス商会は損耗が激しいので」
「海に出て怪我や死を恐れるような連中なら最初からいらないっての、そいつら本当に傭兵なのかい?」
それに返答したのは武力部門の担当だった、彼女は手元の書類に目を通しながらこう答える。
「いいえ、殆どが内陸部の農民の次男坊や三男坊で、街まで出稼ぎに来たものの仕事にあぶれているような連中ですね」
「まともな戦力はどこも欲してるし、なかなかこれと言った者はみつからないかと」
別に農家の次男や三男が悪い訳じゃない、実際にキグナスが保有する船の乗組員はそういった出自の者もいるのだ、問題なのは使えるかどうかでありそこが一番重要でもある。
心構えさえあれば教育すればいい、しかしその前提さえ持ち合わせていないような輩には欠片も興味がわかない。
「いつも通り奴隷でも買って育てるしかないと思うのですが」
「うん、即戦力なんてそうは見つからないだろうしね……そのあたりはアンタらに任せるよ」
三人は潮風の香りが満ちる街に出て、眼下に広がる大きな港と大量の船を眺めながら自分たちの縄張りへと足を運ぶ。
そこは歓楽街の一角だ、多くの商店や酒場、そして娼館などが並び立つ場所であり、全てではないがキグナス商会の息がかかった店が多く、キグナスはいわばこの場所の主と言えるだろう。
最初は港の近くにある小さな酒場兼傭兵斡旋所から始まった彼女の商会は、今は都市の一角を支配するまでに急成長している。
「姉御、おつとめご苦労様です」
「キグナス様、店の改装が終わりましたので一度顔をだしてくだせえ」
「今度ウチの娼館で働く子たちがいるから面通ししますんで暇なら時間をくださいな」
「よう提督、最近このへんのシマで盗みを働く奴がいてな、ちょっと人手を出しちゃくんねえか」
キグナスが歓楽街の通りを歩けば様々な者たちが声をかけてきた、部下たちからの評価はどうであれ彼女は間違いなくこの街の顔役の一人であることは間違いないらしい。
ただ少しばかり喧嘩っ早いだけなのだ、そこだけが彼女の唯一の欠点だと言えるのかもしれない。
キグナス商会の事業は巨大の一言に尽きる、主なのは傭兵業と貿易なのだが、商会の規模が大きくなるにつれて地上げや不動産業にも広がり、金貸しや娼館経営まで拡大している。
大量の資金と、それを支える軍事力、そしてそれらを回す組織力、だからこそキグナスは大店にまで成長することができたのだ。
かつての海運王の再来とまで称されるほどに、彼女の店と力は勢いに乗っている、だからこそ商人会では勢力の拡大を快く思わない連中も増えた、あの議長の老人はその筆頭と言えるだろう。
いつだったか、自分に生き方を教えてくれた師匠が言っていたことを思い出す、当時はまだまだ若く世間をあまり知らなかった頃なのでよく理解できなかった言葉だ。
「……成長すれば身動きが取りにくくなる、か」
今になってその言葉の意味がよくわかる、大きくなった勢力は歩きづらい上に末端まで目が届きにくい。
上げられた報告書にサインして部下に指示をだすことが日常になると、どうしてもそうなってしまうのだ、それが組織が腐る原因であり崩壊の始まりでもあるとキグナスはしっかりと心得ているつもりではあるのだが、神でもない身で完璧など程遠い。
この前もそうである、報告書にはキグナス商店の名前と看板を勝手に使って悪さをしている連中がいたらしく、それもまた組織が大きくなった弊害と言えるだろう。
そういった細々とした雑事に手を煩わされていると、独立して商会を立ち上げたばかりの頃をよく思い出す。
知識と経験を得たつもりでいても、いざ店を立ち上げると間違いや失敗ばかりを繰り返した、一時は破産寸前まで陥ったこともあるが、それらを乗り越えて今があるのだ。
商会が大きくなったのは素直に嬉しい、でもあの頃に船に乗って商いをして海の怪物と戦っていた時のことを今でもよく思い出す。
必死だった、多くの苦楽を味わった、失った仲間や別れも多い、だからこそ今がある。
あの頃を懐かしいと思うのは成長した証だろう、そして忘れたくないと考えるのは現在にどこか不満があるからなのか、なんにせよ過去には戻れないので前に進むしかない。
せめて初心は忘れないようにしよう、いつも心がけていることではあるが、最近になってそう考えることが多くなったようにも思える。
彼女は昔を懐かしみながらため息を吐くと、色々な鬱憤が溜まっていたのでどこかで発散するために、自分が融資した店の中に入って酒とつまみを頼むのだった。
「景気はどうだい?」
「悪くありませんね、ここは海と違って海賊も出ませんから」
「そりゃ上々、まぁ上手くやれてんならいいさ」
出された酒をあおり飲みつまみを口に放り込んで店内を見渡す、場所柄仕方ないのだが海賊寸前の荒くれものたちが多い、だが漁師や貿易船の乗組員などはどこも似たようなものだ、店も客自身もある程度は弁えているのでトラブルもおこりにくい。
そもそもここら一帯は彼女のシマなのだ、その主の目の前で問題を起こすようなバカはそうそういないだろう。
とはいえ偶にならいるので目を光らせることも重要だ、酔っぱらった男が従業員や客引きの娼婦に乱暴することも珍しくないので注意する必要がある。
彼女の商会のマークが掲げられている場所は彼女の縄張りであり、キグナスの力で守らなければならないのだから。
そんな彼女の鋭い視線に晒されて委縮してしまったのか、酒場兼娼館の従業員の尻をタダで撫でていた男が静かに酒を飲み始める、どうやら彼女の視線に気が付いてしまったらしい。
これもまたキグナスの日課でもあった、特に娼婦の身をしっかりと守って稼がせなければならないと彼女は考えており、自分の過去の経験からそういった所は特に煩く口をだしている。
大してチップも払わない癖に尻を撫でてくる客にイラついていたのか、無遠慮な手から逃れることができた娼婦はキグナスに小さく頭を下げてその場を立ち去った。
そこで他にも面倒な客がいないか店内を探し回ると、キグナスの視線は隅のテーブルに釘付けとなる。
「店長、あの女の子らはなんだい?」
「ん? ああ、彼女たちは最近になって見かけるようになりましたね、なんか仕事を探してるみたいですよ」
数は四人、全員がまだ若く十五歳前後、成人を迎えたばかりといった年齢だ。
それ自体は別に珍しいことではない、大きな街に出稼ぎにきて路頭に迷うのも珍しいことではないので、彼女たちもまたそういった口かと思ったのだが、どうやら違うらしい。
まず身なりが整っている、そこへんの農民が纏えるような服や装備ではなく、一定以上の収入が無ければ購入することができない物を身に着けている。
四人の内、二人は戦士なのだろう、剣と弓を装備しておりそれが当たり前となっているかのように見た目に馴染んでいるのがわかった。
護身用とは少し違う、見栄の為に纏うのとも違う、武器を扱い振るうことに慣れた者特有の気配がある。
まだ幼さの残る見た目でそれなりの経験を積んできたということだ、対して残りの二人もまた一般人とは少し雰囲気が違う。
片方は清潔感のある服と装飾を身に着けており、その姿はどこか神殿で働く聖職者のように思えた、戦士らしい雰囲気はないのだがその瞳や所作にはどこか品と知性があるのだ、何処かで高度な教育を受けたと思われる。
もう片方は中性的な顔つきをした少年のような少女であり、貴族の男が好みそうな高価なドレスを身に着けて興味深そうに目の前に置かれたつまみを観察していた、こういった場所では少し違和感を感じる装いなのだが、本人は気が付いていないらしい。
この辺りではあまり見ない四人だ、出稼ぎに来た連中とも違い、右も左もわからないといった感じではなく、しっかりとした目的と芯があるようにキグナスは感じた。
丁度いい、このまま酒を飲んで男娼を引っ掻けるつもりだったが、彼女たちの話を聞いてみるのも悪くはない、思わぬ時間つぶしになるかもしれない。
そう考えた彼女は、酒のつまみを持って四人の下へと向かうのだった。