商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「ぐおおおおあああああああッッ!!?」
何が起こったのか男にはわからなかった、反撃や対抗魔術を警戒してしっかりと観察して問題が無いと気のすむまで調べた筈だというのに、結果はこれである。
実際に彼の観察眼に問題はなかった、エミリーの魂は完全に無防備な状態であり一切の抵抗ができなかったことは間違いない。
それでも炎に焼かれるイメージが彼に流れ込んだのは、魂を接続した瞬間にエミリーだけでなくもう一つの存在と意図せずに繋がってしまったことが原因である。
エミリーの魂と強い同調関係にあった不死鳥とも縁ができたしまったということだ、そしてそれを誇り高き聖なる鳥は許しはしなかった。
例えば契約魔術を柱としている魔術師は動物と契約して主従関係を結ぶことは珍しくない、寧ろ基本中の基本でありごく当たり前のことでもあるのだが、そんな彼らであっても不死鳥との契約はまず行わない。
当然だろう、契約を結ぼうとした瞬間にこの男と同じように焼かれるからだ。
生物としての格の違い、それを無視して縁を繋ごうと思えば様々な負担が圧し掛かる、気に入られたのならば話は別だが、強い力を持った者であればあるほどに誇り高くなるのが自然だろう。
不死鳥は勿論のこと、ドラゴンや、精霊と言った、強大な存在と契約を結ぶのは普通ならば困難である。
圧倒的な力で屈服させたり、力とは別方向の何かが必要であったり、もしくは長い時間をかけて友情を育むといった、工程が不可欠なのだ。
エミリーが不死鳥と図らずも主従の契約関係を結べたのは、彼女の炎によって生み出されたという要因が大きい。
つまりヘステアはエミリーを親のように思っているのだろう、だからこそエミリーを守り危害を加えるようなことはしない、親子という縁を使って契約を結んでいるのだ。
だからエミリーを守護する。
だから彼女に危害を加える男に灼熱のイメージを押し付けたのだ。
幼くとも不死鳥、精霊と獣の中間にあるとされるヘステアは、大火の如き力を持っている。
魔術師の男が念には念をいれて準備していた精神や魂を守る魔術を軽々と焼き払い、その魂を焦がすことなど容易い。
彼は優秀な魔術師であるのだが、そんなことは関係が無い、生物としての格が違うのだから。
エミリーを介してヘステアに触れた瞬間に、端的に言ってしまえば怒りを買ってしまったのだ。
いや、苛立ちを向けられたという言うべきかもしれない、無遠慮に触れられたことで少しだけヘステアが怒気を向けたのだろう。
それだけで彼は炎に包まれて焼き滅ぼされるイメージを抱いたのだ。
「ぐうぁッ……なんだ、何が起こったッ!?」
それでも魔術師として積み重ねた知識と経験故なのか、そのまま魂が焼き切られる前に接続を断ち切って、なんとか事なきを得ていた。
慌ててエミリーを観察してみるが、やはり何の抵抗もできないままぐったりとしている、魔術的な守りも感じられない、完全に無防備だ。
「はぁ……はぁ……何かしらの加護か、ええい面倒なッ!!」
新しい器を手に入れてもこれでは無駄に終わってしまうではないか、そんな憤懣と共に歯ぎしりをする男は、次の瞬間に自らの工房に起こった異変に気が付く。
感じ取ったのは熱と炎、それも地下室の内部からではなく上層からである。
ここは地下室だ、階段を下りなければ辿り着けない場所であり、分厚い石と土が外界を閉ざしているのだ、そんな場所で地上から熱を感じるなど本来はありえない。
よく見れば地下室の天井が膨大な熱を内包した鋼のように赤熱していた、分厚い石であるにも関わらずだ。
やがてその赤熱は徐々に広がっていき天井全体を埋め尽くすにまで至り、どろりと一部が溶け堕ちてしまう。
「な、なんだ、一体何が――ぐッ!?」
その一つが男の頬に落ちて肌を焼く、天井が高熱によって溶岩へと変貌しつつあった。
何かはわからない、だが確かなことはこの地下工房の上層ではとてつもない熱量を持つ何かが存在していることは間違いがないだろう。
太陽でも落ちて来たのか? 魔術師の男がそんなことを考えてしまうほどに凄まじい熱量である。
「プリメーラ!! 私を守れええぇ!!」
やがて天井は完全に溶け堕ちる、地下室を構築して支える様々な建材が融解して地下工房にはマグマの雨が降り注ぐのだった。
「ぴ~、ぴぴッ!!」
そして露わになった空には、日輪を背にして輝く幼い不死鳥の姿がある、君臨しているとさえ言っても良い。
幼くとも、若くとも、そこは不死鳥、炎を宿す鳥である、内包する熱は容易く地上を焼き尽くす。
「不死鳥だと!? なぜこんな場所にいる!?」
「……凄く怒ってる?」
何か感じ入るものがあったのか、プリメーラは掌サイズの雛鳥の怒りを感じ取っていた、視線が合わさった瞬間に彼女は魔術師の男を庇うように広げていた白い翼を大きく羽ばたかせて、空へと飛びあがった。
父親である男をこの場から逃がそうとしているのか、小太りの体を抱きかかえての飛翔である。
「いたぞ!! 逃がすな!!」
そんな二人に向かって放たれるのは祝福の波動である、地下工房から地上へ飛翔して周囲を見渡すとそこには幾人もの聖騎士の姿が発見できてしまう、地下工房の上にあった筈の偽装民家は完全に消滅してしまっており、気が付けば取り囲まれている状況であった。
何故ここがわかった、と苛立ち交じりの呟きが男の口から飛び出たのと、祝福の波動がその体に届いたのは全くの同時である。
祝福の力は人間相手に大きな意味は無い、せいぜい少し眩暈を起こす程度の効果しかなかった、それは魔術師の男を運ぶプリメーラも同様かと思われたが、彼女は少しだけ痛みに耐えるような表情をしていた。
おそらく彼女の半分を形成する悪魔の部分が痛みを訴えているのだ、激痛ではないが確かな痛痒でもあるのは間違いない。
「プリメーラ、撤退だ!! ここから離れるぞ!!」
国道から少し離れた位置にある偽装民家と地下工房は聖騎士たちによって包囲されている、惜しくはあるがこの拠点は放棄するしかないだろう。
これまでにも何度かあったことなのでどんなことや場所にも予備がある、彼はそれを怠っていない、だから切り捨てるという判断に少しの迷いも存在しない。
僅かだが、エミリーと言う新しい器の存在が後ろ髪を引きはしたのだが、それも次があると切り捨てられるくらいには諦めが良い、そもそも次から次へと肉体とそこに付随する環境を変えて来た男に一つの物に執着するという考えが薄いのかもしれない。
苛立ちはあるが、ここは撤退が無難だろう、それが男の判断であった。
「やはり空を飛ばれるのは面倒だな、どうしても追いつけん」
空高く舞い上がって小さくなっていくプリメーラと魔術師の男を見送る聖騎士たちの中にはアントニウスの姿もある、太陽の光に消えていく天使を見つめることしかできないでいた。
どれだけ頑張っても彼は空を飛べない、その知識もない、三次元的な移動が可能なプリメーラを追跡するのは難しい、逃げに徹せられると見送ることしかできないのが歯がゆくもあった。
「ぴぴぴ!!」
「ん? おぉ、わかっているさ、君のご主人様の救出が最優先だとも」
遠ざかっていくプリメーラをいつまでも眺めているアントニウスに痺れを切らしたのか、ヘステアが彼の視界を遮るように飛び回った、どうやら聖騎士たちをここまで誘導したのはこの雛鳥のようだ。
賢い鳥だとアントニウスは思う、主を助ける為に相応の援軍を引っ張ってくるという判断ができるのだから、まさに利口だろう。
実際にヘステアがいなければ拉致されたエミリーの救出は絶望的であった可能性が高い、あの混乱広がる宿場町で突然この雛鳥が姿を現したときは何だこれはと思ったのだが、マリーの説得や説明もあって後を追いかけることにしたのだ。
結果として、あの魔術師の工房の一つを見つけることができて、エミリーの身柄も回収することができた、天使は逃がしてしまったので痛み分けではあるが、今はそれで良いと納得するしかないだろう。
「マリー君、彼女の様子はどうだろうか?」
「意識が混濁しているようです、強い呪いの気配も感じます……すぐに治療と解呪を行わなければなりません」
聖騎士たちの中にはマリーの姿もある、ヘステアとエミリーの関係を知る唯一の存在であり、言葉の通じない不死鳥が聖騎士たちの前であたふたとしながら何かを伝えようとしている様子から、エミリーの救出へと結びつけた存在でもあった。
エミリーが拉致されたという情報と、慌ててアントニウスの視界の中で飛び回るヘステアを見れば、助けに行こうとしているのは一瞬でわかったらしい。
「ぴぴ!! ぴぴぴ!!」
「ご安心くださいヘステア様、必ずやエミリー様をお救い致しますので」
マリーにはヘステアの意思が分からないが、少しだけ焦っている様子だけは伝わった、そして呪いによって意識が混濁しているエミリーの状態を心配しているのはマリーも同じである。
手枷をされて体中に呪印が広がっているエミリーの姿は痛ましく、凌辱で汚れてしまった様子は哀れですらあった、だがマリーはそんな状態のエミリーを抱き上げることは厭わない。
「すぐに拠点に戻りましょう、エミリー様に絡みつく呪いを取り除かなければ」
「ぴ~」
ここまで導いてくれた不死鳥が懸命にエミリーの周囲を飛び回っている様子に、少しだけ勇気づけられたのか、マリーにも僅かな余裕が生まれて穏やかな笑顔を浮かべていた。
それと同時に、親しい友人を汚された現実に苛立ちも抱いているのだろう、清貧と心のゆとりを尊ぶ彼女にしては珍しく、穏やかな笑顔の裏に怒りを隠しているらしい。
思わず聖騎士が道を譲ってしまうくらいには、殺気立った雰囲気を放っている。
清く正しくあれと教えられる神官であっても人の子だ、友人を汚されて簡単に許せる筈もないだろう、神官は聖人ではないのだから当然であった。
宿場町の状況やエミリーに危害を加えた魔術師や天使に対して、聖女と称される彼女ですらも忸怩たる思いを持つことも仕方がないだろう。
どろりと体が溶けたかのような感覚がどこまでも広がっていた。
異様な眠気に負けて枕から頭を動かせないかのように、全てが億劫に感じてしまいとにかく体が重たい。
なんだったら瞼すらも動かず金縛りにあったような状態がいつまでも続いていく、このままの状況が続けば最後には心臓すら動かなくなってしまうのではないかと考えてしまう程に、とにかく億劫だ。
それが自分の体であり、指先一つすら動かせない現状だと理解した時、エミリーはとても恐ろしく感じたのだろう。
心の奥底から染み出るように震えが全身に広がっていく、そして走馬燈でも見るかのようにこれまでの旅の光景が脳裏を矢のように過ぎ去っていった。
キャラバンの仲間たちは無事だろうか、キャロルやシャルルは怪我などしていないだろうか、恐怖と心細さからよからぬ方向へと想像が進んでしまい、それが余計に体の震えを増幅させるのだった。
怖い、恐ろしい、そんな弱音すら吐くことができない体は、やがて指先から徐々に冷たくなっていくような気さえしてしまう。
どこかで暖を取らなければ、かじかむ指先をどこかに向けようとしてもそもそも体は動かず暖炉や灯などはどこにも発見できない。
このまま立ち上がることもなく恐怖で震えて凍えてしまうのだろうか? そんな最悪の考えが過った時、真っ暗闇の世界に温かな輝きが広がった。
それは暖炉のように暖かく、母親の手のように穏やかなものであった。
慈悲と温もりに満たされたその力は凍えるエミリーの近くへとやって来て、その頬へ指先から触れていく。
エミリーは温かなその掌が、生命神の力であることを理解した。
同時に、自分の研究に足りていなかったものに気が付く。
そうか、これだ、この力が足りなかったのだ、猛る炎の中に、燃え盛る進撃の中に、全てを焼き尽くす力の中に、欠けていた力がこれなのだ。
温かな生命神の掌を頬で感じながら、彼女は静かに頭の中に無数の数式を描く。
その数式の羅列はどこまでもどこまでも広がっていき、夜空を飾る星々のようにこれまで閉ざされていた場所を明るく照らすのだった。
以前ならば先へ進めなかった場所も、答えを得た今ならば進んで行ける。
やがて彼女が思い描いた数式は暗闇を塗りつぶして星空となった。
エミリーの意識が覚醒したのは、最後の数字を描いたのとまったく同時であった。
「おはようございます」
「……」
重たい瞼を開くと、最初にエミリーの視界に飛び込んで来たのは美しい聖女の顔である。
柔らかなベッドの感触と、肌寒さをやけにハッキリと感じられるのは、彼女たちが一糸まとわぬ姿でいるからだろう。
「マリー様? ここは? 確か、私は……」
呪いに蝕まれて自由を奪われて拉致されて、そこまで思い出してから、自分が救出されたのだと自覚したのだろう、安心したように大きく深い溜息を吐くのだった。
「マリー様が解呪してくださったのですね」
「はい、無事でよかったです」
ベッドの上で全裸でいるということは、おそらく房中術を駆使した性儀式によって解呪を行ったのだろう、体の奥底には今も余韻らしき物も残っている。
「本当に良かった、エミリー様がご無事で」
同じベッドに横たわるマリーがモゾモゾとシーツの中で身動ぎして、そこから白魚のような指先をエミリーへと伸ばして、温かな掌を頬へと滑らせる。
先程に感じた生命神の力と同じような温もりを感じることができる、とても穏やかで心地良い感触であった。
「ありがとうございます、マリー様……おかげで道が開けた気がいたします」
「当然のことをしたまでですよ、全ては慈悲と豊穣の御方によるご意思です。私はただその御業を地上で行使するだけの代行者にすぎないのですから」
全ては神の意思だという神官らしい言葉にエミリーは微笑みを返す。
「解呪や治療に対する感謝であることもそうなのですが……灯の魔術に欠けていたものを理解することができたことに対する感謝でもあるんです、だからありがとうございます。何度だって言わせてくださいね」
そこでエミリーはベッドから身を起こして、傍らに置かれていた衣服や法衣へと手を伸ばして身支度を整えていく。
「マリー様、拉致されていた時に彼らの会話を聞いていたのですが、あちらの思惑がある程度はわかりました」
伝えるべきことは伝えて、今すぐにでも遠征を終えて帰還しなければならないだろう。
それに加えて、エミリーにもやらなければならないことができた。
脳内で思い描いたあの数式を、今度は形にしなければならないのだから。