商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「聖都の住民は一時的に疎開させることをここに決定します」
そんな声が議事堂に静かに響く、聖都の運営を行う為政者が集まる場での議長宣言である。
半年ほど前にようやく修復が終わったばかりの大神殿の会議場には大きな円卓が置かれており、それをぐるりと囲むのは各神殿の代表者たちであった。
その結論に至るまでに多くの議論が行われて相応の駆け引きがあったのだが、どれだけ言葉を重ねようとも結局はそこへ行き着いてしまう。
強敵が襲来する可能性が高い、それこそ二年前に大きな爪痕を残したエキドナのように、その情報を知った神殿の代表者たちとしては対策しない訳にはいかないだろう。
本当に来るのか、情報は正しいのか、そんな議論を繰り返した後、本当に天使が襲来した場合の被害を想定して現在の戦力で撃退可能なのか話し合われて、最終的に騎士団の代表として会議に参加していたアントニウスの口から語られた天使の力を聞かされた神官長たちは、住民の疎開を決定するのだった。
経済的な影響には目を瞑るしかない、そもそもそんな次元で話し合う状況ではないと全員が納得したのだろう。
「……魔獣母の時と異なり、襲撃に備えられるのは幸運と言うべきだろうな」
円卓を囲む一人の神官のそんな言葉に、周囲の神官たちは頷きを返す。
「確かに、遠征で手薄にとなっていた聖都に襲撃されれば最悪の状況になったでしょう」
「まだ二年前の傷も癒えてはおりませんからね、この情報を伝えてくれた方には感謝しなくては」
各々、言いたいことや考えはあるだろうが、住民を疎開させる方針を覆すつもりはないらしい、寧ろそれが必要だと考えている者が大半のようだ。
「周辺の都市や街には先触れを出して受け入れ準備を急がせます、後は各地の神殿支部への援軍要請でしょうか?」
「アントニウス殿、その辺りはどういたしますか?」
神殿長の言葉にアントニウスは自らの視線を議事堂の天井に彷徨わせながら暫く悩む、手が足りないので援軍が必要だという考えも当然ながら理解できるのだが、相手が相手なので半端な戦力では足手まといになりかねない――いや、間違いなくそうなるだろう。
「聖騎士や神官のように祝福の力をある程度は扱える者でなければ、対処は難しいでしょうな……宿場町の状況を見るに、最悪敵側に利することになる可能性があるかと」
意識を失って倒れるのならばまだ良い、問題なのは狂気を増幅されて見境なく襲い掛かって来る状況である、そうなれば聖騎士たちは存分に力を振るえないだろう、それがアントニウスが最も危惧している状況であった。
可能ならば聖騎士団だけでことに当たりたいのが彼の本音なのかもしれない、守備隊ですらあの天使の前では無力だという評価は何も間違ってはいないだろう。
「聖騎士団を前面に出し、高位の神官団で援護が望ましいと考えます」
「ふむ、アントニウス団長、それで勝てますかな?」
「さて、戦う前に結果を語ることに意味はないでしょう……こちらはただ全力で挑むのみですので」
「……それもそうですな」
円卓を囲む各神殿の代表者たちは眉間に皺を寄せて渋面を作る、楽観視できる状況や相手ではないので仕方がないだろう。
「ここでどれだけ悩んでも時間を無駄に消費するだけ……疎開と避難を進めましょう」
議長を務めていた神官の言葉に円卓を囲っていた全員が頷いてその場から立ち上がる、アントニウスもまた聖騎士団の代表者として部下たちを統率することになる。
足早に議事堂から出ていく彼らに交じり彼もまた外へと歩を進める、大きく広い廊下に顔を出すと待ってましたとばかりに姿勢を正したのは副官であるアンジェリーナだ。
「団長、方針は?」
「疎開が決定した、そちらは神殿に任せて我々は迎撃準備を整えようか」
「天剣を狙われているのは確かなのですね?」
「エミリー君が言うにはね……まぁ、仮に来なかったとしても被害が無かったと笑えば良いだろう」
「確かに、怠けて奪われでもしたら聖騎士団は末代まで笑いものとなるでしょう」
「そうとも、だから踏ん張りどころだ……問題なのはどう対処するかだが」
アントニウスとアンジェリーナは並んで議事堂を出て、そのまま聖騎士団の駐屯地へと進んでいく。
「都市壁で迎え撃つ……いえ、空を飛ぶ相手には何の意味もありませんね」
「まして軍勢でもなさそうだからな、聖都の物理的な守りなど空高く見下ろされるだけだろう」
「ならば結界による守りはどうでしょうか?」
「それも望み薄だと思うがね、天使なのだからしれっとした顔で侵入してきそうだ」
「ではどうするというのですか?」
「どうもこうもないだろう、我々が腰にぶら下げている剣は飾りではないのだからね」
「それは……いえ、その通りですね」
聖騎士が握る剣には彼らの体に宿る祝福が蓄積されている、聖剣と称される類の武装である。
彼らにだけ握ることが許されたその刃はアントニウスの言葉の通り飾りではない、大きな責任と立場と重みが伴うものであり、抜くときはいつだって修羅場であった。
この聖剣を握るのならば、一欠片の怯えも躊躇も許されない、聖騎士とはそうあらねばならないだろう、天使や魔王が立ち塞がってもそれは変わらない。
「一先ずだ、聖騎士たちを幾つかの班に分けて都市壁の上に置くとしようか」
「敵が巨大であるとするのなら戦力の分散はするべきでは無いと思いますが」
「あくまで見張りさ、住民の避難が完了するまで天使が来られても厄介だからね。もし姿を現した場合は都市壁で迎え撃つことになるだろう」
「あぁなるほど、疎開が終われば戦力を一箇所に集めるのですね」
「そうなるだろうなぁ……天剣が狙いならば最終的にやって来る場所は一つしかない、そこで迎え撃つ」
聖都の中心にある大神殿、その更に真ん中にある封印の間、祝祭の日にしか開くことのない分厚い扉に守られたそこが決戦の舞台となるだろう、それこそ二年前のエキドナとの戦いのように。
「……聖アントニウス、私はどういたしましょうか?」
少しだけアンジェリーナは言葉を濁す、自分の体に流れる極限まで薄まった勇者の血をどうするのかと聞きたいようだ。
二年前の戦いでエキドナを追い詰めた彼女だが、その反動で生死の境を彷徨ったのだ、今回も相手が相手なので覚悟はしておくべきなのかもしれない。
だがアントニウスはいいやと首を横に振るのだった。
「それは最終手段だな、本当にどうしようもなくなった時の切り札としよう……私が倒れ、聖騎士団が倒れ、それでも届かぬ場合のな」
アンジェリーナが勇者の魂を下ろして天剣を使えばおそらく――いや、ほぼ確実に天使を排除できるだろう、自壊と引き換えにだ。
二年前は運よく生き残ったのだが、今回も同じように命を拾うとは限らない、だから最後の手段である。
アンジェリーナの実を案じているが故の発言ではあるが、同時にそれを絶対使うなと言いきれないのがアントニウスの立場でもあるのだろう。
「だが二年前と異なり私も神性を得た、生命神の加護は巨大な生命力を与えてくれる……なぁに、一歩も引きはしないとも」
戦神や武神とは異なり生命神は戦いを司る権能は持たないが、それでも神性を宿したアントニウスは並みの戦士ではまともな戦いにならないほどに力を持つ、事実、宿場町での戦いでは天使に血を流させていた。
一方的な戦いにはならないというのが、彼の判断でもあった。
「わかりました、では覚悟だけは整えておきましょう」
そんなアンジェリーナ言葉を聞いてアントニウスは安心させるかのようにガハハと笑って見せる。
「勇者の力は、天剣の力は、偉大ではあるが過去の力でしかない……この時代の人間が軽々しく振るって良い物ではないのだろう、二年前の戦いで君が血まみれになったことでそれがよくわかった。それにだ、いつまでも頼りっぱなしというのも悪いではないか、先人たちにおんぶに抱っこでは恥ずかしいとも」
この時代の問題はこの時代の者たちで超えるべき物なのだと彼は考えているのかもしれない、それに加えて天剣を振るうことは大切な部下を生死の境に送ることになるのだ、二年前にアンジェリーナが自壊で死にかけたのだ、慎重になるのも仕方が無かった。
ただ以前とは異なり彼もまた半神となった、最後の奥の手としてアンジェリーナは残して、主戦力として自分が前面に立つというのがアントニウスの方針なのだろう。
「成すべきことを成すとしよう……我々は聖騎士なのだからね」
「はい!!」
聖都の住民が荷物を纏めて離れていく、そんな光景を遠く離れた上空から眺めるのはプリメーラであった。
大勢の人々が神官や守備隊の者たちに先導されて東西南北の門を潜る様子はまさに疎開と言えた、自分との戦いに備えて住民たちを遠ざけているということは幼い彼女にもよくわかり、納得の理由でもあると受け入れている。
「――――」
戦略的に考えれば住民たちを逃がすべきではない、プリメーラの呪いで操るなり正気を奪うなりして聖騎士たちにぶつければそれだけで大きな脅威になるからだ、しかし彼女はそんなことは意に介さずに穏やかに鼻歌を奏でていた。
一日前からこうして聖都から観測されない位置でプリメーラはそんなことを続けており、どうやら住民たちの避難が完了するまでそれを続けるつもりらしい。
理由は、本人にもわかっていない。
いや、もしかしたら理解しているのかもしれないが、目を背けているのかもしれない、それとも言葉にできないのだろうか――何であれ彼女は鼻歌を奏でながら疎開する住民たちを見送っていた。
天剣を手に入れるのが命令であり住民の有無に関しては何も言われていない、だからこれは親への背信行為にはならない。
そんな言い訳がぼんやりと頭に浮かんではいるのだがハッキリと言葉にはできない、彼女はまだ幼いからだ。
胸の中に宿るモヤモヤとした感情を持て余しながら、それでも鼻歌を奏でてその時が来るのを待っているのだろう。
今更何を思いやるというのか、これまで散々と呪いを振りまいてきたではないかと、今の彼女を魔術師の男が見たらそう言うのかもしれない。
彼女が抱えている複雑な感情や思いは無意味な感傷でしかない、幼さゆえに言葉にはできないが迷いがあるのだろう。
何故自分はこんなことをしているのだろうか、何の為に生まれたのだろうか、そんな自問自答を繰り返した後に、自分は何がしたいのだろうかという疑問へと辿り着く。
それは彼女の父親が組み込んでいない思考であり想いだ、つまり彼女は既に父親の理解や想定を超えた学習を始めているということなのだろう。
しかしそれに対する答えを出すことはできない、そして誰も教えてはくれなかった。
「……」
プリメーラの鼻歌が突然に終わりを告げた、どれだけそうしていたのか彼女にもわからない程の時間が過ぎており、閉じられていた瞼がゆっくりと開かれていく。
いつしか聖都から伸びる人影と行列は途絶えており、四方の門は全てを跳ね除けるかのように閉じられていた。
それを確認した彼女は小さな溜息のような呼吸を繰り返すと、掌に光り輝く粒子を束ねて何かを掴み取るかのような動作を行う。
光の粒子が形作り、その掌に掴み取られるのは巨大な角笛だ、片手で扱えるようなサイズではなく両手で支えなければまともに使えないほどの重量感を感じさせるものであった。
そしてプリメーラは深呼吸をして胸を膨らませると、いつものように角笛を咥えこむ。
「……」
少しだけの躊躇があった、迷いもあった、疑問もあれば戸惑いもある、なんだったらやる気すらも欠けている。
だが、それでもだ、胸の奥にある感情や思いを現す言葉を彼女は持たず、知ることもできない。
重要なのはただ一つ、幼く若い彼女が唯一理解できて言葉にすることが可能な絶対。
父親の命令だけがプリメーラの始まりであり、終わりでもあるのだろう。
小さく狭い彼女の世界ではそれだけが道を照らす光であった。
だから躊躇は一瞬、角笛の音は高らかに鳴り響き、同じ高さにあった雲を吹き飛ばして遮る全てを遠ざけてみせる、きっとその音は遠くにある聖都にも届いたことだろう。
開戦の合図とばかりに鳴らされた轟音と共に、世界を汚す呪いが周囲に広がった。
燦々と輝く太陽を隠すようにどす黒い力が集まり巨大な影を落とす。
その光景を見た者はこう思うのかもしれない、空に悍ましい黒い太陽が現れたと。