商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「ぴぴーッ!! ぴぴぴぴッ!!」
その小さな灯の誕生に最も歓喜したのはエミリーではなくヘステアであったらしい、エミリーの肩に止まってマリーと共に崩壊しそうな体を支えていた不死鳥は、掌の上で揺らめく熱を見つめて体全体で喜びを示す。
鳥と精霊の中間存在であり、その体を炎に変えることのできる不死鳥にとって、その灯は新しい世界の誕生とさえ言えるほどの衝撃を与えたことだろう。
エミリーの肩から飛び移るように掌へ移り、目の前にある灯をキラキラとした瞳で見つめるヘステアは、そのまま飴でも舐めとるかのように嘴を近づける。
嘴の先端と灯が触れ合った瞬間、ヘステアの中に流れ込んで来た情報とエネルギーは凄まじいものとなった、それこそ何十何百年と火山口で過ごすことと変わらない程の栄養を得られたのだ。
ポケットに入るほどに小さかったヘステアの体は燃え上がり、その炎が形作るのはこれまでの体よりずっと大きなものであった。
丸みを帯びていた雛鳥の姿はどこにもない、柔らかな羽毛もしっかりと成長して翼となる、数秒後には炎は集束して成鳥となった姿をその場に作り出す。
雛鳥であった頃と比べればしっかりと成長しているのだがそこまで大きな体ではない、鷹ほどのサイズだろうか。
しかし内包する力と放たれる存在感は体の成長以上に大きくなっている、翼をはためかせる度に火花が舞って陽炎を生み出す様子は、初見の者は畏怖を抱くだろう。
不思議と身を焦がすような熱は感じないのだが、火山口を覗き込んだかのような恐怖を感じさせた。
「ピ~~~ッ!!」
囀る声も少しだけ大人びていた、雛鳥の頃にはなかった頼もしささえ伺える。
そんな不死鳥にエミリーが手を伸ばせば、体と同様に大きくなった爪を引っ掛けてその肘を止まり木とした。
「……綺麗」
思わずマリーがそんなことを呟いてしまうほどに、今のヘステアは美しく輝いている。
二人して燃え上がるような美しさを持つヘステアに見惚れていると、肘の上で囀っていた不死鳥が突然に視線を上へと伸ばす。
エミリーが魔術を暴発させてしまったので神殿の天井は存在せず空を仰げる状態だ、外に広がっているのは残念なことに青空ではなく泥を今も注ぎ続ける黒い太陽なのだが、僅かにだが光が差し込んでいる。
そんな頼りない光を後に従えながら、漆黒の翼が音を立てた。
「エミリー……ここにいたんだ」
大穴の空いた神殿の天井から姿を現したのは、大量の泥を吸い込んで肌も翼も黒く染めたプリメーラであった。
異変を感じ取った彼女はアントニウスとの戦いを中断してここまで飛んできたようだ、風に乗る綿毛のようにゆっくりとこちらへ下降してくるプリメーラは、異変の原因と思われるエミリーをじっと見つめている。
「……プリメーラさん」
「逃げてくれてれば、殺さずに済んだのに……なんて非効率なんだろう」
足先が神殿の床に届く、そして重力を感じさせない着地を見せつけたプリメーラは、マリーとエミリーの掌の上にある小さな灯を睨みつけた。
きっとこう考えているのだろう、あれは私の天敵だと。
「エミリー……これは最終警告、その火を消してどこかに逃げるのなら、追わない」
不思議なことを言っていると、彼女自身が一番自覚していた、問答無用で殺してしまえばそれで済むのに、そうしないことに困惑すらしているらしい。
同情しているのか、それとも感傷か、もしくはその両方か、彼女も自分の感情を持て余しているのだろう。
そしてそれはエミリーも同様であった、ほんの僅かな時間でしかなかったがそれでも同じ時間を共有したのだ、共に並んで飴を舐めたことはしっかりと覚えている。
それにだ、この期に及んでエミリーはプリメーラに敵意を向けることができないでいた。
だがそれは覚悟が伴わないという意味ではない、憎しみを向けるのでもなく、敵意もない、だが責任だけはしっかりと自覚できているのは間違いない。
この掌にある揺らめきを形にした時点で、プリメーラと戦うことは決まっていたのだ。
「それは……できません、私には貴女と戦う義務があります」
「あぁ、そう……エミリーもそういうこと言うんだ……もう良いよ」
苛ついたような、失望したような、或いは悲しむような顔を見せてから、彼女は大きな角笛に口を付ける。
「皆さん!! 避難してください!!」
そこから大気を震わせるような爆音が放たれるのと、エミリーが神官たちに避難を促す声が張り上げられるのは、全くの同時であった。
相手の魂を縛り上げる呪いの音色ではい、明確な殺意が伴った呪いの波動は、しかしエミリーに届く前に炎によって切り裂かれるように防がれてしまう。
「ピィィィッ!!」
それを成したのはヘステアであった、彼女が羽ばたくと膨大な熱と火花が周囲に広がって、それはプリメーラが放った呪いすらも焼き滅ぼしてみせる。
厄介な、とプリメーラが考えた瞬間には、大地を揺らしながら聖都中に広がった黒い泥が神殿へとやって来た。
穴の開いた天井から、そして窓ガラスを突き破って濁流の如く呪いの泥が押し寄せる、人間が生存していられる隙間はどこにも存在しない。
これで終わりと確信したプリメーラだが、そんな考えは次の瞬間に霧散することになる。
原因はエミリーの掌にある灯だ、彼女は押し寄せる泥にそれを向けると、蝋燭の火を消すかのようにフッと息を吹きかけた。
小さな揺らめきなのでそれで消えてしまうかと思われたが、灯は途切れることなく吐息に揺らされてエミリーの掌から離れるのだった。
ゆらりゆらりと頼りにならない様子で手元から床へと落ちた灯は、次の瞬間に弾けるように内包された力を解き放つ。
「……うぁああああッ!?」
放たれるのは光の濁流だ、空にある太陽が落下したのではないかと錯覚してしまうほどの熱と光が周囲に広がり、それは留まる所を知らずに聖都全域へと伸びていく。
その勢いは聖都を埋め尽くさんと注がれる泥の全てを浄化するほどであり、身を焦がすかのような痛みをプリメーラへと与えるのだった。
しかし熱の中心にいるエミリーは勿論のことマリーや周辺にいる神官たちが熱波を感じることはない、春の木漏れ日のような穏やかな温もりを感じるだけである。
聖騎士たちが扱う祝福の光を何百倍にも大きくしたかのような光景でもあった、人には無害だが悪性の存在には致命的とさえ言えるほどの影響力があるのだろう。
実際に広がった灯の輝きは、エミリーの両足を腐らせようとした呪いを焼き滅ぼし、呪いの塊である泥だけを吹き飛ばす、建物や人には火傷一つ負わせることはない。
この灯は悪性の対極にあるのだろう、ならば悪性の塊である泥を浄化することなど容易いとさえ言えた。
生命神の神殿の床から広がった光の濁流は勢いを衰えさせることのないまま聖都全域へと広がっていき、白亜の街を埋め尽くそうとしていた泥の全てを蒸発させる。
善性の力は傷ついた者を癒し、その身を蝕む呪いや病すらも焼いていく。
「……暖かい」
プリメーラとの戦いで泥の浸食を受け、戦線離脱を余儀なくされた聖騎士たちも灯の魔術の恩恵を得ていた、体を蝕む呪いと病が焼かれていくのだ。
「まだ……戦わせてくれるのか」
全てを浄化する光を浴びて、聖騎士たちは再び立ち上がるのだった。
戦線離脱した聖騎士たちが次々と立ち上がる中、プリメーラはそれどころの騒ぎではない、身を焦がす熱波によって前後不覚に陥っており、大きな火傷が全体に広がっている。
彼女の呪いを、悪魔の部分を焼いているのだろう、少なくともプリメーラの半分は間違いなく致命的な状況になっているのは間違いない。
「エミ、リーッ!!」
痛みに震えながらもプリメーラは自らを痛めつけるエミリーへと手を伸ばして駆けだす、あの灯を何とかしなければこのまま消滅することになってしまうので、じっとしていることなどできはしない。
彼女から見ればエミリーはとても貧弱な部類であった、炎の魔術という一撃必殺の手段さえ使わせなければ、簡単に制圧できるだろう。
それ以外にとるべき手段がないというのが実情でもある、だから彼女はエミリーへと手を伸ばす。
華奢な首程度は軽く折れる、近くにいる神官たちも肉体の性能は大差が無い、自分を止められる筈がない、そんなことを激痛の中で考えていたプリメーラだが、その指先はエミリーに届く前に弾かれることになる。
聖剣によって弾かれたのだ、その持ち主はアントニウスであり、神殿の入口には彼に続くように聖騎士たちの姿が見えた。
神殿の異変を感じ取り戦いを切り上げたプリメーラを追ってきたのだろう、彼らによってエミリーと天使の間には肉の壁とでも言うべき物が形成されてしまう。
「感謝いたします」
小さく短くそう言ったのはアンジェリーナである、細かいことはわかっていないのだろうが、エミリーたちが聖都に広がっていた泥を浄化したと認識したのだろう。
「総員、前進せよ!! 相手は弱っているぞ!!」
灯の光が集束して、後に残されたのは大きな火傷を負ったプリメーラだけが残される、周囲を埋め尽くしていた呪いの泥は全て焼かれたようだ、善性の光に晒されて少なくとも肉体の半分は重症に陥っている、己の半分が使い物にならないということは戦場では致命的だろう。
そんなわかりやすい隙を見逃すような聖騎士たちではない、アントニウスの声を聞いて弾かれるように歩を進めた。
「はぁ、はぁ……まだ」
肉薄する無数の聖剣を前にしてプリメーラはと角笛を握る手に力を籠めようとするのだが、バリッという音と共に肩から先が外れてしまう、視線をそちらに向けるとプリメーラの肩が炭化していた。
そこに聖剣が迫る、防ぐ手段はどこにもない。
「ぐぁああッ!?」
アントニウスの聖剣がその身を裂く、咄嗟に健在だった腕を前に出してしまい、肘から先が切り落とされてしまう。
両腕が失われてしまう、その痛みと喪失感が更に体を鈍らせ、足を止めさせるのだ。
「わ、私は……」
アンジェリーナの聖剣が深く肩に食い込む。
「至高、の、存在……」
聖騎士たちの刃が抵抗力を無くしたプリメーラに次々と突き刺さる。
「……ゆ、故に」
トドメとばかりにまたもアントニウスの聖剣がその胸の中心を穿つ。
まさに今のプリメーラは満身創痍の状態であり、前進からどす黒い血を流している様子は誰がどう見ても長くは持たないことがよくわかる。
だが、プリメーラの細い体は、そこから倒れる気配がなかった。
「全てに勝利する……義務があるッ!!」
「待て、下がれ!!」
多くの聖剣を突き立てられて瀕死になっていたプリメーラの体が、風船が破裂するかのようにはじけ飛ぶ、血と肉は液状になって周囲に散らばると、そのまま影のように地面を滑りながらその場を離れていく。
「ここまできて逃がすものか!!」
当然ながら聖騎士たちはその影を追おうとした、相手は弱りに弱りきっているので決着が近いと判断してだ。
聖都に広がっていた泥も綺麗に消え去っているので動きを妨げるものは何もない、この戦いを終わらせる最後の一撃といった所まで相手を追い込んでいる確信がある。
後、一歩、ただそれだけだ。
「向かった先は、大神殿か……いや、天剣か」
「聖アントニウス、急ぎましょう!!」
「あぁ、勿論だ、進むとも」
だが彼は追い打ちをかける前に神官たちへ視線をやってから最後にエミリーへと行き着く。
その肩には鷹ほどのサイズとなった不死鳥が止まっており、その掌には小さな揺らめきがある。
「ご一緒いたします」
そして彼女はアントニウスが口を開くよりも先にそう言った、当然とばかりに。
きっとエミリー自身もプリメーラとの決着をつけたいのだろう、恨みや憎しみではないが奇妙な縁を結んでしまったからだ。
どのような結末になるかはわからない、どんな終わりを求めているのかもハッキリとしない。
しかし、エミリーはプリメーラの最後を見届けるつもりである。
言葉にすることが難しい様々な思いが胸を去来したが、最終的にはそこへ行き着く。
どんな終わりであったとしてもその最後を見ておきたい、それは彼女の我儘であり灯の揺らめきを持つ者としての責務である。
プリメーラが呪いの王であり悪性の主だとするのならば、灯の魔術を扱う彼女が立ち塞がるのは、必然とさえ言えるのかもしれない。
決着は、もう目の前だ。