商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「……馬鹿な」
聖都から遠く離れた、しかし小さくだが都市を確認できるくらいの距離にある小高い丘の上で、一人の男が苦し気にそう呟いた。
「いや……ありえん、何がどうすればプリメーラが消滅するというのだ」
言葉では否定するのだが、彼と彼女の間にある魔術的な契約の道は完全に途切れてしまっている、糸が千切れるようにぷつんと途切れてしまったのであちら側の存在を感じ取ることができないでいるらしい。
考えられる理由はそう多くない、契約が断ち切られたということでありその最たる例は対象の死亡か消滅だろう。
だが彼はその事実が信じられなかった、彼が知る限りプリメーラは肉体も魂も完璧に限りなく近い生物だ、最も勇者を模倣した存在とも言える。
半端な攻撃はそもそも届かない、命まで穿つにはそれこそ奇跡に等しい何かが必要となるだろう、そして奇跡というのは決して安くはない。
仮にそんな力があったとして、呪いの王であるプリメーラを殺せるとは思えない、そんな風に考えてしまうのは彼の驕りと言えるのかもしれない、これ以上は無いという確信がそこで思考を停止させてしまっている。
だからプリメーラが死んだという現実を受け入れることができない、それは認めるのは彼が歩んだ無数の人生と研究の全てを否定することにも繋がってしまう。
それは己の否定になってしまうのだ、それだけは決して受け入れることはできない。
できないが、事実としてプリメーラとの繋がりが消えてしまっている、己の全てが消滅してしまっているのだ。
「あッ……あぁ……」
男はその場に蹲って頭を抱えた、そのまま爪を立ててガリガリと頭を掻きむしりながら悲鳴を上げた。
「ああああぁぁぁああああああああッ!!? ありえないッ!! こんなことはありえないいいいいいいいいいいッ!!?」
天地がひっくり返ったとしてもプリメーラだけは死ぬことがない、そんな根拠のない、しかし彼にとっては絶対の認識が崩れ去っていく。
「何が起こったんだ!? 何をすればアレが滅びる!? この世の理に反しているぞ!!」
どれだけ叫ぼうとも、どれだけ否定しようとも、やはりプリメーラとの繋がりは感じられない、時間が過ぎるたびに不安と焦燥感は大きくなっていき、吐き気すら感じながら嘆き続ける。
「私のッ……最高傑作だぞ!? 至高の存在なんだ……こんな、こんな理不尽があってたまるかッ!!」
老いた体には衝撃が大きかったのか、激しく動く心臓に苦しさを感じて呼吸を荒くしてしまうが、頭に上った血は引く気配がなかった。
苛立ちと、驚愕と、喪失感と、怒りや嘆きがごちゃまぜになり、最終的には絶望へと落ち着くことになる。
「……あぁ、あああぁぁ」
己が積み上げた全てが、自分が作り上げた理想が、完全に消滅した、その事実を受け入れることもできないまま、彼は滂沱の涙を流す。
それは母を奪われた子供のようであり、恋人を殺されたようであり、子供を攫われた親のようでもあった、まるで理不尽に嘆く弱者のようである。
彼にとってはまさに理不尽なんだろう、彼にとって世界の中心は自分であり他は全て道端の石に過ぎないのだ、他人を思いやるということに世界一向かない男と言えるだろう。
「何を泣いているのですか?」
そんな彼に声をかける者がいた、男もまさか他者に喋りかけられるとは思っていなかったのか、心臓を捕まれたかのように驚いて飛び跳ねた。
ここに他者がいるということは、自分が展開した結界を超えられたということである、魔術師の男の思い上がりは多々含まれてはいるものの、そこまで的外れな認識ではない。
つまり、気が付かれることもなく侵入した相手は疑いようもなく一流の力と知識と経験を持つ魔術師であるという証明でもあった。
それも格上の可能性すらもある、彼はその最悪の状況を想定して魔術の盾を無数に連ならせる。
半透明な六角形の盾が侵入者と男の隔てたのだが、魔術を放たれることはなく突破されることはなかった。
「お久しぶりですね、ケティ……いえ、今は別の名前があるのでしょうか」
「……まさか、お師匠様?」
彼の結界に足を踏み入れた存在は、かつて彼を拾って魔術を教えてくれた存在であった、全ての始まりにして最新最古の魔術師だ。
始まりの魔女と、そう称される女性であった。
見た目は幼い少女のように見えるが、内包された力と知識はこの世界に存在する数多の魔術師の中で最も深遠に近いだろう。
始まりの魔女はゆっくりと瞼を開いていく、すると虹を注ぎ込んだかのような異彩を放つ瞳が露わになり、それに見つめられるだけで男は後ずさってしまった。
「し、師よ……何故、ここに貴女が?」
「あぁ……まぁ、尻拭いですかね、不出来な弟子のね」
男はまた一歩後ずさる、同じ距離を始まりの魔女は詰めた。
「……私を始末するというのか」
「いえ、どちらかと言えば封印です、その器を殺してもどうせ別の器に切り替わるだけでしょうから」
「ふ、ふはははッ!! できますかな、ずっと眠っていた貴女にそれが!! 私はこれまで研鑽を積んで来た、貴女の弟子であった頃とは比べものにならない力がある!!」
「……えぇ、確かに、相応に成長しているようですね。褒めてあげましょう、いつかのように」
そう言って始まりの魔女は右手をゆったりとした動作で男に向ける、そして頭を撫でるかのような動作をすると、不可視の力が圧し掛かって来た。
「ぐぉッ!?」
盾は意味をなさなかった、そんなものは存在しないとばかりに不可視の力が彼を拘束してしまう。
上から落ちて来たのは重圧である、巨大な何かに踏みつけられているかのような重さに膝を付き、それでも耐え切れなかったのか男はそのまま顔面から倒れこんでしまった。
大地は巨大な掌の形に陥没しておりその中心にいるのが魔術師の男だ、押しても引いてもそこから一歩も動くことはできないようだ。
始まりの魔女からしてみれば魔術とさえ呼べない児戯にも等しい拘束なのだが、男にとっては巨人の掌に潰されているような状況である、這いつくばる彼とそれを見下ろす魔女と言う構図が二人の格の差を表しているかのようである。
「ぐぬぉおおおおッ!? 舐めるなぁぁあッ!!」
男も無抵抗ではなかった、見えない手を伸ばして始まりの魔女へ攻撃しようとするのだが、それらは魔女に届く前に霧散してしまう。
何が起こっているのか、どのような手段で防いだのかわからないというのは、魔術師同士の戦いでは致命的である、同時にそうさせるだけの差を見せつけられているのだ、自らを天才だと認識してそれが大きな間違いではない男にとって、これ以上ない屈辱でもあった。
「おとなしく封印されなさい、貴方の研究と引き起こした結果は目に余る、一時とはいえ弟子は弟子、師である私がせめて終わらせましょう」
すると不可視の力に押さえつけられている男の周囲が急激に冷えていく、息は白く濁り地面からは霜柱が幾つも伸びて来る。
そのまま男の体温は奪っていき最後には氷に閉ざしてしまうのだろう、それを防ぐだけの術と力は彼にはないらしい。
「何故だ!! 師よ!! 貴女ならわかるはずだ!! 真の研究は、真の発展は、犠牲の先にあるはずだと、どれだけの被害を出そうとも答えに辿り着くこと、それこそが魔術の研鑽だとわかるはずだ!!」
「……なるほど、否定はしません、それもまた魔術の道だ。ですがケティ、貴方は気が付いていないようですね」
虹色の瞳が凍り付いていく男を見下ろす、感情を感じさせないそれは弟子に向けるものではなかった。
「貴女は人類史の発展も、魔術の探求にも興味がないでしょう……求めているのは傲慢な快楽でしかない」
「……なん、だと」
「他者を害することに笑い、積み上げた何かを壊すことに喜び、興奮する……それが貴方の本質だ。貴方にとって魔術とはその快楽を生み出す為の手段でしかなく、それ以上ではない」
男を取り囲む冷気がより冷え込む、まるで始まりの魔女の苛立ちに呼応しているかのように。
「最初に教えた筈です、魔術とは終わりのない旅路であり、研鑽だと……人類史に新たな一歩を刻む勇気を持たず、己の快楽だけを求める者が扱うべきではない……何よりもそこが苛立たしい」
或いは、この男の研究や魔術が人類史に貢献するのならば、始まりの魔女は認めたのかもしれない、何十万と言う犠牲や生贄を。
だがそうはならなかった、男の目標が人類史の発展ではなく愉悦であると理解した時点で、始まりの魔女は見切りをつけた。
この苗は大樹にならない、だからこうして自ら引き抜きに来たのだろう。
「全ての魔術は発展の一歩の為にある、どんな犠牲も、どんな目標も、そこへ集約されなければ意味がない……それを忘れた貴方は、ただただ未熟だ」
その言葉は男へ届くことは無かった、彼の体は決して溶けることのない氷の中へと閉ざされてしまったからだ。
「さようならケティ……我が弟子よ、そこで永遠に眠りなさい」
男を閉じ込めた氷の牢獄を無限城へと転移させると、始まりの魔女は小高い丘の上から聖都を眺める。
虹色の瞳がそこから何を発見したのかはわからない、ただ彼女は人形のように感情の感じられない表情を僅かに緩めるのだった。
そして彼女は口元に笑みを作りながら小さくこう呟く。
「……また一つ、人類史の一歩が刻まれたようですね。大変宜しい」
プリメーラとの戦いが終わった、聖都に大きな混乱を齎した天使との決着は静かなものであり拍子抜けしてしまったが、それですぐさま解散とはならなかった。
当然ながら聖都に残っていた者たちは戦いの後も奔走することになる、聖騎士団と神官団は呪いの泥に満たされた聖都の調査に注力することになってしまう。
あれだけの呪いが雨のように降り注ぎ泥となって積もった、あれだけ清潔で美しかった白亜の街並みは汚されてしまい、およそ人の住める環境ではなくなってしまったのだ。
灯の魔術によって呪いの泥はその殆どが消滅した、それによってなんとか活動を再会できたのだが、その地に住む者たちにとってそれだけで済ませられる筈がないだろう。
聖都を隅から隅まで調べて、大量の泥を飲み込んだであろう下水施設も点検して、彼らの気が済むまで徹底的に調べた、調べる必要があった。
結論を言うと問題無し、灯の魔術による効果もそうだがプリメーラが消滅したことによって毒性も消えたと推測されている。
しかし被害が皆無であったとは言葉にできない、街路樹や庭園などの緑は聖都から完全に消え去っており、それは都市の周辺にまで広がっているようだ。
遠くからこの聖都を眺めれば、一定の距離から緑や農園が途切れてしまっている状況である、呪いの泥は消えたとはいえそれが齎した毒の汚染は深刻ということだろう。
まだ様子見の段階ではあるものの、緑が消え去った聖都の周辺を見ると、二度と植物は育たないのではないか、と不安に思う者もいるはずだ。
農園や畑が作れないのでは人々の生活は成り立たない、深刻な問題であった。
神官はそんな土を掘り返して調査しているようで、その結果次第では頭を悩ませることになるのだろう。
これは一時的なものなのか、それともこれから永遠に死んだ大地となるのか、結果次第では聖都の放棄すらも視野に入るかもしれない。
脅威は去っても残された爪痕は深い、もしかしたら二年前に襲撃してきたエキドナよりもなお深刻な状況になる可能性すらもあった。
今後のことはどうなるかわからない、エミリーにできるのはせめて少しでも状況が好転するように祈り行動することだけだろう。
幸いなのは建物などに大きな被害が出なかったことだろう、目立つ被害はエミリーが魔術の制御をしくじったことで天井が吹き飛ばされてしまった生命神の神殿ぐらいだろうか、他は泥に呑まれただけでそこまで深刻ではない。
ただまぁ、エミリーにとっては避けられない問題ではある、生命神の神殿は今も太陽の光が大きく差し込んでおり、雨さえも防げない状況である。
「これでよろしいでしょう、定期的に薪をくべれば絶えることもないかと」
顔を青くして右往左往するエミリーに神殿の修理費と称して交渉を持ちかけたのはマリーである。
「これだけで問題はないのでしょうか? その、やはり幾らか借金をしてでもお返しすべきだと思うのですが」
「しかしエミリー様、ざっとこれくらいは必要となるのですが」
「あ、はい、無理ですね……これでお願いします」
提示された修理費は個人でどうこうできる金額ではない、大規模なキャラバンが数年単位で稼ぐ額なのでエミリーにはどうやっても稼ぐことはできないだろう。
それはマリーは勿論のこと神殿の高官も理解していることだ、元から今回の戦いで大きな功績をあげた彼女に払わせるつもりはない、交渉と言う体裁を整えてエミリーを借金地獄から解放しようということだ。
その為に提示された条件が、今二人の目の前にある灯の魔術である。
指先ほどの大きさしかない灯は、黄金の聖杯の中で穏やかに揺れている、聖杯の中には暖炉のように薪が並べられており、おそらくこれから絶えることなくこの灯は維持されるのだろう。
それこそ、生命神の神殿が続く限り、永遠に。
この灯の魔術を神殿へと提供することでエミリーの弁償は帳消しとなる訳だ、エミリーとしても神々からの命令で灯の魔術を絶やせないので都合が良いとも言えた。
「ピィ~~」
エミリーの肩に泊まるヘステアも聖杯の中で揺らめく灯を嬉しそうに眺めていた、自分を構成する力と同種の熱なので、もしかしたら姉妹のように思えるのかもしれない。
灯の魔術はこうして継承されていくことになった、神殿とヘステアが健在な限りは絶えず揺らめき続けることだろう。
当然ながらエミリーも次世代へ継承することになる、もし彼女にいつか弟子ができたのならば次代へと受け継がれるのだ。
浄化の力は生命神の神殿にとって有用である、呪いを打ち払う手段としてはこれ以上の力もないのだ、それこそ神殿の天井に大穴が空いてなければ相応の金貨をエミリーに渡しても手に入れようとしたのかもしれない。
神殿の祭壇に置かれた聖杯とそこで揺らめく灯は、生命神の神殿にとって大きな価値があるのだ。
「エミリー様これからどうなさるのですか?」
「聖騎士団や神官団のお手伝いをしながらキャラバンの仲間を待ちたいと思います、次の祝祭には合流できると思うので」
「ずっとそうなされて来ましたものね……あぁ、でも今年の祝祭はどうなるかは」
「……やはり難しいでしょうか?」
「はい、聖都もこんな状況です、疎開した住民もまだ帰還させる判断ができないようでして、もしかしたら今年の祝祭は取りやめになる可能性もあります」
「だとしても私は待ちます、下手に動き回ってすれ違いになっても困るので……それに例え祝祭が中止になっても、きっと仲間は集まるでしょうから」
例え祝祭の儀式が取りやめになったとしても、その日を目印にしてキャラバンの仲間たちは集う、彼女はそう考えているようだ。
エミリーはシャルルやキャロル、そしてキャラバンの仲間たちの顔を思い浮かべて僅かに微笑む、二年前で止まってしまっているのであの時のままの姿であった。
もしかしたら背も伸びているかもしれないし、髪型や服装だって異なっているのかもしれない、彼女自身もこの二年の間に随分と女らしい体になったのでそれもありえるだろう、寧ろそうなることが自然であるとも言える。
二年前はまだ少女の域を出なかったが、今はしっかりと成長していた。
きっと再会できれば互いの変化に驚くかもしれない、その瞬間を楽しみにしながら彼女は今日もここで仲間を待つ。
再会は、もうすぐそこまで迫っているのだった。