商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
酒場という場所はどんな国、どんな街でも似たような雰囲気がある、酔っ払いと客引きの娼婦がいて独特の喧騒が満ちているのが基本になる、偶に喧嘩や酒瓶の投げ合いが発生することはあってもそれもまた普遍的な光景でもあるのだろう。
まして海沿いの街にあるこの酒場は一見すれば海賊寸前の輩も多く、荒くれものたちの拠点とも言える。
神代の時代から今に至るまで変わることのない喧騒が広がる酒場の一角で、エミリーとシャルル、キャロルとミカエラは机の上に置かれた革袋を真剣な眼差しで見つめていた。
「金が無い」
それは彼女たち四人にとっての共通認識であり、誰もが理解していることでもある、改めてシャルルに宣言されなくても全員が理解していた。
「金が無いんだ」
金が無ければ何もできないであろうことは四人にもわかっている、まして彼女たちが今いる場所は商人の街であり、金が全てだと断言しても良い。
神殿での戦いから一週間、海岸線を南下してようやく海運の街までやって来たは良いが、そこで大きな問題に直面してしまった、すなわち軍資金の枯渇である。
元々、ミカエラの護衛任務を行う上で渡された資金は、その任務中に必要な食糧や必要物資を揃えるのに使用したので僅かしかない、ミカエラがあのドレスの女から受け取った逃亡資金もボートの購入で消し飛んでしまっている。
つまり四人に残されたのは本当に僅かな資金であり、数日の宿泊費と食事代しかないのだ。
「こんなことならキャラバンに貯金を残しておくべきではなかったですね」
軍資金が尽きただけで彼女たちの個人的な資産は残っているのだが、しかしそれはキャラバンの私室にあるので今は手が出せない。
「……もう少しかかる?」
「ええ、もう春なのでキャラバンの改修や後部車両の建造も終わっている筈ですから、今頃はこちらに向かっているのではないでしょうか」
エミリーは以前、キャラバンが拠点としていた街で見せられた建築工程を思い出してそう答える、大きな問題が発生していなければこちらに向かっているのは間違いないはずだ。
春になり暖かさが増してきたのでダーボも活動できる、この海沿いの国に辿り着くには陸路で街を中継しながら一カ月はかかるだろう。
しかしそれまでの間、彼女たちは少ない手持ちで生きていかなければならない。
「真珠も買わなければなりませんし……でも高いんですよね」
海に面した街であり、しかも大陸間貿易の拠点でもあるこの街では様々な貿易品が大量に売り買いされている、陸地を転々と移動する春風のキャラバンにとって海でしか手に入れることのできない品物は是が非でも手に入れたい。
団長からの指令でもあるので真珠が欲しいのだが、可能ならばサンゴや珍しい海の生き物等も購入したい、しかし彼女たちには先立つものが無かった。
「海賊騒ぎで品薄になって高騰してるんだっけか?」
「……凄く高かった」
「確かボクを前に所有していた人が真珠のネックレスをくれたんですけど、あんなに高価な物だとは思っていませんでした」
ミカエラの発言に反応したのはシャルルだ。
「え、マジで? それってどうしたんだ?」
「次の男の人に攫われる時に無くしちゃいました」
「……もったいない」
「うう、ごめんなさい……こんなことになるのなら、ちゃんと持っておくべきでしたね」
「ミカエラさんを責めても意味はありませんよ、仮に所有していたとしても、それは彼女の個人資産になるんですからね」
「でも今は真珠がバカみたいに高くなってるんだろ? じゃあ今売り払ったら大儲けじゃん」
「か、代わりにこのドレスとかはどうでしょうか?」
「はいはい、そこまでにしましょう……私たちは別に身を切る必要はないんですからね」
机の上にある革袋は平べったい、中には銀貨が数枚しか入っておらず数日以内に空になってしまうだろう、やるべきことは一つしかない、働くことである。
しかしそれにも問題がある、それは彼女たちの見た目と実績が問題だった。
「……でも、仕事が無い」
「傭兵組合も門前払いだったしなぁ……戦えるって言っても聞く耳持ちやしない」
例えば傭兵組合の代表が彼女たちを見たらどう思うだろうか? 大体の人間がこんな若くて経験の薄そうな少女たちに仕事は務まらないだろうと考えるに違いない。
それを責めることはできないだろう、彼らだって信用と実績のある相手を雇いたいと判断するのは当たり前のことだからだ、それでもまだ男であったのなら経験が足りなくても話くらいは聞いたのかもしれないが、成人を迎えたばかりといった年齢の少女が相手ではそれもありえない。
これまでの旅の中で彼女たちが自らの仕事を行えたのは、その実力や名前ではなく春風のキャラバンと言う看板があったからこそなのだ。
その看板と信頼と実績があるからこそ、砦でゴブリン相手に戦ったり、物資の輸送を依頼されたり、店での大口注文が可能であったりする訳だ。
春風のキャラバンがあるからこそ、彼女たちはまともに働いていける、しかしそれが無ければただの少女であり、そこには何の信頼も存在しない。
門前払いされてしまったのも、妥当な判断であると言えるだろう。
「……娼館は?」
「あ、それならボクでも役に立てそうです」
「傭兵業よりはまだ望みがあるでしょうが……う~ん、仮に働くとしても信頼できるお店でなければ私たちの身が危険になります」
一口に娼館と言ってもその在り方は様々なのだ、娼婦をちゃんとした従業員として扱って支援してくれる店から、奴隷のように酷使して消耗品のように扱う店まで多様である。
これもまた信頼や評価が大事になる、特に娼婦側へ不利な条件と契約を突きつけてくる店とは関わり合いを持ちたくないのがエミリーの心配であり本音でもあった。
春風のキャラバンが経営する娼館は、その辺りの環境や契約はしっかりと行っている、しかし全ての娼館がそうであるとは言い切れない……いや、むしろ春風の娼館の方が少数であると断言できてしまう。
仮にもし、娼婦として雇われるのであれば、信頼と評価の高い店と契約したい、それが不可能ならば最初から働くべきではないとエミリーは考えている。
「別に店で働く必要は無くないか? そこら辺の路地裏で客引きすれば良いじゃん」
「……絶対にトラブルになる」
「ええ、間違いなく面倒なことになります」
「え、そうなんですか?」
少しばかり世間知らずなミカエラは首を傾げる、世渡りの経験が皆無なのでしかたがないだろう。
「その街にはその街のルールや序列があります、よそ者が挨拶や道理もなく勝手に商売をしていたらよく思わない方は多いでしょうね……例えば私たちが娼婦として客を取れば、元々この辺で働いている方々の稼ぎを減らすことになるでしょう」
「まぁそうだよな……あれ? でも春風のキャラバンは行く先々で娼館を開いてるけど、それは問題ないのか?」
「そちらに関しては毎回、周囲の店や顔役に上納金を払っていますから問題はないかと……つまり何をするにしても挨拶が重要ということです」
「……無視して働けば、制裁が待ってる」
そこで全員に視線が酒場のテーブルの上に置いてある薄っぺらい革袋に集まる、現状を鑑みるにある程度の妥協は必要なのかもしれない。
「娼婦として働くこと自体は悪くありません、現状ではそれしかありませんし、問題なのはどこで働くかと言うことですね」
「信用がある店を探すかぁ……でもワタシらはこの辺の土地勘が無いからなぁ」
そういってシャルルは酒のつまみを掴んで口に放り込む、それを見てミカエラも気にはなっていたのだろう、少しばかり怖がりながら手を伸ばす。
「ミカ、怖がらなくても大丈夫だ、見た目以上に美味いぞ」
「でも、なんだか想像できなくて……タコって言うんですよね、この足の干物、店先に並んでた時はうねうね動いていて食べ物だって聞いた時はボク本当にびっくりしちゃって」
「……確かにあれはグロかった」
「海沿いの街ではよく食べるって聞いたけどマジなんだよな、こうやって酒のつまみで出てくるんだからさ」
「食文化と言うのは地域によって様々ですから不思議ではありませんよ」
四人はタコの足を干物にして焼いただけの物を口に入れて味わう、確かにシャルルの言葉の通りに見た目以上に美味しかった。
「ん……まあ、根気よく信頼できる店を探すしかない」
結局、四人はそこへと結論を出すしかないのだった。
一先ずの方針は決まったので、情報収集に出かける為に立ち上がろうとしたところで彼女たちは声をかけられた、海賊帽子を被り、酒瓶を片手にこちらへ向かってくるのは女だ。
「アンタら見ない顔だねぇ、出稼ぎにでも来たのかい?」
「いいえ、私たちは旅の者です。少しばかり事情があって、この街にしばらくの間だけお邪魔することになったんです」
「そうかいそうかい、それで日雇いの仕事でも探してるわけだね」
女性の目はテーブルの上の薄い革袋に向いていた、それだけで大体の事情が筒抜けになってしまっている。
「はい、私たちはこんななりでもある程度は荒事もできるのですが……やはり所属しているキャラバンの名と看板が無ければ雇っては貰えなくて、どこか良い店でもあればと思っているんですが」
エミリーは目の前にいる海賊帽子をかぶった女から発せられる独特の雰囲気を感じ取る、そして店内にいる荒くれものや客引きの娼婦たちが彼女へと向けている視線に気が付いた。
敬意と僅かな恐れ、そしてそれ以上の信頼が込められた視線を一身に受けているのだ、それは春風のキャラバンでいうと団長へ向けられるものに近い。
つまり、この女性はこの辺り一帯の顔役であるとエミリーは判断したのだ、だからこそ下手に隠さずにありのままの事情を話して、あわよくば顔と名前を憶えてもらおうと考えていた。
「キャラバンって言ったけどなんて名前だい?」
「春風のキャラバンと申します」
そこで海賊帽子の女性はぱちくりと瞼を動かして、少しばかり驚いたような表情を見せてくる、最初の隙を感じられない佇まいは姿を隠してしまった、おそらくそちらが彼女の素なのだろう。
「春風!? ならアンタらはキララのとこの新入りかい? こりゃあ驚いたよ、まさかこんな所で後輩に会えるとはね」
「後輩ってことは、そっちも春風のキャラバンに属してたのか?」
シャルルの疑問に女は大きく頷いて笑いだす、そして持っていた酒瓶を机の上に置いて豪快に空いていた椅子へと座った。
「ああそうさ、五歳くらいの頃に奴隷だったところを買われてね、それから十年ちょっとくらいはキャラバンで働いていたよ……今の団長はキララでいいんだよね?」
「はい、キララさんが団長を務めていらっしゃいます」
「アイツと私は殆ど同期でね、じゃロウ姉さんが相変わらず副団長をやってんだ……いや~、懐かしいもんだねぇ」
その目が少しだけ遠くを眺めるように細められる、そして昔を思い出したのか彼女は僅かに苦笑いを浮かべた。
「本当に懐かしいよ……春風のキャラバンでは色んなことを教えて貰った。文字の読み書きに計算、武器の扱いから金の稼ぎ方、あとは隣近所との挨拶のやりかたまでね」
つまり、今の三人と大きく変わらない生活をかつてはしていたのだろう、後輩先輩という関係は何も間違いではない。
「どうしてやめちゃったんだよ?」
「そりゃ、ある程度稼げるようになったから独立して自分の力で進んでみたいって思ったのさ、あれからもう十年近く経つけど、未だにあそこで教えて貰ったことはワタシの中に生きてるよ……本当にいい場所だった」
そして海賊帽子の女は込み上がってきた何かを飲み干すように酒を流し込む、そして表情を整えると四人に向き合った。
「自己紹介がまだだったね、アタイはキグナス……まぁこの辺の顔役みないなもんさ」
四人もまた自己紹介を済ます、そして説明するのは自分たちがこの街にいる経緯であり目的だ、そして生活費が底を付きかけていることも併せて提示する。
「後、一カ月もすればキャラバンがこちらに来ると思うのですが……それまでの間、働ける場所を探しているんです」
「なぁに、アンタらが春風のキャラバンに属しているんなら話が早いさ、全員ウチで面倒見てやるよ」
「……いいの?」
「おうとも、助け合いがキャラバンの在り方だ、アタイはもう抜けちまったけど今でもそれは変わっちゃいない、キララとロウ姉さんとアタイと春風の名に懸けてアンタらの身分はアタイが守ろう」
「ありがとうございます、本当に困っていたので助かります」
「良いってことよ! アンタらは後輩だから先輩はカッコつけたいのさ」
ニカッと笑うキグナスにつられて四人も笑った、今日が初対面だというのに他人のような気がしない、両者にあるのは同じ場所で育った同じ背景を持つ同志だけ共有することのできる空気だった。
路頭に迷う寸前だったので四人にとってこの出会いは僥倖だ、少なくとも危険を冒して働くよりは大きな傘の下で堂々と働く方が良いに決まっている。
「それでアンタらは何ができるんだい? 見たところそっちの二人は戦士のようだが、そっちのドレスの子と聖職者みたいな子はキャラバンでは何をしてるのさ?」
「私は魔術師です、そちらの二人と同じように主な仕事はキャラバンの護衛となります。後は公演の演出や役者、雑務に……娼館でも働いた経験がありますね」
「えっと、その、ボクは……」
「こいつはミカエラってんだ、実はまだ正式な団員じゃなくてさ、でも入団は殆ど決定してるから仲間みたいなもんなんだ」
「新人ってことかい、そりゃ大変だな、覚えることが多くてねぇ」
「や、やっぱり大変ですか?」
「大変も大変、アタイはキララほど出来が良くなかったから苦労したもんさ。でもまぁ、ロウ姉さんや前団長が根気よく教えてくれてさ、なんとか形になったもんだよ……あんたも苦労するだろうけどさ、そこで教えてくれることは大きな財産になるから頑張るんだよ」
「は、はい、頑張ります!」
「それまではここで学ぶと良い、一か月後にはキャラバンがくるんだろう? とりあえずそれまではウチの仕事を回すからさ、契約書は後で持ってくるから細かいことはそこで決めよう」
「主にどのような業務があるんでしょうか?」
「色々あるけどやっぱり人手が足りないのは娼館あたりだねぇ、アンタらは春風でも娼婦として働いてたんならその辺は問題ないか。後は本店の書類仕事に雑務と……もう少ししたら船に乗ってもらうことになるかもしれないかな」
「船? あの港にあるでっかいやつに乗れんの?」
シャルルが船と言う言葉に大きく反応した、この街にいれば嫌でも目に付く巨大な船を見た感想がカッコいいだったのでそこに乗り込むことに興味があるらしい。
「ああそう、アタイが持ってるのはみんな軍船でね、主に戦う為にあるんだ。海兵と武器をしこたま乗せてるからあんまり荷物は乗せられないが貿易に使うこともある……でだ、今度新しい船ができるんだがそこの乗組員になってほしい」
「……私たちは素人」
「いやいや、何も船を操縦しろと言ってる訳じゃない、そういうのは経験を積んだ玄人がやるもんさ。アンタらに期待してるのは戦闘員としてだよ」
「おお! ワタシらは何と戦えば良いんだ?」
そこでキグナスはニヤリと笑って四人にこう告げるのだった。
「海の怪物、クラーケンさ」