商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「ぎぎゃああああああッ!!」
耳障りな叫び声を上げるのは醜悪な姿をした悪魔であった、長い爪に牙に加えて蝙蝠のような翼を持ち、確かな知性や理性を持たないのか涎を垂らしながら両手を前にやってこちらへと突っ込んで来る、数は四体。
そんな悪魔を迎え撃つのは幾人かの兵士だ、人と鋼の壁とでも呼ぶべきものを構築して悪魔たちの爪をはじき返す。
それほど大きな力を持っていない悪魔たちなのか、構えられた盾を超えることはできずに突進は止められてしまう。
動きが鈍くなった相手に向けて盾を構える兵士たちの背後から別の兵士が槍を突き出すと、ただそれだけで悪魔たちは深く傷つくのだった。
やはりそれほど強い悪魔でもないのだろう、相応に鍛えた兵士たちでも危なげなく倒せる相手のようだ。
しかし悪魔の一体が背中の翼をはためかせて飛び上がると、兵士たちの壁を飛び越えてしまう。
この悪魔はそこまで利口ではなく、そのまま逃げるという当たり前の判断をしないまま陣形の深くへと入り込んでいく、後方で待ち構えていた兵士たちに矢を放たれるのだが、あざ笑うように飛び回り、彼は最後によく目立つ馬車を発見する。
そこに目的があった訳ではない、下級の悪魔に行動目的は存在せず、動物的な本能の元に場当たり的に行動しているに過ぎない、その馬車に目を付けたのも他の馬車より少し目立っていたというそれだけの理由でしかない。
よく目立つから襲い掛かる、空を飛翔しながら馬車へと向かう悪魔だが、しかしその爪が届くことはなかった。
「とりゃ」
どこか気の抜けた掛け声と共に振るわれるのは祝福の光を宿した聖剣である、光の尾を描きながら悪魔の首を一撃で跳ね飛ばしてしまう。
何が起こったのか悪魔には最後までわからなかった、しかし斬られた瞬間に己の全てを焼き尽くさんばかりに注がれるのは祝福の光であった。
下級の悪魔だ、耐えられるはずもなくその体は灰になっていく。
「何だったんだこいつら?」
灰となって崩れ落ちた悪魔を見送るのは聖剣を構えたシャルルである、馬車へ近づけさすまいと放った一撃であったが、想像以上に脆い感触に眉を顰めている。
聖騎士の、それも神性を宿した戦士の一撃は過剰であったのだろう、シャルルの中で悪魔といえばエキドナや首なし騎士といった圧倒的な強者で固定されてしまっているので、拍子抜けしてしまったのだろう。
「シャルル殿、怪我はないかい?」
悪魔の弱さに首を捻っているシャルルへ声がかかる、馬車の窓から顔を出したのは彼女の護衛対象であるフィーリンであった。
ガレス王国の王であり、先の大戦をなんとか生き残った幸運な男である。
そしてシャルルの雇い主でもあり、今は聖都へと続く道を進んでいる途中であった。
「あぁ、大丈夫、そんなに強い悪魔じゃなかったみたいだ」
「それは何よりだ……しかし、聖都の近くまで来て悪魔に遭遇するとは、あまりよい展開とは言えないね」
「首なし騎士とばったり出会うとかよりはずっとマシだろ」
「……そんな状況は二度とごめんだよ」
苦笑いと共にフィーリンは馬車の中へと引っ込む、代わりに顔を出したのは彼の妻でもあるアリーヤであった。
「アリーヤ!! まだ悪魔がいるかもしれないんだから外には出ないでよ!!」
「落ち着け我が夫よ、シャルルがいる以上は安全は確約されている……そもそもあれだけの戦いを乗り越えたというのにそんな弱気でどうするというのだ、もっと堂々としていろ」
相変わらずの夫婦関係にシャルルは苦笑いを浮かべた。
アリーヤは馬車の窓から灰となった悪魔を見下ろして眉間に皺を作る。
「ここ最近、悪魔の出没報告が多数上がっている、大した存在でもないようだが数が多いのは気になるな」
「そんなに多いのか?」
「あぁ、帝国にいる知己から定期的に報告が上がっているのでしっかり把握できている。諜報部の報告書をそのまま流して貰っているんだ」
「今回みたいな連中がそこらへんで出没してるってことか」
「世も末だな、悪魔が闊歩するなど……兄上の言う通り、次の国際会議は少し荒れるやもしれん」
シャルルに政治のことはわからない、しかし大陸各地で混乱が起こっているのならば会議も荒れそうだと言うのはわかった。
「まぁ、こんくらいの奴らならどれだけ襲ってきても私が倒すよ」
「頼もしい言葉だ、我が夫もそれくらい言えるようになって欲しいものだね」
そういってアリーヤはクスッと笑って馬車の中へと戻っていく。
それと同時に前線の兵士たちも悪魔を殲滅できたらしく、ガレス王国の代表一行は宿場町へと進んでいくのだった。
祝祭の日に合わせて聖都で行われる国際会議に参加する為にここまでやって来たのだ、宿場町を経由して聖都へと進んでいるのだが、しかし彼らは思わぬ形で足止めをくらうことになってしまう。
「疎開命令だと?」
宿場町へ辿り着き一国の代表として恥をかかない旅籠を拠点にして、おそらくは同じようにこの宿場町に滞在していると思われる各国の代表と足並みを揃えようと情報収集を始めてすぐに、その情報はアリーヤとフィーリンの耳に届いた。
「はッ、つい数日前に発令されました。あまりにも急であった為に各国への報告が遅れたようです、謝罪をさせていただきたい」
そんなことを言ったのは聖都からやって来た神官である、各方面にある宿場町へ聖都の状況を説明する為に巡回していた一人であった。
フィーリンやアリーヤが止まる王族や貴族向けの旅籠の一室で膝を折る神官の報告を聞いて、二人は視線を重ね合いどうしたものかと悩んで見せる。
「聖都に大きな脅威が迫り、住民たちを避難させたということはわかりました、そしてその脅威も排除されたという認識でよろしいだろうか?」
「はい、幸いにも聖都は落ち着いております」
フィーリンの言葉に神官は大きく頷く。
「で、あるのならば、疎開命令はすぐに解除されるのだろうか?」
「そういった調整はなされております、呪いの王が残した影響を調査して、大きな問題がないとされたのならば、疎開命令は解除される見通しでございます」
「……そうか、となると我々はこの宿場町で待機となるか」
「ガレス王国の皆様におかれましては大変なご不便をおかけいたします。せめてもの謝罪といたしまして、こちらの宿代は聖都より提供いたしますので、今しばらくはお待ちいただければと」
「あぁ、そちらを責めるつもりはない、あまり気になされないでくれ」
「ご配慮、痛み入ります」
最後に深く頭を下げて神官は旅籠を出ていく、おそらく似たような説明を他の使節団にも伝えに行くのだろう。
「……聖都でも大きな戦いがあったが、いよいよ笑えんな」
フィーリンと神官の会話を聞いていたアリーヤがそう言った、小王国郡でのあの戦いや今回の聖都での混乱、大きな戦いが各地で行われている状況に為政者としては眉を顰めるしかないらしい。
「我々が把握していないだけで、他にも色々とあるのかもしれないね」
「あぁ、その辺りも会議で共有しておきたいと兄上は考えているのだろう……大陸は大乱の時代にあるのやもしれん」
「陛下は危機感と情報の共有をしたいと仰られていたよ、一国ではどうしたって知りうることには限界がある、何か嫌な思惑が蠢いていても気が付けませんでしたでは笑い話にもならない……小王国郡はそれで八割近くが消滅したんだから、本当に明日は我が身だよ。我々の立場で知らないでは済まされないんだろう」
二人して今後の大陸情勢に悩み始めてしまう、為政者らしい悩みとも言えるだろう。
「失礼いたします、若様、王妃様、帝国使節団が到着なされました……いかがいたしましょう?」
そんな答えの出ない悩みを中断させるかのように、フィーリンの護衛騎士の一人が旅籠の部屋に入室して報告を行ってくる。
「先触れを走らせてくれ、問題がないようなら挨拶に伺うと」
「承知いたしました」
おそらく帝国側も疎開命令が出たことに困惑しているだろうことがわかる、状況説明をすることに加えて情報共有の為にも会って話をすることが必要だろうと二人は考える。
そもそも会議を前にある程度は各国の思惑や利益の帳尻合わせをしておくのは基本である、実際に会議で話し合われる内容は全体の上澄み部分でしかないだろう。
一国を代表する立場の者たちはこの時期は特に忙しくなるものだ、各国との折衝に利害関係の調整、駆け引きに足の引っ張り合い、本当に様々な状況を捌かなくてはならない、故に王と王妃に休まる時間などありはしないのだった。
「お~いシャルルや~い!! 息災であったか?」
疎開命令が出たことで足止めをくらっていたのはフィーリンたちだけではない、護衛として雇われていたシャルルも同様である。
宿場町に入り兵士と騎士が固める旅籠ならばそこまで危険はなく、今は手隙となって暇を出されている状態であった。
彼女は宿場町の大通りを当てもなくふら付いているようだ、露店を眺め冷やかしたり、吟遊詩人の歌に耳を傾けたり、すれ違ったエルフを見て仲間の姿を思い浮かべたりと、思うままに時間を潰しているらしい。
そんな彼女を大声で呼ぶのは、虎のような耳と尻尾を持ち、竜鱗の鎧を身に纏った戦士であった。
小王国郡での戦いで共闘したルールーだ、彼女は近衛騎士という立場から帝国代表の護衛をしながらこの宿場町へやって来たらしい。
大国である威信と存在感を見せつける為に煌びやかな行列は大通りに広がっていた人波を割った、その先頭にいるのが軍馬に跨ったルールーである。
重要な役目の最中にも関わらず、大手を振ってシャルルに存在を示す彼女は満面の笑みを浮かべている、獣人特有の鋭い感覚ですぐさま人波の中にいるシャルルを見つけ出したのだろう。
歌われるほどの戦士であり帝国三騎士の名は絶大だ、そんな彼女が声をかければ当然ながら目立つ。
大通りを行きかう人々の視線が串焼き肉を齧っていたシャルルへと集まった、そんな注目に気恥ずかしさを感じたのか彼女は慌てて持っていた串焼き肉を飲み込む。
そして舞台で働いた経験から羞恥と緊張を消し去って他者からの視線を気にしないようにすると、行列の先頭で手を振るルールーへと反応を返すのだった。
「ルールー、久しぶり……って程でもないか、そっちも問題ないみたいだな」
「カカッ!! おうとも、おうとも、だがあの戦い以降はどうにも暇をしててな、退屈で死にそうになったこと以外は何も問題はない」
「そんなに暇だったのか?」
「帝国は平和そのものであったな、まぁ陛下に言わせれば近衛騎士など暇をしているくらいが丁度いいらしいがな」
「そりゃそうだろ、近衛騎士が忙しいとか国が傾いてるじゃんか」
「カカッ!! 違いない」
帝国一同を導くルールーが足を止めると全体が止まることになってしまう、騎士や兵士や侍女などを合わせて二百人ほどの行列が足を止めることになってしまう状況であった。
大通りのど真ん中でいつまでも会話をしていられる状況ではないだろう、実際にルールーを急かすかのように近衛騎士の一人が咳ばらいをしている。
「おっと、いつまでも話し込んでたら迷惑だな、そっちに時間があればまた話そう」
「おう、酒でも飲みながらな、陛下に言って暇を貰ってくるとしよう。この宿場町にいる間は手前にも仕事はないだろう」
王族や貴族を迎え入れる旅籠が多くある宿場町なのだ、護衛の数も多い上に都市壁に囲まれているので確かにそこまで気を張る必要もないだろうとシャルルは思う、現に自分も暇を出されているのだから。
しかし大国の近衛騎士が自分と同じように暇を出されるだろうかと考えて、ルールーならば強引にもぎ取って来るだろうと納得してしまった。
実際に、彼女は帝国の行列の真ん中に位置する豪奢で煌びやかな馬車まで引き返すと、やや強引に扉をノックして、中にいる皇族を引っ張り出している。
「陛下、暇を貰うぞ、構わんよな?」
「……まぁ、構わんが。ここにはいくつかの国の代表が集っている、問題だけは起こしてくれるなよ?」
帝国代表の、それも皇族専用の馬車の中にいるのは、当然ながら皇帝であった。
帝国史上最も若く帝位に付き、内乱によって疲弊した国土を立て直すことに奔走し、今や屈指の評価を得るに至った若人である彼こそが皇帝ラングリッサその人である。
馬車の窓から僅かに顔を出して悪びれた様子もなく笑う臣下の姿に、彼は苦々しい表情になりながらも許可を出す。
ルールーの態度や奔放さを理解しているのだろう、止めても無駄だと悟ったのかルールーは休みを与えられることになった。
ラングリッサはそのまま視線を僅かにだがシャルルへと向ける、先の戦いでその存在は認識していたが縁を結ぶことはなかった両者である。
だが彼はそのまま馬車へと引っ込んでシャルルへと喋りかけることはなかった、馬車が走り出しすれ違う瞬間にガラス窓越しに視線が合わさったがそれだけであった。
「……喋りかけられるかと思ったけど」
権力者と言うものは力を持つ戦士に目ざとく接触するものである、利用できるのか服従させられるのか、そういった考えを持つものであるが、皇帝はシャルルを無視することにしたらしい。
「別にお前さんを嫌っておる訳ではあるまいて、陛下は英雄に頼らぬようにしておるらしいからの」
「うん? どういう意味だよ?」
「なんでもたった一人の人間に頼る国などすぐに亡びるとかなんとか言っておったな。国家とは、社会とは、凡人が万人集まって治めることが普通であり正常なんだと」
「すまん、説明されてもよくわからないんだけど」
「あれじゃよ、其方のような半神は強力だが常にどこにどんな時代にでもおる訳ではあるまい。この世の中は只人の方が圧倒的に多数なんだ……ならばその只人だけで乗り越えられる状況は乗り越えねばならん、帝国は数千万の凡人で出来ておるでな、数は力ということよ」
半神に代表されるように突出した力を持つ者に頼らない国家運営を行っているということだろう、それは単純な腕力だけの話ではなく意味のない血や権威や歴史なども同様の話である。
国家を運営するのは突出した何かではなく、平均的な力が数百万数千万あれば良い、それはつまり常に代わりがいて後が控えているということだ。
そしてそれは、皇帝ですら同様であった。
一代で滅びることのない、どんな立場や役職にも常に予備がある、だからこそ千年国家と自称できるのだ、それこそが帝国の本質であり基本なのだろう。
英雄など不要、そんなものより平均的な文官と武官が百人欲しい、王ではないシャルルにその方針の意味はハッキリとわからないが、それが帝国の在り方なのだろうと僅かにだが理解した。
それはそれできっと苦労も多いのだろうと、察することも出来ているらしい。
「まぁつまらん話は政治屋にさせておけば良い、それよりも飲もうぞ!! そんで飯食って交わろうではないか、カカッ!!」
肩を組んでシャルルと夜の街に繰り出すルールーは、欲望を隠すこともなく進んでいく。
せっかくの再会なのでそれも良いのかもしれない、そんなことを思ったシャルルは抵抗することもなく共に歩き出す。
彼女が聖都まで辿り着くにはもう少し時間がかかるようだ。