商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
祝祭の日が目前にまで迫った聖都は未だに混乱の中にあった。
エミリーが吹き飛ばした神殿の天井以外は目立った損害は無いとはいえ、呪いの泥に満たされた為にその影響の調査には慎重になるしかなかったのだろう。
神官や聖騎士たちが総出で影響の調査が始まり、慎重に慎重を重ねて出した結論を述べるのならば「人体に影響は無し」であった。
呪いの泥は灯の光によって全てが浄化されて一滴も残っていない、しかし泥が流れた聖都とその周辺は草木が枯れて穏やかに広がっていた農園や農場が立ち行かなくなっている。
青々とした緑は聖都を中心に一定距離まで枯れてしまっている、生命神の神官はその死んでしまった大地から土や砂や植物を回収してすぐに調べ、それその物は大きな害がないと断じた。
しかし極限まで大地から栄養が無くなってしまっていると判断したらしい、それこそ不毛の砂漠のような状態になっていると認識したのだ。
おそらく種や苗を植えても育つことはないだろう、呪いによって大地にある筈の力や栄養が根こそぎ消滅してしまったということである、こればかりは灯の聖火ではどうしようもない、不浄を払えても生命を育む力ではないのだから。
神官たちは勿論のこと聖騎士や聖都の為政者たちもこの状況には大いに悩んだ、人体に害はないとは言え不毛の大地に変わってしまったのだから、これまで通りの生活が送れるかが怪しい。
聖都は大きい、相応の人口もある都市だ、そこを中心に幾つもの農園が広がり収穫期には麦の大地となって稲穂が黄金色に輝き揺らめく大地となるくらいには大規模な農園がある。
農業は国家と人の生命線、社会の根底にあるものだ、それが折れてしまえば飢餓となってしまう。
呪いの影響で周辺が不毛の大地となってしまったのだ、大きな人口を抱えるこの聖都が食料自給率の低下によって困窮することは予想された。
ならばどうするべきなのか、足りない分は他国から買うしかないがそこまで余裕がある国がどれだけあるというのか、そんな議論が上層部を中心に繰り広げられて、最終的に答えが出せないまま棚上げとなったらしい。
目前にまで祝祭が迫っていることも棚上げとなった理由の一つである、各国の代表者たちを集めてそこで議論をしようという考えなのだろう。
聖都はどうなるのか、どうするべきなのか、その結論を出すのは祝祭が終わってからということに一先ずは落ち着いたのだ。
「では聖都の疎開命令は解除なされるのですか?」
これまでの話や方針を聞いてそう尋ねたのはエミリーであった。
「はい、そういうことになります」
そして彼女の向かい側でマリーがそう返事をする。
ここは聖都にあるエミリーの工房だ、戦いが終わってからも色々と忙しかった二人は、ようやくと言った表情でお茶を飲んでいるらしい。
「各国の代表者も周辺の宿場町に集まって来る頃でしょう、あまり長く迷っていられないというのも理由の一つで……最悪、今年の祝祭は取りやめになることも検討されたのですが」
「それだと事態は好転しないという方針になったようですね」
「えぇ、各国と話し合ってからでも結論を出すのは遅くはないでしょう、どうなるにせよ説明や情報の共有は必要でしょうから」
マリーはそこで用意された紅茶を飲む、そして疲れたかのように小さな溜息を零して見せる。
疲れがあるのだろう、呪いの影響の調査と怪我人の治療でまともに休めていない筈だとエミリーは思う。
「もしかしたら我々が経験した戦いは氷山の一角なのかもしれません、大乱の時代にあるのではないかと神殿長を仰られていて……」
「それを知る為にも祝祭は例年通り行うべきですよ、各国の代表が一堂に会するのですから、情報の共有ができるでしょう」
「そうなったら良いのですが……いつもいつも荒れるとのことですから」
「まぁ……色々な立場の方が揃いますから、それも仕方がないかと」
エミリーは政治がわからない――いや、知識や基本的な考えは聡明なのでわかるのだが、経験が乏しいので理解が遠い。
だがそれでも国の立場やそれぞれの考えで、順風満々な会議にはならないだろうこと位はわかった。
ほぅ、と頬に手を当てて上品な溜息をつくマリーに、エミリーは同情したかのような視線を向けている。
彼女はエミリーとは立場が違うのだ、生命神の神官として祝祭の運営に回り、状況次第では聖女と言う立場から各国の代表者と関わることもありえるだろう。
自分がそんな立場になって気楽に振る舞えるとは思えない、想像以上の負担がかかると簡単に想像できてしまった。
よく観察すると連日の疲労が重なっているからなのか、マリーは少しだけ隈が出来てしまっている、化粧で上手く誤魔化しているようだが、疲れが残っている証拠だ。
心労が積み重なって倒れたりしないだろうかと心配になってくる、医療魔術の使い手に要らぬ心配でもあるのだが、それでも思わずにはいられない、彼女はエミリーの友人なのだから。
「ピー、ピピッ」
ヘステアもそんなマリーを心配したのか、燻る暖炉から羽ばたいて机の上に着地すると、灯の光を宿した体を擦りつけて来る。
彼女なりに慰めようとしているようだ、人の機微を悟ることのできる賢い鳥であった。
「ふふ、ありがとうございます、ヘステア様はお優しいですね」
「ピ~」
慰められていることがわかったのだろう、マリーは頬擦りしてくる不死鳥に微笑みを返すと、お茶菓子として出されていた焼き菓子の一部をお礼代わりに差し出した。
食べ物を出されるとすぐさま頬擦りを止めてそちらに飛びつく辺り、もしかしたら狙ってやったのかもしれない、それくらいの知能がある存在なのだから否定もできないだろう。
だが癒されたのは確からしい、エミリーとマリーは二人して焼き菓子を啄むヘステアを眺めて頬を緩めるのだった。
「まぁ、今から悩んでも仕方がありません、程よく緊張しながら当日を待つとしましょう」
「ええ、それでよろしいと思います。どうなるかは祝祭の日までわかりませんから」
今後の聖都がどうなるにせよ全ては祝祭の日が来なければわからない。
「祝祭と言えば……エミリー様、キャラバンのお仲間との合流はできそうなのですか? 確か去年は……」
「そこに関しては心配しておりません、知人から伝言を頂いたので、今年は来られそうだと聞いております」
「それは良かった……あぁ、でも、エミリー様がキャラバンに戻られると、やはり寂しくなってしまいますね」
「……はい、それは私もです。ですが永遠の別れにはなりませんとも、必ずまた会えますから」
「……そうですね、旅に生きるのですからこればかりは仕方がありません。また聖都に来られることがあればこうしてお会いできるんですから……またお会いできますよね?」
「勿論です、神々にだって誓いましょう」
そう言って祈るような姿勢を見せるエミリーの姿に、マリーは屈託のない笑顔を浮かべるのだった。
別れが惜しいと思えるほどに良い友人関係に恵まれたのだ、それはきっと得難い幸運なのだろうと二人は理解している。
祝祭はもう目前でありそれは別れの日でもあるのだが、その時は笑顔で送れるだろう、永遠の別れにするつもりなど無いのだから。
おそらくすぐにでも疎開命令は解除されるはずだ、数日後には人も集まるだろう、宿場町には既に各国の代表が来ているのだから今更中止にもできない。
エミリーにとってそれはマリーとの別れであり仲間との再会を意味している、あれほど待ちわびた瞬間でもあるが、目前にまで迫ると色々と思うこともあるのだろう。
何か差し迫った仕事がある訳でもないので、彼女はその日をじっと待つしかない。
実際にマリーの話した通り、すぐに疎開命令が解除されてその数日後にはチラホラと聖都に活気が戻って来た。
訪れた者、帰って来た者、どちらも一様に聖都の様子に驚いた表情を見せている。
それは会議に参加する為に集った各国の代表者たちも同様であり、顔には出さないものの何が起こったのか神官たちに事情を聞きに来る者が絶えなかったらしい。
大きな戦いがあったという情報は知らされていたとしても、細かなことまで理解していなかった者たちが大半である、不毛の大地へ変わった聖都を見てさぞ驚いたことだろう。
聖都を中心にぽっかりと穴が開いたかのように緑が消え去っているのだから、どれだけ注意力のない者であっても気が付いてしまうものだ。
聖都に集まった各国の代表は側近や友好的な国の代表とそれぞれ話し合い、忌憚のない意見をぶつけてこれらの影響を話し合ったのかもしれない。
位置的にも、歴史的にも、聖都は大陸の中心なのだから、その影響はそのまま大陸全土へ広がることになる。
仮に帝都が傾けば、それは大陸が傾くことと同じ意味である、大袈裟でも何でもないのだ。
だからこそ各国の代表者たちは今回の会議が大きな疑念や波乱が同席するのだろうと察する、例年通りわかりきった結論に着地させる会議らしい会議にはならないのだと、聖都を見て理解したのだ。
戦争を繰り返すとある国の王は眉を顰めて事前交渉の内容を見直し、多くの借財を抱える財政破綻寸前の国の代表は思うような会議にならないだろうことを予期して顔を青ざめさせる、中にはこの影響で自国がどうすれば利益を出せるかと強かに考える者もおり、やはり楽な会議とはいかないようだ。
国土の八割が消滅して無数の国と地域が崩壊した小王国郡の中で、唯一の参加となったフィーリンなどは、どちらかと言えば顔を青ざめさせる側である。
大陸でも屈指の勢力を誇る帝国皇帝なども冷静に影響を計算しており、会議が始まる前に様々な者たちと会談を行い情報収集に励んでいるようだ。
様々な思惑と、自国の都合と、色々な考えが一堂に集う会議が目前にまで迫っていた。
そんな中で、大きな衝撃を与えた存在が一人いた、あまり人の社会に顔を出さないこともあり、だからこそ今回ばかりは良く目立ったのだろう。
長い耳に加えて普通の人間とはかけ離れた神秘性を放ち、一目見ただけで精霊や妖精に近いのだとわかってしまう、そんな存在が聖都に姿を現したのだ。
そしてエルフ族を代表する身分の証明として王家の徽章まで持っていたのだから、いよいよ話は大きくなった。
これまでエルフが祝祭の日に行われる国際会議に姿を現したのは数えるほどしかない、そのどれもが時代の変わり目といった特定の状況であったことから、やはり波乱を含んだ。
きっと今は激動の時代なのだろう、聖都の状況や小王国郡で起こった悲劇に加えて魔獣母といった存在の蠢動、誰もがそんな予感を抱いてしまう。
会議に参加するのは国を率いる立場の者たちばかりなのだ、愚かではいられない人々である。
どうなるのか、どう着地させるのか、どう足並みを揃えるべきか、その中でどう国益を得るべきなのか、そんな思惑を誰もが抱いてその日を待つことになる。
「……まさか私が代表として参加することになるとは」
そんなことを大神殿へと続く大通りで呟いたのはエルフの女性であるミューリアンであった。
「……でも代表になったんだよね?」
その隣で共に歩くのはキャロルであった、彼女は旅の同行者であるミューリアンの様子を下から上まで眺めてそんなことを尋ねている。
ミューの姿は会議に参加する為の礼装である、格式ばった装いであり旅人には縁遠い物であるが、今日に備えて用意したものなのだろう。
故郷が嵐の王によって吹き飛ばされてしまったので、本来ある筈の服装は欠片も残っておらず、先日まで滞在していた宿場町で揃えたらしい。
礼装の上に上質な絹のマントを纏い、そこに無数に枝分かれした黄金の槍を携えれば、少なくとも侮られる雰囲気はどこにも存在しないだろう。
整った容姿や静謐な存在感もあり、エルフの王族と疑いなく受け入れられるくらいには様になっていた。
「代表、と言っても私は一族の中でも末席です、一応は王家の血も引くのですが……とても薄いものですから、本来は身分が足りません」
そう言って彼女が懐から取り出したのは王族の身分を証明する徽章である、少なくともそれがあれば対外的には王族と認識されるだろう。
だが彼女としては「まさか自分が王族として」といった状態だ、夢にも思わなかったに違いない。
「……それでも頑張らなきゃ」
「……重大なお勤めですものね」
そんな会話をしながら二人は大通りの終点である大神殿へと辿り着く。
「ん……それじゃ、私は仲間を探してくる」
「はい、私も会議が終わればそちらに合流しましょう……場所は――」
「生命神の神殿にいると思う」
「そうでしたね、ではそちらに向かいます。キャロル殿も、仲間と合流できればいいのですが」
「ん……まぁ、今年が駄目でも来年があるから」
気長に待つ、と彼女は構えているようだ、二年間も大樹海を彷徨ったのだから例え今年が駄目でもと考えているらしい。
会えるのならそれで良し、会えないのならば次の祝祭を待つ、期待しすぎないくらいが丁度いいのかもしれない。
「……じゃあ後で、そっちも頑張って」
「そちらも、再会を祈っております」
そして二人はそれぞれの目的を達する為に一旦別れることになった、ミューは大神殿で行われる会議に参加する為に、そしてキャロルは仲間を探す為に聖都を巡ることになる。
色々な問題があるのは間違いないが、聖都には活気が戻りつつあった。