商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「私は今……人生で最も神に感謝している」
妖精の酒を造ることに人生を捧げている男は、滂沱の涙を流しながら腰を抜かしたかのように膝を折ると、そのまま倒れこみ額を地面につけて動かなくなった。
五体投地と呼ばれる姿勢なのだが、彼としてはそうでもしなければ気が済まなかったのだろう。
掬い取るように差し出された両手の上には小粒の種が幾つか乗っている、妖精の国から持ってきた桃の中に詰まっていた種である。
一般的な果実とは異なり極めて希少な種だ、単純に金貨に変えられないだけの価値があるのは間違いない。
彼は掌にある種を手に入れる為なら山のような金貨を用意してそれでも足りないと嘆くだろう、実際に用意できるかどうかは別として、それだけの価値を感じているのだ。
もう二度と手に入ることは無いだろうと嘆き、何の因果か再び機会を与えられた男は、大地に額を張り付ける行為に欠片の戸惑いもなかった。
「おぉ、マジで美味いなこの桃!! 上手く表現できないけど、ワタシが今まで食ってた果物は腐ってたんじゃないかって思うくらいだ」
因みに桃の果肉はちゃっかりと四人の口の中へと入っていた、男に与えられたのは種だけである。
「ん~……やっぱり美味しい」
「はい、なんだか病みつきになりそうで少し怖いくらいですね」
「エミリー殿、その考えは冗談ではすまないだろう、これはそういう果実なのだから」
牧場と果実園の調査を終えてお互いに納得できる条件で契約書を作成して、そこにキャラバンの商印と相手の名前と拇印を記したそれには、強い契約神の権能が込められており、決して軽く扱うことはできない。
四人娘側も、そして当然ながら相手側も、神の力が込められた契約書を尊重してその中身も順守する、そういう強い契約が結ばれた。
これを破るということは即ち神に唾を吐くことと同じ行為である、いつかのように雷を落とされるほどでは無いとしても、きっと相応の不運には襲われるだろう。
だから双方がこの契約書を軽く扱うことはしない、これは血と名誉をかけて守り抜かねばならないのだから。
契約の内容はそこまで珍しいものではない、商人が行う当たり前の融資の契約である。
彼女たちのキャラバンは酒造と牧場経営に必要な資金や物資の融通を行い、相手側は利益や商品の一部を収める形であり、特別な契約でもなんでもないごくありふれたものだ。
つまりこれから彼は長い借金生活が続くことになるのだが、それも本望である。
代わりにキャラバンの共有資産はすっからかんであった、少し前に滞在していた要塞で得た利益も全てここに投じることになってしまい、この判断が吉と出るか凶と出るかわからないが商売を続けていればいつかはこういう判断を迫られる状況は必ず誰にだって訪れる、彼女たちにとってそれが今であったということなのだろう。
寂しくなった金庫と財布だが、後悔はしていないようだ。
「エミリー殿、心から感謝を贈らせてくれ、貴方たちのおかげで私はまた立ち上がることができる」
「お気になさらず、こちらも利益を求めてのことですから。私たちはこのままガレス王国に向かって物資の調達と発注を行いますね」
「何から何まですまない、この感謝は子々孫々に至るまで続けよう」
そんな大げさな、という言葉が出かけるが、彼にとってそれだけの思いを抱けるような出来事であったということを理解して引っ込める。
「ついでなので地脈とも繋げておこうか、その種が健やかに育つように」
「うん? 何をするつもりだい?」
「大地の力と種を繋げるんだ、そうすれば強くそして早く育つ」
「そのようなことができるのか……いやありがたい、ぜひお願いするよ」
男は特に疑うことも無くミューたちを果実園に案内する、かつてはそこに並んでいた筈の桃のきは崩れてしまっており雑草が広がっているありさまであった。
ミューはそこにそれほど深くない穴を掘り種を落とす、しっかりと土を被せると両手を大地において地下深くを流れる大きな力の流れを感じ取っていく。
後は糸を結ぶように種と地脈を繋ぐだけである、世界樹がそうであったようにこの桃の種も豊富な栄養を得て力強く、そして素早く育つことだろう。
「これで良し、木々の成長はそれこそ長い時間が必要ではあるが、これならば数年ほどで実も付けるようになるだろう」
だとしたらキャラバンにとっても大きな利益である、早くとも数年内には酒造ができるようになるのなら、それだけ投資額の回収も早くなるのだ。
「後、私たちがやるべきことはガレス王国へ赴いて諸々の物資を集めなければなりませんね」
当然ながらそれはこの牧場と果実園を再建する為の物資である。
「この辺りはもう帝国領なんだっけ?」
シャルルの言葉に男は頷きを返した。
「あぁ、そうなる筈だ。正確には帝国の傘下かな、あちらから派遣された貴族がこの周辺を治めることになっているらしい、ガレス王国と共同でね」
「復興は始まってるのか?」
「国道を帝国兵やガレス兵が警邏をしているよ、この辺りも徐々にだが人が戻ってきているからね、私もその一人だ」
ならばすぐにかつての賑わいが戻ることだろう、おそらく人が有り余っている帝国から大量の移民が送られてくるのだから。
四人娘はキャラバンの荷台に乗って当初の目的地であったガレス王国を目指す、彼女たちのキャラバンが見えなくなるまで両手を振り続ける男を眺めながら車両は進んでいく。
「しかし……奇妙な縁もあったものだな」
男の姿が完全に見えなくなったと同時にミューがそんなことを呟いた。
「ん……そうだね」
二人が食べた桃がこのような形でキャラバンと関わることになったのだ、それを進めてくれた妖精女王の顔を思い出しながら二人は微笑む。
あの出来事がこうしてキャラバンの進む先に影響を与えるのだから、縁とは奇妙と言うしかないのだろう。
もしかしたらキャロルの中にいる妖精女王も笑っているのかもしれない、いつもより少しだけ心臓の音が近いようにも思えた。
「桃……ちゃんと育つと良いね」
「はい、そうですね。地脈と繋げはしましたが、後は彼次第でしょう」
「ん……頑張ってもらおう、失敗したら大損だしね」
「熱意は感じ取れましたから、それほど心配はいらないでしょう」
それこそアンデットが大地を埋め尽くしたりしない限りは、あの果実園や牧場が傾くことはないだろう。
「祝福の武器で出た儲けは殆ど無くなったけど、なぁに、すぐに回収できるさ」
荷台で横になりながらシャルルはこれからの物入りで軽くなるであろう金庫を撫でていた、彼女の手には前払いとばかりに頂戴した酒瓶が握られており、実質それはこのキャラバンの唯一の商品であり資産となっている。
人気があり、今となっては希少な酒とのことなので、ある程度は高く売れるだろうという思惑があるようだ、祝福の武器が金貨になり、その金貨がこれに変わったと思えば少し物足りない気もするのだが、彼女たちに後悔はないようだ。
数年後には同じ酒が定期的に入荷することができるという皮算用がある、あくまで皮算用であり何の保証もないのだが、どれだけ儲けられるかと考えるだけで最初の内は楽しい物である。
彼への投資がどんな答えを出すか、それがわかるのは数年後なので、その日を楽しみにするしかないだろう。
「ガレス王国に到着したら資材の発注と大工への依頼を済まさなければなりませんね」
それによってキャラバンの資産はあっという間に溶けるということだ、金庫も空になって随分と身軽になる。
要塞で得た儲けが全て吹き飛んでしまう訳だ、もし彼女たちに借金があれば頭を抱えていたかもしれない。
「シャルル、その辺りの伝手を紹介してもらいたいのですけど」
「おぉ、そうだな……う~ん、大工とか資材の発注ができる伝手はないけど、あそこの王様に会ってお願いすれば紹介状とか貰えると思うから、そこに期待しよう」
「お相手は王族なのですから、そんな気安く頼んで良いものなのでしょうか」
「良いんじゃないか、せっかくの太い伝手なんだからしっかり使わせてもらおう」
「失礼なことをしてはダメですからね?」
「……お前は私をなんだと思ってるんだ、心配しなくても不快にさせたりしないって、あっちも気楽に接してくれって言ってきたんだから大丈夫だ」
「だとしても公的な場では礼儀正しくすべきです」
「勿論、そうしてるさ」
気安い言葉遣いや態度に騙されがちではあるが、シャルルは春風のキャラバンでしっかりと礼儀作法を学んでいる、その辺はエミリーやキャロルも同様なのでそこまで心配はいらないのかもしれない。
ただエミリーはシャルルとガレス王国の関係を少し誤解していた、どんな戦いがあったかは話を聞いていたが、シャルルの話では雇われて戦いに参加したという表現しかなかったのだ。
なので傭兵と雇用主という関係を彼女は想像していたのだが、そんな考えよりもずっとシャルルとガレス王国の関係は深く強い。
それを証明するかのように、数日かけてガレス王国の領地まで辿り着くと、頻繁に聖騎士の歌を聴くようになったのだ。
小さな子供たちがが木の棒を片手に戦士ごっこをしていたかと思えば、誰がシャルルの役をやるかと競い合っていたり、王都に近づくにつれてすれ違う人が鼻歌を奏でていたりと、思っていた以上にシャルルの人気が高い。
恥ずかしさがあるのかシャルルはガレス王国に入った辺りからフード付きのマントを被って顔を隠している、あまり見ることのない反応に他の者は珍しそうにしていた。
「シャルル殿のあんな反応は意外だな」
「変な所で恥ずかしがりやなんですよ」
ただシャルルが頬を赤くするのもわからなくはない、王都にある酒場に入れば吟遊詩人がシャルルの戦いをこれでもかと美化して歌っていたりするのだ、彼女としては聞いていられないのだろう。
なにせガレス王国の王都に付いてからずっとその調子なのだ、顔でも晒せば人に囲まれてもみくちゃにされるかもしれない。
王都の門を抜けて復興が始まっている街並みを進んでいくと、いよいよシャルルは荷台から顔を出さなくなった。
「ん……賑やかだね」
「えぇ、ここまで来れば帝国も近いですから、人も物資も大量に入って来ているようですね」
かつての戦いで王都は焼野原になって無事なのは神殿か王城くらいのものだったが、今は多くの人々と物資が集まって復興が始まっている。
これを気に手狭になっていた王都の整理と拡張を行いたい思惑もあるのか、都市壁の拡大も行われているようだ。
あの要塞がそうであったように沢山の大工やそれに準じる物が働いている、帝国からも大勢の移民が来ているのだろう。
キャラバンは込み合う大通りをゆったりと進んでいき、都合のいい宿を探そうとするのだが、そもそも復興真っ只中の都市に客人を泊まらせるような気の利いた場所はない。
労働者用に簡易な家屋が幾つも並べられているが、あれは金を払って泊まる為の場所ではないので彼女たちに使用する権利はなかった。
どこか邪魔にならない場所で天幕でも立ててそこを拠点にするという選択肢もあったが、彼女たちは娼婦神の聖印を持っているので寝床の確保はそこまで難しくはない。
わざわざ天幕など設営しなくても神殿に世話になればいいのだ、幸いにも結界に守られたそこは王城と同様に今も健在である。
シャルルも世話になった場所だ、神殿長とも知り合いなので話も通しやすい。
「では暫くは神殿のお世話になりましょうか?」
「ん……問題ない」
「こちらも同様だ」
「知り合いもいるから部屋くらい確保してくれるだろ」
そんな訳で四人は神殿へと馬と車両を走らせていく、シャルルが場所を知っていたことに加えて復興真っ只中の王都ではまだ見晴らしが良いので簡単に見つけることができた。
真正面に馬や荷馬車を放置することもできないので、神殿の裏手に回ってから改めて正面玄関に回って敷地へと入っていく。
「ちょっと懐かしい気分になるな。そんなに長い間、顔を出さなかった訳でもないんだけど」
「暫くお世話になっていたんですよね?」
「あぁ、知り合いもできた、ここの神殿長と……まぁ、あと一人な」
少しだけシャルルの視線が揺れ動く、だが振り切るように正面に向けられてから神殿の大きな扉が押し開かれた。
娼婦神の神殿が本格的に動き出すのは夕方から夜にかけてなので、昼間の今は静謐に満ちており邪魔をする者がいないので扉を開く重たい音が内部に静かに響く。
ここで働く娼婦たち、つまりは神官も今は休憩しているか眠っているのだろう、出迎えが無いのは当然であった。
以前はアナスタシアが出迎えてくれたことを思い出したシャルルは、そのまま酒で喉が焼かれた声も思い出して僅かに微笑んで見せる。
彼女にとってここは良き縁を結べた場所であり、同時に失った場所でもある、感じ入ることがあるのだろう。
その背中が少し寂しそうに見えたのは気のせいではない、そんな彼女の姿は付き合いの長いエミリーやキャロルであっても見慣れないものであった。