商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
皇帝ランポッサは忙しい、優秀な秘書官が苛立つくらい朝早くに起床して湯浴みを済ませると、そのまま執務室で帝国中から集まる様々な案件へと手を加えていく。
それは開拓地のような帝国の端っこから、帝都の中で起こっている治安問題まで本当に様々である、帝国学習院を優秀な成績で卒業した文官や秘書官へと仕事を振り分けてはいるのだがやはり帝国皇帝の判断が必要なものや確認しておかなければならないことも多い。
執務室でそれらの問題や報告書に目を通して捌いていくだけではない、各地への視察もあれば謁見もある、それらをバランスよくこなしながら個人的な鍛錬などもありやはり忙しい。
気が付いたら執務室は暗くなっており夜になっていることも珍しくはない、今日もまたそんな日であった。
文官の一人から遠回しかつかなり着飾った言葉遣いで「そろそろ休め」と言われて初めてランポッサは夜になっていることに気が付いたほどである。
首にも肩にも疲労が溜まっており動かすと嫌な音が響く、それに気が付くと瞼の奥にも眠気があることがわかった。
確かにそろそろ休むべきだろう、代わりが用意してあるとはいえ皇帝に何かあれば国家が乱れる、本人の意思はともかく文官や秘書官はそれだけはさけたかったのだろう。
食事と湯浴みを済ませた彼は瞼に重たさを感じながらも、帝城の奥にある私室へと進んでいく。
不寝番を行う近衛騎士にねぎらいの言葉をかけた後に部屋へと入ると、本来は皇帝にしか入ることの許されないこの部屋には驚くことに先客がいた。
「やぁ、弟よ、久しいね」
「アスラ兄上、帝都に戻られていたのか」
その先客とは酒神会でエミリーとシャルルの相手をしていたアスラである、白い歯を見せてニヤリと笑う彼は皇帝の私室で優雅に酒を傾けている様子だ。
「あぁ、昼頃にね、これはおみあげ」
そう言って指さすのはテーブルの上に置かれていた酒瓶である、おみあげと主張しているが既に封は解かれており部屋の中には酒の匂いが漂っていた。
「今日もお疲れ、さあさあとりあえず一杯飲もうじゃないか」
差し出された器におみあげの酒が注がれて、皇帝ランポッサはそれを受け取ると琥珀色の液体を舌で転がしてゆっくりと味わっていく。
「どうだい? なかなかのものだろう? 手に入れるのに苦労したんだ、わざわざキグナス商会まで足を運んで交渉したんだ」
「うむ、悪くはない」
「こっちもどうぞ」
次にアスラが差し出したのは紙袋の中に詰まった芋料理である、帝国ならばどこであっても食べられている芋を細く切って油で揚げて塩を振っただけの極めて簡単な料理でしかない。
言ってしまえば庶民の料理であり味である、帝都ではよく出店を見かけて子供たちが駄賃を片手に頻繁に購入しているようなものであった。
本来ならば皇帝が口にするようなものではないのだが、ランポッサは揚げられた芋の一つを摘みあげると口へと放り込む。
「時々、やたらと食べたくなるんだよね、この芋揚げ」
「確かに」
アスラとランポッサはテーブルを挟んで向かい合った状態で酒と芋揚げを楽しんでいく、皇帝とそうでない者の距離感としてはかなり気安く見えるのだが、それもそのはずだ。
二人は兄弟である、アスラが兄でランポッサが弟である、父親が同じで母親が異なるという異母兄弟でありつまりは身内であった。
皇族という括りの中にいる二人には信頼関係があるのだろう、兄弟であっても皇帝の座を巡って殺し合いになってもおかしくはないのだが、彼らにはそんな競い合う心が皆無らしい。
アスラは兄弟で殺し合うことを避けたかったのか、成人を迎えると同時に皇位の継承権をさっさと放棄してしまったのでそもそも二人の間に争いは起こらなかった。
皇位を法的に捨て去ったアスラは身軽になるとそのまま趣味人となり美食や酒へと興味を向けて、今では大きな取引を行うまでになっている、そう考えると彼は優秀な人間なのだろう。
ランポッサがいつも忙しさに追われている様子を、酒を傾けながら眺めているのがアスラと言う男であった。
ランポッサの評価としては、皇帝を目指せる立場と能力を持ちながら、それをあっさり放棄して趣味に生きる男といった所だろう。
「それで、アスラ兄上、今日はどういった用件で?」
「あぁ、実はなんだけど――うん? 誰か来たようだよ?」
アスラが要件を伝えようとした時に、それを遮るかのようにノックの音が二人に届く。
ランポッサが入室の許可を与えると、入口を守っていた近衛騎士がまず顔を出し、それを押しのけるかのように一人の女性が入室してくる。
「やぁやぁ兄上……おや、アスラ兄上もおられたのか」
「エヴァじゃないか、久しぶりだね」
入室してきたのはエヴァである、大通りの美術商の主でありキャロルとミューの相手をしていた女性であった。
「帝都に帰って来ていたのかい?」
「そうさ、せっかくだから可愛い弟の様子を見にきたのさ」
「ふむん、では可愛い妹にも酒を奢ってくれたまえよ」
エヴァが空いている席に腰を下ろしてすぐに酒瓶へと手が伸びる、そして三人はガラスの器を鳴らして乾杯を行った。
「こうして三人が揃うのはいつぶりだろう、僕もエヴァも勿論ランポッサも忙しいからねぇ」
「以前はアリーヤ姉上もいたが嫁に行ってしまったからな」
「そうそう、アリーヤはあっちで上手くやっているのかい?」
「やれているだろう、あの子はフィーリンと気が合う」
皇帝の言葉にアスラとエヴァは考え込んでしまう。
「ふむん、まぁ夫婦の形は様々だからね」
「そうだね、僕たちが口を挟むことではないとも」
自分たちの妹であるアリーヤはいつもフィーリンを尻に敷いていると思うのだが、それで良いのだと三人は考え込む。
「それで、二人は何故ここに? 何か要件があるのではないのか?」
「あぁ、そうだった……兄上よ、ついでにアスラ兄上も、私に資金を提供して欲しいのだよ」
「つまりは金を足りないと?」
ランポッサは眉間に寄った皺を指先で揉み解す、仮にも皇帝相手に金を寄こせと言える妹の感性に眩暈を感じたらしい。
「これは奇遇だね、実は僕も弟の財布を当てにしてここに来たんだよ……悪いんだけどお金貸してくれない?」
「おいッ」
お前たちの目の前にいるのは仮にも皇帝だぞと、気の良い叔父さんではないと小一時間は説教したい気分になるのだが、そんな言葉を酒と共にグッと飲み干す。
「お前たちはそれぞれしっかりと収入があるだろう」
アスラもエヴァも皇位継承権を帝国法に基づき放棄しており、法の上では皇族ではなく一段したの準皇族という扱いである、生活費の足しになる程度には給料が支払われており、加えてそれぞれが趣味人でありながらその趣味でしっかりと稼ぎを得ている。
なのに資金に困るとはどういうことだと眉を顰めてみるのだが、アスラとエヴァは晴れ晴れとした笑顔で迎え撃ってきた。
「いやね、どうしても確保したい商品があってそれを手に入れようと思うとちょっとばかり財布が寂しいんだ。色々と知り合いを巡って何とかならないものかと行動していたんだけど、例のアレで綺麗な金貨が上手く確保できなくてさ」
「それは私も同様だとも、例の件で綺麗な金貨が足りない……モデルに払う報酬がどうにも確保できないので、何とか融通してもらいたいな」
悪びれた様子もなくそんなことを言い放つ妹と兄に僅かに苛立ちながらも、何だかんだで最終的には財布の紐を緩めてしまうのがランポッサと言う男であるのだろう。
どうせ使い道の無い資金が溜まっているのだ、こういった機会でもなければまず使われることのない給料である、放置するよりはまだマシかと納得させながら、彼は二人に資金を提供してしまう。
「要件はそれだけだな? ならそろそろ帰るといい、こちらも明日に備えて休みたいんだ」
明日も明後日もランポッサは執務に奔走されるのだ、可能な限り睡眠をとりたいのが本音だった。
「いや、まだあるよ、金の無心もそうだけど……市場に流れている汚い金貨の報告が残ってる、どちらかというとこれが本命だ」
そう言ってアスラは懐から一枚の金貨を取り出すと、それを親指で弾いてランポッサへと投げ渡す。
「やっぱり流通が増えているね、色んな場所から集めて来るけど……割合的には今の所は九対一って感じだよ」
「ふむ……やはり拙いな」
受け取った金貨を指でつまんで観察する三人の瞳には僅かな苛立ちが見て取れる、ランポッサに至っては殺意すらも宿っているようにも思えた、三人の目の前にある金貨はそれだけ重要で面倒な存在ということなのだろう。
「エヴァ、そちらも似たような状況か?」
「ふむん、そうだとも兄上、見つけ次第弾いているし信頼できる知人には注意もしているが、やはり多い。我々の資金難はそれが理由の一つでもあるのだよ」
エヴァもアスラも肩をすくめて困っていますとでも言いたげなポーズを見せて来る、だがランポッサは二人ほど悠長に構えてはいられないらしい、彼が皇帝であるが故だろう。
「こうしてみると本当に大差が無いよね……だからこそ困っているんだけど」
アスラは追加で懐から金貨を取り出して先に渡していた金貨と並べて見せる、二つの金貨は全く同じ輝きと重さであり、一見しただけでは差がないようにも思えた。
いや、実際に差が無い、この二枚の金貨は完全に同等のものであり金の含有量が異なるというわかりやすい違いもない、そこに貴賤はないのだ。
だからこそ三人は、特にランポッサは困っているのだろう、全く違いが無いというのに違いがあると言う矛盾を前にしているのだから。
「魔術学会の魔術師曰く、違和感を感じるそうだよ、偽物と本物ではね」
「ふむん、私たちの目ではそこまで見抜けまい……そもそも重さも色も含有量も変わらないのならばそれは本物と言えるのではないだろうか」
「……」
ランポッサは無言で二枚の金貨を見つめ続ける、魔術的の瞳を持たない彼ではそこに存在する筈の差を認識することができないが、それでも視線は逸らせない。
彼の中で、偽金貨の流通は最も懸念すべき問題である、一国を背負って立つのだから当然なのだろう。
「どうする、皇帝陛下?」
「やはり新しい通貨を作るしかないな、これだけ偽物が流通するとなると……ただそれも一時的なものでしかない」
「かもしれないね、どうせまた作られるよ」
「だがそれで構わない、偽造されるのならば市場に何らかな不自然な流れが生まれる筈だ、そこから犯人を辿るとしよう」
ランポッサは偽物の方の金貨を指先で弾いて遠ざけると、本物の方の金貨をアスラへと投げ渡した。
テーブルの上に残された偽金貨は本物と寸分たがわない輝きを有しているように見えるが、三人の瞳にはその煌びやかさが少し煩わしい。
テーブルの上にある偽金貨は、怪しげな光を静かに放つだけである。
「……んぁ」
最初にそれに気が付いたのはやはりと言うべきかシャルルであった、戦士として鍛えた感覚が自分に近づいてくる悪意を正確に感じ取ったのだろう。
うなじにチリチリとした妙な感覚が走り背筋には嫌な寒気もある、そういった時はいつだって面倒事が近づいてくるものだと彼女はこれまでの経験で理解していた。
ベッドから体を起こして傍らにあった聖剣へと手を伸ばそうとするのだが、同じベッドに眠るエミリーの手がシャルルの片腕をしっかりと握っていたので上手くいかない。
帝都に来て腰を落ち着けられる拠点が見つかったことで安心感が出たのだろう、挨拶回りを上手く進んで儲け話を舞い込んで来たので気が緩んだこともある、旅の途中に堪った鬱憤を晴らすように主にエミリーが激しく求めて来た。
エミリーはどうにもシャルルやキャロル、最近ではミューも加えて仲間以上の想いでみており、恋人とは少し違うが情婦のように求めてくることがある。
昨晩も晩酌で気分を良くしたエミリーが求めて来て何だかんだで盛り上がってしまったのだろう、ベッドの上で裸のままの四人娘がいた。
だが眠りこけるのはエミリーだけである、キャロルとミューはシャルルと同様に眠りから覚醒しておりモゾモゾとベッドの上で蠢いて着替えを行っているらしい。
眠っているのはエミリーだけだ、戦士としての感覚が薄い彼女はどうにもこういう時に頼りない。
「まったく、こいつは気分よさそうに眠りやがって」
昨晩の乱交の疲れもあるのだろうが、だからこそなのかエミリーの寝顔はとても穏やかなものである。
「ん……まぁ、エミリーは魔術師だから」
「だからって危機感が無さすぎるんじゃないか」
キャロルも擁護してはいるが少し呆れたような目で見ている。
「どうやら招かれざる客は旅籠の周囲を囲んでいるようだ」
ミューは一足先に着替えを済ますと、既に黄金の槍を持ってカーテンの隙間から外を伺っていた。
戦士である彼女たちはしっかりと感じ取っているのだろう、自分たちに向けられる鋭い悪意を。
「ほらエミリー起きろ、妙な連中が旅籠を囲んでるぞッ!!」
ぺちぺちと音を立てながらエミリーの頬が弱めに叩かれると、その緩やかな衝撃でようやく彼女は眠りから目覚めた。
「ふぇ? な、なんですか? もう朝ですか?」
「いや、まだ太陽は昇ってないけど……そんなことより敵襲だ」
寝ぼけ眼の状態でそんなことを聞かされたエミリーは、数秒の間は上手く纏めきれなかったようだが、何とか事態を飲み込んだのか慌てて着替えを行っていく。
「ミュー……どんな感じ?」
共に黄金の武器を構えるキャロルとミューは、同じ輝きを持つ瞳でカーテンの隙間から外を伺う。
「じりじりと距離を詰めて来ていますね、しかし殺気があまりにも漏れ出ている、本格的な暗殺者といった感じではないでしょう」
確かにそうなのだろう、相手が修羅場を潜り抜けて来た暗殺者であればそもそも彼女たちは気が付くことも無く殺されていたのは間違いない。
「確認できた範囲ではそう大した相手は見つかっていませんね、ゴロツキやチンピラの集まりかと思われます」
それが外を観察してミューが出した結論である、キャロルも似たような評価を出したらしい。
「問題はなんでそんな連中がワタシらが泊まっている旅籠を囲むかってことだよな、帝都に来たばかりで大した因縁なんて無いってのに」
シャルルも聖剣を腰にぶら下げて同じように外を伺いながらそんなことを言った、訳も分からず狙われている彼女たちからすれば当然の疑問だろう。
「確かに、そこは奇妙ですね」
「おそらくですけど、あのお酒が原因でしょうね」
彼女たちがゴロツキやチンピラに囲まれる理由や因縁がるとするならば、その答えは一つしかなかった。
天井知らずに値が上がっているとされる妖精の酒である、それを狙う者も多いだろうと考えられた。
「昨日の今日でそれかよ、あのアスラって人から情報が漏れたのか? いや、流したのか?」
「そこはどうでしょうね、本人が口を滑らしたのかもしれません……それか、資金集めに奔走するみたいなことを言われていましたから、お金の流れから広まったことも考えられます」
帝都の大通りに大店を構えるような商会なのだ、相応に注目を集めているだろうし彼らが扱う商品や資金の流れは色々な勢力が注視しているだろう、エミリーの言う通りそこから推測と噂が広まったことも考えられる。
例えアスラにその気が無かったとしても、彼が妖精の酒を購入する為に資金集めをしている姿が商人たちの情報網に引っかかることは十分に考えられるだろう。
酒神会に属する商人が何やら大金を集めているらしい、さてそこまで金がかかる物とは一体なんだろう、そんなことをどこかの商人が考えてしまえばその人物の性質によっては賊をけしかけて来ることも考えられてしまう。
「ん……どうする?」
「あまり旅籠には迷惑かけたくありませんね、夜中とはいえ帝都で騒ぎを起こせば必ず警邏兵が駆けつけて来るでしょうから、そうなると出て行けと言われそうです」
「あんな連中に追われることになったんだ、遅かれ早かれそうなるだろ」
「ん……私もそう思う」
「宿を移すというのは?」
ミューの提案に誰もが難しいだろうと考える、言った本人する無理だろうなと考えているようだ。
「私たちは帝都での土地勘もありませんし、仮に拠点を移したとしてもすぐにバレてまた囲まれますよね」
「そうなると、どこか安全の確保できる場所を見つけて気を伺うしかないかと」
しかしそんな場所が始めて来た帝都に存在するだろうか、土地勘も無ければ縁も無い場所である、そう簡単にはいかないだろうと彼女たちが考えた所で、シャルルだけが何かを思いついたかのように手を叩く。
「いや、あるぞ、安全で面倒な連中に追われない場所」
「シャルル殿には何か案があるようだな」
「あぁ、帝国の知り合いに助けてもらおう、アイツは帝国の近衛騎士だからわざわざチンピラが喧嘩を売って来ることもないだろうからな」
「行く当てがあるのならそこへ行きましょう、ここでいつまでも待ち構える訳にはいきませんしね」
あまり旅籠にも迷惑をかけられないので、彼女たちは素早く荷物を纏めると素早く逃げ出す準備を整えていく。
チンピラやゴロツキに旅籠は囲まれてはいたが、そんな者たちで彼女たちを止められる筈もなく、四人は帝都の夜に紛れて進んでいくのだった。