商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
薄氷を踏むような音が周囲に響く。
パキッ、ピシッ、ビキッ、そんな音だ。
ここはどこかの洞窟だろうか、とても暗くどこに視線をやっても向こう側が確認できないくらいに暗所であった。
そんな中に響くのがそんな音だ、実際に薄氷の上を歩いている訳ではなく地面にあるのは冷たくも柔らかい土の感触である。
暗闇の中でおそらく何かが歩いているのだろう、常に一定の感覚で音は響いておりそれは人間の歩幅と変わらない頻度であるので、その誰かは人型をしていることがわかった。
また薄氷を踏むような音が届く、よく見れば全くの暗闇の中にあった唯一輝くものがある、それはその何かの足元に常に広がっているようだ。
煌く黄金の輝きがそこにあった、目もくらむ金色の光であり、知恵と欲望ある全ての物を魅了する絶対の象徴と言えるだろう。
その誰かが一歩進む度に、薄氷を踏む音と共に黄金の輝きが刻まれる、それは暗闇の中に黄金の道を作るかのように伸びていく。
そんな光がいつまでも作られるかと思われたが、進行方向が僅かにだが光源が確認できる、足元の輝きに比べれば頼りないのだが怪しげなそれよりはまだ文明に近い位置にあるだろう。
尤も、その前方の光もまたどちらかと言えば妖しい部類ではあるのだが。
近づいていくに連れて前方の光源が僅かに赤みを帯びていることがわかる、更にそれは脈動しており心臓のように蠢いていた、暗闇が遠ざかるほどに近づけば完全にその光源が露わとなってしまう、それは火でも無ければ魔術の明かりでもなく血のように赤い。
気が付けば赤黒く脈動しながら発光する触手が辺り一面に広がっており、その悍ましくグロテスクな肉壁が蠢く度に妖しい光を放っているのだ。
それが闇を払う光になっていたのだろう、そこまで来れば黄金の足跡を残していた誰かの姿も明らかとなる。
肉の園に立っていたのは恐ろしい程に整った容姿や体格をした美女であった、スラリと伸びる四肢に大きく実る乳房、鮮やかな曲線を描くくびれ、そして何よりも目を引き付ける容姿、完成された美女がそこに立つ。
彼女はまさに黄金であり、どうしようもない程に視線を集めるだろう、もしどこかの都市の大通りを歩けばその場にいる全ての者が感嘆の溜息と共に視線を引っ張られる筈だ。
黄金比を突き詰めた存在とでも言うのだろうか、彼女を表現するのならばまさにそれが相応しい。
見た者の思考をドロドロに溶かす魅了の力はそこに存在はしないのだが、それでも世界の中心であるかのような存在感を放てるのだからまさに黄金だ。
髪の色も黄金を溶かしたかのように一切の曇りなく輝き瞳もまた同様である、ただそれだけならば黄金の美女なのだが、決定的なまでに人間との差異がある部分が存在していた。
まずはその額にある三つ目の瞳だろう、二つの瞳と同じように黄金を注いだかのように輝いておりギョロギョロと動き回りながら赤黒い肉の園を見渡しており、あまりにも妖しい力を宿しているのがわかってしまう。
魔眼と呼ばれるものの一つなのだろう、睨まれただけで心臓が止められそうな迫力すら感じられる。
加えて黄金の美女の側頭部からはやはり黄金の角が生えている、左右一体になったそれは捻じれながら後頭部へと伸びているようだ。
それらの特徴が黄金の美女を悪魔と呼ばれる存在へと押し上げてしまう、美しさの中におぞましさを加えて、一つ上の生物へ変えてしまう。
ただそれはマイナスではない、悪魔的特徴もまた彼女の力となり魅力となっている。
そんな彼女は三つの瞳で周囲をギョロギョロと睨みつけながら、この触手で満たされた世界の中心を探し出してゆっくりと跪く。
自らの創造主、母へと頭を垂れたのだ。
「お母様……出陣のご挨拶に参りましたの」
黄金の美女が頭を垂れながらそう言うと、触手の園の支配者がたった今気が付いたとばかりに瞼を開く。
白い肌に、深紅の瞳、蝙蝠のような翼を背負い、どこか黄金の美女と似た容姿を持つ可憐な悪魔がそこにいる。
エキドナだ、魔獣母と呼ばれる魔王であった。
一人は触手を束ねたベッドのような場所に体を沈めており、身動ぎ一つしない。
そしてもう一人、横たわるエキドナの腹部に耳を当てるような姿勢で同じように横たわるエキドナがいる。
二人のエキドナが黄金の美女の言葉を聞いた筈だが、反応を返したのは腹部に耳を当てているエキドナであり、もう片方のエキドナは静かに寝息を立てるだけであった。
眠っている方のエキドナの腹部は大きく膨らんでいる、そこに赤ん坊がいるかのように。
「あぁ……来ていたのね」
「はい……お母様はいかがかしら」
「問題ないわぁ……順調よ」
エキドナはそう言って自分の半身の膨らんだ腹部を撫でる、愛おしそうな視線と手つきはまさに母親のそれである。
「嵐の王も、死の王も、美の王も、あの半端な天使も……皆滅んでしまったわぁ……きっと貴女もそうなりそうね」
「お母様、それも私たちの仕事ですもの」
「えぇ、そうね……あの子たちは死してなお力になってくれているものねぇ」
エキドナはもう一体の物言わぬエキドナの腹部を優しく撫でる、膨大な力がこもったそこは彼女にとって代えがたい宝なのだろう。
そうでなければ、我が子を愛する母親のような顔などしない。
二人のエキドナは一心同体、比翼連理の縁がある、彼女はエキドナで、エキドナは彼女なのだ。
「パレス……貴女の働きにも期待しているわ、一つでの多くの魂を集めて魔力を寄こしなさい、そして最後には……わかるわね?」
パレスと呼ばれた黄金の悪魔は母親の言葉に当然とばかりに頷く。
「もちろん……この身を捧げます」
「ふふ、良い子ね」
エキドナがそこで初めてパレスへと手を伸ばす、先ほど腹部を撫でた時と同じように精一杯の慈しみを込めて鮮やかな黄金の髪を撫でたのだ。
その感触にパレスは歓喜で体を震わせる、愛情というのは親から子へと送られる最高の褒美であった、少なくとも彼女にとっては間違いなく嬉しいことなのだろう。
「それでは行ってまいりますね」
きっとこれが最後の語らいとなるだろう、死ぬことも彼女の仕事だからだ、エキドナはありったけの愛情をこめて別れの言葉を娘へと送る。
「いってらっしゃい可愛い我が娘よ……そして誇り高く死になさい」
指先は黄金の髪から大きく膨らんだ腹部へと戻っていく。
「大丈夫……最後には、ここに戻って我が力となるのだから、これは永遠よ」
帝国には三騎士と呼ばれる役職が存在した、帝国騎士団が主に三つ存在しており、それら騎士団の団長が三騎士と呼ばれるのだ。
実力、功績、そして忠誠心、色々と基準はあるのだろうがこれらが突出している者が三騎士に選ばれるらしい、そこに家柄が含まれないのは帝国らしいと言えるだろう。
ただ権威を持った家柄の者が弾かれている訳ではない、家格は考慮されるものではないとされているが、だからといって貴族や重大な役職に就けないという訳でもない。
例えば三騎士の一角、帝国三騎士の一人であり最高の騎士と呼ばれるロビンフッドなどは、家柄も確かな典型的な貴族の長子である。
結局のところは実力と功績なのだろう、ルールーのように元剣闘奴隷ですら騎士になれるのだから帝国がどれだけ優秀な人材を求めているのかよくわかってしまう。
ロビンフッドもまた同様である、帝国を数代に渡って支えて来た名門の家柄であり、かつての内乱ではその類まれな体躯と膂力を持って多くの相手を吹き飛ばして不落要塞の如く戦い続けた結果、彼は守護騎士団団長となって三騎士と呼ばれることになる。
その勇猛果敢な戦いぶりは歌にもなっており、きっと今もどこかの酒場で吟遊詩人が歌っていることだろう。
ただし、歌と言うのは尾ひれと背びれが付いて最後には翼が生えて飛んでいくものなので、現実とはどうあっても乖離するものである。
帝国最高の騎士、誰よりも誇り高く、名門の貴族の長子でありながら偉ぶることもなく民と接して、常に鍛錬を怠らず戦場では誰よりも前に立つ、まさに人々の理想の騎士として語られる彼は……帝国国境付近で盛大に吐いていた。
「おえええええええッ」
緊張とストレスが主な原因である、それが最大まで高まった段階でロビンフッドは昼食を地面へと戻してしまったのだろう。
「あれ、団長ってばまた吐いてるよ」
「朝食の時も吐いてたな」
「よく吐き戻す人ですよね……なんかもう慣れました」
そんな帝国三騎士の醜態を遠巻きに眺める守護騎士たちは、もう慣れたとばかりに遠巻きに眺めるだけであった、オロオロとしているのは騎士団に入ってまだ日が浅い者ばかりだ。
「でも朝と続いて二度目だぞ、何が我らの団長の胃を刺激しているというのだ?」
「それはやっぱりあれですよ、近衛騎士団の一部が援軍に来るらしいので」
「なぜそれで吐くことになるんだよ?」
「ルールー卿が来られると聞いてからずっとあんな感じですから」
よくわからない理由で緊張とストレスに晒されているらしい、一般騎士団員にはイマイチ納得できない理由なのだろう。
「そのルールー卿はどちらに?」
「予定ではそろそろ来られる筈ですが――あぁ、噂をすればなんとやらですね」
騎士の一人が指さした方向には騎馬の一団が見える、掲げられた旗は近衛騎士のものであった。
「来られたようだな……開門ッ!!!」
騎士の言葉によってゴリゴリと音を立てながら要塞の門が開かれていく、騎士の一人が城壁の上から手を振ると騎馬の先頭にいたルールーが肩で支えていた大きな棍棒をお返しとばかりに振り返してくる。
「一先ず我らが団長の身だしなみを整えさせるのだ、嘔吐物の匂いをさせながら話させる訳にはいかない」
「そうですね、すぐに手配を――あッ」
部下の騎士たちが気を利かせて会談の準備に取り掛かろうとするのだが、要塞の中にまで入って来たルールーは馬を預けるとずかずかと中枢へと入っていき、四つん這いのまま気分を悪そうにしているロビンフッドの臀部を蹴り飛ばす。
「カカカッ!! なんじゃいなんじゃい、お主また吐いとるんか、バカでかい図体の割に相変わらず肝っ玉の小さい男じゃのう!!」
ルールーの蹴りがロビンフッドに炸裂すると彼はその衝撃で胃に残っていた全てを吐き出すことになった。
「ひぇ……ルールーさんいつの間にッ」
二メートルを軽く超える大きな体躯と、徹底的なまでに鍛え上げられた肉体が併せ持つ縦にも横にも分厚い体から放たれた言葉はあまりにも細く頼りない。
ロビンフッドの歌を聴いたことのある者ならば必ずや耳を疑うことだろう、それぐらいに弱弱しい少年のような声である。
ゲシゲシと尻を蹴られ続けても帰って来るのは憤りでも怒りでもなく貧弱な文句とも言えない細い声だけなのだから、ルールーに足蹴にされることを止められていない。
「お主が呼んだんじゃろうが、手前を呼びつけるとは偉くなったもんじゃのう、えぇ?」
「ち、違いますよぉ……誰が貴女みたいな人を呼ぶんですか……あ、痛い、痛い、蹴らないで……援軍は皇帝陛下が気を利かせてくれただけで、別に私が望んだ訳じゃ」
「つまりチンタラやっとるからこうなったんじゃろうが」
「仕方がないですって、ぜスさんやあそこの騎士団は小王国郡の治安維持にかかりきりなんですから、どうしたって人手が……そもそも援軍にしたってもっとまともな近衛騎士がい――」
言い終わる前に一際強く蹴り飛ばされて巨体が転がった。
「ギャーギャーやかましいわいッ!! それに臭いッ!! いつまでも吐いておらんで顔洗って状況を説明せんかい!!」
尤もな言い分を理不尽に思いながら、言い返すこともできないのでロビンフッドは部下に引きずられるように身支度を整えさせられるのだった。
上官への態度や扱いとは思えないほど雑に要塞内部にある簡素な風呂へ投げ入れられた彼は、最低限の身支度を整えて再び引きずられるようにルールーの前へ放り出されてしまう。
ロビンフッドの部下である騎士たちから歓待を受けていたルールーは肉を頬張りながら体面に座る男を睥睨すると、途端に相手は視線を右往左往させる。
相変わらず臆病な男だ、出会ったばかりの頃から変わることに無いそんな評価を再び認識すると、ルールーは呆れながらも状況説明を求めた。
「で? 状況は?」
「あ、はい……ええっと、低級の悪魔がそこらへんをうろついてまして、ちょっと手こずってます」
「その悪魔の戦力は?」
「あぁ~……まぁ、訓練を積んだ騎士なら問題なく勝てるくらいですけど」
「あれじゃろ? 飛び回ったり、色んな所に沸いたりで走り回ることになって手こずる訳か」
「そうなんです、しかもおっかない顔をしてるし、声も怖い上に獰猛で」
ロビンフッドが率いる守護騎士団も駆除を行っているのだろうが、あちらこちらに現れて被害を齎す下級悪魔に煩わされているのだろう。
ゲリラ的に現れて暴れる悪魔の被害を完全に抑えるとしたら、徹底的な警邏と警備が必要である、帝国国境はとんでもなく広いのでそれは無理な話である。
せめて悪魔たちがどこからやって来るのかわかれば良いのだが、それは野生の獣がどこからやって来るのか予想するようなものなので、完璧な対策を取ることは難しい。
相手が組織立って動くのならばまだやりやすい、しかし本能的に野生動物のように動く低位の悪魔はそこまで知恵は回らないだろ、つまり予想も想定もあまり意味はなさない。
根気よく、そして大人数で警邏と警備を行う、帝国の防衛と治安維持を主な任務とする守護騎士団だけでは手が足りないので、こうしてルールーを筆頭に近衛騎士や警邏隊が呼ばれたという訳である。
「ふん、まぁ広く駆けまわって見つけ次第潰すしかないか」
「はい、お願いできますか?」
「人任せにするでない、お主もやるのだ」
「あんな恐ろしい悪魔たちと戦えと!? ルールーさんは私をなんだと思っているんですか!?」
「守護騎士団の団長じゃろうがい!!」
またルールーの蹴りが大きな体に炸裂してしまう、それを受けて巨体がゴロゴロと地面を転がるのだった。
「さっさと片付けて手前を帝都に帰らせろ、可愛い嬢ちゃんたちを愛でたいんじゃ」
悪魔も怖いがルールーも怖い、それがストレスと緊張へと変わっていき、ロビンフッドはまたもや吐き気を感じ取っているようだ。
帝国最高の騎士は、とにかく臆病でありストレスと緊張に弱い。
そんな脆弱な精神面に目を瞑れる理由はただ一つ、ロビンフッドはその立場にあれるだけの力を持っているからだ。
帝国の危機となれば必ず先頭に立たされる彼の夢は、田舎に引っ込んで芋と麦を育てることらしい。
なお、それは決して叶わぬ願いである。