商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
帝都でエミリーとミューが色々と楽しんでいる頃、行商組となったシャルルとキャロルは穏やかな時間を過ごしていた。
天気は快晴、道はしっかりと整地されているので国道を進む限りは荷馬車や牽引馬が足をすくわれることもない、場所によっては煉瓦が敷き詰められているので泥濘も存在しない、ただただ快調でであった。
馬が歩を進める度に蹄が大地を打つ音が聞こえて来て、それは淀みなくどこまでも続いていく。
ちゃかぽこ、ちゃかぽこ、そんな煉瓦と蹄が重なる軽い音に耳を傾けながら、シャルルとキャロルは帝都から離れて西部方面へと足を延ばしている。
西部方面と言っても何か変わるということでもない、帝国領土でありそこに住む者は帝国国民なので言葉も文化も殆ど変わることは無い。
殆ど、という言葉が引っ付くのは、帝国領土はあまりにも広大なので場所によっては方言や訛りがあり、加えて元々は帝国ではなく別の国家や地域であった所は独自の文化や言葉を持つことも多い。
多種多様な国や民族や人種が長い時間を混ざり合って今の帝国があるのだが、それでも完全には同化できていないので、偶にだが酷い方言や訛りを持つ者も多い、今となっては少数派ではあるが。
シャルルやキャロルもそう言った者たちと接する機会はあった、国道を進んでいると偶にすれ違う者たちが挨拶をするのだが、その中に上手く聞き取れない発音や言語があったのだ。
ただそういった者たちも伝わっていないことに気が付くと、すぐに共通語で挨拶をしてくるので大きな苦労もない。
その地域独自の方言が根強く残りながらも、共通語がしっかり普及するだけの時間と教育が地方に回されているということだろう、おかげで二人が困るようなこともなかった。
帝都から離れれば離れるほどに訛りや方言が強くなるのだが、今のところはそこまで苦労はない。
立ち寄った地方都市で商品の売り買いをしていても使われるのは全て共通語である、方言などは酒場で酔っ払いたちが身内だけで話す時に使われるくらいであった。
「それじゃあこの酒樽は置いてくよ」
酔漢たちがステージで踊る娼婦たちに野次を飛ばしている中で、シャルルはカウンターでグラスを磨いていた店主にそう言った。
「あぁ、丁度切らしてたから助かるよ、帝国の酒はこの辺でも人気があるからすぐに無くなるんだ」
ここは帝都から離れた地方都市の一つである、元々はどこかの国の王都であったそこで、大通りに面した酒場での商いであった。
酒神会から購入した帝国産の酒をここで売ろうとしているようであり、その商談自体はなんの障害も無く上手く行っている。
酒を欲している相手と、それを売りたい自分たち、どちらも欲深く儲けを求めている訳でもないのでとても話が早い。
最初に提示した金額、酒神会で酒樽を購入したときの値段より少し大きいくらいの値段を提示すると、酒場の店主は即決で購入することを決めて今がある。
「ん……じゃあこれ、置いておくね」
商談が成立すると、キャロルが荷馬車から降ろした酒樽をコロコロと転がしながらカウンターの奥へと持っていく。
「……味見する?」
「そうだな、一応は試しておくとしよう」
店主の男も別に疑っていた訳でもないだろうが、中身が本物かどうか確かめる為に酒樽から少しだけ酒を絞り出して口へと含む。
「うん、美味いな、帝国の酒は品が良くて飲みやすいものばかりだ」
「口に合うのなら良かったよ、持ってきたかいがあるしな」
「ん……この辺りのお酒は違うの?」
「そりゃな、まぁ色々と試しちゃいるが、酔っぱらう為だけの物が多いのさ。その点、帝国産の酒はどれも美味い」
そんな店主の言葉が気になったのか、シャルルはこんなことを尋ねた。
「帝国、帝国っていうけど、この辺だって帝国だろ?」
「んん? いや、違うだろ……いや、そうなのかな?」
「いや、こっちが聞いてんだけど」
「あぁ~……確か先先代のご領主の娘が帝国の皇帝と婚姻関係を結んだとかで、領有権が何だかんだって話があってな、この辺は帝国領土になったんだってことなんだろうが……う~ん」
その辺の政治的な所属や事情は庶民にはあまり関係が無いのかもしれない、自分たちを従える主が変わってしまっただけで生活に大きな影響がないのだ。
だからなのか地方になればなるほどに、自分たちの所属が曖昧な者も多いのだろう、言われてみれば自分たちは帝国所属だったなと、この店長も思い出したほどであった。
庶民の認識や考えなどそんなものなのかもしれない、特に自分の生まれた場所や地域からあまり動かない者は特に顕著に思える。
自分たちの生活さえ大きく脅かさないのならば、領主がどこの誰であっても興味が無い住民も少なくは無い。
「この辺は帝国領土になるな、確かにそれなのに帝国の酒をありがたがるのはちょっと変か、自分とこの国の酒だってのに」
そう納得したのか酒場の店主はどこかおかしそうに笑って見せる。
「まぁワシみたいな考えの者はそう少なくはないだろう、地方に行けば行くほど元々の国の影響が強い場所も多いだろうからな……ここ位なら帰化してそれなりに経ってるからあれだがよ」
「そういえばここに来る前にすれ違った人らは変な言葉で挨拶してきたな」
「方言の一つだろう、この地域ならある程度は通じるが、帝都とか東部方面とか来た連中は戸惑うだろうさ」
「ふうん、そういうもんか」
「それでもまだここは帝都からそう離れてないからマシだと思うんだがなぁ」
「地方に行けば行くほど、独立心みたいなもんが強いのかな?」
「多分な、そういう所はまだ帝国に帰化してそう長い時間が経っていないだろうから、帝国を他所の国と考えても何もおかしくはない」
「他に何か面白い話は無いかな?」
「面白いかどうかは知らないが、ここ最近は帝国の騎士が警邏を強化しているな。悪魔が出たとかなんとか、反乱があったとかどうとか、本当かどうかは知らない噂程度のもんだがな」
「この辺は穏やかに見えるけど……もっと西の方の話っぽいな」
「だろうな、あっち方面がどうなってるかまではハッキリとわからん。お前さんらも西へ行くのなら気を付けると良い」
広大な国土を持つが故の状況なのだ、そしてそれこそが帝国という国の強さであり歴史なのだ。
様々な国と、様々な人種、文化や価値観、それらの相克によって生まれる次への一歩、その積み重ねこそが帝国の歩みであると言えるだろう。
停滞を嫌い常に前進する国家だからこそ大陸でも屈指の大帝国として今日もある、その過程でどれだけの争いがありどれだけの血が流れたのかシャルルにもキャロルにもわからない。
簡単にわかると、理解できると言えないだけの積み重ねがあるのだ、そしてその積み重ねはきっと今も続いていて、これからも継続されていくことになる。
「聞いた限りだと、地方に行けば色々と問題もありそうだな」
「ん……帝国は広いから」
二人は商談を終えて酒場から外に出る、そして荷馬車へと乗り込んで緩やかに馬を走らせた。
商いのついでにちょっとした世間話をしただけだったが、思っていたよりも地方の情報が手に入ったことに満足しているようだ。
商売をする上でその地域の事情や考えや歴史などはとても重要である、些細なことであっても事前に知れて良かったと考えているのだろう。
この辺りは帝国に併合されて長いのであまり問題はないのだが、もしかしたら別の地域では帝国の酒は歓迎されないということも考えられる。
例えば独立心が強い地域では、反帝国とでもいうべき活動や考えがあることもまたあり得るのだ、そんな場所に帝国の酒を持っていけばあまり良くは思われないことが容易に想像できてしまった。
もしかしたら、という程度のものでしかないが、そういった所に気を遣うのもまた商人に必要な配慮であるのだろう。
「とりあえずこのまま西に進んでいこう、行ける所まではな」
「ん……あの人にもお酒を届けないと」
「だな、ルールーにも会わなきゃいけないし、商品もあるからまだ進めそうだ」
先程、酒の売却でそう多くはないが資金も手に入った、それでも荷台にはまだ幾つもの樽が並んでいるので商いには困らない。
なので二人はルールーと合流することを一つの目的として荷馬車を西へと向けている、その先に存在する各地方都市へと立ち寄り、売り買いを繰り返すのだ。
今現在、滞在しているこの地方都市もまたそんな旅路の中で立ち寄った一つである。
「……もう少し進んだら、金も手に入ると思う」
「まだ金山がある地域じゃないんだっけか……それまでに資金を溜めとかないとな」
幸いにも商品はまだまだ潤沢だ、上手く捌けばそれら全ての資金で金を揃えられるだろう、帝都での需要が高まっているので纏まった数を持って帰ればそれがまた利益へと繋がるはずだ。
同じようなことを考えている商人も多いのだろう、国道を進んでいると二人と同じように金の流通が太い西部方面へ向かっている荷馬車が幾つも確認できていた。
「胡椒とか塩とか砂糖なんかはどこに持って行っても手堅く売れるから、あんまり地域差とか考えなくていいか」
「ん……もう少し西に行く前に帝国産のお酒は全部売るべき」
キャロルが振り返ると荷台の中で揺れる商品の中に酒樽が一つだけ確認できる、もう一つの酒樽は先ほどの酒場で売り払ったばかりだ。
「酒は次の都市で完全に売ればいいよ」
「ん」
緩やかに進む荷馬車は馬に引かれて地方都市を離れていく、時刻的にまだ余裕があったのであの場で宿を探さずに次へ向かうことに決めたらしい。
最悪、野宿でも構わないと二人は考えているのかもしれない。
「問題なのは商品よりも西の情勢だろ、噂の域を出ないみたいだけど、悪魔とか反乱とか物騒な話もあった訳だし、気を付けないと」
「……本当かどうかはわからないけどね」
「だな、まぁ、今より西の方へ行けばその辺もわかるだろ」
隣に座って干し果物を齧るキャロルが、指先に摘まんだ葡萄を手綱を握るシャルルへと差し出してくるので、彼女はそれを齧って受け取っていた。
もしここにエミリーがいれば行儀が悪いと小言が飛んでくるだろう行為だが、今は遠く離れた帝都にいる筈なので自由なものである。
少しだけの心細さはあるものの二人旅というのも偶には良いものだ、そんなことを考えながら彼女たちが操る荷馬車は進んでいくのだった。
それからどれくらいの時間が過ぎただろうか、丘を越え小山を超えて、それでもしっかりと整備された国道を進んでいると、キャロルがふと視線を上に向ける。
「……ん~、んん?」
「どうした?」
自分の隣に座る妹の様子が変わったことに気が付いたのだろう、シャルルが手綱を握った状態でそう田津寝ると、キャロルは背中に背負っていた黄金の弓を取り出して巻かれていた布を取り外していた。
そして矢筒から一本の矢を取り出して弓と重ね合わせると、その先端を空へと向けたのだ。
その矢の先端の先にあるものを追いかけるようにシャルルの瞳も空へ向く。
「なんだあれ、鳥か?」
キャロルのような黄金の瞳を持たない彼女には、空高くに存在する何かはそうとしか思えなかったのだろう。
しかしキャロルに言わせれば違う、あの小さな影は鳥などではなく、もっと醜悪な者であった。
引き絞った弓が僅かに右往左往する、そうやって距離や角度を調整したかと思うと、キャロルはここぞというタイミングで矢を解き放つ。
風切り音を発して放たれた矢は空へと駆けのぼる、重力を振り切るかのように勢いを弱めないそれは二百メートルほどは上昇しただろうか。
やがて矢が思い出したかのように重力に引かれて少しだけ山なりの軌道へと移ると、まさにその瞬間に小さな影へと届く。
まるで命中することが予め決められていたかのように、対象と矢の間に運命的な何かでもあったかのような狙撃であった、空を飛ぶ小さな影は哀れにも墜落して地面へと叩きつけられるのだった。
「ん……悪魔がいた」
「へぇ、悪魔か……ワタシも聖都に辿り着く前に戦ったことあるな、あんまり強くはなかったけど」
「ん……あんまり強そうじゃなかった」
「矢で一撃だもんな」
ただこの場で問題となるのはそんな大した力もない悪魔が何故ウロウロしているかという点だろう。
これが野生動物であればそこまで気にならないのだが、悪魔というのは会おうと思って会える存在でもないのだ。
「西の方で悪魔がよく出るって噂、本当なのかもしれないな」
実際に彼女たちは噂の悪魔と交戦している、キャロルの狙撃という一方的な展開であったが戦ったと言ってもいいだろう。
一度悪魔を見たからなのか、キャロルは骨組みの上に布を被せただけの荷馬車の屋根に器用に飛び移る、そうやって僅かにだが高い視界を得て周辺の警戒を行っていく。
そんな状態で二百メートルほど進めば、先ほどキャロルが狙撃した悪魔の遺体が道端に転がっているのが発見できた。
蝙蝠のような羽に、赤い瞳、爪に牙、知性を感じられない愚鈍な顔つき、そして人間とそこまで変わらない体躯、しかし肌は紫色で皺だらけで体毛が見当たらない、そんな悪魔であった。
大きな力を持たない低位の悪魔なのだろう、心臓を矢で貫かれて絶命しているらしい。
シャルルが聖都に辿り着く前に戦ったことのある悪魔も似たような姿をしていたことを思い出す。
キャロルは荷馬車から飛び降りて胸に刺さった矢を引き抜き、こびり付いた血と肉を拭い去ると、歪みや欠けが無いことを確認して矢筒へと戻す、どうやら節約したいらしい。
「ん……弱そう」
「あんまり強くない悪魔なんだろう、魔王とかじゃなくてさ」
「……そうだね」
キャロルとシャルルはそれぞれが戦った魔王を思い出す、嵐の王も死の王もこんなに簡単に倒せるような存在ではなかった。
「この悪魔はあちこちに出没してるみたいだし、どこかに生み出してる存在でもいるのかもな」
「……魔王かな?」
「悪魔をポンポン生み出すような魔王か、考えたくないな」
魔獣母という言葉が二人の頭に思い浮かんでしまう、そしてそれぞれが戦った魔王の姿が過り、それを振り払うような頭を振った。
この悪魔はなんでどこから来たのか、そんなことを考えても答えなど出ないのだ、悩むだけ無駄であると結論を出すしかない。
「それにしてもこの悪魔……なんか変だな」
ゲシっと、シャルルが悪魔の遺体を蹴り転がすと、仰向けからうつ伏せになる、すると悪魔の背中部分が露わになってシャルルが変だという部分がよくわかった。
紫色でしわくちゃの肌をした低位悪魔の背中は、その一部が金色に輝いているのだ。
そこだけ金箔を張り付けたかのような様子である、一体なんでそんなことになっているのか二人には見当もつかない。
だは、悪魔がいてその悪魔にも異常があるのだ、二人がこのまま西へ向かって大丈夫なのかと思うのはとても自然なことだろう。
言いようのない不安が二人の胸にあった。