商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
シャルルとキャロルが傭兵業に手を出そうとしている頃、帝都にいるミューとエミリーもまた己にまかされた仕事を行っていた。
銀行へ提出する書類などの整理や製作が主な仕事なのだが、それ以外にも絵のモデルという仕事も受け持っている。
これは一応は娼婦業と呼ぶべきなのだろうか、かなり妖しい所ではあるがモデルとなっている者の多くが娼婦であるのでそんな扱いとなっているらしい。
「美しさとは不変ではない、昨日と今日ではやはり異なるのだよ……その日その日の在り方をキャンパスに描くのが私の仕事なのさ」
キャンパスの前に椅子を置き、筆を走らせながらそんなことを言うのは依頼主のエヴァであった。
「幼さも良い、大人らしさもまた良い、成熟した姿も、老いて力を失った在り方もまた良し、私はまさに他者の人生の節目を描くことに快楽を見出しているのだろう」
「……エヴァさんは裸婦画ばかりだと思っていましたが」
「勿論、商売である異常は資金を稼ぐのは当然のことだ、芸術活動というのは何かと物入りなことを多いのでね。モデルに支払う報酬やこのアトリエの維持費、結構な額になるとも」
キャンパスから視線を外してモデルをしているエミリーとミューに微笑みかけて来る。
「ただ裸婦画が主だというのは間違いがないとも、人間の体と言うのはとても機能的で洗練されているのだから、極めて原始的な生物的美しさを有しているんだ。固く分厚い男の筋肉も、柔らかくしなやかな女性の体も、どちらもそれぞれ趣があるじゃないか」
「ふむ、芸術的美しさか……考えたことはなかったな」
そんなことを呟くのは同じくモデルに徹するミューである、人間的な価値観がまだ希薄な彼女にとってエヴァの言葉は新鮮なものに感じたらしい。
「そうとも、性差も大きな違いだね、描きがいがあるとは思わないかい?」
そう尋ねられても上手い言葉は返せない。
「幼さもそれはそれで魅力的なものだ、老齢者の体に刻まれた皺もまたそのモデルに深みを与えてくれる、人というのはかくも芸術的な存在なのさ」
そこでエミリーとミューは広いアトリエの中にこれでもかと飾られた絵をその場で眺める、赤ん坊から老人、男と女まで網羅した様々なモデルが描かれた絵が壁や天井に存在するのだ。
アトリエの中心にいると、まるで大勢の人に観察されているような気分になるのだが、エヴァにとってはその光景は至福なのだろう。
自らが描いた芸術品に囲まれて生きていく、その結果として収入を得られるのだから、芸術家というのはまさに彼女の天職なのかもしれない。
「それぞれの年代にそれぞれの魅力があるのは間違いないが、個人的に好みなのは君たちぐらいの年齢がお気に入りなのさ、女と少女の丁度中間位の容姿はとても良い……愛らしさと美しさ、幼さと妖艶さが共存しているからこそ出せる独特の魅力があってだね……これは私個人の趣味趣向でもあるのだが統計学の観点からも人が最も魅力的だと言われている年代であり、これは俗な言い回しをすると黄金時代と呼ばれていてね」
「は、はぁ……」
言いたいことは何となくわかるのだが、エミリーはどこか気の抜けた返事をするしかなかった。
「あぁ、こらこら、視線を下げないでくれ、とても重要なことなんだ」
「す、すいません」
「エルフ君、君もだ、何故呆れた表情をしているんだ、いつも通りキリッとしたまえ」
「も、申し訳ない、気が緩んでいたようだ」
凄まじい熱量で芸術的な視点で人を語られたことで、少しだけ呆れてしまった二人は注意されてしまった、モデルとして雇われていることを思い出して慌てて姿勢を正す。
今の二人は貴族の子女が纏うような上質なドレスで着飾った状態で、二人して長椅子に腰かけている様子であった。
その状態で身を寄せ合っているのだ、エミリーは僅かにだが首を傾けてミューの肩を枕にしており、二人の手は膝の上で重なり合っている。
裸婦画ではなく美人画なので肌は晒していないのだが、それでも二人の間にはどこか性愛を感じさせる雰囲気があり、そういった同性愛をエヴァは描きたいのだろう。
「まぁお喋りくらいは構わないけどね、そこまでうるさくは言わないとも。せっかくこうして顔を突き合わせているんだ、穏やかに過ごしたいじゃないか、会話の無い人生程つまらないものはない」
ただ依頼主であるエヴァは視線や表情にはうるさいが会話することまで禁じてはいないので、そこはモデルの経験が薄い二人にも嬉しい所であった。
姿勢や視線はしっかりと固定しながらも会話を続けていられるので、あまりストレスを感じないのだろう。
「今日はあの二人はいないのだろう? シャルルとキャロル、月と黄金の香りがする二人だよ」
妙な表現をするなと思ったのはエミリーかミューか、おそらくどちらもだろう。
「はい、あの二人は暫くモデルの仕事が無いとのことなので、帝国西部へ商いに赴いております」
「それは上々……とはいえ西部か、なかなかに面倒な所に行ったものだ」
「面倒とは、何か問題があるのだろうか?」
ミューの疑問にエヴァは「勿論」と返す。
「あの地域、特に西部方面は一部がまだ帝国に帰化して日が浅い、反帝国とでもいうべき感情が根強く残っているのさ」
「反帝国、ですか」
そこでエミリーはヘステアを介してシャルルたちから伝わった情報を思い出す、西部方面の情勢や相場などが手紙には書かれており、その中に似たような言葉が出て来たのだ。
こういった地域や帰属意識の問題はどこの国でもあることなので特に意識はしなかった、帝国以外の国でも似たような問題は必ず存在するからだろう。
ただ帝国は広大だ、様々な土地や地域や民族が混ざり合っているので、特に顕著ということだ。
「治安などは悪いのだろうか? キャロル殿とシャルル殿からの手紙だけではそこまでわからなかったのだが」
「いや、そこまで酷くは無いとも、騎士も兵士も頻繁に警邏をしているしね、賊が跋扈するような修羅の土地ではないさ……商いも活発で巨大な鉱脈もあるから豊かな土地と言えるだろう」
「だからこそ、でしょうか?」
「ふむん……いかにも、その通りだとも。豊かだからこそ、その土地に古くから住む者たちは帝国に属することなど考えられないのだろう」
「……つまり、自分たちの富が帝国に奪われているような考えがあるということか」
「あくまで一部の人々の中で、だけどね」
エヴァはキャンパスに筆を走らせながら、何でもないことのようにこう語る。
「最西部地域が帝国に属するようになったのは先代皇帝の頃だったか、その頃はまだ独立状態であって、帝国との関係は貿易相手という感じさ。さっきも言ったが巨大な鉱脈資源があるからとても羽振りのよい国だった……まぁ問題なのはその豊かさだ」
そこからエヴァが語ったのは本当にどこにでもある話だった、豊かな資源を求める隣国との争いと諍いによる大きな戦争の勃発である。
「当然ながら西部地域は侵略者に対抗する為に兵をあげたのだが、惜しむらくは豊かさに反して軍隊の質はそこまで高くはなかった、元々国土もそこまで大きくはなく人口も帝国に比べれば少ない、隣国との争いが始まれば帝国に頼るのは自然な流れと言えるのだが……まぁ、その判断を遅らせてしまった訳だ」
「それは何故でしょうか?」
「帝国を警戒していたからだろう、下手に援軍を要請してそのまま居座られるのではないかとね……言いたいことはわからなくは無いが、その判断の遅れで戦は激化した上に泥沼となってしまう」
そして帝国が介入する段階になった頃には国土はボロボロになってしまったということだ。
そこから生き残った王族の一部が帝国皇帝や貴族などと婚姻関係を結んで、最西部地域は帝国に属することになったらしい。
「帝国の歴史はわかりました、そんなことがあったんですね」
「どこにでもある話さ、争いも外交もね……最西部地域が帝国に属した以上は、そこに住む者たちは食わせていかなければならない、ただ幸いにもあそこは資源が豊富だから国土の立て直しは簡単だった」
大きな鉱脈や資源があるのだ、そこから生まれる富を注げばじきに豊かさを取り戻せるだろうと帝国首脳部は考えて、実際にそうなった。
「問題があるとすれば、一部の者たちが帝国主導での立て直しに不満があったことかな……彼らはこう思った訳だ、自分たちの富が帝国の物になってしまっていると」
「それは……どうなのだ? 別に奪われていた訳でもないのだろう?」
ミューが抱いた尤もな疑問に、エヴァは頷きを返す。
「そうとも……ただ感情と言うのは厄介でね、半世紀たった今でもその時の感情が残っている。誰も彼もが賢く穏やかに生きられる訳ではないのだから、本当に厄介だよ」
困ったものだととばかりにポリポリと首を掻くエヴァは、なんだか疲れ切った政治家のような顔をしている。
芸術家として働いているというのに随分と深い理解だとエミリーとミューは思う、政治や歴史にあまり精通しているようにも見えなかったのだが、そんな印象に反するように流暢に語ってくれた。
「エヴァさんは博識なのですね」
「ふむん? まぁ、帝国国民ならば一般常識みたいなものさ、特別なことでもないとも」
謙遜したようにそう返すのだが、二人にはそうは思えない。
エヴァが語った歴史はそれこそしっかり学ばなければ、そういった機会や学習環境が無ければ得られないものなのだろう。
少なくともエミリーとミューは帝国の細かな歴史など知らない、人里から離れていたミューはともかく、知識欲が豊富なエミリーも知らない事柄である。
歴史的な節目や大事件ならば教養として学んでいても、どこにでもある細かくて細い歴史などは彼女も知らないのだ。
エヴァは帝国国民ならば当然と謙遜していたが、そもそも学習の機会を得ている時点で一般的ではないのだ。
もしかしたらエヴァはどこかの貴族の子女なのかもしれない、もしくは富裕層に属する商人の娘だろうか、そんな評価がエミリーとミューの中に芽生えたらしい。
「まぁ何にせよだ、あの二人が西へ向かったのならば少しばかり警戒すべきだろうね、一部では独立心が行き過ぎている所があるからね」
「わかりました、二人には手紙を送っておきましょう」
「それが良いだろう……とはいえ、そこまで酷い情勢でもないので少し警戒する程度で構わないだろう」
僅かな笑みを浮かべてエヴァはそう言った、なのでエミリーとミューの間では帝国西部は少しだけ不穏な雰囲気はあるもののある程度の治安が保たれている場所と言う認識に落ち着くのだった。
帝国に限らずどこにでもある問題なので、それほど特別視する必要もないと判断したのだろう、ヘステアを使った手紙のやり取りで伝えることはするが、シャルルとキャロルはどちらも決して頭が悪い訳でもなければ警戒心が薄い訳でもない、きっとあちらも情勢を調べているだろう。
それにだ、もし面倒事や争いごとに巻き込まれたとしてもあの二人ならば強引に切り抜けられるだけの力があるという信頼もあった。
心配はするし情報交換も行うがそれまでだ、きっとあの二人なら魔王が現れても突破できると信じているのだ、実際にそうやって聖都で合流できたのだからこれ以上の保証はない。
「情勢と言えば……帝国では新しい通貨が運用されていると聞くが」
ミューとしては遠く離れた西部情勢よりも、帝都の情勢の方が気になるのだろう、人間社会を勉強中ということもあって最新の話題には敏感であった。
「あぁ、そうとも、君たちへの報酬も全て新通貨で行っているだろう? 上手く両替できたのでね、それで構わないだろう?」
「うむ、交換する手間が省けるのでありがたい限りだ」
「新通貨の発行には色々と事情があってだね、君たちもある程度は聞き及んでいるだろうが、正体不明の偽造通貨が国内で流通している、それらを一掃する為の策の一つだよ。新しい資金の流れを作って不審な流れを観測して犯人を捜そうというね」
「エヴァ殿は商人ではないのに随分と詳しい」
「勿論だとも、この程度は一般常識だ。それに私は芸術家であり美術商さ、商いにも精通しているのだよ」
やはりエヴァは博識だ、二人はそんな認識を更に強めた。
「新通貨を作っただけで全ての問題が解決すると思うのは些か軽率ではあるが、よからぬことを考える者たちの尻尾でも見えればありがたいことだ、そこから芋ずる式に捕らえられるだろう」
「例の偽造通貨は私もエミリー殿も目にしたことはあったが、とても精巧な作りであったな」
「えぇ、そうですね、そこに偽物があるという認識がなければ発見できないくらいに完璧な物でした」
「ふむん、君たちは真贋を判別できたということかい? あれは帝国魔術院の魔術師くらいしかわからないというのに」
「私とミューさんは魔術を嗜んでいますから」
「あぁ、なるほど、魔術師の瞳という奴か」
納得したように頷きながらパレットの上で絵具を混ぜるエヴァは、ついでと言った雰囲気で偽造通貨に対する評価を聞いてきた。
「君たちの瞳ではあれらはどう映っただろうか?」
ただの世間話の延長程度の認識だったのだろう、それ以上の理由はなく気の利いた言葉を期待していた訳ではないだろう。
「どう映ったか……うぅむ、私は言葉にはすることが難しい違和感を覚えた」
「私も同様ですね、どうと問われると言語化が難しいんですけど」
そんな二人の印象は、帝国で偽造金貨のことを調べている魔術師たちと概ね一致していたのだろう、何かよくわからないけど違和感を覚えるというのが偽造通貨に対する評価であった。
ただそこから先は少しだけ踏み込んだ、エミリーやミューだからこそ気が付けた視点が語られることになる。
魔王という存在と接触したという経験があったからこそ、彼女たちはこんなことを言うのだった。
「後は、少しだけ魔性の気配がしましたね」
「あぁ、それは確かに、エミリー殿の言う通りだ」
「まぁ、本当に些細なものでしたから、勘違いかもしれませんけど」
そんな二人の言葉にエヴァは難しそうに眉間に皺を寄せて、僅かに筆を鈍らせる。
「……ふむん、魔性ねぇ」
そしてエヴァは僅かな動揺を消し去るように、なんでもないようにそう返すのだった。