商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
魔性を感じるというエミリーとミューの言葉に何かを感じ取ったのか、エヴァは予定よりも早く作業を切り上げて二人にこんなことを言った。
「魔性、悪魔の気配と言ったが、そこまではっきりとわかるものなのかい?」
「いえ、間違いがないかと問われると自信はないのですが……」
「ふむん、まぁそうだろうな……ちょっと待っていてくれ、用意させてみよう」
すると彼女は近くに控えていた従者に指示を出すと、自らはお茶を用意しながらそれを待つ。
モデルの仕事は終わったのでエミリーとミューは既に姿勢を正して用意されたお茶へと手を伸ばしていた、ずっと姿勢を固めていたので体が凝っているのかしきりに解しているようだ。
ただそれらも後を引くようなものではない、差し出されたお茶とお菓子を楽しんでいる間に消えていく程度の疲労である。
モデル用にと身に纏った貴族子女のようなドレスも着替えたかったのだが、それは何故か頑なに拒否されてしまったので未だに身に着けている、エヴァ曰く目の保養になるらしい。
カップに注がれたお茶と皿の上にあった焼き菓子が完全に消えた頃、エヴァの従者が膨らんだ革袋を片手に工房へと帰って来る。
「来たようだね、大通りで適当に買い物させて小金貨を集めさせたんだ。君たちの言う魔性の気配とやらを確かめる為にね」
「我々も確信があってのことではないのだが……」
「勘違いならばそれで構わないよ、笑い話で済むのならばそれに越したこともない」
従者から受け取った革袋の紐を緩めて、中には行っていた金貨を机の上へとひっくり返す。
主に大金貨で何らかの買い物をしておつりとして小金貨を回収して来たらしい、偽造通貨が手に入るように広く交渉して来たのだろう、綺麗な物から長い時間による摩耗が刻まれた物など様々な小金貨が机に広がった。
大金貨と比べれば小さくともそこには確かに黄金の輝きがある、目も眩むようなと言えば少し過ぎた言葉かもしれないが、それでも知性ある生命を惑わせる何かが黄金の光には含まれるのだろう。
「さて、この中に偽造通貨は紛れているだろうか? 残念なことに私にはさっぱりだ」
魔術師の瞳を持つ二人が小金貨の小山を注意深く眺めていくと、幾つもある黄金の輝きの中に奇妙な違和感を見つけ出す。
それは雪の中に白い兎が隠れているような、わかりにくいながらも確かな違和感だ。
二人の指先が幾度か小金貨の小山を掻き分け、その中にあった違和感を纏った金貨を取り出す。
「これとこれ、あとこちらもですね」
「うむ、それほど多くは無いが、幾つかは紛れ込んでいるな」
偽物があるという前提で探せば、魔術師の瞳を持つ二人は些細な違和感を見逃すことはない、逆にそういう認識が無ければ気が付けないくらいに巧妙に隠されている証明でもあった。
「ふむん……割合で言えば十分の一程かな、やはり多いな」
偽造通貨を取り出す作業が終わると、偽造通貨は女性の掌を埋める程度の数は集まってしまう。
「さて、どうだろうか、魔性の気配は感じるのかな?」
そちらもまた、魔性の気配があるという前提で見る必要があるだろう、黄金の輝きの中に巧妙に隠された異物感を拾い上げていくのだ。
擬態している、とでも呼べば良いのだろうか、木々の中に紛れる擬態虫のように見分けることが難しい、そこにいるという確信が無ければまず見逃してしまうような存在感の無さである。
それでもエミリーとミューは偽造通貨の中に、そこにある黄金の輝きに、薄っすらとだが魔性を感じ取るのだった。
気のせいと言われてしまえばそれまでと話だ、彼女たちにもきっと確信が無いのだろう、魔王と接してその気配や力に触れた経験があるからこそ、なんとなく気が付いたにすぎない。
仮に魔王や悪魔の存在と深く関わっていないのならば、きっと二人は気が付くことはなかっただろう。
「おそらく……断言はできませんが、そうだという前提で注意深く観察すれば」
「そうだな、とても小さく些細なものでしかないが……これは悪魔の気配を宿している」
「……ふむん」
エヴァはその発言に指を顎に当てて深く考え込む、そんな彼女は芸術家ではなく政治家の顔となっていた。
「帝国ではこれらの偽造通貨に悪魔の気配があることを把握しているのでしょうか?」
「いや、私が把握している限りはそんな話はない……まぁ、私は政治家ではないので深くは知らないのだがね。いやいや、しかし、悪魔の気配とはなんともいただけない、妖しい通貨だとは思っていたが物騒にもほどがある」
「私の方でも少し調べてみましょうか?」
エミリーのそんな提案にエヴァは興味深そうに頷く。
「そうだね、君たちの言う魔性の気配というものが本当に存在するのか、それを知りたくもある……別に疑っている訳ではないが、客観的なわかりやすい証拠というのは重要だ、しかしどうやって調べるのだ?」
「方法は幾つかあります、まず祝福の力を持つ人物……つまり聖騎士や高位の神官などに依頼して、その力で金貨に宿った悪魔の力を排除することでしょうか」
「簡単に言ってくれるが聖都ならばともかく都合よくそんな人材はいないのだがな……ふむん、神殿の高位神官に依頼してみるか、聖騎士を引っ張って来るよりはまだ簡単だ」
この場所にシャルルがいれば話は早いのだが、今は帝国西部へ赴いているので呼び出すのは不可能であった。
「後は、灯の魔術であぶり出すことでしょうか」
「残念なことに私は魔術に深い理解がある訳ではないのでね、それがどういうものなのかさっぱりわからない」
「わかりやすく説明いたしますと、悪魔がとても嫌がる火のことです。聖騎士が纏う祝福の光のように、それを魔術で再現したものと説明するのが一番近いでしょう」
厳密には異なる、しかし性質は似ているのでエミリーとしてはそう説明するしかないのだろう。
「それならば今この場で行うことが出来ますから、手間もかかりません」
「ふむん……まぁ素人の私に魔術のことなどわかりはしない、君がそう言うのならば、それで行こうじゃないか」
長々と魔術の説明をされるよりもエヴァとしてはその方が喜ばしいのだろう、百の言葉よりも実際に見せられた方が納得もできる、彼女は話の早い女であった。
「わかりました、私としてもこの金貨が気になりますのでしっかりと調べますね。ミューさん、念の為に警戒をお願いします」
「承知した、何が起ころうとも私が守ろう」
ミューはアトリエの入口付近に置かれていた黄金の槍を引き寄せる、巻かれていた布を取り払って先端が無数に枝分かれした槍を握った。
貴族の子女が身に纏うようなドレスに黄金の槍はなんともアンバランスな印象を与えるのだが、エヴァとしては芸術的な感性が刺激されたのか、興味深そうに頷いてその姿を眺めている。
彼女の準備が済んだことを確認すると、エミリーは机の上で分けられていた偽造通貨を掴みあげて掌の上に移す。
両手で器の形を作り、そこに無数の小金貨を収める様子は、黄金の液体を救い上げているかのようにも見える。
「では行きます」
ミューとエヴァに視線を向けて、頷きが返って来たことを確認すると、エミリーは魔力を高ぶらせていく。
火を宿したかのように髪が淡く輝き、陽炎を立ち上らせたかと思うと、灰と火花が舞い散った。
それは膨大な熱を宿した薪のようにも見える、だというのに着ている衣服は燃え上がることもなければ彼女が腰を下ろしている椅子が焦げるようなこともない、そして体面に位置するエヴァの肌が焼けるようなこともなかった。
信じられない程の熱を持っているのに、それが誰かや何かを傷つけることがないという矛盾を孕みながら、エミリーの熱は高まっていく。
「ほう……幻想的で美しいな。ふむん、魔術が見せる視覚的な装飾と言うのも悪くない、ただの美人画や裸婦画には無いものだ」
そしてエヴァはやはりと言うべきか芸術家としての興味が大きいらしい、どんな魔術であるかよりも彼女にとって重要なのはそこなのだろう。
燃え上がるエミリーを前にしていると、暖炉を思い浮かべるような温もりがある、その柔らかな熱はやがて黄金を救い上げる掌へと集まっていき、そこに灯の魔術を構築した。
人類史の始まりを刻んだその灯は、祝福の光を満たされた熱だ、決して熱くはなく誰かを傷つけるようなものではない。
ただただ暖かく、穏やかなそれは、人肌にある熱にも似ていた。
仮に魔術師ではないエヴァがそこに手を突っ込んだとしても、彼女の指先が焼けるようなことはないだろう、灯の魔術はそういう性質を持っていない。
善性の塊とでもいうべきものなので人にとっては無害な、しかし悪性の存在にとってはどこまでも鋭い刃であり業火だ、彼女の掌にある魔性を宿した金貨にとってもそれは同様なのだろう。
「▇▇▇▇▇▇▇」
変化はすぐに現れた、小さくか細い悲鳴のような者がエヴァの工房に広がったのだ、鳥の囀りのような可愛らしいものではなく、どこか心を苛立たせてざわつかせるような深いなものであった。
爪を黒板に立てて思いっきり引っかいたかのような、あまり聞きたくない類の悲鳴を金貨が零したのだ。
次の変化は視覚的にもわかりやすいものである、両手で器を作って金貨を掬い上げていたエミリーの指先から、ドロリと溶解した黄金の液体が零れ落ちていく。
その黄金の液体からはやはり耳障りなか細い悲鳴が漏れ出ている、不快な音の発生源がそこのようだ。
「……なんだ、これは?」
エヴァの疑問も当然である、指先から机の上へと零れ落ちた黄金の液体は、殺虫剤でも吹きかけられた虫のように苦しそうにのたうち回っている、意思や痛覚があるかのようにグネグネと蠢いており、それだけ見ればスライムのようにも見えてしまうだろう。
そしてエミリーの掌に残されたのは穴が開いていたり欠けたりした状態の金貨があった、灯の魔術によって魔性だけを弾いたかのような有様だ。
おそらく掌に残された金貨は完全に無害な物となったのだろう、そこに宿っていた不浄や魔性といった物は全て溶解して零れ落ちてしまったらしい。
「▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇」
グネグネと机の上でのたうち回る黄金の液体は、やはり耳障りな悲鳴を叫びながら不快な動きを繰り返している。
黄金の液体はグツグツと沸騰するように泡立ち弾ける瞬間は醜悪な悪魔の顔にも見える、この液体は眩い輝きを宿しているがその本質は黄金ではなく悪魔なのだろう。
黄金の悪魔、この存在を呼称するにはそんな表現がよく似合った。
ただあまりにも矮小で悪魔らしい力を見いだせない、机の上で苦しそうに蠢くだけで危害らしいものも与えてこない。
そして黄金の悪魔はそのまま数十秒ほどのたうち回り、ついに力尽きてしまったのか蒸発するように消えていくのだった。
「エミリー、その金貨を見せてくれたまえ」
悪魔が消滅したことを確認するとエヴァはエミリーの掌に残された金貨を確認した。
灯の魔術に焼かれた金貨は一つの焦げ目も付いておらず熱も宿してはいない、しかし大半が破損しており穴が開いていたり欠けていたりしている。
「ふむん、どうだろうか、魔術師の瞳を持つ君たちから見て違和感を覚えるかな?」
「……いえ、特にそういったものは感じなくなりました」
「確かに、私も同意見だ。奇妙な気配も存在しない」
「ならばつまり、さっきの奇妙な黄金の液体が違和感の原因なのだろう……あれは、さながら黄金の悪魔とでも呼ぶべきものなのかもしれないな」
「黄金の悪魔、ですか」
少なくとも巨大な力は感じなかったので魔王とは呼ばなかったようだ、しかし問題なのはどれだけ弱かろうと悪魔という存在がこうして人間社会の根幹に人知れず食い込んでいるという状況であった。
何の意味も理由も目的もなくそんな状況にはならない、確実に悪意が存在することは間違いないだろう。
「何を目的としているのかさっぱりわからないが、この偽造通貨が悪魔の手先らしいことはわかったな……うん、前進と言えるだろう」
穴が開いていたり欠けたりしている金貨を摘みあげて注意深く観察しながらエヴァはそう言った、そんな彼女の顔は芸術家よりも政治家へと寄っているようにも見える。
「思わぬ形で偽造通貨の正体がわかったな、代わりに想定以上に面倒な背景が覗けてしまったが、何もわからないまま脅威に晒されるよりはずっと良い」
そこでエヴァは瞼を閉じて深く考え込む。
「うん、まぁ良いだろう……エミリー、君のおかげで色々と面倒も増えたがそれ以上に核心へと迫ることができた、感謝しよう」
そう言って彼女は本気で礼をする、スカートを右手でスカートを摘みあげて左手は胸の前で敬礼する形だ、最高の感謝を彼女なりに示しているのだろう。
「お、お役に立てたのならば光栄です……しかしエヴァさん、これからどうなされるんですか?」
「ふむん、私はただの天才芸術家なので成せることなどそう多くは無い、黄金の悪魔の情報を然るべき相手に伝えることくらいだろう」
「然るべき相手と言うが、当てがあるのだろうか?」
「勿論だよエルフ君、性愛とは裕福な者こそ貪欲に求めるものだからね、私が描いた裸婦画を求める者は帝国上層部にも多い、そこから伝えるとしよう……ただ、伝えたとして問題の解決にはならないだろうがね」
そもそも黄金の悪魔の目的も不明なのだ、どのように紛れ込んでいるかも定かではない、わかっているのはこの金貨は儲ける為に作られているのではなく底の見えない悪意と共にあるということだ。
まだどこかの無法者が自分たちの儲けの為に作っているという状況の方が、帝国にとっては心穏やかに過ごせるだろう。
悪魔の影が見え隠れする金貨など、どう考えても国を導く者にとっては頭痛の種にしかならない、どんな愚かな王であっても眉間に皺を作るのは間違いない。
同時に、魔性の気配が忍び寄る帝都で暮らしているエミリーたちにとっても暗雲が見え始めている、偽造通貨や黄金の悪魔とは何の関係も無いと言ってしまえばそれまでだが、それぞれが悪魔や魔王と戦った経験があるので、その存在には敏感になっているのだ。
決して全容を掴ませない悪魔が近くにいる、そのことを知ったエミリーとミューは、うなじに氷柱を突きつけられたかのような寒気に襲われている。
また大きな戦いが始まるのかもしれない、そんな予感に二人は体を震わせるのだった。