商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
黄金の悪魔と呼称された存在を知ったエヴァがやるべきことはそう多くは無い、しかるべき相手にこの情報を伝えることくらいだろう。
帝国上層部、それも上に近ければ近いほどこの情報を重要視するのは間違いない、そして彼女には間に人を介さずに直接皇帝へと話ができる伝手と立場があった。
準皇族という立場なので皇族に比べれば立場は一つ落ちるのだが、それでも帝城を自由に歩けるくらいの自由と権利は許されており信頼もされている。
エミリーとミューにモデルの仕事を依頼しておきながら早々に仕事を切り上げたエヴァは、すぐさま帝城へと移動して皇帝ランポッサとの面会を秘書官へと依頼したのだ。
特に警戒されることもなく面会は叶い、近衛騎士に引き連れられながらエヴァが向かったのは皇帝の執務室であった。
「ランポッサ兄上、どうやら面倒事が帝国内部で渦巻いているらしい、聞きたいか?」
執務室の扉を開いて開口一番そう言った彼女に、兄であり帝国皇帝でもあるランポッサは視線を書類に固定したままこう聞き返す。
「後にしろ、今は忙しい」
「その判断をしたことを後悔することになるとしてもかい?」
「はぁ……茶を用意してくれ」
エヴァが引き下がらないとわかったのだろう、書類に固定されていた視線が傍らに控えていた秘書官に向けられてそんな指示が出される。
「ふむん、今日もまた忙しそうじゃないか」
「それがわかっているのならば邪魔をして欲しくはないのだがな……それで、聞かせたいことの内容は?」
秘書官がお茶を用意してから気を利かせたのか執務室から退室していき、その背中が扉の向こうに消えたことを確認した瞬間にランポッサがそう聞いてくる、彼としても別に妹を侮っている訳ではないので重要な話ならばしっかりと耳を傾けるつもりなのだろう。
「例の偽造通貨のことだよ、どうやら状況は我々の想定の遥か上を行くらしい」
「ほう、何か掴んだのか? 帝国魔術院は何も言ってこないが」
「あぁ、思わぬ形でね、帝国の外から来た魔術師が暴いてくれた……あの金貨は悪魔の擬態のようなんだ」
「ふむ、悪魔か」
「おや、あまり驚かないのだね?」
「各地で魔王が闊歩するような時代になったのだ、この国もいつか危機に晒されると覚悟はしていた……まぁ、金貨がそれとは思わなかったがな」
「黄金の悪魔とでも呼ぶべき存在さ、それが金貨に化けて帝国に紛れ込んでいるのだよ」
「その外から来た魔術師はどのようにして悪魔の存在に気が付いたのだ?」
「気が付いた訳ではなく、魔術院の者たちと同じように違和感を覚えていたらしい、そして彼女は以前にも悪魔と接したことがあるらしくてな、魔性の気配を感じ取っていた。加えて、悪魔を炙りだす魔術も有していてね」
「それで、金貨に悪魔が宿っていると暴いた訳か」
「だからなんだと言われてしまえばそれまでだけどね、依然として目的も何もわからないのだからさ」
「だが前進と言えるだろう……まだ無法者の方がマシであったがな」
ランポッサはカップを持ち上げてお茶を飲む、僅かに砂糖が入っている筈のそれは甘さではなく苦みを感じてしまう、今の彼の内心を表しているかのようだ。
「兄上、これからどうなされるのだ?」
「……」
ランポッサは瞼を閉じたまま何も答えない。
彼の頭の中ではこの執務室に集められる帝国中の情報が詰まっているのだ、そこに新しい黄金の悪魔という情報が入って来たことで、様々な可能性が広がっていく。
情報というのは大河のような物だ、常に移ろい流れが決まっている、帝国で清算される食料や品目のおおよその数や値段、その生産性、人の数や税の量、本当に様々な情報が大きな流れとなってこの執務室に押し寄せて来るのだ。
この部屋で仕事をするということは帝国の全てを知るということである、実際に今もエヴァが黄金の悪魔という情報を齎して来たのだ。
これまで顔の見えなかった存在が突然に姿を現した、それによって既にここに集まっていた情報にも新しい視点が生まれることになる。
「エヴァ、これを見てくれ、警邏の騎士たちから報告されたものだ」
ランポッサが執務室の机の上から書類を取り出してエヴァに差し出す、どこにでもある報告書であり内容だって特別なものではないようだ。
「ふむん、帝都での暴行事件の報告書か……酔っ払いが酒場で暴れた、闘技場で賭けに負けて喧嘩した、何だいこれは? どこにでもある報告じゃないか?」
「その通りだ、どこかの誰かが暴行事件を起こして警邏兵に捕まった、ごくごく当たり前の報告書だ。それも特別なものでもなく、毎日のようにどこかで起きている日常でしかない……問題なのはその頻度だ」
「ほう、なるほど……確かに見比べてみると大きな差があるようにも見えるな」
次にランポッサが差し出したのは同様の内容が書かれた報告書である、しかしそれは日付けを確認すると数カ月前の物であった。
「情報と言うのは常に移ろうが、その流れが大きく変わるようなことはあまりない。何かしらの災害が起これば食料の生産や自給率に大きな影響を与えるだろうが、それが無ければ変動などあまり起こらない……治安とて同じだ、多少の差はあれど例年通りの件数で推移するのが自然と言える、大量の解雇者を出すような事態でも無ければ、何らかの危険な麻薬が市民の間で流行っている訳でもないのだからな」
「つまり治安が悪化する特別な理由があるということかい?」
「あぁ、しかしその理由がこれまでわからなかった。難民を大量に受け入れたり、妙な薬が流行っていたり等と言ったわかりやすい理由が無かったからな……しかし、ここに悪魔という新しい情報が加わったのならば話を次に進められる」
「ふむん、兄上は治安の悪化に黄金の悪魔が関係していると考えている訳だ……少し発想が飛躍しすぎているのではないかな? どうして悪魔が我が国の治安を悪化させるのだ、そんなことをして何の得がある?」
「そんなことは知らんよ、悪魔の思考など悪魔に聞くしかあるまい……お前は発想の飛躍と言ったが、私はそうは思わん。一応の根拠もあるのでな」
エヴァが食い入るように見つめる書類の一部を指さして、彼は持論を述べていく。
「問題を起こして騎士や兵士たちの世話になった者の多くが、金銭を理由とした暴力事件を起こしているのだ、それが例年と比べても明らかに多い。ちょっとしたおつりのやりとりで殴り合ったり、賭け事に負けて剣を抜いたりだ」
「よくあることじゃないか」
「そうとも、だからその数が突出していることに理由があると考えているのだ……彼らがやりとりしている金貨がお前の言う黄金の悪魔であったりしたらどうだ?」
「……なるほど、見えて来た」
特別な理由が無ければ例年通りの数値で治安が落ち着くのが安定した国家の特徴である、仮に治安が悪化したりすれば相応の理由がそこにはあるのが自然であった。
例えばランポッサが言った通り大量の失業者が一度に大量に生まれれば、それは治安が悪化する原因となるだろう。
もしくは悪質な麻薬などが流行ったりした場合も同様だ、しかし現在の帝都ではどちらもありえないと断言できる状態にある、ならば別の要因がそこにはあとランポッサは考えていたが、エヴァが来るまでその答えが見つけられずにいたらしい。
しかしここで黄金の悪魔の情報が突然やってきて、それがランポッサの頭の中では空白だった治安悪化の原因に上手く収まったようだ。
全ては彼の想像でありその域をでないことではあるが、絶対に間違っているとエヴァは否定することはなかった。
「ふむん、だとしたら通貨の交換を急ぐ必要がありそうだな」
「あぁ、少し無理をしてでも市場から締め出す方が良いだろう」
「だが新通貨にも紛れ込んで来たらどうするのだ?」
「構わん、帝都は勿論のこと各地域にも人を送って目を光らしている……ある日突然、何の前触れもなく増える訳でもないのだ、必ずどこかに不審な流れが生まれる、そこを叩けばいい」
「なるほど、だとすると懸念はその戦力か……帝国騎士で対処できると思うか?」
「敵の戦力が不明だから断言はできん……故に想定など意味を持たん、かき集められるだけ集めて叩くしかあるまい」
「聖都にいる聖騎士たちを呼べれば良いのだがな」
「理想を言えばキリがないからな、今ある手札で戦うだけだ……とはいえ、戦力や知識は一つでも多い方が良い。エヴァ、お前に黄金の悪魔の情報を齎したという魔術師に会ってみたい。どうやら我々にはない経験や手段を持っているようだからな」
「ふむん、わかった、話を通しておこう」
そんな会話が帝城でされているなど、エミリーは想像すらしていなかった。
「てめぇこの屑がッ!! つり銭誤魔化してんじゃねえぞ!!」
そんな怒気を含んだ叫び声が帝都の大通りに響く、何事かと多くの者が視線を向けてみると、露天商と客の男性との間で何らかの問題が発生したらしい。
原因はわからない、ただ屈強な男が青筋を立てながら相手の胸倉を掴みあげており、二人の間で行われた商いは失敗に終わったそうだ。
男の言葉を信じるならばつり銭をちょろまかしたという所だろうか、完全に部外者であるエミリーやミューには真実がわからない。
そして関わるつもりも理由も無かったので、その他大勢の野次馬と同じように二人は諍いを眺めるだけであった。
「どうやら喧嘩のようだな」
「そのようですね、こんな大通りだとすぐに警邏の方々に拘束されるでしょう」
二人の感想はその程度でものである、他の野次馬たちも似たような感想であった、帝都には大勢の人が住んでいるのだからこの程度の諍いなどよくあることだと誰もが考えるのだろう。
実際にエミリーの予想通り、騒動を聞きつけた警邏兵が喧嘩をしている二人を取り囲んであっという間に拘束して屯所へと引きずり込んでいったことで、この件はあっさりと終わってしまった。
野次馬たちも酒の席の話題ができた程度に軽く考えて、それぞれがそれぞれの目的へ向けて歩き出す。
「私たちも戻りましょうか、帰ってシャルルとキャロルに手紙を送りましょう」
黄金の悪魔に関する情報を共有する為にさっそく手紙を作る考えのようだ、ヘステアがいるので情報のやりとりは気軽に行えるのだろう。
「あぁ、拠点に帰ったら手元にある悪魔の金貨も早々に処理するべきだろう、持っていたい物ではなくなったのだからな」
「そうですね、目的や思惑もわかりませんが、あれが悪魔の擬態だとするのならば警戒すべきでしょう」
「幸いにもエミリー殿の魔術は奴らによく刺さる、処理自体はそこまで難しくはないのが救いか」
大通りを抜けて帝都の一等地に建つルールーの屋敷へと辿り着いた二人は、すぐさま金貨の処理と手紙の作成を行う。
もったいないとは思うのだが、悪魔の擬態であるとわかった以上は銀行で新通貨に両替することも危険だ、自分たちが保有する金貨が入った革袋をひっくり返してその中を観察して黄金の悪魔をはじき出す。
そしてすぐさ灯の魔術で悪魔たちを炙りだす、不快な悲鳴をあげながら消滅していくことを確認して、しつこい位に財布の中に紛れ込んでいないか確認してからようやく一息つくことができた。
同時に、これまで自分たちは悪魔と隣り合わせに過ごしていたことに寒気を感じてしまったらしい、深く重たい溜息がエミリーの口から漏れ出ている。
「とりあえずこれで良いでしょう、念の為に屋敷全体を包むような結界を構築しましょうか?」
ここはルールーの屋敷なので勝手にそんなことをするのは憚られるのだが、状況が状況なので悠長に構えてはいられない、どうやらエミリーとしては自分の工房のように徹底的な魔術的防衛を施して要塞化したいらしい。
「そこまでするのは……悪魔が相手であるのならば必要だろうな、私も手伝おう」
ルールーの家で土地であることからミューは僅かに悩んだ様子であったが、最終的にはそれが必要であると受け入れるのだった。
これまでの自分たちが無防備過ぎたのだ、そう納得して屋敷を要塞化することにしたようだ。
後でルールーに二人で謝るしかないだろう、だが今は何よりそれが必要なのだから譲るつもりはない。
最悪を想定するのならばそれでも足りないくらいである、もしかしたら帝都には悪魔の軍勢とでもいうべき規模の敵がいるかもしれないのだ、のんびりとはできなかった。
「ヘステア、こちらに」
屋敷の中にある客間、エミリーに割り当てられた部屋の隅にある鳥籠から主の声に反応して不死鳥が飛び立つ。
決して抜け出せないであろう鉄の柵を、自らの体を炎に変えてすり抜けたヘステアは、差し出されたエミリーの腕へと着地してみせる。
「この手紙を大至急シャルルとキャロルに届けてください、できますね?」
「ピィ~ッ!!」
そしてヘステアに小さな鞄を背負わせて中に手紙を入れる、黄金の悪魔に関しての情報が記されたそれは遠く離れた位置でこちらの情勢を把握していないであろう二人へ向けたものだ。
「良い子です、それではお願いします」
両者の間に存在する魔術的な契約によって意思の疎通が可能なのだろう、ヘステアのやる気溢れる思いと、おやつを貰えるかもしれないという僅かな下心を感じ取り、エミリーは掌に灯の魔術を生み出してそれを嘴へと持っていく。
「ピッ、ピピピピッ!!」
ヘステアは実に嬉しそうに灯を啄んでいる、不死鳥にとってはまさに甘露なのだろう。
炎以外にも、キャラバンの仲間たちが可愛がって色々と食べ物を与えることが多く、少しふくよかになったようにも見える。
そろそろダイエットが必要かもしれない、そんなエミリーの考えが伝わったのだろう、ヘステアはギョッとした顔をしてから逃げるように窓から外へと飛び立つのだった。
「これで二人にはヘステアが伝えてくれるでしょう、私たちはできる限り備えましょうか?」
「あぁ、二人で行えば一日もかからない、急ごうか」
そして二人は手分けして屋敷にありったけの魔術を施して要塞化していき、これでもかと言わんばかりに堅牢な場所に変わっていく屋敷は、これからの戦いに備えるかのようにとにかく頑丈になっていく。
やりすぎだと二人は思わない、魔王と戦った経験のあるエミリーとミューからしてみれば、これでもまだ足りないくらいなのだから。