商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「はぁぁぁ~~……」
とても深い溜息と共にエミリーは屋敷のベッドに倒れこむ。
ルールーの屋敷にあるエミリーに割り当てられた客間のベッドは素晴らしく上等な物であり、柔らかな弾力で彼女の体を受け入れる。
ベッドに倒れこむとそのまま枕に顔を押し付けてグリグリと頬擦りをする姿はどこか幼稚であり、疲れているのだろうと察することができた。
事実、彼女は疲れているのだろう、いきなり一国の皇帝と会えと言われればきっと多くの者が疲れを感じるはずなので、これは仕方がないことではある。
「ふぁぁ……疲れましたぁ」
ベッドの上で奇妙な声を上げてそんなことを言ったエミリーを、さすがに今回はミューが嗜めることもない、やや同情的な視線を向けるだけであった。
「エミリー殿、貴女はよくやったと思う。緊張していた割にはなかなかに立派だったとも」
「……もっと褒めてください」
やはり幼稚化しているようだ、或いは燃え尽きて疲れ切っているのかもしれない、どちらにせよ普段のしっかりした様子は皆無である。
「あぁ、よくやったとも、偉い偉い」
ただミューから見ても大いに同情できる状況であったので今日ばかりは盛大に甘やかす、ベッドの上に腰を下ろすと枕に顔を埋めるエミリーの後頭部に手を伸ばし、柔らかな髪を指先で撫でていく。
なかなかに心地のいい感触である、そんなことを二人が同時に思っているようだ。
「……論文を仕上げないと」
「帝国の魔術院とやらに提出するものか……エミリー殿に不満が無いのならば私から言うべきことは何もないが、構わないのか?」
「大丈夫ですよ、元々、そうするつもりでしたから不満なんてありません。知識と技術は共有されるべきものです。まぁ、未来の魔術の教科書に私の名前が載ってたりすると嬉しいですね」
やろうと思えば大金だって稼げるだろう、新しい魔術とはそういうものであり、それ自体は決して批判されるようなものではない。
ただエミリーは独占するよりも共有することを選んだらしい、それは灯の魔術を生み出した時に神々と対話で「絶やしてはならない」という契約を誓約を結んだことも理由ではあるが、単純に欲が薄かったのだろう。
小銭を稼ぐことはできても、身にあまり大金が転がり込んでくれば困惑するのがエミリーである、これで良かったと彼女は本気で考えていた。
元より幅広く広めるつもりであったのだ、書きかけの論文も部屋の隅に既にあった。
「エミリー殿、貴女の魔術を広く知らせるというのならば、私からもお願いしたいことがある」
「はい、なんでしょうか?」
「私に貴女の魔術を教えてほしい……いや、弟子にして欲しいと言うべきだろうか」
「弟子? ミューさんがですか?」
「あぁ、悪魔の影がちらつくこの帝都で戦う手段が必要だ、私は戦士だが魔術師でもある……それに、前々からエミリー殿の魔術運用は興味深いと思っていたんだ、貴女さえ良ければ私にその研鑽を教えて貰いたい」
そこでエミリーはようやく枕から顔を上げてベッドから上半身を起こす、見つめ合う形となって沈黙が広がった。
魔術師が弟子を取るというのは言葉にするほど簡単なものではない、エミリーとその師匠であるエミ―リアがそうであったように、強力な制約を結んで初めて師弟となるのだ。
それこそ冗談でもなんでもなく、裏切れば体が燃え尽きるほどに強力な縛りが与えられることになってしまう。
だからエミリーは師匠に逆らうことはない、文字通り命を握られているような関係なのだから当然である。
そうして絶対の信頼を築いて初めて魔術師は弟子を取ることが普通であり自然だ。
魔術師がその研究と研鑽を後継に託すという行為は、本当に重大で人生の全てに影響を与えてしまうものである。
帝国の魔術院では才能ある者に魔術を教えているとのことだが、そこで教えられるのはあくまで教科書に載っている範囲程度のものであり魔術の入口でしかなく、それ以上を学ぶというのならばおそらくかなり強力な契約を結ぶことで内弟子となる筈だ。
これからの人生を大きく左右する岐路と言っても過言ではないだろう、それをミューが望んでいることに、エミリーは大きく狼狽えてしまったらしい。
「ええっとッ……その、本気ですか?」
「勿論だ、冗談を言っているつもりはない」
「それはとても大きな決断となってしまいます、きっと人生が変わってしまうような」
「そうだろうな、だが何の問題があるというのだ」
既に覚悟は決まっているとばかりにミューは頷く、何を当たり前なことをと言わんばかりの態度であった。
「私は既に貴女たちと共に生きて死ぬと決めている、人生の岐路なら既に過ぎ去った、これ以上に重要な覚悟など不要だろう……私が考えるべきことはエミリー殿の弟子となることでどのような影響があるか心配することではなく、いかに貴女方と共にあれるか、どう歩むべきかだ」
覚悟を問うたとしてもミューからしてみれば既に完了しているものである、キャラバンと共に歩むと決めた時点で彼女にとってそれ以上の岐路など存在しないのだろう。
ならばエミリーの弟子となることに、何の躊躇が必要だろうか。
「改めてお願いしたい、私に魔術を教えて欲しい」
覚悟は既に決まっており、魔術師としての才能や素養は今更疑う必要もない、エミリーとていつかは自分の知識や技術を受け継がせる相手を探すことを考えていた、自分の師匠がそうしたように。
ならばこの提案は渡りに船なのかもしれない、少なくともこれ以上の条件を持った弟子を探す方が難しいだろう。
ならばエミリーにも拒否する理由はなかった、それに彼女にも利益がある。
「……わかりました、ミューさんを弟子としましょう、ただ条件が一つあります」
「なんだろうか?」
「代わりにミューさんの魔術を私に教えてください、お互いがお互いの弟子となる、といった形でしょうか?」
ミューがエミリーの魔術を求めるように、エミリーもまたミューの魔術を求めている、互いに利益を得る形であった。
「なるほど、私にそれを拒否する理由はない……互いに高め合おう」
「はい、契約成立ですね」
二人は互いの意思を確認してから契約を結ぶことになる、契約神の力が宿った契約書を取り出すと、そこに自分たちの名前を書き込んでいった。
互いに互いを裏切らない、不利益を及ぼさない、知識と経験の共有を行う、そして何よりも人類史の前進と発展に尽力すること、そんな内容の契約書が作られて自分たちの血をインク代わりにして名を記したのだ。
それはとても強力な契約であった、破れば雷が落ちないまでも心臓が破裂するくらいの力が存在している、魔術師の師弟関係とはそういう契約の上に成り立つものなのだろう。
最後に二人は向かい合った状態で掌を重ね合う、すると両者の魂に契約の力が染み込むような感覚があった。
「ふふ、これから宜しくお願いしますね」
「あぁ、こちからこそ宜しくお願いする、エミリー殿」
キャロルを介して出会った二人だが、良き関係を築けたと本心から思う、少し何かが違っていれば出会うこともなかったのだから、運命神に感謝するしかないだろう。
「そうだ!! 良い機会ですからこれを気に呼び方を変えてみませんか?」
「呼び方を?」
「えぇ、いつもエミリー殿って畏まった呼び方をするじゃないですか、少し距離を感じて寂しかったんですよ」
「……それは、いや、別に距離を置いていた訳でもないのだが」
習慣や性格がそうさせているだけでミューとしては三人と一線を引いている訳ではない、エミリーに限らずキャロルやシャルルも同じ呼び方をしているのだかた意識すらしていなかったに違いない。
唯一、キャロルだけは臣下の礼をとるような様子が垣間見えるのだが、それとて過剰と呼ぶほどでもないだろう。
だが、ミュー以外から言わせると少しだけ距離を感じてしまうらしい。
「せっかくですから呼び捨てにしましょう、きっとその方がぐっと距離が近くなります」
「……う、うむ、そうだな、努力してみよう」
少しだけ照れたような、そして恥ずかしがるような仕草をして、僅かに赤みを帯びた頬を意識しないように視線が右往左往している、どうやらいざとなると羞恥を感じてしまいらしい。
呼び捨てにするなど、まるで友達のようではないか――そんなことを考えた時点で、ミューはなるほどと納得するのだった。
これがつまり三人が感じていた距離なのだろう、自分の中で無いと決めつけていた差なのかもしれない、一度それに気が付くと例え意識していなくてもどこか一歩後ろを下がって歩いていたようにも思えてしまう。
彼らと対等の存在ではなく、少しだけ後ろに下がって支えるような立場に甘んじていた、ミューはそう認識したらしい。
なるほど、ならばこれは良い機会なのかもしれない、このままずるずると長引かせるよりは多少なりとも強引に機会を作って距離を詰めるべきなのだろう。
「で、では、僭越ながら……ぇ、エ、エミリー」
呼び捨てにした瞬間にボッと頬が一気に赤くなった、どうやら羞恥が限界に達したらしい。
これまで友人と呼べるような存在が少なかったので慣れていないのだろう、彼女の周りにいたのは使えるべき主か部下か同僚くらいのものだ、友人はいてもどこかで血が繋がっているので親戚と言う側面が強かった。
もしかしたら友人と呼べる存在が生まれたのは、今日この瞬間が初めてなのかもしれない。
「はい、では私からも……ミュー」
名前を呼び返すと、ただでさえ赤かったミューの頬が更に赤くなってしまう。
そんな反応を可愛らしく思いながらエミリーは笑うのだった。
「シャルルやキャロルも同じように呼んであげてください、きっと喜びますから」
「い、いや、待ってくれッ……これは、何だろうな、初めての感覚だ……体が熱い、なんだこれは……少し考えさせてくれないだろうか」
羞恥に悶えるミューにエミリーはまた微笑む、勢いよく一歩を踏み込んだのだが想像以上に慣れていないらしい。
この様子ではまだまだ名前を呼び捨てにして過ごすのは時間がかかるだろう、自分が思っていた以上にミューは恥ずかしがりやであったようだ。
そんな友人の様子にエミリーはまた笑みを深めて、微笑ましそうに彼女を見つめるのだった。
帝国皇帝を補佐する秘書官は皇帝同様に多忙であった、単純な仕事量だけで言えば処理する量はランポッサよりも多いかもしれない。
ただ皇帝と異なり秘書官は複数人いるので分業が可能である、皇帝と帝印による確認と決算が必要な書類が大量に押し寄せてきてもなんとか捌くことができている。
それでも忙しいことには変わりないのだが、たった一人で帝国の導く皇帝に比べれば圧し掛かる重圧はまだ軽いだろうと思われた。
帝城の内部、ランポッサの執務室にほど近い場所に、秘書官の一人であるエリンの執務室が存在している。
帝国中から集まる様々な情報が記された書類が大量に積まれており、それら一つ一つが綺麗に纏められて一センチの乱れも無く綺麗に山となっていた。
本人が非常に几帳面な性格をしているのだろう、加えて潔癖症で細かい所に常に視線を送っているのだろうと部屋を見ただけでわかってしまうような場所と言えた、そうでなければ秘書官など務まらないということかもしれない。
そもそも秘書官は帝国皇帝の腹心中の腹心である、騎士を始めとした武官の頂点がルールーを始めとした騎士団長であるとするのならば、文官の頂点が秘書官であった。
エリンは貴族の出身ではないが帝国学院を首席で卒業してすぐに宮仕えとなり、今では秘書官という地位にいる、そこに至るまでの道のりは簡単ではなく出世競争を勝ち抜いた結果と言えるだろう。
優秀であることなど大前提、帝国への忠誠心、功績、それらを持ってかつ運も良かったからこそ秘書官になれたのだと彼女は思う。
元々は庶民の自分が結構な高給取りとなれたのだ、その為に努力もしたし相応の忠誠心も持っている、病弱な母を支えることも出来る上にそれでもまだ生活が楽だと言えるくらいの環境を手に入れた。
自分を拾い上げてくれたランポッサには感謝しかない、だから彼女は今日も明日も帝国を支えていくのだ。
自分は騎士でも戦士でもないが、それでも彼らに負けないくらいの志と忠誠心を持っている、それを証明する為にもエリンは今日も書類を捌いていく。
「……ふぅ」
自分に振り分けられた仕事を淡々とこなしながら、部下に指示を出して上司である皇帝へと仕事を送る、そんなことを数時間ほどこなした段階で、エリンはようやく一息ついて視線を和らげた。
どれだけ仕事を捌いても津波のように次の仕事が押し寄せて来るのだが、その合間に見つけた僅かな暇を使ってエリンは自らお茶を入れて喉を潤す。
激務の中にある、憩いの時間であった。
そしてお茶を読みながらも頭の中では次の仕事の段取りを組み上げ、自分以上に多忙なランポッサをいかに「休ませる」かを考えているらしい。
単純に暇を作らせるのならばやはり人手を増やすのが一番であるのだが、皇帝という職業は帝国に一つしかないので、どれだけ工夫しても激務が終わることがない。
せめて少しでも心労を減らすことが、エリンの最重要課題でもあるのかもしれない。
帝国を、そして皇帝を支えることこそが自分の役目だとしっかり理解しているエリンは、今日もまた国家の未来を思う。
チャリン。
そんな彼女の耳に、黄金の硬貨が床に落ちる音が届いてしまうのだった。