商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
どうやら戦いが始まったらしい、帝国の行く末を決める大きな分水嶺となることは明白であった。
エヴァは避難誘導を行っている警邏兵や、不安そうな顔で誘導される民の顔を、アトリエの窓から眺めてそう思う。
遠くから奇妙で不快な咆哮が届く、背筋を震わせるそれは敵の巨大さを物語っているかのようだ。
「どうやら始まったようだな」
同じようにアトリエの窓から外を眺めるミューがそう呟く、警戒するように右手に持っていた黄金の槍を握りしめている。
「どうやら、黄金の悪魔が帝国銀行を中心に陣地を構築しているようですね」
そしてエミリーもアトリエにいた、彼女は両方の瞼を閉じて祈るような仕草をしていた、瞳は閉じられているがその様子はここではないどこかを眺めているかのようである。
彼女はヘステアと視界を共有して戦場を観測しているらしい、淡く輝く不死鳥は空高く飛んでおり、雲の高さから黄金の悪魔の情報をエミリーへと送っているのだ。
「もう少し時間があれば、あの魔性の金貨を排除することができたんだがね……まぁ、ある程度は隔離できたことを誇るしかないか」
正体不明で、イマイチ用途や存在理由がハッキリしなかった金貨ではあるが、とりあえず危険なことは変わりないので隔離していた帝国は、こうして追い込まれている。
ただ完全な不意打ちではなく、ある程度は備えて構えていたことは幸いと言えるだろう、少し選択を誤れば完全に無防備の状態で徐々に帝国を蝕まれていたのかもしれないのだから。
こうして多少なりとも覚悟と準備を整えられるだけ、まだマシと思うしかない。
神ではないのだから、完全完璧な状況など作れはしないだろう。
「エヴァ殿、我々はこれからどうなされるのだ?」
「特別なことをさせるつもりはないさ」
エミリーとミューがエヴァの工房にいる理由がそれである、絵のモデルとして招かれたのではなく傭兵として雇われて彼女の護衛を行っているのだ。
準皇族という立場にあるエヴァを守ることが彼女たちの仕事である。
本来、皇族を守護する近衛騎士の大半が前線に回されている為に、エヴァは二人に声をかけたようだ。
「まぁ、私は予備の予備だ、出番がない方が良いのだが……状況次第では動く必要もある」
エヴァの頭の奥に僅かな痛みが走る、すると星の未来を思えという強迫観念にも似た思いが強まっていく。
厄介な呪いを受け継いだと思う、しかし彼女は皇帝で無いのだからそこまでの強制力も感じないのだろう、頭痛はすぐに静まる。
それでも何かをしなければいけないという焦燥感のような物が残るのだから、本当に厄介だとエヴァは溜息を吐くのだった。
「エミリー、帝都の様子はどうだろうか?」
「……ええっと、混乱しているようです、暴動が……」
「あれだけ巨大な悪魔が現れたのだ、混乱してしまうのも仕方がないと思うが」
「いや、おそらく金貨が原因だろう、あれは人を惑わして欲を増幅させる力があると推測される、少しの混乱でも大きな暴動に発展する可能性も捨てきれん」
エヴァの推測は正しい、パレスの怒りに呼応するように帝国中の金貨がその魔性を強めているのだ、人を惑わせるそれは正しく魔性の金貨となっていた。
魔術師の瞳でしか見破れなかったそれも、今となっては誰が見ても妖しく輝いて見えることだろう。
その輝きに抗うには本当に強い意思か何かしらの加護が必要と考えられた、何の訓練も受けていない一般人が簡単に抗えるような力でもない。
「だとしたら拙いのではないでしょうか? その、帝国の戦士たちが操られるようなことにでもなってしまえば」
「大丈夫だよエミリー、帝国は、正確には皇族には、古くから続く神々の加護がある、そんな我々に忠誠を誓う者たちも同様だ、易々と超えられないとも……慢心と言われてしまえばそれまでだがね」
おどけたように肩をすくめるエヴァに、エミリーとミューは僅かな笑顔を見せる。
「とは言え、このまま座して状況を静観するのも少々居心地が悪い、多少なりとも兄上たちの力にならねばな」
さてどう動いたものかとエヴァが悩んでいると、工房の入口付近が少し騒がしくなった。
工房の外はエヴァが経営する美術商に繋がっているのだが、そちらの方から何かが砕けるような音と共に悲鳴も届く。
ミューが黄金の槍を構えて警戒しながら工房の入口近くへと進むと、同時に蹴破られるように扉が開いた。
姿を現したのは本当にどこにでもいそうな一般人である、ただし右手にはどこで拾ったのか血がべっとりと付着した角材らしき物を握っている装いだ。
「なななあああ、ここに、ここにあるだろおおッ!? 金貨がよぉおおおッ、寄こせよッ、俺にィッ!!? なぁ!!?」
そして明らかに正気ではない雰囲気だ、唇の端からは涎が流れており泡を吹きながら叫んでいる、妖しい薬にどっぷり嵌っている者であってもここまで乱れることは無いだろうと思えるくらいに混乱している。
「……憐れむ他ないな」
乱入して来た男にミューは黄金の槍を振るった、ただし枝分かれした鋭い槍先ではなく石突で相手の鳩尾を打ち付け意識だけを奪う。
まともに抵抗もできずに沈んだ男に、ミューはそんな言葉を贈ることしかできなかった。
きっとこの男にもありふれた暮らしがあったことだろう、それを何の落ち度もないのにこうして奪われてしまったのだから憐れむしかない。
工房の外、美術商の店内へ視線を向けてみると似たような暴漢たちが発見できる、誰もが一様に正気ではなく店内で暴れまわっていた。
「あぁあぁ、せっかく作った芸術品が……」
店内で暴れまわっているのでエヴァの作品たちが次々になぎ倒されている状況である、あちらにも悪気があってのことではないのだろうが、家主からしてみれば迷惑極まりないだろう。
「エヴァ殿、お下がりを、こちらで排除しよう」
「任せるよ」
店内で暴れる男は四人だ、全員が本来ならば荒事とは無縁の一般人であると思われるが、躊躇することなく石突で殴打していく。
命を奪わずに意識だけを失わせていく絶妙な手加減は、彼女の戦士としての技量の高さを証明していた。
瞬く間に正気を失った暴漢たちを制圧していくと、ミューは美術商の玄関口から帝都の街並みを眺めるのだった。
混乱はここだけに留まらないらしい、帝都の様々な場所で正気を失った人々による争いが繰り広げられており、黒煙すらも確認できてしまう。
「帝都外縁部へ進め!! ここは危険だ!!」
警邏兵が逃げ惑う住民の避難誘導をしており、その背後では別の警備兵が暴漢たちを取り押さえていた。
そこに騎士や兵士も加わり、帝都中で暴れまわる正気を失った住民たちの制圧を急いでいるようだ。
暴れる男、逃げ惑う女、親を探して泣きわめく子供、恐れるように両手を組んで祈る老人、混乱に乗じて正気を失っていないのに略奪をする者、色々な人々が混沌の中でもがいている。
人間と言うのは欲深い生き物だ、しかしその欲を法と秩序と社会で正して抑えることができる存在でもあるのだ、欲深くとも獣ではないのだから秩序を尊重することができた。
互いを思い合える良識があるからこそ人は大きな文明を作ることができるのだが、そんな人々が持つ欲望を以上に増幅させればこうもなるだろう。
恐ろしい力だとミューは思う、黄金の輝きとは人をこうも獣に落としてしまうのかと思えば、背筋が震えてしまうのも仕方がないだろう。
嵐の王もそれは巨大な存在であったが、黄金の悪魔は方向性が違うが同じく大きな力を持っているようだ。
人を惑わし陥れ、混乱と混沌を振りまく邪悪な力である、単純な破壊力を比べれば嵐の王に軍配が上がるのだろうが、齎す被害は決して負けてはいないだろう。
「ミュー、大丈夫ですか?」
「あぁ、問題はない……帝都はこんな状況だがな」
ミューが昏倒させた正気を失った住民に灯の魔術を押し当てていたエミリーもまた帝都の状況を視界に収める。
黒煙が上がっている所もあり、青ざめた顔をしていた。
「例の金貨によるものでしょうか?」
「おそらくはな、多くの者が正気を失っている」
逃げ惑う住民もいれば、泣きわめく者もいる、秩序は遥か彼方へ遠ざかったが、そんな状況であっても警邏の兵士や近衛騎士たちが避難誘導や治安維持を行っているのは唯一の救いだろう。
二人から少し離れた場所から何かが崩れるような音が聞こえて来る、そちらに振り向いてみると黒煙と炎が渦巻いて建物を飲み込んでいるのが確認できた。
放火されたのか、それとも混乱の中で事故が起こったのか、どちらにせよ今の帝都では珍しくも無い現象である。
「帝都全体に混乱が広がっているようですね、暴動もそうですが……火の手があちこちで上がっているようです」
「魔王に関してはどうだろうか?」
「帝国軍が対応しています」
「ふむ……我々はエヴァ殿の護衛として雇われているが、どうしたものか……彼女の安全を確保するのならば帝都の脱出も視野に入れるべきだろう」
「そう、ですね……黄金の悪魔は帝国軍が抑えているようですし、暴徒だけならばすり抜けることはできるでしょう」
ただ問題なのは雇い主であるエヴァがそれに納得するかどうかである。
二人が美術商の店内、アトリエの入口へと視線を向けてみると、そこには雇い主であるエヴァの姿があった。
彼女は何とも言えない表情で混乱と黒煙が広がる帝都を眺めている、内心はわからないがエヴァにとって故郷であり育った場所だ、そこが混沌に落とされれば苛立ちも感じて当然なのかもしれない。
「エヴァさん……私たちは雇われの傭兵の身ですから、貴女の方針に従いますよ」
本音を言うのならばエヴァを脱出させたい、今の帝都は危険すぎるからだ。
もっと理由を加えるのならばエヴァは皇族である、幾ら法的に権利を放棄していると言っても皇位継承権が無いだけで皇族であることは変わらない。
皇帝ランポッサを頂点として、そこから予備の予備となっているのがエヴァである、例え優先順位が低いとしても、この状況では最悪彼女が矢面に立たされる可能性すらあるだろう。
脱出か、それとも帝都に留まり行動するか、それを決めるのはエヴァであった。
そして彼女は皇族である、準が付くがそれでも皇族だ、星の未来を思わなくてはならない立場にある、ならば迷う必要すらない。
例え呪いであったとしても、それを力に変えていくのが皇族だ。
「ありがとうエミリー……だが脱出は難しい、予備の予備でも一応は皇族だ、立場もそうだが厄介な契約もあってね」
「わかりました、ではやれるべきことをやりましょう」
「私から言い出しておいてなんだが構わないのかい? 雇われているとはいえ君たちだけならば脱出も楽だろう、私は引き留めないよ」
「一度結んだ契約は決して軽くは扱えません、契約神に嫌われたくはありませんもの……それに、このまま逃げ出すのはあまりにも恰好が付きませんよ、ミューはどう思いますか?」
「うむ、無関係だからと逃げ出しては戦士の在り方が錆び付く、一度でも錆び付いた刃は二度と握れまい、だから嫌とは言えないよ」
「……ふふ、では甘えさせて貰うとしよう」
「はい、ではまずどうしましょうか?」
「やはり黄金の悪魔を排除すべきだと思うが、どうだろうか?」
ミューの方針にエヴァは首を横に振る。
「いや、そちらは兄上たちに任しておけばいい」
「相手は巨大だが……」
「そんなことは兄上もわかっているだろうさ、だから大丈夫だよ」
エヴァは帝国中に広がる混乱や黒煙へと目を向ける、時間が経てば経つほどに広がっていくだろうそれもまた魔王と帝国の戦いの一部と言えるだろう。
放置するにはあまりに危険だ、帝国と魔王の戦いでこの混乱は背後に広がっているのだから。
「黄金の悪魔はあちらに任せておけばいい、私としてはそれよりも戦力を確保しておきたい」
「当てがあるということか……承知した、雇い主の意向に従おう」
「はい、私もご協力いたします」
魔王を放置することに一抹の不安もあるが、帝都中に広がる混乱も放置はできない、エヴァが信頼する帝国軍を二人もまた信頼することにしたようだ。
「具体的にどうするのかと言うと――――ッ!!」
細かな動きを説明しようとした瞬間に、帝都中に不可視の重圧が広がった。
一瞬、空が落ちて来たのではと錯覚してしまうような重圧である、大気が粘度を帯びて途端に息苦しくなり、沼に捕らわれてしまったかのように体も重くなってしまう。
「こ、れはッ……」
「息苦しい、ですね」
エミリーとミューはその正体を知っている、神殿がそうであるように異世界を構築して自らにとって有利な領土を作る結界術だ。
普通の神殿が作る神聖な領域ならば人にとっては無害であり、寧ろ様々な恩恵を与えてくれるのだが、彼女たちが感じている重圧はその真逆である。
例えば悪魔が、神殿の神聖な領域に入れば苦しむように、今は彼女たちの同じ現象が起きているようだ。
「原因は、あれか?」
ミューが持つキャロルと同様の金色の瞳が帝都の中心部分へと向けられる、大通りの行き着く先には帝城があり、そこからあまり離れていない位置に同じくらい大きな黄金の城がいつの間にか建築されてしまっている。
二つの巨大な建築物が並び立つ光景は壮観ではあるのだが、片方は下品に過ぎる禍々しい黄金の宮殿であった、どうやらこの重圧と粘度の高い空気を形成しているのはあの黄金の宮殿らしい。
「あれは、闇神殿でしょうか?」
「ふむん……魔に連なる者たちにとっての神殿ということか、厄介な」
粘度を増した空気や環境もそうだが、帝都に混乱を齎している暴徒たちの勢いも増したようにも思えた、闇神殿の出現によってパレスの力も増しているのかもしれない。
人がそうするように、悪魔であるパレスも己が信じる神の領土を帝都に生み出したのだろう。
「あの、エヴァさん、本当にあちらは大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫さ」
エヴァに迷いはない、相手が何をしてどんな思惑があろうと揺らぐことなく信頼を口にする。
強がりでも虚勢でもない、彼女は心から帝国の戦士たちを信じているからこその言葉であった。
「たかだか魔王一柱……倒せずしてなんの為の帝国か」