※この作品はR-18です。

商人と冒険者と娼婦   作:にやまな

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第三十九話 黄金帝国 9

 

 

 

「ふふ、ふふふ」

 

 

 

 上機嫌で甘ったるい声が響く。

 

 

 

 そらは晴天、雲一つなく風も穏やかだ、とても心地が良い時間なのだが、それに反するように大地は醜悪で冒涜的な魔獣によって埋め尽くされていた。

 

 

 

 風に撫でられて美しい黄金の波を作る広大な麦畑は醜悪な粘液と触手に汚され浸食されていく、その中心にいるのはエキドナである。

 

 

 

 普通ならば目を背けて吐き気を感じるような環境でありながら、その中心にいる彼女だけはとても上機嫌に見えた。

 

 

 

 無数の触手に撫でられていても特に気にすることもなく、唇を三日月に歪めながらエキドナはもう一人の自分の腹に耳を当てている。

 

 

 

 もう一人のエキドナは眠っているのか瞼を閉じて微動だにしない、妊娠しているかのように大きく膨らんだ腹部を撫でられても無抵抗であった。

 

 

 

「もうすぐ、もうすぐよ……大願成就まであともう一歩」

 

 

 

 大量の、それこそこれから世界でもひっくり返すのではと考えてしまう程に膨大なエネルギーがその場に集っていることが、魔術師ならばわかっただろう。

 

 

 

 いっそ奇跡が起こっても不思議ではないくらいに巨大なエネルギーの流れがあるのだ、その中心は間違いなく腹部が大きくなっているエキドナだった。

 

 

 

「誰も彼もが死んでしまったけど……これで良い、私たちの息子や娘は正しく責務を果たした」

 

 

 

 色々な邪魔が入り、予想よりずっと早く魔王たちは殺されてしまったがそれも仕方がないだろう、仮に生き残ったとしても最後には死なせてしまうのだから。

 

 

 

 魔王たちの仕事は単純明快、エキドナたちの大願を叶える為に戦うことであった。

 

 

 

 それぞれが戦って甚大な被害を齎して魂の収集を行ってきた、一つ一つは小さなものであっても幾万と束ねればそれは奇跡にだって手が届くくらいの力になるだろう。

 

 

 

 その為の魔王だ、その為の手段でしかない、もし足りなければ魔王たちを分解してエネルギーに変えなければならなかったが、結局ただの一柱も帰って来ることはなかった。

 

 

 

 きっとパレスも同じだろう、最後には死んでその魂をエキドナに捧げることは間違いない。

 

 

 

 それで良い、大願成就まであと一歩なのだから。

 

 

 

 そしてその一歩を確実なものとする為にエキドナはパレスを援護しているようだ、足元に広がる数え切れないほどの魔獣はその為の戦力なのだろう。

 

 

 

 帝国では今、数え切れないほどの死者が出ている、例え賢明な努力でその数を最小限に減らせたのだとしても、全ての者を救うことなど出来ないのだから当然ながら死体は積み上がる。

 

 

 

 なるほど、この状況において国が崩壊しないのは見事と言えよう、素直に賞賛すべきことではあるが、エキドナからしてみれば別にそれでも構わなかった。

 

 

 

 重要なのはただ一つ、大願を成就すること、それに比べれば帝国に勝利することなど大した価値はなく、そもそも最初からそこは目指していない。

 

 

 

 上手く行けばそれで良し、失敗したとしても別に執着は無い、エキドナにとって最も大きな意味があるのはそこではないのだ。

 

 

 

 また一人、帝国のどこかで誰かが死んで、その魂は神の元へ帰ることなくエキドナにかすめ取られてこの場に渦巻くエネルギーの一部と化した。

 

 

 

 一体どれだけの魂を集めればこれほどの場を形成できるのだろうか、かき集めた人間たちの魂で奇跡にまで手を伸ばそうというのだから、とてつもない時間と労力が必要になっただろう。

 

 

 

 数十年か、或いは数百年か、もしくはそれ以上。

 

 

 

 きっとエキドナは、その為だけに生きていたのだろう。

 

 

 

 悍ましい執着の全ては膨らんだ腹に注がれている、途方もない魂が生み出すエネルギーの終着点はそこだ。

 

 

 

「我が神よ、お待たせいたしました」

 

 

 

 エキドナはもう一人の自分の膨らんだ腹に耳を当ててそう囁く、愛しい我が子に語り掛けるかのように。

 

 

 

「あぁ……でも、邪魔をするのね、これだから英雄は困るのよ」

 

 

 

 エキドナは腹部に押し当てていた顔を上げてここではないどこか遠くを眺める、数え切れないほどの触手と魔獣の群れの向こうに苛立たしい輝きがあることを認識した。

 

 

 

 どんな場所、どんな時代であっても必ず立ち塞がる光だ、エキドナとてこれまで数え切れないほどに戦って勝ったり負けたりを繰り返した存在である。

 

 

 

 英雄と呼ばれる存在は厄介だ、不思議とどれだけひっそりと行動していようともめぐり合わせられるかのように魔王の前に立つ、きっと運命神が耳元で囁いているのだろう。

 

 

 

 エキドナからしてみればこれ以上ないくらいに忌々しい存在であった、大願を阻む尤も大きな障害とさえ認識するほどに。

 

 

 

 エキドナの指先が触手の群れの向こうに差し向けられると、それを合図と受け取ったのか冒涜的な魔獣たちは一斉に動き出す。

 

 

 

 そうこうしている間に、また一人帝国のどこかで誰かが死んで、その魂はエキドナの腹へと吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい!! 次々出て来るぞ!? キリがないっての!!」

 

 

 

 シャルルの聖剣がもう数え切れないほどに切り裂いた魔獣を再び両断していく、そこに合わせるように幻影の戦士たちも応戦する様子は、どこかの合戦場かと見間違えるほどに大規模なものとなっていた。

 

 

 

 とにかく魔獣たちの数が多い、本当に軍勢と呼べる規模である、だがそれはきっとあちら側も同じことを考えているだろう。

 

 

 

 シャルルに従う幻影の騎士たちもまた多い、次々と呼び出すものだから気が付けば万を超える数となっていた。

 

 

 

 それだけの規模を持った軍勢がぶつかり合えばそれはもう闘争ではなく戦争であった、数と数をぶつけ合う殺し合いである。

 

 

 

「確かに、これは終わりが見えないな」

 

 

 

 ミューもまた同じことを思ったのか少し呆れた様子で、エミリーに近づこうとした触手を打ち払っていた。

 

 

 

 どれだけ排除しようとも泡のように溢れて来る魔獣たちを押し留められているのはシャルルの存在が大きい、これだけの規模の戦いは本来ならば四人だけでどうこうできるものでもないのだから。

 

 

 

 戦況は互角だが終わりが見えない、そんな状況が続いていた。

 

 

 

 同時に、これだけの戦力を排除できなくとも押し留めているだけで戦果としては十分すぎるほどである、もし帝都に雪崩れ込めば帝国軍は確実に崩壊するだろうことがわかる。

 

 

 

 そう考えると互角の状況は寧ろ歓迎すべきなのかもしれない、勿論優勢に進めることを諦めている訳ではない。

 

 

 

 ミューの背後にいるエミリーとキャロルが静かに神へ祈りを捧げている、エミリーは両手を合わせてその場に跪き、キャロルは弓を空へ向けた態勢で祈っていた。

 

 

 

 それぞれが強い加護を神から齎されている、その力が最高潮まで高まった瞬間にまずキャロルが動く。

 

 

 

 黄金の弓に矢は重ねられていない、そんな状態でありながら彼女は弦を引くと、そこに光が束ねられて輝く矢が形成された。

 

 

 

 膨大な魔力を固めて作られたその輝きは黄金の弓によく似合っている、込められた力に満足したのかキャロルは小さく頷いてからその矢を解き放つ。

 

 

 

 鏃が放たれた方向は魔獣たちではなく空だ、一条の光が空へと駆けのぼり、そのまま最果てまで届くのではと思ってしまう程の勢いであったが、輝く矢は途中で弾けるように広がった。

 

 

 

 数えるのも馬鹿らしくなるほどに広がった無数の光はそれぞれが魔獣たちの群れへと落ちていき、凄まじい被害を齎す。

 

 

 

 まさに矢の雨である、冒涜的な魔獣たちは密集していたので避けることも叶わずただの的となっている。

 

 

 

 いや、仮に回避できるだけの隙間があったとしても、きっと運命的な一撃から逃れることはできなかっただろう、キャロルの放つ矢は当てるのではなく引き寄せられるといった領域なのだ、どうしようもない。

 

 

 

 降り注ぐ矢の雨になすすべもなく魔獣たちの多くが消滅していった。

 

 

 

 次はエミリーである、跪きながら祈る体勢で神々の加護を受け取っていた彼女の掌には、弱弱しい光が揺らめいている。

 

 

 

 息を吹きかければそのまま消えてしまうのではないか、そんな印象を与えるほどに小さな灯なのだが、そこに内包された力は火山よりも大きいかもしれない。

 

 

 

 エミリーは揺らめく光に小さな息を吹きかける、せいぜい埃が掃える程度のそれを受けた瞬間に、掌の灯は大きく広がって戦場を埋め尽くす。

 

 

 

 風に揺れる美しい黄金の麦畑が焼き尽くされるようなこともなく、近くにいたミューやキャロルも火傷を負うこともない、当然前線で戦うシャルルも同様だ。

 

 

 

 その光が焼き尽くすのは触手を蠢かせる冒涜的な魔獣だけであった、魔性を持つ彼らにとっては致命的でどうしようもないほどに効果覿面な熱なのだろう。

 

 

 

 最前線をシャルルと幻影の戦士たちが支え、後方から他の三人が援護する形はこれ以上ない程に上手く機能しているように見えた、事実として魔獣たちは大きな損害を受けている、もしこれが人間同士の戦争であれば既に決着がついているくらいの蹂躙であった。

 

 

 

 それでも冒涜的な魔獣たちが戦い続けるのは彼らに感情が無いからだろう、生物というよりは装置に近い存在なので恐怖など感じないのだ、ただエキドナから与えられた命令を忠実に実行するだけである。

 

 

 

 圧倒的な損害があろうとも、そんなことを人形は気にしない、ただ進むだけであった。

 

 

 

「あぁもうッ、うじゃうじゃ湧いて来るじゃんか!!」

 

 

 

 シャルルが愚痴ってしまうのも無理はない、本当に際限なく押し寄せて来るのだ。

 

 

 

「シャルル殿!! まだ余裕はあるだろうか!!」

 

 

 

「大丈夫だ!! ミューはエミリーとキャロルを守ってやってくれ!!」

 

 

 

 彼女たちは追い詰められている訳ではない、寧ろ戦果を挙げれば圧倒的な優勢ではあるのだが、それはバケツで湖の水を全てくみ取るかのような作業でもあった。

 

 

 

 戦神の加護が極めて強まったシャルルはおよそ疲労とは無縁な体となっているが、それでも無限には程遠い。

 

 

 

 さてこの戦いはいつまで続くのだろうかと、シャルルが聖剣を振りながらそんなことを思い始めると、答えを教えてくれるかのように頼りになる妹の声が届く。

 

 

 

「ん……見つけた」

 

 

 

 黄金の千里眼が触手の海となっている戦場の中から、魔獣たちの急所とでもいうべき存在を見つけ出した、それが答えである。

 

 

 

「……いつかの借りを返す」

 

 

 

 聖都で、無限城で、そして大樹海で三度キャロルはその相手に辛酸を舐めさせられたのだ、他の者よりもその分だけ怒りが大きいのかもしれない。

 

 

 

「皆……エキドナがいる」

 

 

 

「キャロル、どの辺りでしょうか?」

 

 

 

「……あっち」

 

 

 

 そう言ってキャロルは新しい矢を放つ、先ほどのように弾けて雨のように拡散するようなものではなく、真っすぐ揺らぐことの無い矢であった。

 

 

 

 その鏃は何十何百もの魔獣を貫いてなお勢いを弱めることもなく、例え当たらずとも矢が通り過ぎた余波だけで魔獣たちを蒸発させながら大きな道を作りだす。

 

 

 

 触手の海が分かたれて一時的な空白を生み出した、きっとその道はエキドナの近くまで伸びているはずだ。

 

 

 

「どうする? 突っ込むか?」

 

 

 

 大きな道ができたとしてもそれは一瞬だ、大量の触手がすぐに埋め突くしていく、キャロルとしても方向を示しただけなのだろう。

 

 

 

「行きましょう、このまま続けても終わりが見えません、それにかの魔獣母がいるのならば見過ごせません」

 

 

 

 因縁のある相手であることもそうだが、放置するにはあまりにも危険な存在である。

 

 

 

 何よりもし上手くエキドナを排除することができれば魔王が暴れるようなこともないかもしれない。

 

 

 

「承知した、お二人は私が守ろう」

 

 

 

「ん……お願い」

 

 

 

 ミューとキャロルも反対はしない、やはりエキドナを見過ごすことはできないようだ。

 

 

 

「よっしゃ、皆しっかりついて来いよ!!」

 

 

 

 話が纏まった瞬間にシャルルが一歩踏み出す、これまでは相手を押し留めるように戦線を維持していたのだが、目標ができたことで彼女が率いる幻影の戦士たちも前に進みだす。

 

 

 

 塞き止めるのではなく切り崩して突き進む、目指すべき場所は黄金の麦畑を蝕む触手の海の更に向こうだ。

 

 

 

 シャルルを先頭に幻影の戦士たちが続き、そこに三人は付いていく。

 

 

 

 足の遅いエミリーをミューとキャロルが守る形である、可能な限りそちらへ近づかないようにシャルルも配慮しているようだが、それでも僅かばかりの討ち漏らしは出て来るのでそれをミューは華麗に排除する。

 

 

 

 シャルルと、幻影の戦士と、ミュー、この三つの壁を超えてエミリーとキャロルまで触手を伸ばすのは簡単ではなかった、事実としてまだ一本たりとも近づけていないのだから。

 

 

 

 どれだけ束になって挑もうとも冒涜的な魔獣たちは彼女たちに敵わないのだ、戦況が互角のように見えるのは損害を無視して動き続けられる人形だからだ、どれだけ同胞が死のうとも引くことがないので終わりが見えない。

 

 

 

 守護像を幾ら倒してもエヴァには届かないのと同じだ、この魔獣たちをどれだけ倒そうともエキドナには届かないのだろう。

 

 

 

 ならばやるべきことは一つしかない、狙うは敵の首領のみだ。

 

 

 

 守護像たちも四人娘の動きに合わせるかのように突撃していく、幾つもの肉と触手を踏み砕いていくが同じ数だけの守護像が砕けていくが、そのおかげで魔獣たちの勢いは明らかに弱まった。

 

 

 

 その僅かな隙間や戦場の動きを、戦神が見逃す筈もない。

 

 

 

「どりゃあああああッ!!」

 

 

 

 祝福の光を纏ったシャルルが地面を割り砕くほどの勢いで踏み込む、人がすり抜けられるほどの隙間など立ち塞がる触手が作る筈もないが、彼女の聖剣はその全てを切り刻む。

 

 

 

 防ぎ、いなし、反らして、そして両断する、目で追えないほどの速度で振るわれる聖剣は刃の壁を作り、切っ先より先に触手が伸びることを許さない。

 

 

 

 誰よりも前を進むシャルルには数百数千もの触手が殺到しているのだが、その中の一本たりとも聖剣を超えることはできなかった。

 

 

 

 仮に届いたとしても、彼女がその身に宿す祝福の力に触れた瞬間に消滅するはずだ、そんな相手が数え切れないほどの幻影の戦士を引き連れているのだからいっそ理不尽でさえある。

 

 

 

 遠く、離れた位置からであってもシャルルの輝きは見えるだろう、エキドナが忌々しそうに唇を歪めていることを、彼女たちは知りようがなかった。

 

 

 

 英雄というのは本当に厄介だ、触手の海でエキドナは一人そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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