商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
一路北西へ、風と祈りと経験を頼りに大海原を突き進む艦隊がそこにはあった。
立ちふさがる全てを慄かせるようにと願いを込められた船首は龍の頭を描いていた、それら全てが同じ方向を向いて海の上を駆けている光景は、普段は群れることのない海龍が一堂に会して行進しているかのような迫力を醸し出す。
頑丈で、早く、そして大量の戦力と武器を積んだ軍船を前に、そしてその後ろに一時的にだが軍船代わりに使われることになった輸送船が続き、最後尾にそれらを支える物資や食料を積んだ只の貿易船が引っ付いている。
異なる商会や目的で集められた為に形や速度や規模も違う、しかし並び立つ船は乱れることなく進んでいるのがわかる、それらの船を操るのは海に生きて海で死ぬことを決めた海兵たちが中心になっているので当然だと言えるだろう。
もし、この光景を俯瞰から眺めたのならば鋭い槍を描いていると表現すべきか、それともひし形に並んで空を飛ぶ渡り鳥の群れのようだと評価すべきなのか……どちらにせよ美しく整っていることは間違いない。
艦隊の先頭、旗艦はキグナスが乗っている軍船であり、その船首は目指すべき場所を常に睨み続けているようだ。
進路は北西、大陸間にどこにでも存在する島、そこに憎き海賊たちの根城が存在する。
既にキグナスはそこを視界に捉えており、サーベルにかけられた腕は今か今かと武者震いを繰り返していた。
街を焼かれた恨みを、拉致された住民の名誉と嘆きの為に、そして何よりも己の利益の為にも、海賊たちの血を流して首を並べなければならない。
眼前にはその獲物が、振り返れば並び立つ艦隊が、左右を見渡せば部下の海兵たちが戦闘準備を既に整えている。
「船長……いえ、提督、全ての準備が整いました」
「よし、他の船も問題はないね?」
「はい、手筈通りに進んでいます、即席の艦隊でしたが予想以上に上手く動いているかと」
「まぁ、それができなきゃ海では生きていけないさ……グリーシャたちはどうだ?」
「人魚たちには船から転落した船員の救助を中心に動いてもらいます」
「よろしい、じゃあ行くとしようか」
全ての準備が整った、船に武器に数に風、人知を尽くして天命を待つという言葉があるが、その前半部分は既に終わっている。
後は、気まぐれな神々が微笑んでくれることを祈るしかないだろう。
キグナスは海賊帽子を深く被りなおして、神に祈りを捧げてから海兵たちに号令を下した。
「剣を抜け! 槍を掲げろ! 鐘を打ち鳴らせ!」
この戦いを、流れる血を、遠い神々の世界へと奉納しなければならない。
これは復讐であり報復であるのだが、それでも戦争なのだから最低限の礼儀……いや、形だけの手順を踏む必要があった。
人間にとっては誇りと信念のぶつかり合いであったとしても、神々にとっては娯楽でしかない、きっと海の神を始めとしてこの戦いの行く末を天上から眺めていることだろう。
ならば、それならば、どんな感情を乗せて剣を振るおうとも、この戦いを奉納という形にすることが戦士の在り方なのだ。
キグナスも自分が正しく生きたとは思っていない、清廉潔白な人間だとも考えていない、海賊征伐を行っているのだが、自分だって彼らと同じ海賊同然の存在だと言えるのだ。
それでも相手とこちらとでは決定的な違いがある、それは誇りの輝きであり、何一つ恥じることの無い道のりである。
それだけが違う、そこだけが異なる、ならば最早、彼らとこちらは戦うしかない。
同じ海賊であろうとも、掲げる誇りがこうも正反対であるのならば血が流れるのは必然だった。
「大いなる海の神よ、生命の源よ、そして戦神へこの戦いをお贈りします」
祈りは捧げるもの、この戦いは何一つ恥じることが無いと神々へ宣言する為の言葉であり証明であり、そして率いる者たちへの道標でもある。
この戦いは神々へ捧げるのだから聖戦なのだ、その宣言をしたのだからお前たちは誇りを掲げて死力を尽くすのだ、この祈りはそうあれという命令でもあるのだろう。
キグナスの祈りに呼応して海兵たちや傭兵もまた祈りと聖句を唱えていくと、遠い遠い神々の住む世界へと届くように強く深い祈りが海に空に広がっていく。
そして鐘が打ち鳴らされた、戦いの始まりを宣言するかのように。
「さあ野郎ども派手に行くよ!!」
「敵船確認! 総員戦闘配置!」
キグナスが乗る旗艦から発せられる鐘の音は味方には勿論のこと敵の耳にも届いたのだろう、もともと障害物の無い海の上なのだから接近されていることは承知の上なので問題はない。
海賊たちがアジトとしている無人島……無人島であった場所の岬から姿を現したのは大型の軍船だ。
まずその大きさがよく目立つ、まだ百メートルは離れているのだがそれでも巨大だと認識できるくらいには存在感がある、接近すればさらにそう感じることだろう。
徐々に距離が近付くにつれてやはり圧迫感が増してくる、船体も帆柱も帆も船首も全てが巨大である、ここまで大きさとなれば運用は難しく港に入ることにも苦労する筈なのだが、それでもこの船を操ることに何かこだわりでもあるのかもしれない。
あるいは、この船の持ち主はこうして大きな船を運用することで自らの力を示したいのだろうか、自分はこれだけの力があると宣言したいのならば確かに無駄であろうともこだわるだろう。
それでもいざ戦うとなれば、その無駄も武器になる、実際に目の前にすれば確かに圧力を感じるのだから完全には無駄だとは言えない。
ただここに並ぶのは精鋭たちだ、形だけで装飾だけの武器を脅威だと思っても恐れることはなかった。
鐘が高く打ち鳴らされる度に心が奮い立つ、足を踏み鳴らして熱をため込み、今か今かと待ちわびる姿に恐怖など微塵も存在しない。
「至高神よ、天上の主よ、我に力をお与えください」
エミリーも眼前に迫った敵を前にして熱心に祈りを捧げていた、その隣ではキャロルが自らの弓と矢に祈りを付与している。
「よし来た! 待ちわびたぜ!」
シャルルはいつも通り雑な祈りで済ませて剣を引き抜いていた、そして海兵たちと並んで足で音を踏み鳴らしているようだ。
武器と祈りと心、戦う前の準備を全て終わらして眼前の敵を睨みつける、それは相手も同様なのだろう。
海に上の戦いでは陸と違って足場に制限がある、無数に兵隊たちが並んで我先にと駆け出して敵を食い散らかす戦いとは違って、限られた足場を奪い合う陣取り合戦のような奪い合いになるのだ。
大量の兵員で突き崩す、あるいは囲い込む、地形を利用する、砦で迎え撃つ、陸で常識とされる戦術が海の上では意味をなさない。
限られた足場を、限られた武器と兵員で塗りつぶすことが基本となるのだ、勝つためにはいかに効率的な船の運用がカギとなる。
そういった意味では船の数こそが重要なのだろう、大型の船であっても複数の足場はどうやっても用意できないので数こそが陸となにも変わらない武器になっていた。
相手とこちらの軍船が接近して戦いの幕が上がる、風は幸いにもこちらに味方しているが相手の方が重く頑丈なのでまともにぶつかり合えば不利になるだろう。
しかしここは海の上、船は兵隊と違って止まれと言って簡単に止まるものではない、そんなことは海兵たちは百も承知なので船がぶつかり合うことに動揺はなかった。
海龍を模した船首とユニコーンの角を模した船首がガリガリと擦れ合って交差すると、互いの船が地震でも起こったかのように大きく跳ね上がる。
その衝撃の大きさを物語るかのように海龍の形をした船首は砕け散ってしまう、やはり重さの関係でこちらが不利なようだが、ここまでは想定の範囲内。
海の戦士はこの程度で動じることはない、揺れ動く足場を気にすることなく誰もがサーベルや槍を構えてようやく肉薄することができた海賊たちへと向けていた。
先駆けとなったのはやはりキャロルの矢だ、帆を支える柱の僅かな足場に陣取った彼女は、ぶつかり合って道となった船首を駆け抜けてこちらに侵入してきた海賊の胸を容赦なく貫いていく。
切り込み隊長とも言うべき存在が出鼻を挫かれた為に海賊たちは僅かに戸惑った、ほんの一瞬の躊躇いであったのだが迎え撃つ海兵たちがそれを見逃すことはない。
「よっしゃ! ぶっ殺せ!」
野蛮な言葉と共に雄叫びを上げて海兵たちが突っ込んだ、船首という細い道へ殺到していく中にはシャルルの姿もあるようだ。
「力を!」
鋼と鋼、肉と肉がぶつかり合う瞬間、誰もが短いながらも神へと祈りを捧げていた、気まぐれな神々は誰であろうと力を貸してくれるので敵も味方も瞬間的に力が沸き上がっていく、そんな両者の中であって一際異彩を放つのがやはりシャルルだろう。
いつも通りに短く雑な祈りを捧げると、しなやかな体に爆発的な力が宿る、彼女はその力に振り回されることなく駆け出すと、海兵側の先駆けとなったのだ。
早い、一歩踏み込めば既に海賊の懐へと潜り込み、相手を切り伏せている。
目の前にいた海賊の腹を刺して脇腹へと剣を滑らせ、零れ落ちる臓物を確認することもなくそのまま横へと振り抜くと、剣先は海賊の首を切り裂いた。
「おいおい女じゃねえか! なんで船なんか乗ってんだよ!」
「へへへ、いっちょまえに騎士様気どりか? こりゃ色々と楽しめそうだ!」
「まだガキだが面は悪くねぇ、せいぜい可愛がってやるから楽しみにしてな」
戦いの最中だというのに下卑た笑顔を浮かべて、自分たちが勝った時の妄想に浸っている海賊たちには危機感が感じられなかった。
「おい、まだ戦いの最中だぞ!」
まるで戦いを舐めているかのような態度にシャルルは少しだけイラついた、目の前で仲間を切ったのだからもう少しくらいは警戒して欲しいものだと思うのだが、やはりこの海賊たちは危機感が足りていないようにニヤリと笑うだけだ。
「おぉ? 良い威勢じゃねえか、そういう奴の方が犯しがいってのがあるから嬉しいぜ」
「……ふん、タダでワタシを抱けると思うなよ!」
「その強気な態度を俺の一物で変えてやるよ!」
サーベルがシャルルへと振り下ろされる、それを愛用の剣で受け止めるのだが思っていた以上に体重が乗っているので僅かにだが体幹が揺らいだ。
船の揺れもそれを助けている、長年に渡って船での戦いを経験してきた海兵と違って、ここに来て経験不足が浮き彫りになっていたのだ。
しかしシャルルはしっかりと踏ん張った、揺らいだ体幹を船の揺れに合わせるようにその衝撃を受け流す。
それは隙となるのだが、ここには頼りになる味方がたくさんいるので気にする必要が無い、追撃を行おうとサーベルに力を籠める海賊を鋭い槍が襲う。
海兵だ、それもかなりの数が乗船しているので手が足りない等ということは無い、手に持った槍を敵陣へ突き込んで互いの隙を補い合うのだ。
後方からはキャロルを始めとして矢が放たれている、そして前を行くシャルルたちは盾と武器を構えてジリジリと戦線を動かしていくのが仕事になるだろう。
前も後ろも焦りはない、なぜなら彼らは膠着状態を簡単に覆す切り札があるからだ。
船の最も後ろ、船尾にいるエミリーの力があるのだから大量の出血を覚悟してまで相手の船へと足を踏み入れる必要がない。
ただその時を待てば良い、時間を稼ぐだけで勝てるのだから戦線の維持が最優先だった。
海賊たちも橋頭保を奪い合う戦いになることを覚悟していたのに、盾と槍を構えて防衛を優先している海兵たちを不審に思ったのか攻めあぐねているようだ。
違和感に気が突いたのだろう、帆柱にかけられた荒縄をよじ登っていた海賊の一人が声を荒げる。
「やべえ! あれは魔術師だ! 船尾に魔術師がいるぞ!」
既に遅い、気が付いた時には素人でも感じ取れるほどに魔力の渦がエミリーを中心に広がっていた。
「総員退避いいいい!!」
敵は勿論、味方である海兵でさえそう声を張り上げている、前線を維持していた海兵たちは手筈通りに一歩引いて盾で身を隠すが、海賊たちはそうもいかない。
橋頭保の確保に船首へ群がっていた彼らは、盾で身を守る海兵を見てマズイと悟ったのだろう、慌てて引き返そうとするのだが、そこへ熱が生み出されてしまう。
熱の発生源にいた者はまだ幸運だったのだろう、即死することができたのだから、しかし中心から少し離れた海賊たちは熱と衝撃に晒されて激痛を味わうことになる。
かつて自分たちが焼いた街や住人たちの怒りを形にするかのように、炎が、今度は海賊たちを無情にも焼いていく、因果は巡るとでも言うべきなのかもしれない。
熱と衝撃から逃れるように海へ飛び込むのだが、それによって戦線が大きく崩れることになってしまう。
そこを見逃すような海兵たちではない、ここぞとばかりに橋頭保を奪い取ると、そのまま相手の船へと雪崩れ込んでいくのだった。
正面からだけではない、そこで海賊船を囲むかのようにキグナス側の軍船が二隻左右に張り付くと、甲板に付けられた巨大な固定弓を船横へと叩きこむ。
男の腕程はあろうかという大きな矢……いや、槍が放たれると、そのまま相手の脇を突き破って船内へと固定されてしまう。
槍には同じように大きな縄が付けられており、これによって海賊船は完全に逃げ場を無くしてしまったのだ。
「よし! 巻き上げろ!」
ピンっと張った縄が船と船の距離を近づけていく、そして互いの船が完全にぶつかり合った。
事前の打ち合わせ通りに、三方向からの攻撃の準備が整ったのだ、後は限られた足場を奪い合うだけだろう。
その段階に至ったことで、海賊たちはようやく意識を改めることになる、これは弱者を踏みにじって奪う蹂躙ではなく、命をかけた戦いなのだろうと。
船に侵入してきた海兵たちと刃を交わす海賊たちは既に笑顔を消している、油断も隙もないので手ごわくなった。
海兵が倒れ、同じ数だけの海賊が倒れていく、剣で斬られる者、槍で突かれる者、矢で射られる者、海に落ちる者、この戦いを眺めている神々はようやく戦いらしくなったと大いに喜んでいるだろう。
「ふッ!」
呼吸と共に一閃、シャルルの剣が海賊の一人を甲板へと沈めた、次の獲物はと切っ先が彷徨うと、一人の海賊と目が合った。
よく目立つ赤いバンダナを巻いた海賊は、縫うように乱戦の中を駆け抜けると、一瞬にして三人の海兵を切り捨ててみせる。
そして四人目は、という所でシャルルの剣がサーベルをかちあげた。
両者の視線は乱戦の中であっても離れることなく合わさっている、互いに互いが手ごわいと認識しているのだろう。
「……やるじゃねえか」
「ふん、そっちもな」
この男は手ごわい、この女は手ごわい、その共通認識が両者を駆けさせていく。
しかし今は狭い足場での乱戦状態であり一対一の決闘ではない、当たり前のことだが邪魔が入ってしまう。
いざ衝突せん、その瞬間に割って入るかのように海賊と海兵が鍔迫り合いながら互いの姿を隠してしまったのだ。
だが止まることはしない、シャルルは海賊を切り伏せて相手は海兵を切り捨てて踏み込むと、そのまま止まることなく相手へと肉薄するのだった。
火花を散らして刃が打ち合わさった、一度二度三度四度、五度目で瞬きと共に一呼吸おいてから、六度目と七度目を繰り返す、その剣戟において両者はお互いの力量差を正確に見極めることになる。
半歩、及ばない……それがシャルルの下した判断であり、おそらく間違いではないだろう。
力と技術がほんの少しだが及ばない、そして何よりも船の上での対人戦闘経験が不足しているのだ。
波によって上下左右に揺れる甲板の上、その揺らぎに合わせるかのように踏み込み体重を乗せてくる男の体捌きはシャルルに真似することのできない領域にあった。
ここが陸の上ならば半歩の差でも、船の上でなら間違いなく一歩の差があることだろう。
十二度目の打ち合いの末、シャルルは男のサーベルを受け止めるのだが、そこで運悪くも船の揺れと足の踏ん張りが連動することになり、ズルリと体幹が崩れてしまった。
「ッッ!」
そこへ脇腹へと男の膝蹴りが食い込んでしまう、海の上での戦いなので鋼ではなく皮鎧を身に着けていたのが仇となり、腹部で何かが爆発したかのような衝撃を貰うことになる。
肺の空気が強制的に吹き出し、一瞬だけ意識を手放しそうになってしまうが剣を強く握りしめて何とか繋ぎ止めていく、しかし追撃とばかりにそこへ男のつま先が放たれた。
皮鎧の上であっても苦痛は大きい、シャルルは甲板を転がりながら込み上がって来た胃液を強引に押し戻すと、剣を握りなおして乱戦の中に身を隠す男を睨みつけるのだった。
「うッ、ごほ……ふざけやがって、さっさとサーベルで斬れば勝負は終わってただろうが」
「おいおい、せっかく女戦士様が船の上にいるんだから楽しまなきゃダメだろ。女なんて鳴かせて裸にひん剥いて犯す為に存在するんだからよ」
「海賊ってのは本当にどうしようもない連中ばかりだな」
「そうだろうさ、何も間違っちゃいない……どうしようもない屑ばかりだが、どうしようもなく楽しいんだよこれが!」
スルっと、船の揺れに合わせてシャルルの視界から男の姿が消え去った、無数の海兵と海賊がぶつかり合う船上で姿を隠すことは容易いだろう。
しかしシャルルは男の姿は見失っても隠し切れない鋭利な気配を逃すことはなかった、自分のすぐ隣で槍を振るっていた海兵の胸から彼女の鼻先へと飛び出て来たサーベルの先端を一歩引いて回避すると、逞しい海兵の向こう側にいる男を睨みつけた。
「生意気そうで良い面構えだ、俺の一物で鳴かす瞬間が楽しみだ」
「はん! その粗末なもんでワタシを満足させられるのか?」
「お、言ったな、なら試してやるよ!」
戦力差は半歩だが、実際にはそれ以上の差が船の上ではあった、ならばそれを埋めるには協力を仰ぐしかないだろう。
これは決闘ではなく戦争なのだ、剣で相手を切り伏せることはない。
シャルルは海賊のサーベルの翻弄されながらも後退を繰り返し、海賊船の縄梯子を登っていくと、帆柱の上へと戦いの場を変えるのだった。
帆を広く、そしてピンと張るために帆柱の上部には十字架のような細い足場がある、人一人分がようやく歩けるような細い丸太の上を駆けていくと、当然ながらすぐに行き止まりとなってしまう。
だがそれで良かった、ここならば周囲の乱戦を気にすることなく正面のみを注視することができる上に、戦場全体を見下ろせる程に高い場所にいるのでよく目立つ。
援護は一呼吸した後に入った、後方から絶えず矢を放っていたキャロルが、自分と同じように帆柱の上で戦っているシャルルの姿を発見したからだ。
乱戦の中ならば誤射の心配もあって迂闊には手が出せないが、ここならば敵と姉とで明確に色分けすることができる、後は放つだけだろう。
「弓神よ、撃墜の一撃を我がもとに」
祈りと共に放たれた矢は光の尾を残して吸い込まれるように海賊へと辿り着く、しかし相手は援護を予期していたのかサーベルでそれを弾き落としてみせるのだった。
だが誤算があった、矢を弾いた筈なのにサーベルから伝わって来た感触と衝撃はハンマーで殴られたかのような一撃だったのだ。
細く高い不安定な足場の上で、想定外の衝撃を受けて男の体は目に見えてグラついた、その決定的な隙をシャルルが見逃すことはない。
猫のように身を低くして飛び出すと、体幹を大きく揺るがした海賊の胸へと自らの剣を突き出していく。
男はとっさにサーベルをシャルルへと向けるのだが、それを掻い潜って彼女の剣は男の心臓へと滑り込む。
肉を貫き、骨の隙間を通って、その切っ先は見事に男の急所を穿つのだった。
信じられない、そう言いたげな表情のまま赤いバンダナの海賊は帆柱から甲板へと落ちていく、シャルルは自らの頬から流れる血を拭いさりながらそれを見送る。
「よっしゃ! キャロルー! ありがとな!」
向かいの船の帆柱の上でキャロルが手を振ってそれに答えてくれた、更にその後方の船尾にいるエミリーも祈りと詠唱の最中であったが笑顔を向けて来た。
戦果は上々、ここまでの戦いは順調であると断言できる、多くの血が流れているが間違いなく海賊たちの出血の方が多い。
当初の予定通りに戦いは推移しているのは間違いない、入念な打ち合わせと数の力によって相手を袋叩きにするという基本的な戦術なのだが、それを全うするのは案外難しい物なのだ。
どれだけ準備と時間をかけようとも、土壇場で全てがひっくり返ることなど珍しくはない、それでもこの戦いは順調であると言えるのですぐに決着となるだろう。
帆柱の上から大海原を見渡すと、彼女たちが相手をしている海賊船以外の船も似たような状況だ、一つの海賊船を複数で囲んで叩く、どこも同じ状況を作り出している。
「他も順調みたいだな」
シャルルがそんな言葉を出してしまうくらいには順調だった、少なくともここまでは。
この船での戦いはもう終わる、最後のトドメにもう一度エミリーが魔術を行使すれば、それで終幕だろう。
ならば他の船の援護をしなければならない……既に「次」を想定していたシャルルの瞳が違和感を捉えたのはそのすぐ後になる。
どうしようとも、戦いというのは全てが想定通りに動くものではないということだろう、横っ面から想定外の一撃を受けることは、やはり珍しいことではないのだ。
想定通りの動きを繰り広げる船がいる中で、予定外の動きをする船を、帆柱の上にいたシャルルとキャロルだけが認識していた。
そして神様というのは気まぐれなのだ、どちらに微笑むかなど人の身では図ることは出来ない。
船を大きく揺るがせる衝撃が巻き起こった、誰にも予期せぬ形で、それが牙を剥く。
神様は本当に気まぐれだ、どうやら今回は彼女たちの味方ではなかったらしい。