商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
冒涜的な魔獣たちが作り出す触手の海が蠢く、それはまるで二人のエキドナを中心に踊り狂い祈りを捧げているかのようにも見えた。
人が神殿で跪き祈るように、魔獣たちもまた自分の創造主にそうしているのだろう。
彼らが作り出す独特の雰囲気と存在感はその場を闇神殿へと変えていき、醜悪な肉の大地を生み出していく。
健常な、そしてまともな感性を持つ者がその場を見れば、吐き気をもよおすような匂いと光景が広がっている。
そこにあった筈の黄金の麦畑は影も形もない、全てが触手とどす黒い粘液に沈んでしまっているようだ。
蠢き祈り踊るように広がる触手の海の中、エキドナの片側はもう片方のエキドナの大きく膨らんだ腹部に耳を当てながら、どこかつまらなそうな視線をどこかに向けていた。
ここではないどこかを観測する深紅の瞳は、広大な触手の海に切り込んで来る英雄の輝きを観測しているのだろう。
まだ距離はある、そしてこれだけの数の魔獣たちを超えていくのは簡単ではない。
そう考えるのが自然ではあるのだが、常識や定石というのを無視して結果を手繰り寄せるのが英雄と呼ばれる存在である。
理屈ではないのだ、理屈で語れないから英雄なのだ。
勇者がそうであるように、英雄もまた不思議な力があった。
ならばエキドナとしても油断できない相手である、あの英雄たちは魔神の加護が極めて強い自分と同等なほどに神の寵愛を受けているのだから、同格と考えるべきだろう。
大きな祝福の力を遠くに感じることができる、魔性に属する者からしてみればそれは火山の噴火のようにも感じられるそれはまだエキドナと距離がある。
距離があるが、先ほどよりも明らかに近い。
そしてその程度の距離であれば無視することのできる存在もあちら側には存在している、風切り音のようなものと共に一条の光が触手の海を分かつようにエキドナへと届く。
エキドナはそれを周囲に広がっていた無数の触手を束ねて防ぐ、何十もの肉壁によって阻もうとするのだが、貫かれるというよりは蒸発するような感触であったので腕を振るうように触手を動かして軌道を反らした。
もし直撃していれば彼女であっても深刻な痛痒になったであろう矢であった、運命的という言葉がよく似合う狙撃である。
矢を防いでいる間に今度は巨大な熱を感じ取った、凄まじく広範囲に広がったその熱は数百もの魔獣を焼き滅ぼしただろう。
そしてその距離は先ほどよりも更に近くなっている、まだまだ遠いと思っていた感覚はもう当てにはならない速度であった。
普通の進行速度ではない、かつて戦った武神にも負けない程に、いっそ理不尽に感じてしまうほどに魔獣たちを蹴散らしながらエキドナへと近づいてくるのだ。
まだ遠い、僅かに遠い、近い、そして数秒後にはその姿を確認できる位置にまでやってくる。
なんだその呆れた速度は、と苛立ちながら歯を鳴らすエキドナは、自らの領域に踏み入って来た下手人を睨む。
いつか見たことのある顔だ、悪魔にとって天敵でもある祝福の光をこれでもかと内包した聖騎士である、彼女に引きつられるように幻影の戦士たちが大勢付き従っておりその戦力はエキドナにも負けてはいないだろう。
その軍勢の背後にはエミリーたちが続いている、ミューに守られながらもしっかりとその目はエキドナへと向けられているようだ。
「半神が三人に……なりかけが一人か、よくもまぁ集まったものね。英雄なんて一人いれば十分なのに」
戦力的にはどれも脅威である、もし一人であってもエキドナを殺せてしまえるくらいには力を持っているだろう、それぞれが魔王を倒した経験があるのだからエキドナを殺せない理由がない。
そんな相手が三人もいるのならば、戦力的には絶望的と言えるだろう。
だがこれで良かったとエキドナは思う、この戦力を帝都に張り付けるのはあまりにもパレスが不利になってしまうからだ。
シャルルたちが魔獣たちを押し留めて帝都に近寄らせない時点で大きな戦果であるように、この四人娘を帝都から、正確にはパレスから遠ざけられている時点でエキドナにとって大きな戦果であった。
どちらか片方が自由に動けるのならば、この戦いはもっと一方的なものになっていただろう。
だからこれで戦局は互角である、エキドナは自身が不利であるとは考えていなかった。
「よう、久しぶりだなッ!!」
シャルルが魔獣たちを蹂躙していた勢いそのままに飛び上がって聖剣を構えると、そのまま重力に従ってエキドナへと切りかかる。
半神になる前であればそこまで気にすることもなかった攻撃も、今となっては脅威と認めざるを得ない、視線をそちらへ向けてどう対処するか迷ったのは一瞬、その一瞬を突くかのようにキャロルが放った矢が大地を舐めるかのように放たれた。
空と大地、両方からの攻撃はどちらも致命傷に届くものだ、例えそれを上手くやり過ごしたとしてもトドメを狙うかのようにエミリーの掌には小さな灯が揺らめいている。
そちらの守りは固い、無数に枝分かれした黄金の槍を構えたミューが常に魔獣とエキドナの壁になるように動いていた。
状況を確認している間にシャルルの聖剣と地を這うように放たれながらもエキドナを目前にして急激に跳ね上がった鏃が迫る。
どちらも無視できない攻撃であるのならば、どちらも防ぐしかなかった。
「その程度で私を殺せるとでも!?」
周囲に広がる魔獣たちを束ねて肉壁にすることをエキドナは選んだようだ、一体、二体、程度ではまるで意味を成さないのであるだけ注ぎ込む。
触手の壁と言うよりは、肉の要塞とでも表現すべき規模である。
聖剣と矢がどれだけ鋭くとも分厚過ぎるそれを突破することはできない、少なくともその二つは。
本命は後方のエミリーである、器を作るように合わせられた両手には穏やかな灯が揺らめいており、彼女はそれを自らの口元に持っていき穏やかに息を吹きかける。
蝋燭の火を消すかのような動きであったが掌にある灯の光は消えるようなことはなく、寧ろ大きく広がって触手の海や要塞を塗り潰すのだった。
「このッ、どいつもこいつも面倒なのよ!!」
普通の火でないことは一目見てわかっていたのだが、その熱に触れた瞬間に魔獣たちは焼かれるというより消滅するように消えてしまう。
まるで神の領土に悪魔の身で踏み込んでしまったかのような感覚だ、刃でも矢でもなく厳密には熱でもない攻撃は、魔性を有する魔獣やエキドナにはとてつもない猛威を振るった。
まるで神殿をこの場に召喚したかのようなありさまだ、広がる灯は触手や魔獣を次々と飲み込んで消滅させていくと、その場に形成されていた魔性の領域を消し去っていく。
「私の領土に土足で踏み入るつもりかしら!!」
積み上げた肉の要塞は既にない、意味をなさずに一瞬で消滅した、そして露わになったエキドナへとシャルルが迫る。
灯が広がり激しく燃え盛る中であっても彼女は熱を感じないのか平然としており、肉の壁に阻まれていた聖剣を再びエキドナへと向けていた。
早い、その肉薄をエキドナはそう評価する、いつか戦った武神や死神と大差がない程に鋭い。
そして彼女に続くのは数え切れないほどに集った幻影の戦士たち、彼らは次々と立ち塞がる触手を切り裂いてシャルルの露払いをしており、やはりエキドナにとって邪魔な存在だった。
「いつかの借りを返させてもらうからな!!」
その聖剣は斬れぬものなど存在しないとばかりに振るわれる、実際にそれを弾ける物など世界中を探したとしてもあるかどうかわからない刃である、真っすぐで美しい軌跡を描いたそれは迷うことなくエキドナの肌へと迫り食い込ませた。
取った、そんな確信をシャルルが抱くくらいの感触が聖剣から伝わって来る、深紅の血しぶきとともにエキドナの喉元が裂かれたのだからそう思うのも仕方がない。
「うおっとッ!?」
だがそれで終わることなど無かった、切り裂かれた喉元から吹き出る血を見れば決着だと考えても不思議ではないが、ギョロリと蠢きシャルルを睨む瞳がまだ戦いの終わりを告げてはいない。
そしてエキドナの両手が紐を解くかのように分かれて無数の触手を形成した、片手に五本、もう片手に五本の触手だ、それぞれの先端には人間の唇のような器官が存在しており隙間からは鋭い牙が見え隠れしている。
それこそ群がる肉食獣のように人間の肉など根こそぎ食い散らかすだろう。
「シャルル殿!!」
群がるエキドナの触手を前にして忙しそうにシャルルの瞳が動き回った、上下左右は勿論のこと斜めや足元からも鋭い牙を宿した触手が伸びている、背後からミューの声が聞こえて来るが極限まで集中している彼女には届いていないらしい。
人の生きられる隙間はどこにもない、ならばシャルルがやるべきことは一つだった。
「遅い!!」
聖剣の軌跡が一呼吸の内に幾つも重ねられ、自身に群がって来た触手は悉く切り落として見せる。
昔ならばともかく今のシャルルには遅すぎる攻撃だろう、ゆっくり迫っているような感覚すらあった。
「これだから困るのよ!!」
エキドナの苛立ち紛れの言葉を無視して聖剣はその胸へと突き刺さる、人間ならば心臓がある位置だ。
だがそれでもエキドナは止まらない、切り落とされた触腕を一瞬で再生すると、刃を自ら食い込ませながらシャルルへと肉薄した。
こいつどうやったら死ぬんだ、シャルルがエキドナの胸を貫きながらそんなことを思うのも仕方がないだろう。
喉を裂き、心臓を貫いてもなお動き続ける相手である、祝福の力で焼き潰そうとしてもエキドナの体が再生する方が早い。
ゆっくりとこちらへ近づいてくるように見える十本の触腕を、再び迎撃しようと聖剣の柄に力を込めるのだが刃はエキドナの胸に突き刺さったままであった。
肉に阻まれ上手く引き抜けない状態らしい、エキドナの勝ち誇った表情がシャルルの眼前に存在している。
だからどうしたとばかりにシャルルは更に聖剣を握る力を強くする、肉と骨に阻まれていた刃は強引に移動して脇腹まで進むとそのまま大量の血を吹き上がらせていく。
しかし臓物は一つも零れ落ちない、聖剣から伝わる感触も奇妙なものであった。
脇腹へと引き抜いた聖剣をあたらめて握り直すと、再び群がる触腕を切り伏せていく、その度に凄まじい勢いで再生を繰り返しているのでいつまでたっても終わりが見えない。
奇妙な感触である、そこにいて斬れるのに殺すことができない、幽鬼でさえシャルルは消滅させることができるというのに、エキドナにはそれが届かないのだ。
「援護してくれ!!」
だからシャルルは仲間たちの助力を求めた、もとより一人だけで殺しきる理由も意味もない、そしてエミリーとキャロルとミューも言われなくともそうするつもりであった。
周囲に群がる魔獣と触手たちをミューと幻影の戦士たちが防ぎ、その間にエミリーとキャロルが援護する形は崩さない。
「……ん」
キャロルが矢を放つ、彼女の位置からは接近戦を繰り広げるシャルルの背中が見えて、そこにエキドナが隠れる形となっていたのだが欠片の躊躇も無い。
鏃は真っすぐ進んで行きそのままシャルルの背中に命中するかと思われたが、運命的にそうはならずに、姉の耳たぶより少し下辺りを通過してエキドナへと届いた。
神性を宿した一撃は迷うことなく病的に白い鎖骨を貫き、そのまま左の触腕を穿ちぬく。
一歩間違えれば、もっと言えばほんの数ミリの誤差があれば、そうなっていたのはシャルルであったのだと考えれば、まさに運命的な一撃なのだろう。
当てるのではない、既に当たっているのだ。
まるで結果だけが既に確定していて、それを矢が追いかけているかのようでもあった。
つまりどうあがこうとも回避できるようなものでもない、触腕の根元を穿たれたのは必然である。
それでもエキドナは気にすることがなかった、瞬く間に肉と骨がボコボコと盛り上がって触腕を形成するからだ。
「させるか!!」
だが再生しようとしていた触腕はまたも聖剣で切り落とされてしまう、残った五本の触腕でシャルルの攻撃を全て対処するのは不可能に近いだろう。
あぁ、これは拙いな。
エキドナがそんなことを思ったかどうかは四人娘にはわからないが、苛立たし気な瞳をしていることからそう間違っていないと思われた。
苛ついているのは追い詰められている証拠である、余裕たっぷりの相手と戦うよりはずっとやり易くもあった。
シャルルには一切熱を与えないというのに、エキドナや魔獣たちには途方もない損害を与えて来る祝福の光を浴びて全身に大火傷が広がった段階で、いよいよエキドナから余裕が消え去ってしまう。
逆の四人にはまだまだ余裕があるようにも思える、二年という月日はかつて苦戦した強敵でさえ追い詰められる程に意味のある時間であった、その事実が彼女たちに余裕と勢いを与えたのだろう。
一人でもエキドナと渡り合えるくらいの力があるのだ、そしてエキドナには複数の英雄を相手どれるだけの力はなかった。
魔獣母は増やすことこそが権能である、戦って殺し合うことはそもそも得意としていない、それでも圧倒的な力を持っていることは変わらないが、英雄に囲まれるような状況を切り抜けられるほどの力量はない。
それでも戦いが成立しているのはエキドナの異常な再生能力があってのことだろう、こればかりは四人娘も詰め切れていない。
エミリーが与えた灯の魔術による大火傷も、シャルルの聖剣やキャロルの弓も、エキドナを消滅させるには及ばなかった。
どれだけ繰り返してもそれなのだから、もしかしたら不死身なのではと考えてしまうのも仕方がない、それでも戦いは一方的に進められているので続けるしかないのだ。
「あぁ、強いわね……もっと早く殺しておくべきだったのね」
エキドナは二年前の聖都での戦いを思い出す、あの時はここまで成長するとは思っていなかった、可能性はあると薄っすらとだが察してはいたがあまりにも急激な差である。
きっと自分が生み出した魔王たちが彼女たちを強くしたのだろう、そうでなければ二年で自分を追いつめるまでに至るはずがないのだから、そんな納得を抱くと同時にまたもシャルルの聖剣が触腕を切り落とす。
今更後悔しても遅いとわかっているのだが、エキドナの特性として増やすことが何よりも重要視されるのだ、都合の良い相手を見つけるとつい欲が出て来てしまうので避けようがなかった。
その性質とある種の慢心がこの結果を生み出しているのだから笑い話にもならない、全くもって笑えないのだが、結果が全てなので結論を出すのはまだ早い。
「あと一歩……もう一歩」
心臓と眉間を矢が貫く。
「大願成就は……もう少し」
灯の熱が肌を焼いた。
「我が神は……ここにあり」
聖剣と黄金の槍も体を貫く。
「パレス……よくやったわ」
それでもなお、エキドナが消滅することはなかった。
満身創痍を通り越した状態でもその瞳から活力が消えるようなことはなく、視線は目の前にいる英雄たちではなく、その遥か後方に存在する帝都へと向けられていた。
その視線に釣られた訳ではないが、四人娘も帝都方面に存在した巨大で重苦しい気配が消えたことを肌で感じ取り、思わず振り返ってしまった。
重くて粘度のある空気を生み出す、これだけ距離が離れていても感じ取れる濃密な存在感が突如として掻き消えたのだ、それが意味する所は一つしかない。
黄金の魔王が滅ぼされたのだ。