商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「怪我人は生命神の神殿で治療を、動けるものはすぐに国境へ帰還するように、それと魔術院から追加の魔術師を呼んで来てくれ、この砂金の調査を頼むんだ」
戦いは終わった、かなりの出血を強いられてしまったが魔王を相手にして全滅しなかっただけ良かったと思うしかない。
大勢が死んだ、大量の出血を受け入れた、それでも最後に残ったのは帝国なので疑いようのない勝利である。
戦いが終わったのち、勝鬨を上げるよりも早くランポッサは次へと思考を切り替える、国家の敵は何も魔王だけではないのだ、この混乱に乗じて反帝国勢力が動くことも十分に考えられるのだ、皇帝の仕事はまだまだ続く。
負傷したり、戦死した兵士やその家族たちへの補償も必要だろう、戦えなくなった者たちへの仕事の斡旋も考えなくてはならない、心にいつも天秤を持つランポッサは勝利に浮かれている暇などないのだ。
帝都に集めた戦力をすぐさま再編成して国境へ戻すこと、負傷者の治療を急ぐこと、そしてパレスが残した大きな爪痕や砂金の砂漠をどうするかも考えなくてはならない、おそらく寝る間もなくなるだろう。
嘆き悲しんでも、時間は寄り添ってなどくれないのだから。
「ゼスは……逝ったか」
そんな彼であっても、足を止めなくてはならない状況はある、三代に渡って皇帝に仕えた忠臣の中の忠臣が戦死したと聞けば、公平であろうとする天秤はどうしたって揺らめく。
今にして思えば実の親よりも長い時間を過ごした相手である、必要とあらば肉親を駒にすることも躊躇しない男であっても、彼の死には動揺があったのだろう。
残されているのは切り落とされた腕や体だけである、頭はルールーが魔王ごと完全に粉砕したので欠片も残っていない。
「……ご苦労だった、まぁお前のことだ、ベッドの上で安らかに死ぬよりは、戦場で倒れる方が良いのかもしれないな」
残った遺体の胸の上に手を置いて、祈るような仕草をしたランポッサは数秒後にはいつもの為政者の顔へと戻る。
皇帝としてやるべきことをやってから悲しむべきだろう、きっとこの老兵も同じことを言う筈だ、だから彼は迷うことなく遺体を後にするのだった。
「ロビン、急かすようで悪いが守護騎士団を率いて国境警備をしてくれ」
「わ、わかりました!!」
地面に腰を下ろして大の字になっていたロビンフッドは慌てて体を起こして姿勢を正すと、皇帝からの命令を受け取った。
「ルールー、お前は帝都の警備だ、すぐに動け」
「うむ、手前が引き受けよう」
ルールーは獣から人間形態へと戻っていた、ただし鎧も衣服も変身した時に引きちぎってしまったのでそうなると全裸である、特に恥ずかしがるような様子も無く堂々としており、部下が慌ててマントを被せているのが確認できる。
「ある程度落ち着いたら各国に事情の説明が必要か……後は、どれだけ被害が出たか正確に把握しなければな」
混乱は帝都だけに留まっていない、魔性の金貨によって帝国全土へと及んでいることは容易に想像できてしまう。
帝国全体でどれだけの被害が出たのか、想像するだけでランポッサは頭痛を感じてしまった。
それでも前に進むしかないのだから、為政者とは本当に苦労が絶えない立場である。
さてこれからどうすべきだろうか、どこから手を加えるべきだろうか、そんなことを考えながら近衛騎士と共に帝城へと帰ろうとする彼の背中に、言葉にするのも難しい冷たい感触が広がった。
ランポッサだけではない、勝利の余韻に冷や水を浴びせるかのようにその気配は広がっていき、その場にいる全ての者の肩に大きな重圧を与えていく。
ルールーが獣の危機感を撫でられたからなのか再び四足獣の状態へと戻っている、ロビンフッドを咄嗟に二つの大盾を持ち上げて傘のように掲げていた。
「なんだ……これは?」
重圧の発生源は帝都から離れた位置だろう、細かな場所はわからないが大きすぎる存在感に方角だけはわかってしまう。
「何があった……いや、何が生まれた?」
火山の噴火のように、一目見ただけで異質異常の衝撃をランポッサは感じていた、その発生源に形容することが難しい何かが存在しているのは説明されるまでもなくわかった。
その存在感は、黄金の宮殿を生み出したパレスよりも大きいとさえ感じてしまう。
これから世界がひっくり返るかのような、そんな予感を確信へと押し上げるような存在感であった。
きっと、今日を境にこの世界は何かが決定的に変わってしまう、そんな出来事が起こったのだろう。
「よくやったわパレス、さすが私の子ね」
無数の冒涜的な魔獣が作り出す触手の大地の中心でエキドナが娘の消滅を感じ取った、その瞬間に魔王の魂は膨大なエネルギーとなってエキドナへと帰って来る。
その量たるや、奇跡が起こっても不思議ではない程であった。
加えて、パレスが帝国中でおこした魔性の金貨による混乱で大量の死者が生まれた、帝国は犠牲を最小限で留めたというのは間違いないが、それは人口大国である帝国から見ての最小限である。
数万という数は、小国にとっては致命傷でも帝国では地方都市の人口程度でしかない、国が傾くとまではいかないだろう。
それでも数万という数は決して小さくはない、その魂がパレスと共にエキドナに流れて来て彼女の力となるのだ。
正確には、四人娘と戦っているエキドナではなく、魔獣たちに丁寧に守られているもう一人のエキドナに流れて行く。
パレス自身の魂と、帝国中で発生した混乱による大量の犠牲者の魂、そしてこれまでエキドナやその他の魔王たちが集めた膨大な数の魂は今、腹部を大きく膨らましたエキドナの中にある。
奇跡を起こすのは決して軽くはない、しかしそこに指先が届くくらいの力が彼女の腹にはあった。
渦を巻き、エキドナに集束していく途方もないエネルギーは、どうしようもない程の不吉な気配となっている。
四人娘もそれをしっかりと感じ取ったのだろう、圧し掛かる重圧を振り払うように誰よりも早くシャルルが駆けていく。
「あれは……ダメだッ、ここで倒さないと!!」
焦りがあった、エキドナが産み落とそうとしている何かは不吉な気配を孕んでおり、それを表に出してはいけないと本能的に理解しているのだろう。
シャルル以外も同様の認識を持ったのかそれぞれエキドナに攻撃しようとするのだが、それを阻むように大量の魔獣が壁となり、それすらも超えられたらもう一人のエキドナが守る為に壁となった。
「さぁ称えましょうこの瞬間、この一瞬を!! 我らが大願の成就を!!」
エキドナがシャルルの聖剣を阻む、触腕で受け止めようとするが大した盾にもならず両断されてしまうが、僅かな時間は稼げた。
キャロルが放った矢も同様だ、魔王である彼女の肌も容易く傷つけるそれを防ぐのは簡単ではない、実際に触腕を貫いて鎖骨付近に突き刺さっている。
それでも鏃が彼女の背後にいるもう一人のエキドナに届かないのならばそれでいい、今となっては半神となった三人を彼女だけで倒すなど不可能なのだ、時間稼ぎが限界であった。
そしてその数秒こそが彼女が欲していたものである、世界が変わる数秒を。
「お待たせいたしました、我が父よ、我が神よ、我が母よ、私たちの世界を作りましょう!!」
不吉な気配が世界に広がっていく、その存在感に歓喜するように周囲に広がる冒涜的な魔獣たちは触手を掲げながら歓喜を現しているようにも見えた。
人々が神に祈り、その存在に狂乱しているかのようだ。
そしてそれはエキドナも変わらない、魔獣たちと同じように歓喜しながらその瞬間を諸手を挙げて待っている、背後に四人娘の気配を感じながらもそれ以上にこの瞬間を称えなければならないらしい。
「どこ見てんだッ!!」
シャルルが背中を見せるエキドナへと切りかかる、隙だらけな上に背中を見せているので防ぐことも交わすこともできないだろう、そうでなくとも彼女の攻撃は極めて鋭いのだ、エキドナが全力で迎撃しても足りない程である。
それでも背中を見せたのは既にエキドナの中でこの戦いは終わったものだという認識があったからだろう、つまり背中を見せても問題はない。
聖剣の刃が相手を真っ二つにしようと勢いよく振り下ろされる、しかしそれはエキドナの予想通り届くことはなかった、それよりも早く巨大な触手の群れが押し返したからだ。
「シャルルッ!?」
濁流のように溢れて押し迫って来た触手の群れに姿を消したシャルルに、後方にいたエミリーが悲鳴交じりの声を上げていたが、そんな彼女も迫る触手に呑まれて消えていく。
無抵抗でいる理由もないのでエミリーもともしびの魔術から放たれる光を広げていくのだが、それは触手の波に何も影響は与えなかった。
ありえないことである、魔性に属するのならば天敵とも言える光なのに、この触手群には何の意味もなさなかった。
「これはッ……神性!?」
そんな言葉を最後にエミリーの姿は完全に消えてしまう。
「キャロル殿!! こちらへッ!!」
シャルルとエミリーが姿を消すと同時にその触手はミューとキャロルにも伸びていた、咄嗟に黄金の槍で遠ざけようとするのだが、槍先が触れようともそれらは神性に充てられて崩壊することはない。
神器の力が届かないことに驚きつつも、彼女は近くにいたキャロルを抱き上げて何とか逃れようとするのだが、飛び上がった瞬間に足首を掴まれてしまう。
勢いを無くしてキャロルとミューは重力と触手に引かれて落ちていく、そんな中で二人が持つ黄金の瞳は確かにその存在を認識できていた。
「あ、あれは……半神?」
「ん……違う……神様」
エキドナの片方、妊娠したかのように腹部を膨らました方が莫大なエネルギーを使って生み出したのは、まぎれもなく神秘であった。
キャロルたちのような半神ではない、混ざりものではない完全な神性がそこに存在している。
あれは、比喩ではなく本物の神だ、完璧な神性だ。
エキドナは、その腹から神を産みだしたのだ。
魔王ではない、悪魔でもない、その存在を現す言葉は神以外はありえないだろう。
泥と血肉を混ぜ合わせて作った悍ましい人型、そこから伸びる神性を宿した触手の壁は、有無を言わさずにキャロルたちも飲み込んでいくのだった。
この日を境に世界は変わることになる、地上に神がいなかった時代と、神が生まれた時代に。
「う~わ……なんだあれ」
「ボ、ボクにもわかりません……なんだか、神様の気配が強いですけど」
「嫌な気配がここまで届くわね……死の神が齎した神託はこれを予期していたのかしら」
「団長、どうやら三人はあそこにいるようです」
「はぁ……面倒ごとに巻き込まれるのは誰に似たのやら」
神の降臨を目撃したのは四人娘だけではなかった、魔獣たちが作る触手の大地を一望できるほどに離れた小高い丘の上に彼女たちはいた。
獣人と、男のようで女のようでもある少女と、絶世の美女と称しても過言ではないエルフと軽やかな足取りの暗殺者を筆頭に彼女たちは神を見つめている。
「団長、当然助けに行くんだろ? ようやくアイツらと合流できるんだからさ、逃せないって」
ピンと伸びる獣耳がよく目立つ獣人、シャーシャの言葉にキャラバンを率いる団長であるキララは顎に手を当てて静かに考え込む。
危険極まる状況ではあるが、放置すればいよいよ合流が危うくなってしまうだろう。
多少のリスクを受け入れてでも、キャラバンの同胞を救うべきだ。
その為に必要な戦力を頭の中で整えながら、最終的にキララは最も頼りになる戦力を押し出すことにしたらしい。
この状況をひっくり返せるとするのなら、それはきっと同じ神にしかできないことだ。
だから彼女は迷うことなく最強の戦力へと声をかけるのだ、この世でただ一人、天剣を握ることを許された存在に。
星空を切り取って剣の形にしたかのような、美しい夜色の剣を握った少女は、キャラバンの団長に向けられた視線に迷うことなく頷く。
「行けるわね……ラシュリー?」
「うん!! ま~かせてッ!!」