※この作品はR-18です。

商人と冒険者と娼婦   作:にやまな

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第五話 魅了の魔術

 

 

 今現在、春風のキャラバンが滞在している国は境界線だ。

 

 

 

 国境を一つ越えれば向こう側は完全にアンデットの勢力圏内であり、同時に毒婦に根っこまで腐らされてしまった国家がある。

 

 

 

 情報収集やなんとか逃れて来た難民たちから話を聞いたものの、その内情はハッキリとしない。わかっているのはその国が大量のアンデットの「材料」を輸出していることだろうか。

 

 

 

 国は既に滅んでいるのだろう。国民の大半は既に輸出されており、僅かに残っているのは軍人を中心とした武装勢力ばかりだ。

 

 

 

 そしてそれらの軍隊は次々と他所の国へ侵攻をしかけて、またアンデットの材料を生産するらしい。

 

 

 

 キャラバンが調べた限りでは、首なし騎士と毒婦は協力関係にある。商人同士の取引のような経済的な繋がりではなく、もっとどす黒くて悍ましい絆があると推測された。

 

 

 

 この国もかなり危ない状況である、毒婦の軍勢がこちらに向けられるのも時間の問題であると思われた。

 

 

 

 あまり時間は残されてはいないらしい、幸いにも首なし騎士の方は帝国方面へ戦力を向けているようなのでこちらには来そうにもないが、毒婦たちの戦力は後方で、つまりはキャラバンの近くの国で今も蠢動しているらしい。

 

 

 

「……あれは殺せそうにないわね」

 

 

 

 時刻は深夜、月明りも無い、曇っているので星すら確認できない暗闇の中で、キララは一人キャラバンから離れて行動していた。

 

 

 

 暗殺者として鍛えた体幹は全力疾走の中であっても一切乱れることはなく、何を踏みしめたとしても足音一つ立つことはない。

 

 

 

 そしてその疾走は四足獣のように鋭く素早い。

 

 

 

 中でも特筆すべきなのはその体の異様な軽さだろうか、ありえないことではあるが彼女は空中を蹴っているようにも見えてしまう。

 

 

 

 綿毛が風に乗って川や山や丘を越えるように、キララの体もまた同じように軽さを生かした動きをするのだろう。

 

 

 

 足音一つ立てずに大地から跳躍して空中をふわりと移動する姿は、いっそ空に落ちているのではと誤認してしまうほどに軽やかであった。

 

 

 

 そんな彼女が遠目に追うのは数えるのも馬鹿らしくなるアンデットの大軍勢である。大地を埋め尽くすほどの軍勢等という表現は古今東西で使い古されたものではあるが、まさか本当に文字通りの意味で使われる日が来るなど思いもしないのが普通だろう。

 

 

 

 暗闇に紛れながらの跳躍、キララがそれを全力で行えば重力を振り切って空高く舞い上がる。

 

 

 

 気が付けば雲まで届こうかという距離だ。その高度から見下ろせば大地を蠢くアンデットたちが良く見えた。

 

 

 

 彼らを率いるのは戦車に乗った首なし騎士である。数え切れないほどのアンデットを連れながら目指すのは村々であり砦であり都市だった。

 

 

 

 いくら脆弱なアンデットであってもこれだけの数を揃えれば濡紙を破くかのように次々と貫通して蹂躙できるだろう。

 

 

 

 その進軍を止められる者はおそらくいない、小国の集まりであるこの地域では数で圧倒することも難しいと思われた。

 

 

 

 つまりこの時点で小王国郡は消滅することがほぼほぼ確定している訳だ。帝国軍が動くのであればそちらに近い国は助かるのかもしれないが、大きな出血を覚悟する必要もある。

 

 

 

 周辺の偵察を行っているキララも、あわよくば首なし騎士を排除できるかもと考えてアンデットの軍勢を探っていたのだが、どれだけ頭の中で暗殺を組み立てようとも結果は敗北で終わってしまう。

 

 

 

「……厄介ね。アンデットは、既に死んでいるから殺せない」

 

 

 

 雲の高さからフワフワと綿毛のようにゆっくりと落下していくキララは、首なし騎士とアンデットの軍勢を観測してそんな結論を出す。

 

 

 

 死の神は万物に死を与える神だ。その半神であるキララにもその権能は存在している。

 

 

 

 冗談でも誇張でもなく、キララに傷つけられるとかすり傷一つで絶命することになるのだが、既に死んでいるのならばそんな力も意味を成さない。

 

 

 

 己の力が通じず、加えて周囲のアンデットによって首なし騎士に刃が届くまでに最短でも数百回はゾンビを排除しなければならず、もっと言えば首なし騎士の実力もハッキリとしない。

 

 

 

 あまりにも不確定な要素が多すぎる、暗殺を博打で行いたくないのでキララはアンデットの軍勢に手を出すことを諦めるのだった。

 

 

 

「強力な祝福を宿した聖騎士か……大魔術で焼き払うくらいしないと無理そうね」

 

 

 

 そのどちらの手段も彼女にはない、だから刃を交えることなく撤退一択である。

 

 

 

 幸いと言っていいのかどうかわからないが、彼女への依頼はアンデットの排除ではなく毒婦の暗殺だ。帝国軍が動こうとしている情報も掴んでいるのでアンデットたちはそちらに任せるつもりらしい。

 

 

 

 なので彼女は今まさに村々に襲い掛かった死の雪崩に背中を向けてキャラバンに帰還していくのだった。

 

 

 

 偵察に向かった時と同様に足音一つ立てずに国境を幾つか超えると、ようやくアンデットの気配も薄くなって文明の光も見えて来る。

 

 

 

 キャラバンが滞在している都市はまだアンデットたちの進行方向ではないので健在ではあるが、それも時間の問題だと思われた。

 

 

 

 都市の外縁部で蜷局を巻くかのように並んだ車両群を発見して、キララはようやく警戒心を解いて近づいていった。単独での偵察には慣れているがそれでも仲間の姿を見ると安心してしまうものだ。

 

 

 

「あッ、団長、おかえり~!!」

 

 

 

 車両の外で団員たちが篝火を中心に寛いでいる。そこへ近づいていくとまずラシュリーがキララの存在に気が付く。

 

 

 

 暗殺者を発見するとは大したものだと、若干の驚きと共に駆けよって来たラシュリーの頭を撫でると、他の団員たちもこちらへ視線をやってくる。

 

 

 

 ここしばらくはキララが単独での偵察を繰り返していた為に車両を動かせなかったので、団員たちも暇をしていたのだが、団長が帰って来たことでようやく動きがあるのかと身構える者もいた。

 

 

 

「皆、お待たせ……明日には動くわよ」

 

 

 

「た、戦いになるんですか?」

 

 

 

 少し怯えた様子のミカエラに心配ないとばかりに微笑むと、キララはラシュリーを抱き上げて自分も篝火を囲むように腰を下ろす。

 

 

 

「貴女たちまで出すつもりはないわ。私とシャーシャとローレライで主に動くから、心配は不要ね」

 

 

 

「ぼ、ボクたちも、戦えますよ?」

 

 

 

「わかっているけど、相手が相手なの……今回は大人組だけで動くつもりだから、納得して頂戴」

 

 

 

 まだまだ若手組であるミカエラやラシュリーは戦いの場に出せはしない。この二年の間に十分成長したのは間違いないが、いきなりアンデットや毒婦の軍勢に放り出すこともないだろうと団長を考える。

 

 

 

 功績を欲しているのか、或いは目に見える形でわかりやすくキャラバンに貢献したいのか、キララ自身も新人団員だった頃は似たような思いもあったので気持ちはわからなくもない。

 

 

 

 ただ別に今でなくとも良いのだ。

 

 

 

「それより貴女たちは何をしていたのかしら?」

 

 

 

「訓練ですよ、魅了の魔術を教えておりました」

 

 

 

 そう答えたのはローレライだ。彼女は楽器を片手に篝火の前で微笑んでいる。

 

 

 

「あぁ、そうね、必要になるかもしれないわね」

 

 

 

 付け焼刃の技術や知識が役に立つかどうかはわからないが、無知よりも既知である方がずっとマシである。

 

 

 

「だからシャーシャは酔っぱらっている訳か」

 

 

 

 キララが視線を向けた先には篝火の前で、顔を真っ赤にして酔いつぶれたかのように腰砕けになっているシャーシャがいる。

 

 

 

 ローレライが使った魅了の魔術によってこうなってしまったらしい。

 

 

 

 シャーシャ以外の団員たちも大なり小なり影響があるのか、酒を飲んでいる訳でもないのに酩酊したような状態の者がチラホラ確認できる。

 

 

 

 魅力の魔術、或いは呪いは、房中術と同じように魂や精神へ干渉して他者を支配することができる。

 

 

 

 ただこれはとても単純なものである。どんな者にだって異性に対する大なり小なり執着があるので、それを魔術的に刺激したり増幅したりして精神に干渉するのだ。

 

 

 

 房中術と併用して使われることも多く、特別に珍しい類の技術でもないと言えるだろう。

 

 

 

 それこそ娼婦神の神官はよく使う筈であり、なんだったら房中術と同時に習うことも多く、呼吸をするように使える筈だ。

 

 

 

 そして魅了の魔術は何も魔術師だけの力でもない、普通の女性であっても日常的に使っているものである。

 

 

 

 例えば化粧などがそうだろうか、装いを変えることも似たようなものである、相手に魅力的だと少しでも思わせれば、それは魅了の魔術であった。

 

 

 

 どんな魔術や技術にも言えることだが、突き詰めて極めれば猛威になるということだろう。毒婦がどの程度の力を持っているかはわからないが、国を亡ぼすほどの魅了の力など明らかに規格外だ。

 

 

 

 化粧をして相手に美しいと思ってもらう、香水をかけて他者を引き付ける、そんな次元の誰にでもできる魅了では断じてない。

 

 

 

 ローレライが魅了の魔術を使えばそれはもう他者を引き付けるだろう、実際に団員たちはかなり酔っているが、それでも自我を失うほどではない。

 

 

 

 彼女が手加減していることもあるのだろうが、それ以上となればもう魔術ではなく呪いとなってしまうので、できないと言った方が正しいだろう。

 

 

 

「知らないのと、知っているでは、僅かな違いであっても決定的な差異ですから」

 

 

 

「そうね、せっかくだから私にもかけて貰えるかしら」

 

 

 

 毒婦に挑む前の訓練であるならば、キララこそが受けるべきだ。

 

 

 

 ローレライは頷いてから魅了の魔術を組み上げると、篝火の向こう側にいるキララに向けてウインクをした。

 

 

 

 その瞬間にキララは見えない何かに殴られたかのように後頭部でも殴られたかのようにガクッと頭を振った。彼女の中に生まれたのはローレライへの限りない愛情である。

 

 

 

 愛しくて堪らず、彼女の言葉は何よりも優先される啓示となり、今ならばどんな命令でも喜んで聞くだろう。命を差し出せと言われれば喜ん――。

 

 

 

「うッ……危ない危ない」

 

 

 

 思考が危険な域まで誘導された段階でキララは自分の頬をそれなりの力で叩く。鋭い痛みで魅了を跳ね除けたのだろう。

 

 

 

「流石ですね団長、しっかり抵抗できています」

 

 

 

「そうでもないわ、かなり危なかったもの」

 

 

 

「それを自覚して戻って来れるだけで十分凄いかと、皆はあんな感じですから」

 

 

 

 酔いつぶれたかのように目を回しているシャーシャやその他の団員たちを見ると、どちらかと言えばキララの精神が強いと言うべきだ。

 

 

 

 普通はシャーシャたちの反応の方が正しいのかもしれない、魔術や呪いを跳ね除けるのは適切な知識と経験がある魔術師でも難しいものなのだから。

 

 

 

「……例の毒婦がどの程度の力を有しているかわからないのが問題ね。ローレライ、何か便利な道具とかないかしら?」

 

 

 

「残念ながら、そこまで都合の良い物はありません……聖都の最奥にある秘宝殿などを荒せば或いは」

 

 

 

 天剣を初めとした神器や宝などが眠っているとされる場所ならば、確かに有用な物もあるのかもしれないが、さすがにそこから何かを持ってくるのはキララでも躊躇する。

 

 

 

「それは難しいわ……ふぅ、自力で突破するしかないか」

 

 

 

 ふと、キララの視線が魅力にやられている団員たちに毛布をかける、ミカエラとラシュリーに向けられた。

 

 

 

 頭と地面の間に枕を差し込んで毛布をかける二人は魅力に陥った様子はない、それが気になったらしい。

 

 

 

「……あの二人は平気そうね。魅力をかけていないのかしら?」

 

 

 

「いいえ、あの子たちには通じなかったんです……ミカエラは、元々娼婦神の半身なのでわかるのですが、ラシュリーは……どうしてでしょう?」

 

 

 

「貴女にわからないのなら、私にもわからないわ」

 

 

 

 ローレライの言う通りミカエラは娼婦神の愛情が深い半神であった。権能を返還したとしてもその事実は変わらないので、残滓とでも呼ぶべきものが今も残っている。

 

 

 

 限界まで希釈した毒とでも言うのだろうか、それが今のミカエラなのかもしれない。

 

 

 

 薄まったとしてもその身に神格を宿していたのは変わらないので、ローレライが放つ魅力の魔術もまるで意味をなさなかったのか、ケロッとした顔をしている。

 

 

 

 だがそこはまだ納得できる、ローレライはそれが魅了が通じない理由だと説明することができたが、ラシュリーに関しては完全に謎であった。

 

 

 

 訓練なので勿論彼女にも魅了の魔術はかけたが、春のそよ風程度の干渉しかできなかった。

 

 

 

 ミカエラのように神の残滓で和らげた訳でもなく、キララのように強い精神力でねじ伏せた訳でもない、不思議なことにラシュリーに向かった魔術はすり抜けるように彼女を通り過ぎさってしまう。

 

 

 

「……もしかしたらですが、とても運の良い子なのかもしれません」

 

 

 

「あぁ、偶にいるわね、そういう人は」

 

 

 

 暗殺者をしていればそういう人物に出会うこともある、どれだけ入念に準備を整えて挑もうとも何故か煙に巻かれてしまう幸運な人だ。

 

 

 

「ラシュリーは勘も妙に鋭い所がある、神々の寵愛が深いのよ、きっと」

 

 

 

 運が良い人は神々の寵愛が深いとされている。九死に一生を得た人物であったり戦場で何故か矢に当たらない戦士など、明らかな幸運を感じた時に人はそんな表現をすることが多い。

 

 

 

 ただ運など不確定で人間の願望が生み出した数字で測れない概念である。良いことも悪いことも当たり前のようにやって来るので、必ず望む結果になることなどありえないのだ。

 

 

 

 ただもし、本当に幸運な、神々の寵愛がとにかく深い人物がいるとすれば、それはきっと万能の願望体現者となるのかもしれない。

 

 

 

 どんな危機も跳ねのけ、どれだけの絶望が迫ってもねじ伏せられる。願い行動すればより良い未来が訪れて、何をどうしようが決して幸運を逃さない、そんな存在だ。

 

 

 

 勇者の歌の中にもこうあった。

 

 

 

 かつて勇者は数万の悪魔の軍勢に囲まれたが「幸運」にも逃れることができたらしい、と。

 

 

 

 本当に、真の意味で幸運な者とは、きっと勇者のことなのだろう。

 

 

 

 或いは、誰よりも幸運であるからこそ、勇者と呼ばれるのかもしれない。

 

 

 

 幸運とは数字では測れないものではあるが、神々が存在するのだから、確かに存在するものである。

 

 

 

 ラシュリーがどれほどの幸運を神々から保証されているのかローレライにもキララにもわからないが、同じキャラバンに属する者としてはありがたい存在だと言えるのかもしれない。

 

 

 

 幸運などというものは、商人にとって絶対に必要なものなのだから。

 

 

 

 彼女たちとしては、その幸運にあやかりたいのだろう。

 

 

 

 他愛のない会話を続けながらも夜はこうして更けていく、明日には大きな戦いに挑まなければならないので、緊張を和らげるには良い夜であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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