商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
その国は静謐に包まれていた。
かつてはあったであろう活気や賑わいは完全に消えてしまっており、営みの光が消えたことでただただ寂しさだけが支配する土地となってしまっている。
唯一の光が漏れるのは王城の一部くらいだろうか、城下町も大通りも人波が消えて久しく、正気を無くした兵士たちが彷徨うだけであった。
この国はもう滅んでしまったのだろう。唯一残っている兵士たちは毒婦に魅了されて正気を失ってしまった者たちであり、それ以外の人々の末路は死者となって彷徨うか毒婦の気まぐれで殺されてしまったらしい。
最早滅びは避けられず、かつてこの地域にあった国家の名残を寂しげに語るだけであった。
そんな滅びの国へ足を踏み入れたキララとシャーシャとローレライは、警戒しながら敵地を進んでいる。
人が殆ど確認できず、いたとしても正気を失った兵士たちばかりなので国境を超えることは容易であった。廃村や放棄された屯所などもあるが人の視線がないのならばそもそも怪しまれることもない。
国境を超えて王都まで辿り着くことにそこまでの苦労はなかった。問題なのは王都への侵入である。
宿場町も村々も軒並み全滅していたが、王都だけは守りや監視が極めて鋭い。
城壁の上では正気を失った騎士や兵士が休むことも眠ることもなく周囲を監視しており、寂れた都市にも一定間隔で警邏が巡回しているのが確認できた。
兵士や騎士以外の人間は全てゾンビにでもされてしまったのか見つけることもできない。そんな状態で兵士以外の者が踏み入れば必ず目立つ上に監視にも引っかかるだろう。
まだ人の営みが残っているのならば一般市民に紛れて王城に近づくこともできたのだろうが、ここまで徹底して自分の手足以外を排除したのならば、警戒心も強いと思われた。
「……ひっそりと近づくのは無理ね」
「そうだなぁ、そこら中に監視がいるし、王城に近づけば絶対にばれるよ」
王都から少し離れた位置にある小高い丘の上で、キララとシャーシャが都市を眺めていた。
少し離れた位置では木々を背もたれにして楽器の弦を張り直しているローレライの姿も確認できており、彼女たちは目的地までもう少しの距離まで迫ったらしい。
問題となっているのは王都への潜入だ、毒婦の手足しかいない王都に入るのは、どれだけ考えてもやはり難しいという結論が出てしまう。
どんな計算をしたって最後には賭けの要素が大きい。暗殺に博打の要素を混ぜたくないキララとしては避けたい状況ではある。
だが避けられない以上はどんな状況になろうと踏み砕くしかない。単純な思考ではあるがそれが最善手ならばやるしかないのだ。
自分たちならば問題ないと驕るようなことはしない、一歩間違えれば死ぬのは自分たちなのだから油断もできなかった。
「はぁ……一か八かで暗殺なんてしたくはないのだけど」
「でも最終的には殴り合うしかないって」
「脳筋全開な発言だけど……そうなのよね、結局はそこに行き着くのが嫌になる」
シャーシャの雑な方針に納得するしかないのが現状である。どれだけ暗殺行程を組み立てても最後に物を言うのは暴力で解決するしかない。
敵の実力が自分たちで対処可能な範囲ならばそれも良いのだが、毒婦は警戒心が強いのか姿を見せることはなかった。
「現状、ここでじっとしていても状況は動きません。ならシャーシャの方針にも一理ありますよ」
ローレライもまた強引な力押しに賛成らしい。いや、全面的な支持をしている訳ではないが、それしか手が無いのならばそこに注力することにしたのだろう。
「勿論、私とシャーシャで団長を支援します。あの牙城を揺さぶれば隙も生まれましょう」
「……そうね、それしかないか」
不本意ではある、だがそれしかないのがキララたちの現状である。ならばやるべきことは一つだ。
「わかった、それでいきましょう。日が完全に落ちて夜になったら動く」
「りょーかい」
「全力を尽くします」
地平線へ目を向けると、大量のアンデットたちを隠すかのように日が沈んでいくのが確認できた。おそらく国境付近は凄惨なことになっているだろうことが想像できる。
彼女たちにはどうすることもできない相手だ、あれだけのアンデットの大群と首なし騎士に勝てるのは本物の英雄だけだろう。大群と怪物を片付けるのに暗殺者の出番などないということだ。
後ろ髪を引かれる思いはあるが、一先ずは目の前の目標に集中するしかないだろう。
日が沈み、完全な夜となって三人は行動を開始する。
幸運なことに星空や月さえ見えない夜であった。キララが暗殺を行う時はいつもそんな天気になるのは、きっと死の神の加護が強いからだろう。
幸運か加護かはどうでもいい、好都合であるかが重要だ。
王都は人が消えているので営みの明かりもなく静かなものである。都市の中心にある王城からは僅かに明かりが垣間見えるのだが、それ以外は完全な暗闇であった。
シャーシャは獣人としての生まれ持った鋭い感覚で夜を進み、キララは暗殺者として鍛えた視力で星の無い夜を見渡し、ローレライは魔術を使って周囲を視覚することで、夜に潜み進んでいける。
キララ以外は足音を消すことはできないが、そこはもう割り切っているのか隠すつもりもないらしい。
「止まれ」
先頭を進むシャーシャが後方に合図を送ると、三人はすぐさま物陰に姿を隠す。
大通りに並ぶ店と店の間にある細い通路に身を潜めると、そのすぐあとに毒婦に支配された兵士たちが大通りを過ぎ去っていく。
何日も寝ずに働いたかのようなゲッソリとした顔つきをしており、今にも倒れそうでありながら瞳だけはギラギラと興奮で輝いているような男である。
この王都にはそんな兵士が大勢彷徨っているのだ、城下町ですら身を隠さなければ進めないのならば、王城へ潜入すればまず間違いなく王手をかける前に騒ぎとなるだろう。
荒事は避けられない、改めてその認識を共有した三人は、ここで二手にわかれることになった。
陽動と本命、その二手に。
「シャーシャ、それじゃあ宜しくね」
「わかってるよ団長、無茶はしない」
理性的で威勢のいい言葉だとキララは受け取った、そしてローレライはどこか信用できないとも思う。
獣人と言うのは、全ての者がそうではないのだが、どこか大雑把な考えや行動が目立つ。どちらかと言えばシャーシャは獣人らしい獣人なので、慎重な動きというものがどこか遠くにあった。
数秒前に無茶はしないと断言したにも関わらず、シャーシャは大通りに飛び出ると何故か獣のような咆哮を上げてしまう。
「まったくあの子は……」
呆れたような声を漏らしたのはローレライである。キララも苦笑いを浮かべていた。
「でも陽動としてはあれ以上のものもないわ」
「……ええ、無駄にはできませんね」
背後から響く咆哮は徐々に獣の様相が混ざっていき、少しだけ振り返って視線を送ってみると、そこには二足歩行で暴れまわる巨大な獣の姿があった。
二メートルを超える体躯に隆起した筋肉、そして分厚く強靭な体毛、鋭い刃、人狼と呼ばれる存在である。
「アオオオォォォンッ!!」
咆哮は遠吠えに変わって都市中に響く、当然ながら兵士や騎士たちの注意はそちらに向くことだろう。
実際に慌ただしく駆けていく無数の足音がキララとローレライが潜む路地裏の近くを駆けて行ったので、確かに囮や陽動としては成功だった。
「団長、進みましょう。シャーシャなら……まぁ大丈夫です」
「そうね」
単純な殴り合いなら春風のキャラバンで右に出る者はいない、半神であるキララであっても腕力勝負では敵わないだろう。
そんなシャーシャが周囲に配慮せず暴れ回れるのならば、兵士がどれだけ束になってもあまり意味はない。
帝国の三騎士の一人である獣人もそうだが、圧倒的な暴力とはただそれだけで脅威なのだ。
騒ぎと咆哮を聞きつけて大勢の兵士たちが人狼と化したシャーシャに殺到するのだが、そんな彼らは文字通り人間離れした怪力で吹き飛ばされることになった。
どうやら彼らでは微風程度の障害にしかならないらしい。大きな腕に掴まれて小石のように投げ飛ばされるのだから、力の差は歴然だろう。
あれならば問題ないだろうとキララは判断した。大勢の兵士がそちらに注視したことを確認すると、彼女たちは王城へと潜入していく。
方法は単純だ、キララがローレライを抱えて城壁を超えるだけである。
重力を無視するかのようにふわりと飛び上がると、一度だけ城壁を蹴って飛び越えていく、そして城壁の向こう側へと音もなく着地した。
シャーシャが囮役として暴れているので王城は少し手薄になっている。ただし少しだけであり人を抱えて城壁を飛び越えるような者がすんなりと通れるほど手薄という訳でもない。
「侵入者だ!!」
「まぁバレるわよね」
鐘楼を打つ軽快な音が王城に響く、どれだけ手薄にしようがこればかりは仕方が無かった。
「団長、ここは私が」
キララの腕から降ろされたローレライは楽器に指を伸ばしながらそう言った。シャーシャほどの腕力はなくとも彼女は魔術師なので戦う術は持っている。それこそ手段の多さならばキララも凌ぐだろう。
「任せるわ、貴女も無茶はしないでね」
「勿論です」
こちらに近づいてくる兵士たちの注意を引くのはローレライだ。彼女は楽器から美しい音色を響かせると、殺到してくる戦士たちの動きが途端に鈍くなってしまう。
粘度の高い沼の中を泳ぐかのように、体に何かが絡みついて離れない。
それはローレライに近づけば近づくほどに強まっていき、兵士たちは彼女に触れられないまま地上で沼に溺れることになる。
彼女もまた囮であり陽動だ、本命であるキララから敵の注意と意識を反らす為の。
沼に溺れたかのような様子の兵士たちは次々と増えていく、その数が多ければ多い程にキララへ向かう戦力は減ることになるだろう。
それに彼女にはもう一つ仕事があった。魅了された人々に正気を取り戻させることだ。
優先目標としては低い、団長からも自分の身を最優先にと言明されており、言ってしまえば暗殺のついでだった。
何より、毒婦の魅了は強力だ、長く生きるローレライであっても難しいかもしれないという予感もある。
そしてその予感は間違いではなかった、見えない沼に溺れる兵士の一人に近づいていき、頬に指先を伸ばして視線を絡め合い、ローレライは深い溜息を吐く。
「はぁ・・・・・駄目ね、これは難しいわ」
見つめ合うこと数秒、それだけの時間で兵士たちから魅了の呪いがかき消せないことを理解したのだろう。
簡単でないことは予想していたので驚きはないが、どうしようもないと現実が付きつけられるとやはり落胆はある。
ローレライにどうしようもないのならば春風のキャラバンでは彼らを救えないのだ。完全に排除すべき対象となってしまったということであった。
彼らを救えない、残された可能性は毒婦の排除くらいの手段しかないが、どうなるかはローレライにもわからない。
最悪、毒婦が死んだ瞬間に彼らは嘆いて集団自殺する可能性すらあるのだ、こればかりはどう転ぶかハッキリとしなかった。
それでも毒婦の排除は絶対条件であり最優先目標であることは変わらない、ここで迷わないのが暗殺者であると言えるのだろう。
シャーシャとローレライが可能な限り注目を集めて騒ぎを起こす中で、キララは闇に潜みながら密やかに敵の本丸へと踏み込んでいた。
重さを感じさせない軽やかな足取りで壁を蹴り、屋根を伝って飛び越える。
見えない羽でも生えているのかと思う程の跳躍は強固で堅牢な王城の守りを容易く突破していき、キララにそれを知覚させた。
王城に踏み入った瞬間に彼女が感じ取ったのは、風に流される蜘蛛の糸のような薄く細い線である。
それは死の神に近い彼女にしか見ることのできない道標であり、神からの啓示でもあった。
これを辿ると必ず暗殺対象の下へと案内されることになる。キララが暗殺をするときはいつも星や月が見えない夜になるのと同じように、そういう加護があるのだろう。
窓を乗り越え、廊下に着地して、細い糸を追って王城を素早く駆けるキララは糸の終着点へと辿り着く。
おそらくは謁見の間と思われる空間だ、重厚な扉の間から糸が伸びていた。
ここから先はどうしても博打の要素が大きくなる、なってしまう。
「……ふぅ~」
だからキララは扉を開く瞬間に、長い深呼吸をして静かに心を落ち着かせた。
それが終ると同時に僅かに扉を開いて細い体を滑り込ませるのだった。
ここから先は死地、暗殺者の戦場である。