商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
僅かな隙間に滑り込むように謁見の間の扉の向こうへ飛び出た瞬間に、キララの瞳には四人の存在が映った。
二人は騎士、どちらも今にも倒れそうな顔色をしながらも瞳だけは興奮でギラついている。彼らは護衛の騎士だろう。
残りの二人の内の一人は何故か地面に四つん這いとなって静止している、まるでその体を椅子にするかのように。
最後の一人は嫌でも視界に入って来るほどの存在感だ、空に浮かぶ太陽のように、或いは夜を照らす満月のように、絶対の存在感を放っている。
視線を反らすことなど出来ようはずもない、世界の中心はこの美しい女なのだから。
「誰よアンタ」
突然現れたキララの存在にイヴは驚いたのだろう、四つん這いの男に腰かけながらそんなことを言っていた。
そんな反応に対し、キララは何かを答えることもなければ間を置くこともない。
問答は無用とばかりに彼女は駆けだした。床にクッキリと足形を残すほどの踏み込みからの小細工無用の攻撃であった。
両者の距離は十メートルもない、キララにとってそれは一呼吸の距離であり、喉元に刃を突き立てるのに一秒もいらないだろう。
実際にそうなった、突如として現れたキララに立ち塞がるように二人の騎士が前に出て武器を構えるのだが、それよりも早くキララは通り過ぎてしまう。
剣を抜き、構える、するとキララは既に背後にいる状況だ、さぞ驚いたことだろう。
護衛役の騎士を置き去りにした彼女はそのまま目にも止まらぬ速さで刺突剣を毒婦へと突き立てていく。
入室してからイヴが言葉を発してから時間にして一秒にも満たない内に、キララの刺突剣は喉元へと迫ったのだ。
暗殺者としてこれまで様々な相手を処理して来た彼女は、その経験として相手の力量を図ることに長けている。首なし騎士などは一目見て殺せないと判断したように、相手の脅威を正しく評価することに長けているのだろう。
そんな彼女が見た毒婦、イヴの脅威は、どうにも言葉にするのが難しいというのが全てだった。
最初の印象は太陽のように圧倒的な存在感を放つ女というものだ、次は極めて平凡な女子といったものである。
少なくとも強くはない、筋力も体幹も気配も少女のそれだ、剣を使わずとも素手で殺せるくらいに脆い。
あの首なし騎士のように圧倒的な脅威を感じないのだ、ただ美しすぎるという一点を除けば脆弱そのものであった。
だから殺せる、この刃は届く。
そんな確信は、刺突剣の先端がイヴの喉元に触れるか触れないかの距離で静止した瞬間に霧散することになる。
壁が阻んだ訳ではない、護衛の騎士たちが寸前で盾を差し込んだ訳でもない、キララとイヴの間には何一つとして障害などないというのに、鋭い刃は止まってしまったのだ。
「ッ!!」
驚く間もなく事実は事実として受け入れたキララは、静止した刃を強引に押し込もうとするのだが、刺突剣の先端はカタカタと震えるだけで一センチ先にあるイヴの喉元まで届かない。
何らかの不可視の力場がそこにでもあるのかと訝しむのだが、何故刃が届かないのか答えはすぐにわかった。
答えは単純だ、キララが刺突剣を自ら止めているのである。
まるで自分の腕に異なる誰かの意思が宿ったかのように刺突剣が動かない。強引に押し込もうとするキララと、それを阻止せんとする誰かの意思が拮抗して、刃は震えるだけで留まるのだ。
いや、異なる誰かの意思ではない、刃を押し留めているのもキララの意思なのだろう。
「無駄よ、この美しい私を傷つけられるとでも思っているのかしら?」
そうだ、それこそが最大の障壁である。
キララはイヴを一目見た瞬間に美しいと思ってしまったのだ。美しさも過ぎれば呪いとなる、それそのものが無敵の盾となって阻むのだろう。
一度でもイヴを美しいと思ってしまえば最後、彼女に対する敵意が消え去り、好意的な感情だけで埋め尽くされることになった。
生まれた時から友誼を結んだ大親友のように、自らを教え導いてくれた師のように、人生を捧げても構わないと思うほどの恋人のように、或いは自ら信奉する神のように、イヴに対する好意的な感情が止まらない。
これは呪いだ、美しすぎるという強力な呪いである。
およそ戦闘能力など皆無な雰囲気を持ちながら、その反面この世の誰にも傷つけられないという力を持つ存在なのだろう。
無力故の無敵、それが毒婦だ。
まだ力任せに暴れまわる怪物の方がまだマシだと、キララは己に残った冷静な部分でそんなことを思う。
どれだけ力を込めても進むことの無い刺突剣を引いて、彼女は瞼を閉じて闇雲に刃を振り回す。
相手を見ずに攻撃するなど愚かでしかないが、そうしなければ絶対に殺せないと判断したのかもしれない。
彼女に残った冷静な部分の判断なのだろう、だがそんな攻勢を阻むかのように冷静でない部分がこう囁く。
この美しい存在を傷つけてしまっていいのかと。
例え瞼を閉じようともその暗闇の中でイヴは存在している。瞼の裏にさえその美しさは健在であった。
だからキララの瞳を閉じての攻撃はまたも空振る、全ての刃があと一歩の所で届かない。
それどころか美しすぎる存在を傷つけるのを咎めるかのごとく、彼女の体は鈍くなるばかりであった。
「不敬ね、この美しい私を前に跪かないなんて……頭を垂れなさい」
四つん這いの男に腰かけたままの毒婦は当然の如くそう命じて来る。己の言葉は絶対に高みにあるという確信が無ければ言葉にできないほどに傲慢な態度だ。
しかしその傲慢さに一切の疑いがなく、真実として彼女は確かに美しいので、キララの体に不可視の重圧となって襲い掛かって来る。
「ぐッ!!」
イブの言葉に従うことが正しいと、それこそが真に正しい姿だと、キララの体や魂が反応しているのだ。
実際に重圧がある訳ではない、体に圧し掛かった重さは彼女の体が意思に反して従おうとしているからこその重圧である。
キララの中に生まれたイヴに跪こうとする自分と、抗おうとする自分が引っ張り合っている状況だ。既にイヴの抹殺どころの話ではなくなっているだろう。
危険である、彼女でさえこれなのだから、他の者で瞬きする間に跪いているのは間違いない。
魂を汚染する異常な存在感と美しさに半神であるキララさえ膝を屈しそうになっているのだ、神の寵愛や加護があってもそれなので、毒婦の力の強さがよくわかる。
魂を完全に掌握されなかっただけまだマシなのだろう、一目見てそれなので触れられるといよいよ終わりかもしれない。
ここに至ってはキララの優先順位は大きく変わることになる。暗殺とは基本的に一撃必殺であり一撃離脱が基本なのだ、攻めきれないのならば粘るべきではないだろう。
仕切り直しである、イブもまたキララが引こうとしていることを察したのか、そうはさせまいと声をかける。
「もう一度言うわ、跪きなさい……跪けッ!!」
強い命令口調には強制力が宿っていた。その言葉に従わなければならないと感じてしまう重みがある。
魔術師たちが使う言葉の魔術に似たものだ、本当に強力な魔術師がそれを使えば人を支配することなど容易く、イヴの言葉はまさに強力そのものであった・
王の言葉が強い重みをもつように、イヴの言葉は絶対なのだろう。
その命令に従うようにキララの体を膝を付こうとしている、重たい何かに圧し掛かれるように。
「ふん、まぁ褒めてあげなくもないわよ、私の美しさにそれだけ耐えられるのだから……でも駄目ね、不敬だわ。この私を前に跪く以外の姿勢が存在する訳ないでしょう」
「……面倒な相手ね」
「はぁ?」
キララの膝が床に付く寸前、それよりも早く彼女は己が持っていた刺突剣を自らの体に突き立てた。
少し傷つけた程度ではなく、刃の先端は深々と肩に突き刺さっている。
当然ながら激痛が広がった、目も覚めるほどの。
だからこそキララは完全に魅了されるよりも早くその場から動くことができたのだろう。強襲した時と同じように鋭い踏み込みと共に飛び上がると、謁見の間の上階に存在するステンドグラスを突き破って外へと脱出するのだった。
踏み込んで来た時もそうだが、去り際も素早く目にも止まらないほどである。
イヴはその脱兎の動きに一瞬だけきょとんとした顔をしながらも、すぐに怒りの形相へと変化した。
巻き上がったのは何よりも怒りだ、この世の何よりも美しい自分に傅かない誰かがいるという現実に毒婦はただただ苛立ったのだろう。
「何て不敬ッ……あの頭にはちゃんと脳が詰まってるのかしらッ!! 虫じゃないんだからさぁ!!」
多少なりとも知恵や知識があれば己に従って当然でありそれがこの世の理なのだと、信じて疑っていないからこその発言と苛立ちであった。
傅き跪くことこそが正しい姿勢なのだと、心の底から思っているのだろう。
「なんて理不尽ッ、私の思う通りに動かないなんて、どれだけ傲慢なのよッ!!」
ガリッとヒステリックに親指の爪を噛んだイヴは、すぐさま魅了している兵士たちを動かす。
「あの下手人を追いなさい!! 良いこと? 必ず捕まえなさい!! それまで帰ってこないで!!」
イヴは弱い、およそ殴り合いなどは不向きな在り方をしている。それこそ一般的な兵士でさえ敵わないだろう。
「兵士たちを集めなさい、並んで壁を作るの。朝も昼も夜も絶えず立ち続けて、肉壁で守るのよ!!」
だからこそ彼女は勇んでキララを追うようなことはしない、常に安全な場所で待機して消費しても惜しくはない戦力を動かすだけだ。
そう言った点は他の魔王たちとは大きく異なると言えた。そもそも弱い魔王など想像も想定をできないような相手である。
そもそも彼女は首なし騎士の後方で援護するのが仕事であった。迫る脅威と殺し合うことなどイヴにはできない。
美の魔王はそこを理解しているのだ、自分は強くないと。
だから彼女は兵士たちで城を作る、どんな暗殺者も二度と入り込めない程の密度で肉壁とするのだ。
ガリガリと、苛立ちを露わにするように親指の爪をまたもや噛んでいる。
そんな姿でさえ美しいのだから、彼女の持つ権能は強力であり巨大なのだろう。
「もおぉぉぉッ!! 像神様ッ、動いて、動いてよぉぉぉッ!!」
キララたちが毒婦と戦っている時、春風のキャラバンが攻略拠点としている廃砦の奥で、何やら小さな存在が憤っていた。
時刻は深夜、団員たちが寝静まった頃、不寝番の団員たちは砦を囲む石壁の上で周囲の警戒をしており砦の中心にまで注意を払っていない状況で、キャラバンの大黒柱であるダーボの近くでそんな声が響いている。
小さな声であり、声の主も小さい、人間の掌に乗りそうなほどの体躯に、透明な羽を背中に持つ、妖精と呼ばれる存在がそこにいた。
その妖精は憤りながらダーボの体毛を掴み、必死に動かそうと引っ張ているようだが、小さな体ではダーボの巨体はどれだけ頑張ろうとも動かせないだろう。
小鳥は巨像を動かせはしないのだ、体格に差がありすぎて気が付いていない可能性すらもあった。
「ふぎぎぎぎッ、動かないッ!!」
どれだけ体毛を掴んで引けど押せどダーボは動かない。それどころか丸まって瞼を閉じた姿勢から微動だにしない、自分を引っ張ろうとする妖精に気が付いているかどうかも妖しい所である。
「妖精女王様が呼んでるのぉぉぉ!! 神獣の会議があるって……起きてぇぇぇえッ!!」
妖精の奮闘虚しく、ダーボは動く気配がない。
「ううん……ダーボ、誰と話してるの?」
一向に動く気配のないダーボと妖精のやり取りに気が付いたのか、車両の中から寝ぼけ眼のラシュリーが出て来る。
「うわッ、やばッ!!」
人に見られることを恐れたのか妖精はラシュリーを見ると慌てて次元の狭間に引っ込んだ。どうやら逃げ出してしまったらしい。
「……ダーボ?」
「……」
大きな像神は相変わらず何も答えない、その大きな体を丸めて静かに寝息を聞かせるだけである。
「んん……ダーボは暖かいなぁ」
ラシュリーもついさっきまでこの場にいた小さな妖精を特に気にしていないのか、寝ぼけた瞳のままダーボに抱き着いて分厚い体毛に体を預ける。
「……」
そんなラシュリーをダーボは長い鼻を使って巻き取ると、自分の頭の上に優しく置いた。
「むふふふふ」
ラシュリーはダーボの頭の上でご満悦の様子だ、グリグリと頬擦りをしてから瞼の奥にある眠気に従って寝息を立て始める。
そのまま数分程、穏やかな時間が過ぎていく。朝までそのまま過ぎるのかと思いきや、ラシュリーは突如として睡眠から覚醒して頭を上げた。
「……」
瞳はそのまま地平線へと向けられて、どこか遠くを眺めるように細められる。砦を囲む高い石壁があるので見える筈もないのだが、それでも彼女の瞳は確かにその先にある何かを認識しているのだろう。
ラシュリーは暫くの間、見えない何かを眺めた後、ダーボの頭を撫でまわす。
「ダーボ!! 団長たちが大変だよ!! 助けなきゃ!!」
ぺシぺシとダーボの頭の上で軽い音を奏でるラシュリーの声に、どれだけ妖精に引っ張られても反応一つ返さなかった像神は、大きな巨体をようやく動かす。
凄まじい巨体をゆっくりと起き上がらせると、彼の体に繋がれた車両を牽引する為の頑丈な鎖が音を立てて車両を揺らしていった。
「よしッ!! 出発だ!!」
牽引用の鎖が緩みを無くして張られると、次々に車両が動き出す。
その段階になるとキャラバンの団員たちも異常に気が付いたのだろう、車両の中では明かりが灯り、砦壁の上で不寝番をしていた者も驚いたようにダーボを見た。
「ラシュリー!! ダーボはどうしたの!?」
砦壁の上から団員の一人がそう問いかけると、ラシュリーはこう返す。
「団長たちを助けにいくんだって!!」
「どうゆうこと!?」
話している間もダーボは足を進めており、その度に車両も進んで行く。
さすがにまずいと思ったのか、砦壁の上にいた団員たちも次々に車両の屋根へと飛び降りて来た。
「ダーボがこんなに動くなんて、普段はとても大人しいのに」
命令には忠実で大人しく、その巨体で誰かを傷つけないように常に冷静な獣、それが団員たちのダーボに対する評価であるのだが、ここまで大胆に動くのは付き合いの長い団員たちであっても初めてのことなのだろう。
団員たちの驚きを他所にダーボは足を止めることは無い。大きく長い鼻を鞭のようにしならせると、筋肉の塊であるそれは砦の入口に作られたバリケードを軽々粉砕して、外へと全てを牽引していく。
向かう先は当然ながらキララたちの下だ。それはつまり頭の上にいるラシュリーが指差す方向であった。