商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
軍靴の音がいつまでも遠ざからない。僅かに振り返ってみると大量の明かりが揺れ動いており、大量の兵士たちが松明やランタンを片手にキララたちを追っているのが確認できた。
彼らは休むこともサボることもない、どれだけ体に疲労が溜まろうとも、例え足が疲労骨折しようとも、いつまでもどこまでもキララたちを追いかけていく。
もしかしたら心臓が破裂したとしても走り続けるのかもしれない。彼らはそういう状態である。
恋は盲目だ、そして愛ならば信仰となり、彼らの魂を深く支配した。
何よりも、誰よりも、イヴを優先する彼らは首なし騎士が支配するゾンビたちと最早大差がないのだろう。彼らは生きながら死んでいるのだから。
追走の足は止まらない。皮の靴が破れて足の裏がボロボロになり、いつしか血の足跡が大地に残されることになっても彼らは追い続けた。
空腹は感じない、喉の渇きも気にならない、彼らはイヴを愛しているのだから、そんなことは些末な問題である。
だがどれだけ心が流行ろうとも、体がそこに付いていける訳ではない。休憩も無く走り続ければいつか体が限界を迎えるように、兵士たちもまた倒れ伏していく。
だがそこにあるのはどうしようもない悔しさである。イヴの命令を達成できない自分を情けなく感じて、彼女に奉仕できない現実に絶望してしまう。
イブは彼らにとって世界の中心であり神そのものだ、そんな彼女の役に立てない己にいかほどの価値があるのだろうか。
絶望は深く、腰にある剣に手を伸ばして凶行に及ぶ者すらいた。
「あぁ……貴方様の命を成し遂げられないなんて、なんの価値があるというのか」
空腹と喉の渇きと疲労が限界まで高まり、いよいよ心と体が乖離してしまった兵士の多くが、イブの命令を達成できないことに絶望して自害してしまう。
大勢の兵士が踏み荒らした大地には、数え切れないほどの足跡と自害した兵士たちがポツポツと転がるのだった。
そんな狂気の行進に追い回されるのがキララたちである。
「ローレライ、シャーシャの容体は?」
「傷は塞ぎました。獣人は高い生命力を持っているので問題はないでしょう」
ただし、出血が大きかったので体調はなかなか戻らないだろう。
「……悪、い……こんくらいなら、肉でも食えばすぐに」
ローレライに体を支えられているシャーシャは正気を取り戻しているが、顔色が悪く体調は最悪といった様子である。キララの一撃で大量の出血が伴ったことが原因だろう。
傷口はローレライが癒したが、失った血までは元に戻せない。貧血の症状が酷くまともに歩けない状態であった。
激しく動き回ることができないまま、じわりじわりと包囲網は狭まっている。今も視線を遠くへやってみると、夜を照らす松明やランタンの光が揺らめいているのが幾つも確認できた。
三人が今いるのは王都と地方を結ぶ宿場町である。人が消えて久しく寂れてしまっているが、家屋が多いので身を隠すには十分だろう。
兵士たちもそんなことはわかっているので、様々な場所に人をやって捜索を続けている。そう遠くない内に発見される可能性が高い。
そうなる前に移動したいのだが、顔色の悪いシャーシャを引きずっていくのも難しい。
彼女の体調や追手との距離を測りながら、慎重に行動していくしかなかった。
宿場町に並ぶ旅籠の一角に身を隠すキララは、カーテンの隙間から外を覗き見ると、先ほどより夜に揺れ動く松明やランタンの明かりが近づいていることを確認する。
虱潰しに様々な場所を捜索しながら探索を広げていき、当然ながらこの廃れた宿場町にも手が伸びることだろう。
シャーシャは真っ青な顔をしてローレライの膝を枕にしており、明らかに体調が悪い様子に眉を顰めてしまう。
動かすべきか、それとももう暫く待機すべきか、或いはここで一戦交えて追手の足を止めるべきか、色々と考えた末にキララは静かに溜息を吐く。
全てが己のミスによる窮地である、情けない限りだと呆れるしかないのだろう。
「……シャーシャは暫く休ませる。食事をさせて少しでも体力を回復させて」
「わかりました」
「……団長、すまない」
ローレライの懐から取り出された保存食をモシャモシャと齧るシャーシャは、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしている。
「貴女が悪い訳じゃないわよ……あの場で処理できなかった私が未熟だった。そのしわ寄せを受けているのが貴女たち……だから謝るのはこっちね」
そう言い残してキララは隠れていた旅籠から外へと出た。身軽に屋根へと飛び上がってそのまま宿場町で最も高い場所へと移動していく。
重さの無い体は少しの跳躍で綿毛のように飛び上がり、宿場町の中心にある神殿の頂上へと至る。
そこにある大きな鐘を掴んで体勢を整えると、ぐるりと周囲を見渡す。
月や星の明かりがない暗い夜の中で、大量の松明とランタンの光が散らばって蠢いているのが確認できる。
数はざっと二千ほどだろうか、小王国郡を構成する小国が運用できる戦力が凡そ五千前後なので、半数近くがキララたちの捜索に動いているらしい。
「……」
そこでキララの中に冷たい考えが湧き出て来た。暗殺者として冷静に考えて結果を求めるからこそ、思考がどうしても冷淡になる。
あの兵士たちはもう完全にイヴに汚染されて二度と戻ってはこない、ローレライが匙を投げたのだから春風のキャラバンに彼らを癒す術もない。
ならばだ、いっそのここで殺しつくして毒婦の守りを削るのも悪くはないのではと、キララは考えてしまった。
そうすれば追手に悩まされることも、焦りに追われることもない。
相手が悪魔や魔王ではなく一般的な兵士たちであるならばキララにとってそこまで難しい相手でもないだろう。やろうと思えばやれるはずだ。
そんな冷めた思考に至った段階で、それが苛立ちと焦りから来た考えだと自覚を持ち、キララは静かに自らの頬を叩いた。
危険な思考である、それは暗殺者ではなく殺戮者だと、自らを戒めていく。
例え兵士たちがもう生きるゾンビであったとしても、全てを殺戮して解決ではあまりにも短絡的である。
とはいえ状況は好転しない。キララがそんな危うい考えを抱くくらいには追い詰められているのが現状であった。
徐々に宿場町に近づいてくる明かりたちを見て、少しばかりの攪乱や時間稼ぎが必要だと考えたキララは、神殿の屋上から改めて周囲を見渡す。
暗闇で揺れる明かりの数だけの敵がいる。王都でシャーシャがそうしたように派手に暴れて注意を引くしかないだろう。
シャーシャが多少は回復して自分の足で動けるようになれば振り切るのは簡単なのだ、なので時間だけが必要であった。
そんな方針を頭の中で組み立てて、いざ行動に移そうとした時に、キララの瞳が違和感を発見する。
遠く離れた薄暗い夜の中で揺れる無数の明かりは一定間隔を維持して進んでいたのだが、それらが突如として崩れて乱れ始めたのだ。
行軍中に突然に予期せぬ横槍を入れられたかのように、一定間隔に並んだ光が食い破られて動きがおかしくなっている。
大きな注目を集めたからなのか、その元凶に向かって兵士たちが持つ光が集まっていくのがわかった。
「……一体何が」
自分たちを追っていた兵士たちの注目を何かが集めている、それを探すかのようにキララの瞳が細められて、星も月も雲に隠れてしまっている夜の向こうを観測していく。
暗殺者の瞳は夜を見通すことは容易い、月明りを頼りにしなくてもその気になればハッキリと確認することができた。
そこにいたのは大きな牙と長い鼻を持った見慣れた巨獣である。この大陸に二匹といないとても見慣れたその姿にキララは疲れたような表情を作るのだった。
見間違えなのかと思ったが、その特徴的な姿はこの大陸に二匹といないだろう。
何代か前の団長が別大陸との取引の時、生まれたばかりの彼を手に入れて気まぐれに育てて、気が付けば大黒柱となっていた獣の名はダーボと言う。
ざっと二百歳は超えている筈なのだが、不思議と老いることもなく今も元気に車両を引いてくれている。
ローレライ曰く、長い時間の中で自分と同じく昇華して精霊に近い存在になったらしいが、その像神がいつものように車両を引きながら兵士たちを蹴散らしていた。
因みにダーボの頭の上には興奮した様子のラシュリーがいる。大きな鼻を使って兵士たちを薙ぎ払う度に歓声を上げている様子だ。
「……何をやっているのよあの子たちは」
キャラバンの本体は廃砦で待機しているはずだが、ダーボを筆頭に彼が牽引する無数の車両群も存在しており、窓から顔を出す団員たちも確認できてしまう。
どうやらキャラバン総出で動いているらしい。誰が指示をだしたのか、それともダーボを止めきれなかったのか、どちらにせよキララとしては呆れるしかない。
ただ、彼女の頬は緩んでいる。呆れると同時に感謝の気持ちもあった。
どういう訳かダーボが率いる車両群は真っすぐとこちらに向かってきており、じきに合流することができるだろう。そうなればシャーシャを安全な場所で落ち着かせながら移動することも可能である。
「二人とも、キャラバンがこっちに近寄って来てる。合流しましょう」
「キャラバンが? 廃砦で待機していた筈なのに……どういうことでしょ?」
「わからないけど……まぁ、助かったわ」
キララが神殿の屋上から飛び降りてローレライとシャーシャの近くへと戻り、現状を説明するとやはり驚きの声が帰って来た。
暫くその場で待機していると、ズンズンと大地を揺らす大きな足音が聞こえるようになっていき、最終的には長く大きな鼻が蚊でも払うかのような動きで三人が待機していた家屋を薙ぎ払い、その姿を露わにするのだった。
「団長~!! 迎えに来たよ!!」
元気よく挨拶するようにダーボの頭の上でそう言ったラシュリーに、三人は少しの苦笑いを返す。
敵が溢れるこの場所にやって来たことに年長者として怒るべきか、それとも褒めるべきなのか、悩みどころではあるのだろう。
だが全て後回しだ。顔色の悪いシャーシャを車両の中に押し込んでからローレライとキララも勢いよく飛び乗る。
「血が足りない、肉だッ!! 肉をくれぇ!!」
「顔色悪ッ!? シャーシャ、アンタ何して来たのよ!?」
運び込まれたシャーシャの顔を見て団員たちがまず驚く、そしてそんな彼女たちに重症である筈なのに食事を持ってこさせようとするのは、さすがは獣人と言うべきだろうか。
傷口は塞がっているので後は血である。獣人はそれだけで元気になるのはシャーシャが一番よくわかっているのだ。
「団長、ダーボがいきなり走り出してしまって……私たちでは止められずに、すいません」
「そういうことね……ダーボがそんなことするなんて珍しいけど、助かったから良しとしましょう」
実際に助かったのは事実であった。動かせないシャーシャがいたので車両の到着は本当に大きな力となるだろう。
「ラシュリー、車両に戻りなさい」
「わわわッ」
返事を待たずにローレライはラシュリーの首根っこを掴んで車両へ押し込む。
代わりにダーボの頭の上にはキララが飛び乗って着地した。
「総員戦闘準備!! この場を離脱するわよ!!」
「「了解!!」」
威勢のいい言葉が帰って来ることに安堵しながら、キララは足元のダーボへと指示を出す。
頭の良いこの獣は人の言葉をしっかりと理解しているらしいので、返事こそないがキララの言葉に従って大きな歩を進め始めるのだった。
ドシンッ、と大地を揺らすような踏み込みと共に歩みだすと、彼に牽引される車両群もまた動き始め、鈍重ながらも力強い動きを見せてくれる。
特徴的なのは車両群を守る団員たちだろうか、こういった荒事には慣れっこなのか焦った様子もなく戦闘準備を行っているのだ。
車両の窓からクロスボウを覗かせる者、車両の屋上で魔術の準備をする者、剣や弓の調整をする者、行動は様々ではあるが、誰もが慣れた様子である。
大量の財産を抱えて大陸中を移動する集団なのだ、時に山賊や強盗団に襲われることもあるので、荒事など日常であるとさえ言えるのかもしれない。そしてキャラバン自体もこういった状況を想定して作られているのだろう。車両が堅牢そのものであり極めて頑丈な様子を見せつけているのだ。
下手な要塞よりもずっと頑丈な作りなのだ、車両は団員たちの生活空間であり荷物を運ぶための器でもあるのだが、同時に有事の際は動く要塞として機能するらしい。
いつの話だったか、二百人近い傭兵団――正確には強盗団の襲撃を受けた時もこうして団員総出で撃退したことがあり、今でも語り草になっているのだ。
イヴの触手と化した兵士たちも続々と集まって進路妨害するが、動く要塞に一体何ができるというのか。
立ち塞がればダーボが、側面に回り込めば団員たちがそれぞれ阻む。
矢が飛んで来れば魔術も放たれるのだ、理性を無くした兵士たちにそれを止める術はなく、キャラバンの逃走を許すしかない。
イヴの命令を守ることができない彼らは、己の無力に嘆き絶望して次々と自死していくのだが、そんな彼らを春風のキャラバンは見送ることしかできない。
次々と喉を切り裂き倒れ伏していく彼らの代わりに、必ずや毒婦を討つと誓いを立てる。
気休めでしかないが、それはせめてもの情けなのだろう。