商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
春風のキャラバンが逃げ込んだのは車両などを隠していた廃砦であった。つまりは元いた場所に帰って来たということである。
ダーボが車両を率いて廃砦に辿り着く頃には、空には朝日が昇っており夜を遠ざけており、追手の兵士たちも完全に撃退できており、ようやく彼女たちは一息付ける状態に落ち着くことができた。
疲れたので仮眠をとる者、団員たちの食事を作る者、武器や車両の整備を行う者、それぞれが割り当てられた仕事をこなしていく中で、キララとローレライとシャーシャは毒婦への対策を考えているらしい。
「完敗ね……こちらの想定を遥かに上回る力を持っていたわ。どこかで相手を甘く見ていたのでしょうね」
「いやぁ、団長がどうのこうのより、相手の方が上手だったと思うよ。あの魅了の力はだいぶおかしかったしさ」
その魅了にかかって操られたシャーシャとしてはそう言うしかないのだろう。
「ローレライ、貴女から見てあの魅了はどうかしら?」
「そうですね……あれは私が扱うような魔術ではなく、呪いのような、或いは権能とでも言うべき領域の力かと」
「それは……ミカエラのような?」
「えぇ、そもそも魅了の魔術は本来そこまで強力なものでもありませんよ。私が使っても自由自在に相手を操れるようなこともありません。せいぜい相手を酔わせる程度のものですし……あくまで房中術の範疇に収まったものですね」
魅了の魔術を習得するのは簡単である。それこそちょっとした化粧をするだけなのだから。
それで他者からの、異性からの好感度を誘導できればそれが魅了の魔術である。長じればローレライのように相手を酔わせて意識を操ることもできるのかもしれないが、毒婦のそれは誘導や操作と言うよりは魂の掌握や支配と言った方が正しい。
己に惚れこんで愛した対象に、もう一つの人格を植え込むなど、魅了の魔術の範疇にはない。それは最早権能である。
彼女たちですら魂を上書きされそうになっていたのだ、毒婦の力がそれだけ大きいということなのだろう。
「魂を汚染する力か……厄介な相手ね」
キララとしてはもっと暴力的な力を振り回し、己の力に絶対の自信を持っているような相手の方がまだわかりやすくて対処が簡単であると考える。
自分に惚れさせ愛させて、脅威や刃を遠ざける相手など、暗殺者にとってはやり辛い相手であった。
どうしたものかと三人で考え込んでいるが、これといった対処法は思い浮かばない。
巨大な力を持った怪物や英雄であれば殺せば良い、シャーシャが殴るなりキララが突き殺すなりすればそれで解決だ。ただ相手が拳も刃も届かない相手だとこうも上手くいかないのはやはり問題である。
何か妙案がないかと考えてみても、この三人の中で最も知恵と知識と経験を持つローレライがだんまりなので、キララとローレライに冴えた考えなど思い浮かばない。
いや、正確には思いついている。ただしそれは極めて強引で雑なものであるのでなかなか言葉にできないのだろう。
「ご飯持ってきたよ!!」
「朝食の準備が終りました」
うんうんと悩みこむ三人に声をかけてきたのはラシュリーとミカエラであった。二人はそれぞれお盆を持っておりその上には調理担当の団員が作った料理が置かれている。
「ありがとう、二人とも」
「おう、怪我は無かったか?」
朝食を受け取りつつシャーシャが初陣を果たした若手団員にそんな言葉をかけると、二人は特に問題ないとばかりに頷きを返す。
「はい、緊張はしましたけど、大丈夫です」
「うん、すっごくドキドキしたよね」
ミカエラはごく自然な緊張を、そしてラシュリーは新米戦士にありがちな興奮を、初陣を通して感じ取ったらしい。
総じて恐怖ではなく達成感や興奮などが大きいらしく、恐怖に縛り付けられている様子はない。初陣に失敗してトラウマを抱える戦士も珍しくはないので、これで良かったのだろうと団長たちは考える。
「団長たちは怪我は大丈夫?」
「大丈夫よ、ラシュリー、ローレライが治してくれたから」
特にシャーシャは重傷であったので本来ならば様子を見て安静にするのが普通なのだが、朝食を流し込むように食べる姿を見るとそんな心配は不要であるらしい。
腹が膨れれば落ち着きも余裕も出て来るもので、ずっと悩んでいた三人はようやく緊張を緩めて脱力することになった。
少なくとも今は毒婦の脅威は遠い、ならば休める時に休んでおくべきだろうと考えたのだろう。
食事に舌鼓を打つくらいは許される。どんな戦士にだって休憩は必要なのだから。
体から緊張を抜きながらもキララとしては今後のことを考えない訳にはいかない。あの毒婦をどう殺しきるかという問題は、どれだけ瞼を閉ざしても隠しきれるものでもない。
視界を瞼で閉ざそうともその裏側にイヴの姿を描くかのように幻影がうろつくのだ。キララは慌てて瞼を開いて頭を振った。
激痛で魅力を振り払ったと思ってもこれなのだ、もしかしたら数日の間は悪夢に苛まれるかもしれない精神状態である。
もしまた毒婦を前にした時、瞼の裏にまで刻まれた存在感がまた増すことだろう。
「……呪いと言うのは本当に厄介ね」
それも中途半端な呪いではない。魂を汚染するほどに強力な者である。
毒婦の幻影を振り払おうと思えば思う程、それを惜しむかのように奇妙な執着が大きくなっていく。病のように、或いは幸福な思い出のように、キララを縛るのだ。
「……はぁ」
思考に没頭するとどうしてもイヴの存在感が大きくなっていくことに、キララは僅かに苛立ったように溜息を吐くのだった。
こんな調子であの毒婦を討てるのだろうかと、歴戦の暗殺者に似合わない弱気が生まれるのも、きっとイヴの力の残滓とでも呼ぶべきものがキララの体に残っているからだろう。
苛まれる様子のキララを見て、篝火を挟んで反対側にいるローレライやシャーシャは何とも言えない表情をしていた。
どんな言葉をかけるべきかと考えていると、頼りも早くキララに声をかける者がいた。
まだ幼さの残る手がキララの掌に重ねられると、奇妙なことにあらゆる不安が消え去っていく。
「大丈夫だよ団長、皆で頑張ればどんなことだって乗り越えられるよ」
キララの手に触れたのはラシュリーであった。不思議なことに大いなる幸運に包まれたかのように、言葉にすることのできない気持ちに包まれていった。
今ならばどんなことでもなせそうな、陶酔にも近い万能感を身近に感じてしまうのだ。神の加護を万全に降ろせるような神殿の最奥にでもるかのように錯覚してしまう。
どんな博打にでも勝てそうな、どんな苦境でも乗り越えられそうな、それこそ万軍に囲まれようとも「何故か」生き残れそうな、そんな何の根拠もないのにどうしてだか達成することができる確信を得られるのだ。
ラシュリーとはそんな少女である。世界中に存在するあまねく幸運や加護に愛されたかのような存在であった。
彼女に手を握られると、瞼の裏にすら焼き付くように存在していたイヴに対する執着が薄らいでいくのがわかる。
「ありがとうラシュリー……もう大丈夫よ」
嘘ではない、事実だ。
大いなる幸運に包まれたかのような暖かさは春の風にも似ていた。ただそれだけで晴れやかな気分になるそれはラシュリーを中心に存在しているらしい。
キララの体に残っていたイヴの微熱はこうして消し去られるのだった。後に残るのは冬を消し去る春の風だけである。
ならば辛気臭いのはこれで終わりとしよう。やるべきことは明確なのだからそこへ注力するだけだ。
「仕切り直しよ……次は毒婦を必ず討つ。その為に知恵が必要よ」
「団長、ボクたちも手伝います!!」
今度こそはと意気込むミカエラとラシュリーに、キララは強く否定することが出来なかったらしい。
一度、自分たちだけで挑んで返り討ちにあった手前、貴女たちを巻き込みたくないと偉そうに言えないのだろう。幾ら何でもそれは格好がつかないのだから。
しかしだ、だからといって危険に巻き込むことを許容することができないのが団長という立場である。
「団長、宜しいのでは? 私たちだけではどうしようもないのは結果が証明しています。ここはキャラバンの総力を注ぎ込むべきでしょう」
本音を言えば力を借りたいと考えているが、それと同じくらいに毒婦に挑ませることを憂慮しているのだろう。どうしたものかと言葉を選ぶキララに助け舟を、力を借りる理由を提示したのはローレライであった。
「……そうね、同じ轍を踏むことほど愚かなこともないか」
完敗した相手に同じ勝負を挑んでも意味が無い、とんでもない愚か者でもなければそんなことはしない。
そしてキララは聡い人間であった。わざわざ負けるとわかっている相手に挑みはしないのだ。
「わかった、ミカエラとラシュリーたちにも手伝って貰いましょうか」
「が、頑張ります!!」
「うんッ!! ま~かせてッ!!」
他の団員たちからも次々とやる気に満ち溢れた声がかかる。何だかんだで置いていかれた鬱憤が溜まっていたらしい。
頼りになる団員たちだと、キララは僅かに笑って見せた。
「でもさ、実際の所、どうするよ? 近づけば相手の虜になっちゃう訳じゃん?」
「シャーシャがまた操られたりすると、今度こそ死人が出そうね」
実際に殴られて投げ飛ばされたキララであるが、あれは自分だからこそ生きていられたのだと考えているのだろう。他の団員たちであれば挽肉になっていてもおかしくはない。
ただそれは他の団員たちであっても同じことである。誰が操られようと危険は大きいのだ。
現状、キララですら魅了の呪いを完全に防げないのならば、他の団員たちであっても結果は変わらない。
ただし、何事にも抜け道は存在する。
ローレライの視線がミカエラとラシュリーに向かい、それを追いかけるようにキララの視線も向かうことになった。
「……はぁ」
そこで大きな溜息を一つ、それ以外の選択肢がない己に呆れるのが半分、もう半分は以外にもスパルタなローレライに向けたものなのだろう。
何より問題なのは、それが最も冴えた方法という点である。
「わかった、それで行きましょう」
「え、何? どうすんの?」
シャーシャはイマイチ今後の展開を想像できていないらしい。
「古今東西、寡兵で強敵を打ち破るときは決まってこうなのよ、不思議なことにね」
ローレライは指先で楽器の弦を弾くと、よくある英雄譚を歌い始める。どこにでもあるようなそれは寝物語に聞かされるようなものであり、団員たちもよく知っているものだ。
内容は極めて簡単なものであり、とある英雄が暴虐な領主に反旗を翻し、同士たちと共に討ち取るというものである。仲間にエルフの吟遊詩人がいるというのが何故か強調されていた。
僅かな仲間と共に戦場を駆ける彼は、雨のような矢を受けても立ち止まることはなく、大群に切り込んで領主を討ったらしい。
勇者などに代表される「幸運」な者なのだろう。こういった存在は何をやっても生き残る。例え矢の雨が降ろうとも万軍に囲まれようともだ。
そんな幸運な者たちは決まって雑に突っ込んで最良の結果を引き寄せるものである、運命に導かれているかのように。
過去の英雄たちにあやかって、彼女たちもまた同じことをしようとしているのだろう。
元より小細工を弄して勝てるような相手ではなく、これは盤上の駒遊びではなく殺し合いである。もっと言えば相手は盤上そのものをひっくり返せるくらいの力はあるのだ、緻密な作戦を考えた所で必ずどこかで破綻してしまうのがわかってしまった。
ならばだ、雑に突っ込んで強引に首を取る、やはりこれに行き着いてしまう。
脳筋全開な発想だという自覚は勿論キララにもローレライにもあるが、限られた戦力と手札でとれる最も成功確率が高い作戦である。
古の英雄曰く、小細工よりも勢いと暴力らしい。
ただし、毒婦に立ち向かうのはキララではなく、魅了の呪いが効かない二人となるだろう。
脳筋な作戦ではあるが、そこだけはしっかりと計算するしかない。
「ラシュリー、ミカエラ……次は貴女たちに頑張ってもらうわよ」
真っすぐ突っ込んでぶん殴る、古今東西、たった一つの冴えた方法は決まってそれであった。
他の団員たちは二人を毒婦の下へ近づける為の露払いとなる。
己の力で毒婦を討ちたいという思いも当然あるのだが、意地を通して死んでしまうようならば暗殺者など務まりはしない。
そして意地だけで何もかもが解決するのならば、誰も苦労はしないだろう。
例え守るべき若手であると認識していても、団員であることは変わりなく、ならば背中を預けることも必要なのだ。
キャラバンは互助の精神が必要不可欠である。共に支え合うことが重要だ。そう考えるとキララたちの若手を巻き込みたくない、或いは守らなければならないという思いは、どこか傲慢なものなのかもしれない。
ミカエラも、ラシュリーも、他の団員たちだって、守らなければ生きていけないほど弱くはないのだから。
そして今、彼女たちはキララたちの力となり逆に守ろうとしている。
つまりは、彼女たちは、正しくキャラバンで生きる精神を有しているということなのだろう。
それが嬉しかったのか、キララは僅かに微笑んで彼女たちの力を借りることにした。