商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
世の中には幸運な者がいる。
例えば矢の雨が降っているのに何故か当たらない戦士であったり、例えば寡兵でありながら大群を撃退できる将軍であったり、体一つでなり上がって気が付けば国を左右するほどの資金を動かせるようになった商人であったり、獣から人へと進化させた始まりの灯をたまたま見つけた始まりの王であったりと、人類史を紐解けば幸運な者など幾らでも確認できるだろう。
運というのは魔術師たちにとっては研究対象であるらしい。そう聞かされると魔術の世界を知らない者の大半が首を傾げるのだが、大真面目にそれを研究している者が一定数存在しているのはまちがいない。
目に見えない、本当にあるのかどうかも証明できない、しかし幸運という言葉が古くから使われているのは間違いなく、ある意味では答えの出ない研究であり問題なのかもしれない。
ただ事実として、世の中には幸運な者と不運な者が存在する。良いことも悪いことも交互に起こって最後にはプラスとマイナスの中間に落ち着くのだという考えは誤りである。
幸福に最後まで包まれて穏やかに死ぬ者もいれば、母親の腹の中で命を終える子供もいるのだ、幸運に平等などありえないだろう。
こういった分野を研究する魔術師たちは、幸運とは降りかかるものではなく選択の結果であると考えているそうだ。彼らから言わせれば「幸運」ではなく「好転」とと言うらしいが、つまりはより良い未来を選択し続ける力こそが幸運である。
人生において何度も、何十回も何百回も何千回もやって来るであろう迷いや選択、それらを前にした時に常に良い方向へと持っていける力や熱量を幸運と呼ぶのだろう。
正しい判断、正しい選択、いつどんな時でもそれを成せるからこそ結果に繋がるわけだ。
勇者と言う存在は、その最たる者なのかもしれない。
まるで神が耳元で囁くように、或いは手招きするかのように、最良の結果へと辿り着く力、それが極まった存在こそが勇者である。
或いは、どんな最悪をも最良へと強引に捻じ曲げられるだけの熱量を持った存在こそそう呼ぶべきなのかもしれない。
極まった幸運者、ありとあらゆる不浄や困難を退けて、未来へ進む力を持つ者、もしそんな者がいるのならば、きっととんでもない神々の寵愛を受けることだろう。
それこそ、勇者こそが世界の中心であるかのように。
「やぁああああああッ!!」
戦場には不釣り合いな可愛らしい少女の声が響く。使い古されながらも上質な剣を両手でしっかり握って振り回すと、その刃は見えない何かを切り裂いた。
まだ年齢相応に拙く、しかし確かな大器の片鱗を伺わせる彼女の剣は、膨大な神の加護と事象を捻じ曲げるほどの幸運を纏いながらあらゆる不浄を吹き飛ばす。
巨大な団扇で蚊でも払うかのように、彼女たちに迫っていた魅了の力を遠ざけたのだろう。
「ラシュリー……貴女は」
驚いたのはキララである。自分にはできないことを平然とやってのけた少女に一瞬だけぽかんとした表情を見せてしまう。
それほどまでに衝撃が大きかったのだろう。簡単にやってのけているように思えるが、見えない力を断ち切るなどキララにすら無理な芸当であった。
半神である彼女であってもだ、大きな驚きも当然である。
「よし、行けるよ団長!!」
「……ラシュリーはそのまま前進、ミカエラは彼女の援護、できるわね?」
「が、頑張ります!!」
色々と沸き起こった疑問の全てを今は飲み込むことに決めたらしい。それどころではないと彼女の冷静な部分が動いたのだろう。
同時に、強制的にでも動かなければならない事態でもあった。戦線から飛び上がって城壁の上まで辿り着いた三人を追って、正気を失った兵士たちが追って来たからだ。
「私が付き合えるのはここまでよ……健闘を祈ります」
もう守るべき対象ではなく、背中を預け合う仲間である。心配がないと言えば嘘になってしまうが、キララでは魅了に対抗できないのでこればかりは任せるしかない。
もし、毒婦がこの二人に集中して視野を狭めれば、暗殺者が付け入る隙も生まれることもあるだろう。
こちらに向かってくる兵士たちを足止めする為に二本の刺突剣を握ったキララは、ラシュリーとミカエラを背にしてそちらへと走り出す。
暗殺者は対象と斬り合いなど望まない、ほんの一秒の隙間があればそれで良い。二人がそれを作ってくれることを期待して自身の役目に没頭していくのだった。
「私たちも行こう、ミカエラ」
「は、はい!!」
彼女たちは彼女たちで仲間が心配なのだろう。こちらに迫って来る大勢の兵士たちを足止めしているキララもそうだが、大通りで大半の敵を釘付けにしてくれているキャラバン本体だって心配だ。
それでも進んで行かなければならない。キャラバンは互助の集団なのだから。
「私に従いなさい」
いざ毒婦を目指さんと進みだした瞬間に、耳朶から脳を蕩けさすような甘い囁きが届く。
決して大きな声でもなく、だというのに水面に広がる波紋のように広がったそれを感じ取って、それでもなおラシュリーとミカエラは走り出した。
「……私に従いなさい」
また同じ声が届く、今度は少しだけの困惑が交じった声だ。
二人も甘い声がしっかりと聞こえたのだが、どちらも気にすることも無く走り続けている。
ラシュリーは大いなる幸運と神々の加護によって、ミカエラはその体に残った娼婦神の残滓によって、呪いのような魅了を跳ね除けたのだ。
「私にッ、従えッ!!」
今度は強い怒気が込められた言葉である。イヴにとって自分の力が通じない相手など決して許せる存在ではないのだろう。
美しいことが美の魔王の存在理由であり、魅了することが己の権能である。それが通じない相手を何故許せようか。
こんなにも美しい自分に跪かない誰かなど、知能の無い虫と大差ないのだから。
人間だって虫が肌に張り付けば叩き潰すだろう。人によってはそれなりの苛立ちと共に。イヴにとって自分に迫って来る二人がまさにそうなのだろう。
比類なき美しさを持つ自分の声を無視するなんて、それは神に唾を吐く行為ではないか、そんな傲慢極まる考えの下、彼女は四度目の魅了の呪いを押し付けていく。
ありったけの怒りと、相手を魅了する蕩けきった熱を乗せてだ。
「……貴女たちを愛してあげるわ」
もし普通の者ならばその声を聞いただけで魂が汚染されて一瞬で傀儡と化してしまうだろう。洗脳を通り越して完全に精神を乗っ取られるのは間違いない。
それこそその声だけで世界を支配できても不思議ではない。そんな巨大な力ではあるのだが、やはりこの二人には通じなかった。
微風のごとく受け流して、その歩が乱れることはない。
城壁の上から素早く駆け下りて王城へと踏み込み、事前にキララと打ち合わせしていた内部の地理を思い出しながら目指す先は玉座の間である。
「ラシュリーさん!! 前に兵士の方々が!!」
当然ながら易々とはいかなかった。キララが押し留めている兵士たちとは別口の部隊が玉座の間に進もうとする二人の前に立ち塞がってしまう。
しかし焦りはない、当たり前のことだが突入に当たって戦闘は避けられないと事前の打ち合わせで予期されていたからだ。
誰に似たのかラシュリーは深く考えずに剣一本で突っ込んでいく。それに慌てたようにミカエラが背後から援護する形に自然となった。
「落ち着いて、ゆっくりでいいから……大樹のようにしっかりと」
ローレライから教えて貰ったことを思い出す。魔術を使う時に重要なのは何よりも乱れない心だと彼女は言っていた。
どんな状況だろうと綿密な計算を行うことが必要となる。そう教えられて訓練も積んで来たミカエラは、集中状態となるとどこか兵士たちの足音や気配する遠ざかっていくのがわかった。
少し前を走るラシュリーも、立ち塞がる兵士たちも、まるで絵本を眺めるかのように他人事のような距離感となり、自分の心臓の音がやけに大きく感じる状態だ。
そうなるとミカエラは淀みなく魔術を行使することができる。幾度も反復練習を繰り返したそれは雷光を散らしながら真っすぐ兵士たちへと駆けていく。
彼女が放ったのは雷であった。大地を穿つような強力なものではなく、一撃で何もかもを貫く大自然の猛威には程遠い出力のものではあるが、武装した集団の動きを止めることくらいは容易な力である。
床を舐めるように広がった雷は金属の鎧を身に纏っている兵士たちに吸い寄せられていき、その体を覆いに痺れさせていく。
全身に広がる経験したことの無い感覚を現す言葉を彼らは知らない。当然ながら電気に触れるような経験がないからだ。
筋肉が自分の意思とは関係なく小刻みに痙攣を繰り返す状態は簡単に体幹を崩す。剣で切られた訳でもないのに彼らは倒れ伏したのだ。
「おぉ!! 凄い凄いッ!!」
立ち塞がった筈の兵士の集団が崩れ落ちたのを見てラシュリーは笑った。そして彼女は疾走を緩めることなく跳ね上がると、次々と兵士たちの肩や頭を足場にして人の壁を超えていく。
彼女が兵士を足場にして跳ねる度に痺れていた兵士たちが左右に倒れて、後衛のミカエラが通れる道が出来ていくのだ。
なんとも身軽な動きである。軽やかな体捌きはキララに近しいものがあるかもしれない。
「魔術って便利だね、私も教えて貰おうかな!!」
「でもラシュリーさん、前に居眠りして怒られてましたけど」
「え、あぁ~……そんなこともあったね」
ラシュリーもまたミカエラと同じように魔術の授業を受けたことがあった。あったのだが、彼女には合わなかったのか寝落ちしてローレライに拳骨を落とされたことがある。
魔術の難しい授業よりも剣を振り回すことの方がずっと積極的であったことから、それ以降は戦士として扱われることになり、魔術の分野は全く手を出していない。
ただミカエラの魔術を見てわかりやすく目を輝かせる辺り、戦いに使えるのなら興味も向けられるのだろう。
そういう所はシャルルによく似ていた。お下がりの鎧や剣がぴったり合っていたこともあり、どこか通じるものがあるらしい。
「じゃあ帰ったらもう一度勉強しましょう。大丈夫です、今度はボクも教えますから」
「う、う~ん……教科書を眺めるのは苦手だなぁ。まぁ気が向いたら頑張るよ」
二人して兵士の壁を突破して真っすぐ玉座の間を目指す。どれだけ兵士が立ち塞がろうと止めることが叶わず、いっそ手ごたえが無いと思ってしまうほどにあっさりと辿り着くことができた。
重厚な扉には美しい意匠が彫り込まれており、そこが玉座の間であることを証明している。
二人はその扉に寄り添うように体を預けると、一息ついてから頷き合う。
扉越しに感じる存在感は肌を舐めるように強烈だ、この先に毒婦がいると考えれば緊張で少しだけ胃が縮むような感覚さえあった。
団長でも勝てなかった相手に自分たちだけで挑む、その事実を前にしてミカエラは緊張を、ラシュリーは興奮と、互いに対照的な感情を抱いているとは思わないまま、それでも重たい扉を肩で押すように開いていく。
そして僅かに空いた扉の隙間からそれぞれ剣と短杖を刺しこんでまず入室させる。
思っていたような衝撃や罵倒は飛んでこなかった。矢も魔術も飛んでこない。
ただ扉の隙間から酷く冷めた空気が流れて来るだけである。あまりにも静かだ。
「行こう」
「はい」
もう一度頷き合うと、ラシュリーとミカエラは玉座の間へと踏み込んでいく。
外国からの国賓や大使を迎え入れる場所なので国家の威信をかけて作られたこの場所は、広く荘厳で豪華な作りとなっており、この国も例に漏れずにそうなっている。
毒婦はそんな場所だからこそ自分がいるべきだと考えたのかもしれない。美しい存在がいるべき場所は場末の酒場などではなく豪華な空間こそが相応しいと思っている可能性があるだろう。
「……鏡?」
玉座の間に踏み込んだラシュリーとミカエラをまず最初に迎え入れたのは毒婦でも兵士でもなく、無数に散りばめられた鏡の群れであった。
それこそ国中から掻き集めて来たのではと勘ぐってしまうほどの量である。貴族が使うような全身を映せるような大きな鏡であったり、少し裕福な庶民ならば手に入れられるような手鏡であったりと、大小も形も様々な鏡たちである。
誇張抜きで国中の鏡がそこにはあった。キララが以前に踏み込んだ時はこんな様子ではなかったことは間違いない。
ミカエラは周囲をキョロキョロと見渡して毒婦の姿を探し、ラシュリーは数え切れないほどの鏡の群れを油断なく見つめている。
倒すべき敵はどこだと緊張を高めていく中、蕩けるような甘い声が広がった。
「ねぇ知ってる? 鏡はその人の理想を映し出すのよ」
玉座の間の最も奥、豪奢な椅子に足を組んで座ったイヴが、傍らにある大きな姿鏡に手を伸ばしてそんなことを呟いているのが確認できる。
踏み込んで来た二人に言っているようにも思えるが、その視線や意識は鏡に映る自分に向けられているのだろう。
こちらに欠片の意識も寄こしていない、まるで鏡に映る自分に見惚れているかのようであった。
「こうありたい、ああなりたい、こうあるべきだ、そうであるべきだ……人は鏡を見る時に無意識に理想を押し付けて、盲目になるの。そして鏡はそれに答えて少しだけ嘘を付く……美しい者をより美しく、不細工な者だって何故か格好がつく。当然よね、鏡はその人ではなく思い描いた理想を映すのだから」
その話をミカエラはローレライから聞いたことがあった。鏡は魔術的な側面も持つ神秘に近い存在であり、様々な魔術の引き金になるという話である。
つまり鏡とは、使う者にとっては強力な武器になるということだ。
そんな魔術的な側面で見れば特殊な鏡がこうも並べられたこの空間が、何の意味もなく作られた訳がないだろう。
「人は鏡に理想を求めて、鏡はいつだって少しの嘘を付く……こんな風にね」
イヴは自分が眺めていた鏡を動かして二人に見せつける。普通ならば角度を変えれば鏡が映すのは正面にいるミカエラとラシュリーなのだが、不思議なことにその鏡の中にはイヴの姿があった。
その姿は、まさに人々の理想であり、目指すべき最果てでもあるのだろう。
知性ある、美意識を持った全ての存在がそうありたいと願うはずだ。イヴと言う女はただでさえ美しく世界を統べることのできる存在感を持つというのに、その鏡に映った彼女は己の理想の姿を映している。
鏡はいつだって少しの嘘を付く。
だから鏡は今日も理想を映す、こうあるべきだという思いをくみ取って、映した対象をより美しく見せるのだろう。
世界でもっとも美しく、犯しがたい存在であるイヴを、さらに美しくすることに何の躊躇があろうか。
「……ぁ」
鏡に映った理想のイヴを見て小さな呻き声のようなものを漏らしたのは二人の内どちらだろうか、どちらであっても魂に触れられたことには変わらない。
美しさも過ぎれば呪いとなる。ならば世界一美しい女が鏡に己の理想を映したのならば、鏡がそれに答えてより美しい姿を映したのならば、それは世界で最も強力な呪いであるということだ。
ならばこれは敵対者を倒すことに、何の不足もないだろう。