商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
彼女は疑っていない、自分がこの世で最も美しいということを。
彼女は理解した、自分が最も幸運であると。
こんなにも美しいのならば、飛びぬけた幸運を持っていることに何の疑いがあろうか。
究極の美を持つイヴを人々は傷つけたくないと考えるのならば、それだけ美しい存在を世界すらも傷つけたくないと、それは損失なのだと動くのだろう。
極まった幸運者は世界が守るのだ。勇者が同様であるように、イヴもまたそちら側の存在である。
躱せるような刃ではなかったし、防げるような勢いでもなかった。もし百歩譲ってどうにかラシュリーの刃をやり過ごしたとしてもミカエラが放った電撃もあったのだ、多少運が良かったとしても完全に回避することは難しい。
普通ならば致命傷、そうでなくとも重傷は避けられない。そんな二人の攻撃をイヴは世界からの寵愛で防いだのだ。
刃の切っ先は届かず、流れる電撃は不思議と逸れた。イヴは己の幸運を確信しながら尊大な態度で玉座に腰を下ろす。
最早、なんの憂いもない。彼女は自分が死なないという確信を得られたのだ。
魅了が通じない相手が目の前にいようと、焦る必要はない。彼女は自分が幸運だと知っているのだから。
緊張が解けたことによる安堵と、次いで魅了が通じない相手がいる苛立ちが沸き上がり、それらを取り繕うように敢えて不敵な笑顔を作り出すと、向かい合うラシュリーとミカエラは警戒を高めて武器を構えた。
「ふん、無駄よ」
その言葉を証明するかのように再び放たれた電撃はイヴに命中する直前で不自然に散っていく。
世界が美しい彼女を失うことを恐れているかのようである。ここに限っては奇跡も随分と安く扱われていのだ。
「ミカエラ、あれってどうなってるの、何かこう魔術の盾的な奴!?」
「い、いえ、違います……あの人は、何もしていません……ただ、そこにいるだけで」
ただそこにいるだけで、世界が勝手に守ってくれる。それが史上最高の美しさを持つ女であった。
「ふふん、ようやくわかったかしら……この私の偉大さが」
イヴは手元にあった鏡の一つを引き寄せて自らの顔を映し出す。鏡は少しだけの嘘を付いてより美しい姿をそこに描き、強力な呪いを作り出した。
鏡の中にいるイヴが敵対者の少女二人を倒せないことはもうわかっているが、美しさで屈服させるつもりではないらしい。
鏡は嘘を付く、その人の理想を映し出す。こうあって欲しいと言う姿を、こうあるべきだという光景を。
この世で最も美しい彼女は、この世で最も世界に愛されているということである。ならばその理想を形にしたいと願えば、世界はそれを作ろうと動き出す。
鏡にはいつしかイヴが理想とする光景を映し出そうとしていた。ラシュリーとミカエラが地に濡れる残酷な世界をだ。
最初は二人が死んでいる光景を思い描いたのだが、その代わりに怪我を負っている様子が映し出されている。まるでそれが現状の限界だと言っているかのようであった。
不満は残るがイヴにとっては良い結果であることは変わりない。妥協しつつも二人が怪我を負った光景が映し出されている鏡面を見せつけた。
その行動にビクッと体を反応させて警戒を強める二人は、鏡に映る自分たちの姿を見て驚く。
怪我を負って血を流している光景が映っているのだ、驚きも当然であった。
二人がそれを見た瞬間に不思議なことが起こる。玉座の間の上部にあるステンドグラスが突然に砕けて無数の破片が降り注いだのだ。
まるで鏡に映った光景を現実が追いかけるかのように、血を流すことになってしまう。
「うッ!!」
「大丈夫!?」
反応はそれぞれ異なる。ミカエラは無数の破片によって傷つき痛みに耐えるような苦悶の声を出し、ラシュリーはそんな友人の姿を心配して、イヴは無傷のままのラシュリーを見て驚く。
鏡に思い描いた理想は二人が傷ついている光景であったのだが、血を流しているのはミカエラだけであり、ラシュリーには傷一つ付いていない。
現実が裏切ったかのようである。だからこその驚きなのだろう。
考えられるのはそう多くはなく、ラシュリーもまた自分と同じ存在なのだと改めて理解した。
つまりは極まった幸運者、世界が守ろうとするだけの価値がある存在ということだ。
「不細工共が生意気なのよ……」
取り繕って隠していた苛立ちが表に出る位は動揺しているらしい。
自分と同じ場所に立つ者など一人として存在しない、存在してはいけないと、当然のように考える彼女にはラシュリーやミカエラは邪魔で仕方がないのだ。
夜空に月は二つもいらない、太陽が幾つもあっては邪魔だろう、ただ一つ唯一絶対の輝きがあればそれで良いのだとイヴは傲慢にも思う。
己の幸運に、己の美貌に、比類できる誰かがいるなど、世界一の美女を自称するイヴには耐えられる筈がない。傲慢も極まれば立派な誇りということだ。
「鏡よ!! 我が理想を映し出せ!!」
玉座の間に並ぶ無数の鏡が主の言葉に従ってぐにゃりと歪む。彼女の願いを、彼女の理想を映し出す為に。
折り重なり並び立つ鏡たちは様々な理想を作り出していく。まずはラシュリーとミカエラを映し、対面にある鏡もまた映せば、それが無限に続くことになる。
鏡と鏡を向かい合わせれば、鏡の中に鏡が生まれて、その中にある鏡にも鏡が映る。
それがどこまでも、無数に連なり続くことになるのだ。手を伸ばせば無限に続く反射に呑みこまれそうになってしまう。
どこまでもどこまでも続いていく星の数ほどある鏡の世界は、その一つ一つが無数の可能性を見せつけた。
倒れ伏す二人を、傷つき血にまみれる二人を、何かに押しつぶされる二人を、焼き尽くされる二人を、串刺しになる二人を、病に苦しむ二人を、ありとあらゆる理想を映し出す。
現実がそれを追いかけるように、世界がそうあるべきだと迫り、二人を取り囲んで行った。
逃げ場はどこにもない、少なくともミカエラにはそう見えた。
「ミカエラ、こっちだよ!!」
どこにも逃げ場がないはずなのに、目隠しした状態のラシュリーだけが手を引いて走り出す。
きっと彼女には、ミカエラには見えない導きを認識できるのだろう。
傷つき動きが鈍る友人の手を引いて歪んだ現実から逃げ出したラシュリーが向かったのは、玉座の間の片隅だ。入口でも裏口でもなく上部にあるステンドグラスでもない。どこにも逃げ場がないその場所を彼女は選んだことにはちゃんと理由がある。
理由はあるが理屈は無い。もし言葉にするのは「勘」が一番適した表現だろう。
「ラ、ラシュリーさん、ここからどうすれば?」
「大丈夫!! 私たちには頼りになる仲間がいるんだから!!」
二人を追いかける歪んだ現実はもうすぐそこまで迫っている。見えないそれに包まれた時、ありえない理不尽が襲い掛かって来ることだろう、それこそイヴの理想通りにだ。
「無駄な足掻きをするんじゃないわよ!!」
玉座の間の角に追い詰められた二人にトドメを刺す為に理想を前にやるが、そんなイヴにも伝わるほどの揺れが徐々に広がっていた。
鏡の鏡面も少し揺れている。小さな地震でも起こったかのような微動であり、それは徐々に広がっていって、とうとうそれが姿を現す。
二人が避難した壁に突如として亀裂が入り、次の瞬間には分厚く堅牢な筈の壁を粉砕して長く太い強靱な鼻が突き出てきた。
次いで大きく反りかえった牙が姿を現すと、全容も明らかになった。
長い鼻に長い牙、見上げるほどの巨体を持つ彼はキャラバンの大黒柱であり、ラシュリー達の仲間の一匹である。
「ダーボ!!」
「ぱおおおおおおおおおおんんんッ!!」
歓喜と驚きの声をミカエラが上げれば、ダーボは大きなラッパのような咆哮を響かせた。
そのまま長い鼻を勢いよく振り回すと、立ち並ぶ鏡の群れの一部を軽々と吹き飛ばす。あまりにも豪快な一撃に目を丸くしたのはラシュリー達だけではないだろう。
「畜生の分際で!!」
歯を噛み砕かんばかりに苛立ったイヴは玉座の間に乱入して来たダーボへ手元にある鏡を見せつける。己が理想とする絶対の美しさで虜にしようとするのだが、大きな獣である彼は時に気にした様子もなく再び鼻を振り回して鏡の一部をなぎ倒した。
イヴの魅力は神獣であるダーボには通じないらしい。彼は神格を宿して神から知恵と知識を授かった存在である。例え最底辺であったとしても神は神だ、そこだけは変わらない。
半神ならばともかく、正真正銘の神を魅了しようなどと、思い上がりも甚だしいとばかりに、ダーボは三度鼻を振りまわす。
「どいつもこいつ!! 私を何だと思っているのよ!!」
自分の美貌が通じない相手がまた現れた、その事実に彼女は美しい表情を歪める。そんな顔ですら他者を魅了する力が宿るのだから、決してイヴの力が弱い訳ではない。
魅了が通じないのならば鏡に理想を思い浮かべて相手に押し付けるしかなかった。戦士でもない彼女には物理的に敵を殴り殺すという最も簡単な方法がとれないのだろう。
鏡に願うだけで全てが達成できる相手に、そもそも腕っぷしが必要なのかという疑問もあるが、いざ魅了が通じない相手がこうも現れてしまえば、魔王と言えど不安に思ってしまうのだ。
こういう状況だとどうしたって嵐の王や死の王が羨ましくなってしまう。圧倒的な暴力で何もかもを解決できる兄弟の姿を思い浮かべてまた表情を歪めていくのだった。
視界を覆い尽くすほどの巨体が、見た目以上に素早い動きで鼻の射程圏内まで迫り、凶悪な肉の鞭が迫ることになる。
だがその筋肉の塊である長い鼻による一撃は、不思議なことにイヴの手前で空振ってしまい前髪だけを揺らす程度となってしまった。
その結果が示す現実は、イヴ側にもラシュリーたち側にもお互いを殺しきる手段がないということである。
どちらも致命傷を負わせる力が今一つ足りていない。同じだけの世界の加護と幸運を持っているからだ。
これがまだ力と力の綱引きであるならば単純となる。数に質に勢いを揃えて殴り殺すだけであった。例えば嵐の王が巻き起こす暴風や、死の王が押し付けるアンデットの軍勢のように。
イヴにできるのは美しさを誇り理想を思い描くことだけである。ただそれだけでこれまでは全て上手くいっていたのに、ラシュリー達がそれを全て吹き飛ばして彼女の聖域を汚してしまったのだろう。
美しさに酔いしれない誰かがいる世界など、イヴにとってなんの価値もないというのに。
「ど、どうしましょう? これじゃあいつまでも倒せません!!」
ミカエラの言葉はイヴも思っていたことだろう。互いに互いを殺しきれない。致命傷に手が届かない状況である。
どちらも世界の加護が強く、いかなる暴力も空振りに終わってしまうのだから、泥仕合となってしまっているのだ。
その状況を打開する為にイヴがとった行動は、魔王らしくない無様とさえ言えるような逃走であった。
「あッ!! 逃げてる!!」
背中を見せて逃げ出したイヴをラシュリーが驚きつつも追いかけ始めるが、それを阻止するようにダーボが長い鼻で彼女を巻き取ると、そのまま自分の頭の上に乗せてしまう。
「わわわッ!!」
次にミカエラを同じように乗せると、彼はそのままイヴを追って走り出す。
ダーボの体格では当たり前のことだがこの王城は狭すぎる。人間が使う為に作られたのだから自然なことではあるだろう。
その何をするにも彼にとっては狭い空間を、積み木細工でも蹴り飛ばすかのように吹き飛ばしながらダーボは進んで行くのだった。
イヴが逃走経路に選んだ玉座の後ろにある扉、おそらくは王族専用の通路もまた彼からしてみれば狭すぎるものではあるが、扉も壁も鼻で少し押せば粉々になって吹き飛んでいく。
「よしッ!! 行こうダーボ!!」
ラシュリーはその粉砕力にどこか上機嫌である。遠ざかっていく毒婦の背中を指差してダーボに指示を出していた。
追われる側からしてみれば最悪の指示ではあるが、何もイヴは見境なしに屈辱的な逃走を行っている訳ではない。
魅了も効かない、理想を思い描いたとしても強い幸運と加護に守られる、致命傷に手を届かせるにはあまりにも遠い相手とあの場で戦ったとしてもいつまでも決着がつかないことが分かったからこその逃走であった。
闇雲ではない、目指すべき場所は確かにある。
玉座の間から王族専用の脱出経路を抜けて王城の外へと出ると、彼女はそのまま騒ぎがある場所を見下ろせる高さへと走っていく。
具体的には城壁の上だ。そこからならば都市の多くを睥睨することができた。
自分の手駒たちを引き寄せてこちらの守りを薄くしようとしているキャラバンの団員たちも、そこからなら確認できる。
ラシュリーやミカエラやダーボが特別なだけであり、異常なだけである。彼女にとって絶対の美貌が効かない方が異常なのだと、藁にも縋る思いがあったのかもしれない。
イヴも自分の存在理由が揺らいでいたのだろう。彼女にとって美しさに屈しない存在がいるなど自己の否定そのものなのだから。
だからきっと、救いを求めるような意思も僅かに含まれていたのかもしれない。
王都の大通り、そこに車座となっている車両が作るのは簡易の陣地であった。どうやらダーボから牽引用の鎖を外してそこを迎撃拠点にしたらしい。
こういった運用を想定していた作りとなっているのか、車両は極めて頑丈な作りとなっており、それを壁とすれば簡易の要塞のような扱いもできるのだろう。それを盾にしながら団員たちは大勢の兵士たちを相手取っていた。
闇雲に追い回されて包囲されるよりもずっと有利な位置取りをしている。団員たちもこういった戦いに対する訓練をしているのか焦った様子もない。
規模を大きくすればそのまま軍隊と言えるようになるのかもしれない。つまりは現状は少数精鋭の特殊部隊といった所だろうか。
戦力としては申し分ない。極まった幸運者にどれほど意味を成すのかわからないが、兵士たちより遥かにマシな戦力であるとも言えた。
大通りで大勢の兵士たちを引きつけているキャラバンの団員たちに向けて、イヴは蕩けるような声を響かせる。
「私が愛してあげ――」
何もかもを蕩けさせて魂を犯しつくすその声は、しかし全てを言い終わる前に阻止されることとなった。
上空からの音も気配もない一撃、ともすればそのまま何が起こったのかもわからないまま死んでいたであろう鋭い刃は、不思議とイヴの首まで届くことなく空振ってしまう。
「そういえばアンタもいたわね!!」
下手人の正体はキララであった。全身が夜に溶け込む黒い暗殺者の衣装を身に纏い、マントを縫い止める金具にだけは白い羽飾りが結ばれている装いである。
「……ふッ」
彼女は言葉もなく牽制もなく、鋭く息を吸い込むとそのままイヴへと切りかかっていった。
キララに魅了への体勢はない。普通の人間寄りは遥かに強い意思を持ってはいるが、イヴを前にすれば誤差でしかない。
寧ろ、こうして再び挑める時点で彼女は異常とさえ言えるのかもしれない。
だが、それでもだ、イヴを前にするとどうしたって刃は鈍る。もしそれらを乗り越えて奇跡的に刃が届いたとしても、不思議と交わされてしまう。
キララでは勝てない。そして彼女に勝てないのならばこの世に多く存在するあらゆる英雄も勝てないということだ。
シャルルも、キャロルも、エミリーも、間違いなく敗北するだろう。
だからこそここで何としてでも勝たなくてはならないのだ。キララの目の前にいる女を好き勝手に動かされてしまうと、世界なんて簡単に滅んでしまうのだから。
故に挑む、ただしイヴを倒すのは自分ではないとキララは理解していた。
英雄は大勢いる。次々と死んで逝って新しい星が生まれるものである。
最新の英雄はここにいた。
「団長から離れろ!!」
鋭い刃と雷光が毒婦に迫り、やはり不思議な作用で避けられてしまうが。彼女に敵意を向けることすら難しいというのに、彼女たちは簡単になしてしまう。
城壁の下、ダーボの頭に乗った幼い英雄は、まだ何も諦めてなどいなかった。
左手に刃を持ち、もう片方の手には、何かを掴もうと指先を動かすような動作をしながら、ラシュリーは幾度も挑む。
傍らではミカエラもいて、絶えず魔術を放とうとしていた。
強い意思が宿った瞳を見ればよくわかる。この毒婦を倒すのはキララではなく、あの二人なのだと、あの二人だけがそれを成せるのだと、納得するしかないだろう。
きっと彼女たちはもう振り返ることはしない。身も心も一廉の戦士なのだから。