※この作品はR-18です。

商人と冒険者と娼婦   作:にやまな

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第十二話 懐かしい匂い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふう、ふう、と漏れ出るような不規則な呼吸を繰り返すのは赤銅色の顔色をした枯れ木のような老人だった、その表情や骨に皺だらけの皮を被せただけの体を一目見れば、先が短いであろうことを多くの者が察するだろう。

 

 

 

 実際に彼の体調は悪い、本来ならば船の上ではなくベッドの上でゆっくりと休まなければならないのだが、その身の内側に宿したどす黒い執念が老体に鞭を打つのだ。

 

 

 

 祖王の高貴なる血を受け継いではや八十年、物心ついた頃には王としての在り方や生き様を父や祖父から教えられて生きてきた、世が世なら玉座に座って国家を睥睨したことだろう。

 

 

 

 だがそうはならなかった、彼が生まれ育った祖国は高貴なる血ではなく金が何よりも大きな発言力を持つ国だったのだ。

 

 

 

 王の血は尊重されることはあっても金には勝てない、それは老人だけでなくその父や祖父でさえも同じことだった……唯一、この国で全ての者がひれ伏すのは建国者であり大富豪だった祖王だけ、彼ではないのだった。

 

 

 

 それでも王としての在り方を教えられたのは、それが血と歴史を受け継ぐ者の義務であったからなのか、それとも過去の栄光にしがみ付いていたかったからなのか……どちらにせよ血と教えだけでは王は名乗れない。

 

 

 

 王は血だけでは足りない、他者を圧倒する武力と全てを動かす財力、そして何よりも玉座が必要だった。

 

 

 

 しかしこの国には玉座はおろか王城すら存在しない、彼の祖父の代で生まれた莫大な借金の返済に売り払ってしまったからだ、今では王城は改修されて商人会の本部となってしまっているので玉座は存在しない。

 

 

 

 王の血を引き継ぐ自分が何故こうもみじめなのか、それは祖王である海運王の在り方が王と言うよりは商人寄りだったからだろう。

 

 

 

 金の無い者は悪である、商人の国であるここはその考えこそが主流であり常識でもある、だからこそ彼の祖父は王の血を宿しながらも転がり落ちたのだった。

 

 

 

 没落は金を無くし、金が無くなれば手足を切るように土地や財産を売り払った、残ったのは僅かな規模の商会と血だ、周りの者はそんな彼らを追い越して躍進を続けている。

 

 

 

 そんな現状が、彼には我慢できないほどに屈辱だったのだろう、身を焦がすかのような憎悪の炎は老い先短い体に熱を広げた。

 

 

 

 それだけで生きている、それだけが生きがいとなっている、最初は自らが真の意味で王を名乗る為の行動や努力が、いつの間にか他者を蹴落とすだけの行動へと変化していたのだ。

 

 

 

「は……ははは」

 

 

 

 老人は船の上で乾いた笑い声をあげた、その手には南北を示さないコンパスが握られており、針は暗い海の向こうを指し示しているようだ。

 

 

 

 針の示す先が船の進路となっている、栄光への道のりを一歩一歩進んでいる感覚に彼はご機嫌だった。

 

 

 

 しかし僅かな笑いでさえ肺が拒むかのように咳き込むことになる、それでも彼の歪な笑みは崩れない。

 

 

 

「我が王よ、潮風は体に悪いかと……室内へどうぞ」

 

 

 

 咳を繰り返す老人の身を心配してか、初代王の時代から代を重ね、伽藍洞の王家になっても仕えている腹心の一人が船内への道を示すのだが老人はそれを煩わしそうに拒否してしまう。

 

 

 

「このコンパスが指し示す方角へと行かねばならぬのだ」

 

 

 

「はい、存じております。船の進路は私が確認いたしますので、どうかご自愛ください」

 

 

 

「バカを言うな!……うッ、ごほッ!…………はぁ、この針の先に眠るのはかの塩の海賊なのだ。半神な上に最早アンデットに成り下がった怪物よ、奴を縛るには私の血とこの契約書が必要になる」

 

 

 

 そう言って老人が懐から取り出したのは長い年月が過ぎたであろうことを物語る古ぼけた羊皮紙だった。

 

 

 

 黒ずんでカビの跡が残るそれを広げれば、老人には……いや、人間には読むことのできない文字で契約内容が記されており、それこそが彼の切り札でもある。

 

 

 

「これは我が祖先、初代王が塩の海賊と結んだ契約書……かの者の身分と財産、そしてこれまでの略奪行為を責めぬと記されているそうだ。代わりに塩の海賊は王の配下となり、絶対の忠誠を誓っているのだ」

 

 

 

 神代文字、神々が扱うとされる文字で契約が結ばれたということは、契約神の力と意思がこの契約書に込められているという意味であり、それはこの世界で最も強く固い結びつきであると言えるだろう。

 

 

 

 この契約を破るということは単純な協定の破棄と表現するより、上位存在の怒りに触れると言う方が近い、王であろうとも、英雄であろうとも、例え半神であろうとも、これだけは破ることは難しいのだ。

 

 

 

 しかし難しいだけで絶対に破棄できないという訳ではない、歴史を紐解けば契約神の力が込められた契約書が破られたこともあるらしいと老人は噂に聞いたことがある。

 

 

 

 その場合どうなるのか、地域や人によって解釈や表現はバラバラであるのだが、その話の多くが契約内容に関わる大半の関係者にとてつもない不幸が襲ったらしいというものだ。

 

 

 

 突然、心臓が止まったとも、晴天だというのに雷に撃たれたとも噂される、まさに神罰が下ったのだろう。

 

 

 

 それ故に契約神の力が宿った契約書は絶対の効力を持つ、わざわざ破棄するのは愚か者の行いだった。

 

 

 

「わかるか? 塩の海賊は王に忠誠を誓っているのだ……それ故に奴と接触するのはまずワシでなければならぬのだよ」

 

 

 

「……陛下以外の者を見れば即座に船を落とされると?」

 

 

 

「ふん、それだけで済めば良いがな……海に引きずり込まれてアンデットの船員にされるやもしれん。例え封印されていようとも奴は半神なのだから、なんの保障にもならんだろう」

 

 

 

 そんな理由もあって老人は潮風を浴びながら船首に近い場所にいるのだ、しかし理由はそれだけではない。

 

 

 

 言葉にこそしなかったが、彼は怖かったのだ。

 

 

 

 いつ、自分の後を追ってキグナスが追って来るかわからないのだ、老人にとって天敵であり視界にいれることすら不快に感じる存在だった。

 

 

 

 腹心の男もそんな感情を察したのだろう、船尾の方……その更に後方に視線をやってからこう言った。

 

 

 

「あれだけ手痛い敗北だったのです、あの女が我らを追って来るなどあり得ぬことかと」

 

 

 

「愚か者、お前はあの女のことを何も理解できておらぬ……あれはサメのような奴なのだ、一度食らいつけば絶対に離さぬ、そして獲物を見つければ必ず食らいつく……クソ! あの時に殺せていればよかったものを!」

 

 

 

「人魚が相手では我らにどうしようもなかったのです」

 

 

 

「その失態故に港に凱旋できなかったのだぞ!? 今頃、奴は戦力を搔き集めて我らを追っていることだろうな!」

 

 

 

「そのような力が残っているとは……仮にあったとしても戦力差は圧倒的、問題にはならないかと」

 

 

 

「その考えが愚かだというのだ! 奴は来る、必ずだ! 今にも姿を現しても不思議ではない。あれにそんな理屈は通用せん、どれだけ不利であろうとも敵の喉元へと食らいつく」

 

 

 

 だから怖いのだ、老人はその言葉を飲み込んで船首の向こうへと顔を背けるのだった。

 

 

 

 背中は震えている、自分の後を追ってくるであろうキグナスの存在が、気のせいなのかもしれないが近づいているかのように感じるのだ。

 

 

 

 少しでも早く辿り着きたい、そんな祈りを捧げる老人の姿を、神々は面白そうに眺めているのかもしれない。

 

 

 

 祈りが届いたのか風は少しだけ強くなったようだ、それは追手にとっての追い風になっていることを、彼は最後まで気が付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃え上がるような憤怒が行き場を無くして周囲へと垂れ流されていることにキグナスは気が付いていないらしい。

 

 

 

 心の弱い者がそんな彼女を見れば腰を抜かしてしまうだろう、少しでも危機感を持った者ならば即座に道を譲るはずだ。

 

 

 

 今まではあふれ出るような怒りも中へ中へと押し込んでいた筈なのに、今は少しの余裕も無いのか周囲に溢れている、一目見ただけで危険だと理解できるほどに威圧感があった。

 

 

 

 人魚のグリーシャはそんなキグナスの燃え上がりながらも嫌に落ち着いた存在感を感じ取って震えているようだ、しかし頼もしくもあるので何も言うことはなかった。

 

 

 

「ほんじゃあ、ウチは里に帰って長老らを説得しとくからな」

 

 

 

「あぁ、ここまでありがとうね、アンタのおかげで助かったよ」

 

 

 

「ええよええよ、アンタも頑張らなあかんで」

 

 

 

「……直ぐに準備は整える、ああ……直ぐにね」

 

 

 

「期待しとるとも、ウチらも直ぐに合流するから海で合流やね」

 

 

 

「よろしく頼むよ」

 

 

 

 キグナスは別れの挨拶を残して一時的に里へ帰るグリーシャの姿を見送った、そして様々な感情を混ぜ合わした溜息を吐くと、踵を返して港を後にする。

 

 

 

 頭の中で色んな数字を足して引いてを繰り返していくが、上手く数字が纏まらない、失った海兵や船、金や物資やこれから必要になるであろう様々な数字が出ては消えていく。

 

 

 

 絶望はない、目を覆いたくなるような損害であろうとも、それは敗北を受け入れる理由にはならないとキグナスは考えているからだ。

 

 

 

 最早、この戦いは損得や利益の範疇にはない、相手を消滅させる為に己の全てを込める必要があるのだろう。

 

 

 

 どれだけの力が必要か、どれだけの船が必要か、どれだけの物が必要か……ざっと計算するだけで頭が痛くなってくる。

 

 

 

 それでも逃げ出すという選択肢はない、それだけは絶対にありえない、利益の為でもあるが誇りの為でもある、ここで逃げれば己が最も嫌悪する存在へと成り下がってしまう。

 

 

 

 故に、後退はない、かつての先人たちがそうあったように、彼方にこそ栄光ありだ。

 

 

 

「ああ……クソ」

 

 

 

 それでも一人では限界があった、計算が得意であるがゆえにどれだけの血を流す必要があるかわかってしまうので、どうしても陰鬱な気分になってしまう。

 

 

 

 絶対に逃げない、それでも疲れはするし、気分くらいは悪くなる、例えキグナスが大商会の主であろうとも未だに甘さや幼さを捨てきれていない部分だってあるのだ。

 

 

 

 今は頼りになる部下や仲間もいない、その多くが海の藻屑と化してしまった、振り返っても付いて来る者は見当たらず、彼女は一人だった。

 

 

 

 だから愚痴くらいは良いだろう、焼け焦げた家の残骸を蹴りつけてもきっと許される。

 

 

 

 自らの中にある陰鬱とした何かを外へ追いやるように、キグナスは何度も焼けた家屋の一部を蹴りつけた。

 

 

 

「クソ! クソ! クソ! クソがああぁ!」

 

 

 

 人の上に立つ者は感情をあまり表に出すべきではない、そんなことは彼女も理解できているのだが、残骸が更に砕けるまで八つ当たりは続くことになる。

 

 

 

「ふうぅ~~」

 

 

 

 最後に大きく息を吐いてその場を後にする、そして少しだけ冷静になった頭でまた計算を始めるのだが、そんな彼女の耳に美しい歌声が届いた。

 

 

 

 潮風のざわめきが街に吹き抜けているというのに、その戦慄と歌声は霞むこともなく広がっているかのようだ。

 

 

 

 何事かと歌の聞こえる方へ歩くと、彼女と同じように歌声に導かれたのか多くの住人が街の広場へと集まっているらしく、既に人の群れとなっている。

 

 

 

「ああ……そうか」

 

 

 

 その歌声はどこか懐かしいと思ったのだがそれも当然だ、広場の中心にはかつて彼女が暮らしたキャラバンが設置されており、そこで公演が行われていた。

 

 

 

 リュートを片手に背筋を震わせる美声で歌うエルフ、その歌に合わせて有名な喜劇を披露するのは劇団員たち、キグナスも以前は同じように女優として活躍していたこともある。

 

 

 

 スッと、キグナスの内面に充満していたどす黒い何かが姿を隠す、そして自然に笑みを浮かべることができた。

 

 

 

 普段は公演用の大きな天幕の中で披露される劇なのだが、街の現状や住民の感情を察してなのか今回だけは無料で公開されているらしい。

 

 

 

 春風のキャラバンの催しはこの街の住民にも好評のようだ、火災で家や仕事や家族を失って久しい住人たちは、こんな厳しい状況であるというのにキグナスと同じように笑顔を浮かべている。

 

 

 

 彼ら彼女らはローレライの美声に聞きほれて、喜劇に笑う、巨大なダーボが姿を現せば驚いて、それを巧みに操って芸を披露する団員たちに拍手を送っていた。

 

 

 

 キグナスもそんな住人の一人だ、考えなければならないことは沢山あるというのに、今だけは全てを忘れて拍手を送るしかない。

 

 

 

 懐かしさが喉奥から込み上げてくる、かつての暮らしを思い出して目頭が熱くなっていた。

 

 

 

 しかし涙を流すことはしない、今やそれが許される立場ではなくなったのだ、流すのは涙ではなく血でなくてはならない。

 

 

 

 ただ少しだけ、ほんの少しだけ、懐かしいと感じてしまっただけなのだ。

 

 

 

 慰労公演が終わって興奮冷めやらぬ中、人々は一抹の寂しさと共にその場を後にする、キグナスも同じように去ろうとしたのだが、そんな彼女を捕まえたのは大きくて長い鼻だった。

 

 

 

「……ダーボ」

 

 

 

 春風のキャラバンの大黒柱にして看板のような存在である巨大な獣は、その長い鼻でキグナスを持ち上げると自らの視線の高さまで上昇させる。

 

 

 

 キグナスとダーボの視線が絡み合う、再会を喜んでいるのかダーボは嬉しそうに喉を鳴らしているようだ。

 

 

 

「久しぶり、十年前より一回り大きくなったじゃないか」

 

 

 

 手を伸ばしてダーボの頭を撫でると、彼は目を細めてそれを受け入れる。

 

 

 

 掌から伝わる固くて弾力のある体毛の感触は今でもよく覚えていた、昔はよくダーボの世話係である獣人のシャーシャとよくブラシで梳かしたものだ、固いながらも絡まってはいないので今でも丁寧に手入れされているのだろう。

 

 

 

「アタイかい? アタイは、どうだろうねぇ……」

 

 

 

 キャラバンから独立して様々なことがあった、嫌なことも良いことも利益も不利益も経験して来たことは間違いない。

 

 

 

 己や仲間や部下に恥じるような生き方だけはしてこなかった、失敗も多かったがそれでも前に進んでいる実感はあり、何よりも成長していると胸を張って答えることはできる。

 

 

 

 少しだけ、商会が大きくなるに連れて昔を懐かしむことは大きくなったが、それをダーボに伝えても余計な心配をさせるだけだろう。

 

 

 

 せっかくの再会なのに弱音は似合わない、そう思っていたのだがキグナスの口から出て来たのは愚痴だった。

 

 

 

「少しだけ、疲れちまったよ……馬鹿が多くてね」

 

 

 

 その言葉に答えるかのようにダーボは彼女を持ち上げる長い鼻に僅かにだが力を込める、そして巨体を動かしてキグナスを天幕へと運んで行った。

 

 

 

 当然だがそこには春風のキャラバンに所属する団員たちがいるはずだ、厚い布壁の向こうから穏やかなリュートの音色が聞こえて来るので間違いない。

 

 

 

 ダーボはキグナスを天幕の前に置いてその場を立ち去った、相変わらず賢い獣だと苦笑いしながらキグナスは思い出と向き合う。

 

 

 

「ああ、懐かしい……キグナスなのね」

 

 

 

 天幕の中へと一歩踏み込んだ瞬間に、見計らったかのように美しい声で迎え入れられた、最初に声を掛けて来たのはリュートを片手に持った酩酊するほどの色気を醸し出すエルフの女、かつての上司でもあるローレライだった。

 

 

 

「お久しぶりです、ロウ姉さん。こちらに来られていたので挨拶に来ました」

 

 

 

 本当はそんなつもりは無かった、考えて準備しなければならないことが山積しているのであまり時間がない。

 

 

 

 そしてなによりも、ここに来てしまえば独立した時に固く己に誓った決意が揺らいでしまいそうで怖かったのだ。

 

 

 

 きっと自分は誰かに頼ってしまう、その確信があったので挨拶する気はなかったのだが、ダーボには見透かされたしまったようだ。

 

 

 

「大きくなったわね」

 

 

 

「……あれから十年くらい経ちましたから」

 

 

 

「そうねぇ、人はあっという間に大人になっていくものね……けれど大きくなったのは体だけの話じゃないのよ」

 

 

 

 そう言ったローレライの視線はキグナスの表面ではなく、もっと内側にある何かを見つめるように力を帯びる。

 

 

 

「貴女は真っすぐで、汚れを知らない魂を持っている、それはあの時から今も変わっていない……でも沢山の苦労をしてきたのでしょうね、少しだけ疲れているようだわ」

 

 

 

「……ああ、いえ……なんて言うか、まぁ」

 

 

 

 彼女は十年前と何も変わらない、長命なエルフである為に十年程度で大きく容姿が変わらないこともそうなのだが、醸し出される器がどうして敵わないと思ってしまうのだ。

 

 

 

 長く生きて来たであろう年月が、積み重ねて来た経験が、人間ならば死に際でようやく至ることのできる境地に彼女を若い肉体のまま押し上げている。

 

 

 

 昔からそうだった、ローレライの言葉や仕草や雰囲気には独特の魅力があり、そんな彼女にキグナスは憧れと畏敬の思いがあったのだ。

 

 

 

 キグナスにとってのローレライは、尊敬と畏怖の対象である恩師のような存在だ、そんな相手を前にすれば自然と頭も下がるだろう。

 

 

 

「街の現状を知って驚いたのよ、例の海賊が暴れまわったって聞いてね……それで少しでも慰めになればと思って公演を行っていたのよ」

 

 

 

「住民の反応は悪くなかったです、こんな状況でも笑えるんですから大したもんですね」

 

 

 

「ええ、とても強い心を持っているわ」

 

 

 

 ローレライはそこでリュートを奏でる、呼吸をするかのように自然な旋律はキグナスの心を慰めていく。

 

 

 

「さぁ、話してごらんなさい……思い出話も良いけど、貴女には言わなければならないことがあるでしょう?」

 

 

 

「はぁ……何もかもお見通しなんですね」

 

 

 

「それは勿論、長く生きていればどうしても、ね……例え歩む道は違っても貴女は私の仲間であることは変わらないもの」

 

 

 

「もう独立して十年ですよ」

 

 

 

「たった十年よ……目を閉じていればあっという間に過ぎ去ってしまうくらいに短いわ」 

 

 

 

 相手が恩師であるローレライならば心を見透かされることも、子供のように扱われることも不快ではない、団長であるキララと共に様々なことを教えて貰った日々を思い出してしまう。

 

 

 

 だからだろう、キグナスは縋るように言葉を紡ぎだす。

 

 

 

「……困って、います」

 

 

 

 商会の主としての誇り、街の顔役としての立場、部下の面倒を見なければならない責任、商人としての損得、そして独り立ちした一人前の人間としての在り方。

 

 

 

 それら全てを背負ってこれまでキグナスは生きて来た、それは誰もが大なり小なり経験していることであるのだが、彼女にはそれらをひと時でも降ろす余裕がこれまでなかったのだ。

 

 

 

 重たいと、疲れたと、少しで良いから休もうと、そんな己の内面から響く声は聞こえないフリをして誤魔化しながらここまで歩いていた。

 

 

 

 そんな彼女が背負う様々な重さを、鎧を……ローレライは容易く解きほぐしてしまう。

 

 

 

 やっぱり彼女には敵わない、改めてキグナスはそう思う。

 

 

 

「……助けて、助けてください」

 

 

 

 何とも情けない声を出すものだと内心呆れながらも、それを恥ずかしいとは考えなかった。

 

 

 他の誰かならばともかく、ローレライだけにはありのままの言葉で良い、例え何年経とうとも彼女は決して変わることなく恩師であり、自分は教え子なのだ。

 

 

 かつての光景が蘇る、様々な質問をして様々な答えを示してくれた彼女の姿は今も変わらずここにあり、懐かしい匂いはただただ安心することができた。

 

 

 今回もまたあの頃と同じ、かつてと何も変わらない声と笑顔と匂いでローレライはこう答えてくれた。

 

 

「ええ、力になりましょう……私は貴女の教師なのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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