商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
車両の修理には相応の時間と費用がかかった。わかってはいたことだが毒婦との戦いで追った損傷は大きく、キララたちが雑に扱ったこともあり本当にボロボロの様子である。
「こりゃ、結構かかるぞ、時間も代金もな」
聖都で活動している大工衆の棟梁は車両を見分して最初にそう言い放つ。
戦車として扱うことも想定されていた大きな車両群である。だからといって本当に戦車として使用するのは最終手段である。こうなることがわかりきっているのだから。
「う、う~ん、どれくらい必要でしょうか?」
「そうさなぁ……この大きさでこの数だ、まぁこれくらいは必要だろうな」
大工の棟梁は、ミカエラが震えながら差し出したそろばんを弾いて予算を出す。
なかなかの予算が必要となった。大きな車両を修理するのだからそれなりの額が出ていくのが自然なのだが、はいわかりましたと受け入れることはなかなか難しい。
特に、ここ最近は新人を脱して事務官としてキャラバンの運営に関わるようになったミカエラにとって、初めての交渉事であるこの仕事でしくじる訳にはいかないと意気込むのも無理はない。
何としてでも結果を残さなくてはと、鼻息荒く気合を入れているようだ。
だが、そろばんが指し示した数字に勢いを削がれてしまったらしい。
「うッ……もう少しおまけしてください」
まだ交渉事に慣れていないミカエラの直球すぎる言葉に大工の男は苦笑いを浮かべる。値段交渉は当然のことであるし仕事をしていれば必ず付きまとうことではあるが、こうも真っすぐだと逆にやり辛いのだろう。
まだ交渉事に長けて弁が立つ者の方がずっと話しやすくすらあった。
なんと言えば良いのだろうか、大工の男からしてみるとまだまだ幼い娘を追い詰めているような感覚になるのかもしれない。
もしここで断ってしまえば、涙目になるかもしれない。
そう考えるとミカエラがキャラバンを代表して交渉役になっているのは、ある意味では適任なのかもしれない。少なくともこの大工の男は涙目になられると強く出れないのだから。
「はいはい、わかったよ……ちょっとおまけしておこうか」
つくづく甘いと思いながらも、格好つけるのも悪くないと開き直り再びそろばんを弾くと、ミカエラは笑顔になった。
不思議な引力を持った少女だ、そんな印象を与えるミカエラは、もしかしなくても交渉事に向いているのかもしれない。これで舌が鋭く回るようになれば、キャラバンを代表して動けるようになるだろう。
そうなるにはまだまだ経験が足りないであろうが、その足りないものを埋める為にこうして慣れない仕事をしているのだった。
「ど、どれくらいに完了しますか?」
「他の仕事もあるからこっちにかかりきりにはできないが……まぁきっちり直すとなると一月って所か」
チラッと、ミカエラの補佐をしていた先輩団員に視線を送ると、小さな頷きだけが帰って来たのでこれで良いと契約を結ぶことになる。
契約神の力が込められた契約書に互いの名前を書いてここに強い縁を作る。それでミカエラの初の交渉役としての仕事は終わりとなった。
「どうでしたか?」
「良いんじゃない、もっと強めに値段交渉しても良かったと思うけど、やりすぎて反感を持たれてもウチの評判に関わるし……聖都は何度も訪れる場所だからそうなると困るもん。何事もほどほどが一番かな」
笑って受け入れられるくらいの値段交渉ならば何も問題は無いと太鼓判を押す先輩団員に、ミカエラはホッと安堵の溜息を吐く。
どうやら初のキャラバン代表としての交渉は大成功とは言えないものの、失敗でもなかったらしい。
がめつい交渉事で評価を下げては意味が無い、ほどほどが一番という判断は何も間違ってはいなかった。
「だ、団長、大工の方々と契約を結べました。予算はこれくらいで一月ほどの時間がかかるそうです」
緊張しながら契約書を差し出す相手は団長であるキララだ。ラシュリーと剣戟を繰り返しながらも広げられた契約書を見分する彼女は、内容に不満もなかったのかこれで良いと頷きを返す。
元々、ミカエラに交渉を任すと決めたのはキララである。ラシュリー同様、経験を積ませる為であったので、失敗しようと成功しようとどちらでも構わなかったが、無難に収められたのならばそれで良かった。
百点満点の交渉や商いなどは存在しないのだ。多少の値引きをもぎ取れただけ、寧ろよくやったと言うべきなのかもしれない。
例えそれが言葉や交渉力ではなく、見た目と印象によるものであったとしてもだ。
「うん、それで良い。何も問題は無いわ」
がむしゃらに突っ込んで来るラシュリーを転がしながらキララがそう伝えると、ミカエラはわかりやすいほどに安心した様子を見せる。
緊張していたのだろう。キララでさえ最初の交渉をした時は同じような気持ちになったのでよくわかる。
こればかりはとにかく経験していくしかないだろう。どれだけ才能が無い者であったとしても、失敗と成功を百回でも経験すれば一廉の商人にはなれるとは、キララ自身の経験によるものであった。
彼女がそうだったのだ、戦うことしかできなかった頃の彼女と比べれば、ミカエラは自分よりよほど向いていると言っても良いだろう。
「お疲れさま……初めての交渉役だけど、緊張したかしら?」
ラシュリーの連続攻撃を軽々と反らしながらそう言うと、ミカエラはコクコクと何度も頷く。
「すっごく緊張しました!!」
彼女にしては珍しく声を荒げているので、本当に慣れない仕事に緊張していたのだろう。
「これからこういう仕事も増えて来るだろうから、慣れなさい」
「う……そうですよね、はい」
ミカエラも理解はしているのだ、こういった仕事が必要になってくるだろうことを、そして新人を脱したと思われているからこそ任せられているのだと。
キャラバンの戦力としてしっかりと数えられていることに満足感を覚えるが、同時に重圧や責任も重たく圧し掛かって来るので、既に新人扱いだった頃が懐かしくなっているらしい。
自分も通った道だとキララは笑った。そしてラシュリーを吹き飛ばす。
「ローレライの所に行ってきなさい。仕事も大事だけど訓練も大事よ」
「は、はい」
数え切れないほどに吹き飛ばされては立ち向かってくるラシュリーもそうだが、ミカエラもまた訓練時間が大きく増えた。
特にミカエラの場合は力を暴走させてしまうと文字通り国を滅ぼしてしまうので、ラシュリー以上に厳しく徹底的なものとなっている。
当然と言えば当然だ。今はまだミカエラの制御下にある娼婦神の権能であるが、イヴを見ればわかるが使い方を誤ればとんでもない事故や被害を招く。
なのでこちらも徹底的に鍛えて完全な支配下に置くことを目標としている。そしてそんなことを教えられるのはキャラバンの中ではローレライだけである。
「お仕事終わりました……あの、魔術の授業を」
「えぇ、こちらにいらっしゃい」
剣戟をシャーシャと共に眺めていたローレライは、ミカエラに声をかけられると少し名残惜しそうに視線を外す。そして折り畳み式の椅子に弟子を座らせると、彼女もまた向かい合う位置に腰を下ろした。
「さて、昨日はどこまでやったかしら……あぁ、魅了の魔術の運用や種類だったわね」
やはり重点的に教えることになるのはその分野なのだろう。しっかりと制御して完全に運用できるように、しつこいくらいに集中して教える必要がある。
「魅了の魔術と一言で表してもその種類や運用は様々で、小さな物から大きな物まで千差万別なのよ」
指先が揺れ動く、そして彼女が取り出したのは自前の化粧道具であった。
「ちょっとした化粧だけでも魅了の魔術の範疇とも言えるの……ようは相手に魅力的だと思わせることが重要でね、髪型を変えたりとか、香水を変えたりなんてことも魔術と言えるでしょうね。誰にでもできることだけど、ちょっとした変化が重要だって言ったわね?」
「はい……えっと、房中術と一緒で、簡単だけど極めようと思えばとても難しいものだと」
「えぇ、何せ化粧だけでも年代や地域によって様々だし、それぞれの意味や方針も異なって来る、流行や廃りもあって、それこそ完璧な美しさを表現するなんて不可能と言っても良い」
ただし、とローレライはそこで言葉を途切れさせる。
「普通の人には不可能でも、ミカエラにはそれができる。どんな時代、どんな場所、どんな人種や種族、もっと言えば性差や年齢の違いすら無視して相手に美しいと思って貰えるでしょう……あの毒婦のようにね」
ローレライが化粧箱の中から幾つかの道具を取り出して目の前にいるミカエラの顔に何やら施していく。
桜色の口紅を僅かに差しただけの、本当に簡単な化粧であったが、それだけでもミカエラから僅かに漏れ出ている引力のようなものが強まったようにも思える。
誰にでもできる簡単で極めて初歩的な魅了の魔術の一種であるが、ミカエラに施すとそれだけで「汚したくない」と魂が思ってしまうような力へと変わっていくのだから、娼婦神の権能は巨大で危険なものだろう。
「魅了の魔術を覚えていけば力も強まるでしょうけど、同じだけ制御力も上がっていく。こればかりはどの魔術でも言えることだけど積み重ねが大事になる……ラシュリーとはまた違った方向性で大変なことになるけど、しっかりと付いてきなさい」
疲れたら休んでい良い、とは言わない。そして許さない。
ミカエラの力はある意味ではラシュリー以上に危険なものなのだから、一切の妥協も躊躇も許されないのだ。
こちらもまた幼年期の終わりは過ぎ去ってしまった。一人の戦力、一人の大人として進んで行かなければならない。
その為ならば鬼とも思われるくらいに厳しくするつもりである。そんなローレライの思惑を笑顔の裏に感じ取ったのか、ミカエラの顔は青くなっているが嫌だとは言わなかった。
近くで何度も吹き飛ばされては立ち上がるラシュリーがいるからだろう、ミカエラもまた奮い立ちながら知識を収めていく。
戦士と魔術師、方向性は違っても、経験と積み重ねが必要なことは変わらない。戦士は流した汗の分だけ、魔術師は詰め込んだ知識の分だけ、成長して強くなっているのだから。
キララもローレライもシャーシャも、そしてその他の団員たちも、今のラシュリーやミカエラを見て、自分たちも通って来た道だと懐かしみながらも、だからこそ手加減は加えない。
「暫くは、えっと……聖都に滞在するんですか?」
魔術の修行や授業の間、ミカエラは気になっていたことを尋ねる。
「えぇ、車両もこんな状態だし、あの三人の安全や居場所もわかったから、焦る必要もなくなったの。私たちも戦いの疲れは残っているから暫くはゆっくり過ごそうって団長が仰られていたわ」
「皆さん、ご無事なんですね!?」
離れ離れになっていた三人の顔を思い出す。二年前に別れた時のままの姿であったが、今でも鮮明に彼女たちの姿を思い出せる。
ミカエラにとっては本当に特別で、文字通り人生を変えてしまった出会いだったのだ。忘れられる筈もなかった。
この二年の間、無事を祈らなかった日は無く、そんな三人の安全と目的地がわかったというのならば、これほど嬉しいこともないだろう。
「帝国方面に向かったそうだから、今頃は帝都に辿り着いているんじゃないかしら、三人ともね」
「はぁ~~……良かった」
これまでの不安や心労が一気に吹き出たのか、人生で最大級の溜息を吐き出す。
「すぐに迎えにッ……いえ、ダメですよね」
「車両の修理が終わるまでは動けないわね」
だからそれまでは、ラシュリーもミカエラも好きなだけ鍛えることができると、笑顔で宣言する師匠に戦慄しながらも魔術の授業は続いていく。
確かに車両がこの状態ならばしばらくは聖都に滞在することになるだろう。少なくとも一月はここで暮らすことになるのは間違いない。
既に団員たちはそれを前提にしたキャラバンの運営を前提としており、聖都に存在している商会や神殿などには団員たちが挨拶回りに向かっている。
食料品の調達、それに必要な経費の捻出、娼館用の天幕の設営に、各種根回し、ここに長期滞在する為の準備は着々と進んでいた。
車両の状態が状態なので当然であり、別にミカエラも不満がある訳ではないのだが、ようやく三人の背中が見えるような位置にまでやってきたというのに、好物を目の前にお預けをされてしまったような気分になってしまっているらしい。
「そうですね、修理が終わるまであと一カ月くらいはここで――――」
言い終わる前に、ミカエラのうなじにチリっとした痺れが走る。
いつかどこかで神に権能を返上した時のように、或いはつい最近にその神に力を返してもらった時のように、神の存在をとても近く感じるあの感覚に近い。
「ッ!!」
突然の啓示に体を強張らせたミカエラは慌てて周囲を見渡すと、自分と同じように神の存在と力を感じ取っている団員たちの姿が視界に入る。
対面の席に座るローレライも、ラシュリーと訓練をするキララも、そしてそれを眺めていたシャーシャも、同じように神の存在を感じ取っているようだ。
そしてだれもが驚き硬直する中で、ただ一人ラシュリーだけは汗を拭って静かに空を眺めていた。
「呼んでる……急がなきゃ」
それぞれに与えられる神の啓示は曖昧で言葉にするのが難しいものであったが、それでも敢えて言葉にするのならば「急げ」が最も正しい表現だろうか。
ラシュリーだけはハッキリと神の言葉を読み解いたのか、ここではないどこかを眺めるように瞼を細めてしまう。
そして最終的に団員たちの視線は、自然と団長であるキララに向かうことになる。
何があったのかはわからない、何が起こるのかもわからない、もしかしたらそれは幸運に繋がるのかもしれないし、わかりやすい悲劇が待っていることだってあるだろう。
色々と考えた結果、情報が少なすぎて何の判断もできないということにキララの中ではなってしまうが、だからといって神の言葉を無視できる理由にもならない。
この啓示は、おそらく自分たちに向けられた神の意思である。
こちらの事情や状況などを無視した、或いはわかっていながらもそれでも行けと言いたいのだろうか、何であれ神の都合が大いに絡んでいる筈だ。
聞かなかったことにはできない。何よりキララの中にある死の神からの意思も感じてしまうので、更に強制力を感じてしまう。
「……行きましょう」
暫く考え込んだ末に、キララは動くべきだと判断を下すのだった。
曖昧で複雑なイメージが流れ込んで来る中に、ほんの僅かにだが三人娘の姿が垣間見えたことが決定打になったのだろう。
やはり何が待ち受けているかはハッキリしないが、神の言葉は日和見を許すほど軽いものでは無いということだ。