商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
帝国方面へ向かうキャラバンの団員たちはダーボを頼りながら随分と急いだようにも思う。それは錯覚などではなく事実として早かった。
聖都から帝国へ向かうには間にある小王国郡を幾つもの国や都市を経由して進むのが基本であり、同じ数だけの補給が必要な距離であるのだが、それをキララたちは無補給で突っ切ったのだからとても素早い。
生命の光に誘われて現れるアンデットたちの残党を蹴散らし、休みも最低限に進み続ける一行はだいぶ無茶をしていると評価できるだろう。
途中で都市に立ち寄ることもないので補給もなく、アンデットがまだまだ蔓延る土地なので腰を下ろしてゆっくり野営ともいかない。彼女たちは本当に最低限の休憩だけで長い道のりを進むことになる。
揺れるダーボの背中で揺られ続けること幾日か過ぎ、瞼に重さや肩や腰がいよいよ凝り固まってきた頃にようやく彼女たちは帝国の国境へと辿り着く。
「あれは……何かしら?」
まず最初にキララが異変に気が付く。そろそろ帝国の国境かと考えてダーボの背中の上で周囲を見渡していた彼女は、光の線を見つけたのだ。
淡く輝く線がどこまで伸びており、それは空と大地のように明確にあちらとこちらを分けているようにも思える。
神殿の入る玄関口のような雰囲気もあり、キララにはそれをハッキリと表現できる知識が不足していたので、こういう場合はキャラバンの中で最も博識で経験の長い知恵袋を頼りになることになった。
「おそらくですが……あれは領域化ですね」
ローレライがキララの視線を受けてそう答えるが、それがどういう現象なのかわかる者はこの場には彼女以外にいない。
「わかりやすくいうと、証明ですね。ここはわたしたちの土地だと神が証明してくれるんです」
「強い契約書のように、ですか?」
ミカエラは自分の中にある魔術の知識からそんな考えを組み立てていた。
「えぇ、ミカエラが言ったように強力な契約神の権能が宿った契約書で、ここが私たちの土地ですって明記して契約を結べば、同じような現象が起こるわ……これは、帝国国境に沿って伸びているようにも見えるから、それを国家規模で行っていると思うのだけど」
長く生きているローレライであっても地平線の彼方まで伸びる淡く輝く線を見たことはないらしいので、断言はできないらしい。
「そんなことして、何の意味があるの?」
ラシュリーにはローレライの説明が上手く伝わらなかったのか、尤もな疑問を聞いて来た。
「特に意味はないわね」
「えッ、ないんだ」
「えぇ、正しい権利を神が認めているというだけのことだから、でもそんなことをわざわざ証明なんてしなくても、ここは帝国の領土であることは変わらないもの、だから意味がないでしょう?」
「じゃあどうしてこんなことになってるんだろ?」
「そうねぇ、断言はできないけど……例えば、何らかの理由でその権利が、つまりは神が認めた帝国の領土が侵害されていて、それを阻止したいとかかしら……権利をより明確にすることで一線を引いて、ある種の結界のように使っているのかもしれないわね」
「神殿みたいにってことかな」
「ラシュリーの言う通りよ。神殿は神の領地で、邪な存在は立ち入ることができない……つまりは、そういうことなのかしら。確か帝国には神器が、神から与えられた帝印があった筈だし、それを使えばできなくはないでしょう」
国家の全てを神の領土である神殿として機能させる、それがこの現象の正体なのかもしれない。
問題なのは、何故そんなことをする必要があるかだろう。
「……例えば、闇神殿が帝国に現れたとかなら、影響を抑える為に神の土地であると証明する可能性も」
ローレライは考え込んでいた。目の前の光景に魔術師として、そして研究者として興味が刺激されているのかもしれない。
神の移行を持って土地の領有権を主張して、邪な存在が幅を利かすことを防ぐ為ではないかという推論は、間違ってはいないのだが帝都の状況がわからない彼女たちには何一つとして断言もできなければ確信も掴めない状況である。
つまり、この境界に対してあれこれ考えようとも意味がなく、どれだけ悩んでも進むしか選択肢がないということだ。
「ローレライ、確認するけど危険はないのよね?」
「はい、団長、ありませんよ。私たちは悪魔ではありませんから中に入ったからといって息苦しくなることも無いでしょう」
「では前進、一先ず帝都を目指すわよ」
「よっしゃ、ダーボ、行こうか」
指示を受け取ってシャーシャが手綱を引きダーボを操る。すると彼は淡く輝く境界に足を進めて向こう側へと踏み入った。
特に何かしらの抵抗があった訳ではなく、本当にすんなりと国境を超えることができた。拍子抜けするような結果ではあるが彼女たちは神の領土である神殿から弾きだされるような魔性でもなければ不信者でもないので当然の結果なのだろう。
息苦しくなったり、体が重くなったりといったことも無い。これが悪魔であれば鉛を引きずるような重さを感じたのかもしれないが、そんなこともなく寧ろ神の気配がより近く感じられるほどである。
それこそ神殿の内部に入ったかのような感覚であり、この環境は彼女たちになんの制限も与えることはなかった。
「何か変な感じだなぁ……嫌な臭いがそこら中から漂ってくるよ」
そして帝国領内に入り込んでダーボの足も早まり、帝都を目指す道のりの中で、シャーシャがまず異変に気が付く。
スンスンと、鼻を鳴らす彼女の嗅覚はそれこそ人間では足元にも及ばない程に鋭い。遠く離れた腐臭すら嗅ぎ取れる獣の鼻は、風に乗って漂ってくる匂いをしっかりと感じ取っているらしい。
「火事って感じでもない、色んな所から焦げた匂いや血の匂いが風と一緒に流れて来る。後は、闘争の匂いもだ」
「方向は?」
キララの質問にシャーシャはこう返す。
「一ヶ所じゃない、そこら中からだって……暴動でも起こってんのかな」
「団長、あっちの方に煙が見えるよ!!」
暴動、という言葉に深く考え込むキララは、次にラシュリーからの報告を受ける。彼女が指差す方向には確かに僅かにだが煙が立ち上っているのが確認できた。
帝国領内を帝都に向けて進んで行くとそれらは数を増していき、最終的には本当に帝国中で暴動が起こっているような状況であると彼女たちは理解することになる。
遠目から確認しただけだが、小さな集落であったり地方都市や宿場町など、人が集まる場所では必ずと言って良い程に誰かが暴れている様子なのだ。
「な、なにが起こってるんでしょうか?」
明らかに異様な様子の帝国領内だ、ミカエラが怯えながらそう言ってしまうのも仕方がないだろう。
あちこちで火事や小火と思われる煙が上がり、怒声や悲鳴がどこでも聞こえて来る有様だ。帝国中で暴動が起こっている状況に困惑しかない。
もしや自分たちが神に呼ばれたのはこれが原因だろうかと思うが、これではあまりにも規模が大きすぎて手の出しようがないだろう。
大規模な暴動を鎮めるのに必要なのは英雄ではなく軍隊だ、この場にキララのような殺しの達人が何十人いようと、なんの役に立つと言うのか。
「団長……たぶんあっちだよ」
この暴動を鎮める為にほんの僅かであっても助力すべきだろうか、それが神の望んだことだろうかと逡巡していると、ただ一人ラシュリーだけが進むべき道を指差した。
それは嵐を切り開く船長のように、夜を照らす月のように、幾人もの旅人が残した轍のように、不思議な説得力を持つ姿であり、有無を言わさぬ力すらもあるように思えてしまう。
時折、ラシュリーはそうなる。彼女にしか見えない何かを見ているかのように。
そして、今や彼女の言葉にはとても大きな意味があることに全ての団員たちが知っている。
「この暴動は良いの?」
「うん、私たちはあっちに進んだ方が良いと思う」
キララの確認に頷きを返す勇者は、やはりここではないどこかを見つめているかのようだった。
神秘が宿る視線を追うようにキララたちも指差された咆哮を眺める。まだ何も見えはしないが、その先に何かがあるのだろう。
ラシュリーの言葉には不思議な説得力があるのだ。そしてその言葉を否定できるだけの材料も方針も無いならば、闇雲に動くよりはまだ良いだろうとキララは判断したらしい。
帝国軍も暴動鎮圧の為に動いているようなので、数には数で当たるべきだろうとも思う。実際に彼女たちにできることなど無いので、それで良いのだろう。
神の啓示と、ラシュリーの指先に導かれてダーボは進んで行く。その背中に団員たちを乗せて。
あちこちで暴動が起こっているので村や宿場町に立ち寄ることもできず、補給もままならないままの前進が聖都から続いているが、そんな彼女たちの疲労を吹き飛ばすかのような光景が広がったのはそれから数日後のことであった。
帝国は広大なので国境から帝都までまた時間がかかるのが普通ではあるが、その長い距離をダーボの健脚は疲れ知らずにも踏破してみせる。
野を超え丘を越え、帝都に近づくに連れて街並みも広がっていき、暴動の規模も大きくなっていく様子を眺めながらもラシュリーが指差す方向にただ進んで行くと、彼女たちの前に巨大な肉の山が姿を現した。
巨大だ、見上げるほどである。
帝国で最も立派な帝城すらもあれに比べれば犬小屋程度の規模だろう。まさに山の如くだ。
そんな肉の山城はまるで心臓のように脈動を繰り返しており、大小様々な触手が陽炎のように揺らめいている。
かつてこの一帯に広がっていたであろう小麦畑が作る美しい黄金の海は、肉の山城が吐き出す粘液に汚れて沈んでしまっており、空すらも曇天に霞んでしまっていた。
「う~わ……なんだあれ」
「ボ、ボクにもわかりません……なんだか、神様の気配が強いですけど」
「嫌な気配がここまで届くわね……死の神が齎した信託はこれを予期していたのかしら」
「団長、どうやら三人はあそこにいるようです」
「はぁ、面倒ごとに巻き込まれるのは誰に似たのかしら」
神の降臨を目撃したのは四人娘だけではない。魔獣たちが作る触手の大地を一望できるほどに離れた小高い丘の上に彼女たちはいた。
獣人と、男のようで女のようでもある少女と、絶世の美女と称しても過言ではないエルフと軽やかな足取りの暗殺者を筆頭に彼女たちは神を見つめている。
「団長、当然助けに行くんだろ? ようやくアイツらと合流できるんだからさ、逃せないって」
ピンと伸びる獣耳がよく目立つ獣人、シャーシャの言葉にキャラバンを率いる団長であるキララは顎に手を当てて静かに考え込む。
危険極まる状況ではあるが、放置すればいよいよ合流が危うくなってしまうだろう。
多少のリスクを受け入れてでも、キャラバンの同胞を救うべきだ。
その為に必要な戦力を頭の中で整えながら、最終的にキララは最も頼りになる戦力を押し出すことにしたらしい。
この状況をひっくり返せるとするのなら、それはきっと同じ神にしかできないことだ。
だから彼女は迷うことなく最強の戦力へと声をかけるのだ、この世でただ一人、天剣を握ることを許された存在に。
星空を切り取って剣の形にしたかのような、美しい夜色の剣を握った少女は、キャラバンの団長に向けられた視線に迷うことなく頷く。
「行けるわね……ラシュリー?」
「うん!! ま~かせてッ!!」