商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
時間は少しだけ遡る、海賊たちを襲った恐怖から約一時間前、大海原をすさまじい速度で駆けていく船団があった。
そのどれもが貿易船だ、軍船も見受けられるが型落ちしており最新とはどうしても表現できないありさまだが、それでも先頭の船に引っ張られるように進んでいるようだ。
形も規模を異なる船が合わさって一つの集団となり、海を突き進む姿は一つの巨大な生物を思わせる勢いがあった、これらの船は全てがキグナスが港で搔き集めた海賊たちへの対抗戦力となるらしい。
キグナスと、その配下、そして懇意にしている傭兵たちだけであり、他の者は不要とばかりに放置してきたようだ、この期に及んで裏切られてはたまらないということだろう。
先の戦いでキグナスが被った被害は少なくない、彼女が保有している軍船は勿論のこと、経験を積み重ねた海兵たちの多くを失ってしまったのだ、それでもキグナスの商会全体で見れば一部の損失であり壊滅とは言えない。
しかし損害は損害、一部と言えどもそれは間違いなく出血であり無視できるような傷ではない、なにより軍船を失ったのは頭を悩ませることになった。
そこで彼女が行ったのは買収だ、中小商会の型落ちした船を半場強引に奪い取ると、金貨の袋を投げつけて「これでもっとでかいのを買いな!」と言いつけて返事も待たずに船を確保したのだ。
不満や不平は聞かなかったことにする、そんな状況ではないということもあるが、彼女に面と向かって断ると言える者がそもそもいないのだから無視しても構わない。
この情勢において優先すべきは船の確保であり、個人の意見ではない、それが押し通せるからこその力であり、それが許されるからこそ商人の国と呼ばれて久しいのだった。
多少、強引であっても船の確保が最優先だ、そして船と同様に部下も搔き集めてようやく戦力となる。
問題も少なくない、キグナスの商会がどれだけ大きくても運用できる戦力にはどうしても限りがある、だからこそ先の戦いでは連合という形になったのだがそれが原因で体内に毒を仕込む羽目になったのだから笑えない。
なので今回は完全に身内と、キグナスが完璧に信頼している者だけで戦うことになるのだが、おそらく海賊たちと戦うにはまだ足りないだろう。
数が全てではないが、数は勝利する為の重要な要素であることは間違いない、しかし毒を飲むわけにはいかない、その穴を埋めるのがキグナスが最も頼りにしている戦力である春風のキャラバンだった。
船は十分に揃っている、数は少し足りないが質は良い、理想を言えば海賊たちの三倍の戦力が欲しいのだが現状では高望みでしかない、今現在で集められる戦力はこれが限界だ。
軍船が二隻に貿易船が十二隻、それを動かせる海兵、キグナスの広げた手で搔き集めた数字がそれだ、不満を上げればキリがないが寧ろよくやったと言うべきかもしれない、敗北を喫したあの戦いでは商人会に属する他の勢力を合わせての連合艦隊であった為にリスクが分散されていたのも大きかった、あの戦いに全戦力を投入していればこうして復讐にこぎつけることすら難しかったかもしれない。
これでなんとか、戦いという体裁を整えられる、後は相手の喉元に食らいつくだけだ。
殺す、必ず殺す、そう誓ったのだから為さねばならない、失った部下の供養と名誉の回復の為にも、そして海と国の安定の為にも、負けることは許されない。
「キグナス、貴女、十年前はもっと穏やかな顔をしていなかったかしら?」
「責任が増えれば誰だってそうなるよ、眉間にだって皺ができるさ……そういうアンタも似たようなもんじゃないか」
潮風に煽られながらキグナスとキャラバンの団長であるキララが、互いの近況報告を行っていた、二人の手にはワインが入ったコップが握られており、戦いの前に一杯やっているらしい。
キグナスとキララは同期だ、キグナスは奴隷として先代の団長に買われて、キララも似たような時期に別の奴隷商から買われている。
先代の団長が本業の……所謂、暗殺業から足を洗って稼いだ資金を元手にキャラバンを設立して半年ほどして彼女たちが買われた、団長とローレライの二人では人手が足りないということで、将来的な戦力として二人を買ったのだ。
そこからは何をするにしても一緒だった、剣の握り方から文字の読み書き、計算から挨拶の仕方、キャラバンでの仕事、きっと血のつながった家族よりも長く深い時間を過ごしたことだろう。
キグナスは学び始めてすぐに金勘定や稼ぎ方に興味を見出して、キララはいつからかキャラバンの運営に携わることになり、最後には別々の道を歩むことになった。
喧嘩わかれした訳ではないので再会は素直に嬉しい、しかし心の奥底でどこか躊躇があるのも事実だ。
上手く言葉に言い表せれない何かがある、それは迷いのような恥ずかしさのような何かだった。
きっと互いが互いを仲間であると同時に、ライバルだと思っているからこその感情なのだろう、再会するのなら胸を張ってこれまでの成果を自慢するように紹介したかったのかもしれない。
しかし現状は、キグナスの戦いに巻き込む形でキララと再会してしまった。
もっと別の形で出会っていれば輝かしい功績を並べて「どうだ凄いだろう」と鼻を伸ばしていたかもしれないのだ、そんな再会の方がライバルとしての関係なら相応しいだろう。
だからこそ若干の気恥ずかしさがあるのだが、それでも不快感は少なくて安心感の方が遥かに大きいのだからどうしようもない。
キララがいれば、春風のキャラバンが力を貸してくれるのならば、多少の不利なんてひっくり返せると確信できるだけの理由が得られるのだ、プライドが悲鳴を上げようともこればかりは否定しようがなかった。
今、キグナスは満たされている、独立してから心の一部にぽっかりと空いていた穴が満たされたかのような気分だ、我ながら現金なものだと苦笑いを浮かべるしかない。
どんな理屈をこねようとも、どんな強気な言葉や態度を取り繕うとも、自分は春風のキャラバンの面々に会いたかったのだと理解できてしまう。
だからこそ苦笑いしかでてこない、寂しかった等と言ってしまえば商会長の威厳が台無しなのだから。
「こっちはこっちで苦労も多いわよ」
「……だろうね」
核心には触れなかったがキャラバンの運営だけの苦労ではないだろう、暗殺者としての業を背負っているのだから気苦労は絶えない筈だ。
お互いに苦笑いを浮かべた、もっと華々しい再会を望んでいたというのに蓋を開けてみればなんとも微妙な空気が流れている、しかしそれすらも不快ではない。
ただそこにあるのは安心感だ、それだけで全てが些末なことになってしまう。
「お~い! 二人だけで楽しまないでくださいよ、せっかくの高い酒なんだからみんなで飲みましょう」
気まずくも渇望していた再会に割って入って来たのは、獣耳を揺らしながら既にほろ酔い気分の獣人であるシャーシャだ、その後ろにはローレライや他の団員の姿もあった。
戦いの前の鼓舞代わりに春風の団員たちが、不利な状況を知って内心で動揺している海兵たちに歌や踊りを披露していたのだが、それも終わって今は酒盛りの最中だ。
シャーシャはキグナスやキララの数年後に入って来た後輩にあたる、ローレライ以外は殆どが似たような立場である。
何人かは独立していたり、病やケガで引退したり、あるいは結婚してキャラバンを去った者もいるので全てではないが、誰もがみな懐かしい顔ぶれだった。
苦笑いは自然な笑顔へと変わっていく、キグナスのそんな表情を見れば部下たちは腰を抜かすかもしれないほどに穏やかな顔つきである。
やはり自分はこの集まりが好きだ、独立したことを後悔していないがそれでも後ろ髪を引く思いがあったのも事実であり、そんな寂しさがあるからこそ彼女はここまで商会を大きくできたのだろう。
女手一つの独立だったのだ、寂しい辛い等と愚痴るような甘さは捨てた筈なのだが、どうやら心の奥底に後生大事にしまい込んでいたらしい。
「みんな、今回は本当にすまない、私の戦いに巻き込んでしまった」
彼女たちだけではない、エミリー、キャロル、シャルルの三人だってそうだ、自分のミスと甘さの末に絶望的な状況になっている、三人の現状を思えば後悔が津波のように押し寄せてくるのだ。
ごめんなさいと謝るだけでは済まないだろう、名誉の回復は血を流すことでしか成し遂げられない。
徹底的な殲滅が必要だ、青い海を染め上げる程に苛烈を極めるだろう、キグナスにはそういう形でしか償えないのだ。
「なにを今更、先輩の戦いは私らの戦いですよ」
シャーシャはそう言った、そう言ってくれた、他の団員たちもそれを肯定するかのように頷いて見せる。
「そうね、例え歩む道は違っても、私たちは根底にある誓いは変わらない」
美しい声で歌うようにそう言ったのはローレライだ、彼女の瞳は夜明け前の海を見つめており、その先にある何かを既に発見しているかのようだ。
そこでポンとキグナスの肩を叩いたのは団長であるキララだ、そして彼女は十年前の別れの時の言葉を思い出したかのように紡ぎだす。
「私たちは仲間よ、例えどれだけ離れていようとも、そこだけは絶対に揺らぐことはない」
「……ああ、そうだね」
込み上がって来る何かを必死に抑え込みながらキグナスもまた海へと視線を向ける、すると僅かにだが太陽が昇っており、朝日が夜を切り裂くかのように海を照らし出している。
「……見つけた」
海の向こう、太陽に挑むかのように突き進む船団を彼女の視界が捕らえた。
「ロウ姉さんの言う通りに進んでたら本当に見つけられましたね、どうして海賊たちの居場所がわかったんですか?」
そんなシャーシャの疑問に、ローレライは彼女にしては珍しく言い淀んでから、言葉を選ぶようにこう言った。
「昔の思い出よ、キャプテン・ジョン……塩の海賊と呼ばれた彼とのね」
「ローレライ、貴女は塩の海賊と交流があったのね?」
団長はどこか納得したかのように問いただす、答えがわかっているかのような物言いだ。
「……ええ、長く生きてますから」
そこで彼女は押し黙ってリュートを奏でる、それはまるで音色を海に捧げるかのように。
どこか悲しく、鎮魂の祈りを込めたかのような曲と共に歌われると、誰もが押し黙る。
そこに触れていいのかと迷っている内に、海面が大きく盛り上がって船を揺らしてしまった、海面には艦隊に追随するかのように人魚の群れが泳いでおり、彼女たちが祈りを込めて流れを操っているらしい。
その祈りには怒りが込められていた、それを表すかのように波は荒々しく力強い、だからこそ船は限界まで速度を上げていく。
「野郎ども帆をしまいな! この速度じゃかえって邪魔になっちまうよ!」
ローレライに聞きたいことは山ほどあるが、今は目の前の敵に集中することにしたキグナスは、部下に指示を飛ばしながら、吹き出しそうになる感情をなんとかひた隠す。
まだ爆発させる時じゃない、そんな風に自分に言い聞かせながら睨むのは先行している敵船だ。
「提督、このまま進めばあそこに辿り着くかと」
「魔の海域だね」
「あそこは不気味だ、海兵も船も寄り付きませんぜ」
珍しく不安そうな声を上げる屈強な部下の尻を蹴るかのように、キグナスは号令を飛ばした。
「アンタたち! まさか海の男ともあろうもんがビビってんじゃないだろうね!?」
よく響き、よく通る声だ、人に力を与えることのできるそれは人の上に立って長い経験を積まなければなこうはならないだろう。
「この国の、この海の誇りは汚された! 海賊たちの薄汚い手によってだ!」
街を焼かれた屈辱を、攫われた住民の無念を、その家族の嘆きを、それらを清算する方法は一つしかない。
いつだってやってきたことだ、立場や掲げる誇りは違ってもキグナスだって海賊と大差がない、ならば海の流儀に従うだけだった。
「名誉の回復は血によってなされる!! お前たちは屈辱を受けれてへらへら笑っていられる玉無しじゃないだろう、一度戦士として誇りを掲げたのならば冥府の番人に会うその時まで手放すんじゃないよ!」
誰かの心に火を灯す、それは簡単なことではない、訓練を積んで年齢を重ねた者であっても容易ではない、しかしキグナスの言葉にはその力が宿っているのは間違いないだろう。
「魔の海域がなんだっていうんだい! 恐れるに足らないさ!」
部下を導き、力を与えるキグナスの姿を春風のキャラバンの面々は興味深そうに眺めていた、特にキララはどこか羨ましくも悔しそうな表情を浮かべている。
「彼方にこそ栄光あり! ただ突き進むだけだ!」
敵はもう目の前だ、魔の海域と呼ばれるそこは一見する美しく透明感のある海でしかない。
船の座礁を心配しなければならない程に海底が近い、不純物や小さな微生物も存在しないかのように海は透き通っており、それ故に魚の姿も見受けられない。
美しい、そう言ってしまえばそうなのだが、この海域ではいつからか嫌な噂を聞くようになる。
その美しさに惹かれた漁師が興味本位で近づいて帰って来なかった、霧の深い朝に幽霊船の姿を発見した、黒い大きな影が海面を通り過ぎた、噂は様々だが火の無い所に煙は立たないのでここにはそんな噂が流れるだけの何かがあるのだろう。
今となっては気味悪がって誰も近寄ることはない、邪な海賊やそれを追う復讐者以外は皆無だ。
ドン、ドン、と太鼓を叩く重たい音が魔の海域に響き渡った、その音に従って形や規模の異なる船が大きく広がって矢じりの形となっていく。
海賊艦隊はそんなキグナスの艦隊に構うことなく魔の海域を突き進む、彼らもまたその先にある栄光を目指しているのだろう。
だがどれだけ逃げようとも人魚たちの力を借りた船からは逃げられない、一時間ほどで矢が届く距離にまで船が近寄った。
そしてキグナスは吠える、先の戦いと同じように。
「クソ爺いいいいいいいい!!」
ここに来て体の奥底に押し込めていた憤怒がようやく解き放たれた、もし彼女が真に力のある魔術師であるのならば炎が渦巻いていたことだろう。
だがそこから先の言葉が出てこない、最初の叫びで全てが吐き出されたかのように憤怒は姿を隠し、最後に残ったのは穏やかな表情だった。
そこには何もない、最早怒りはどこかへ消えた、あるのは憐みだ。
「じゃあね」
それがキグナスが枯れ木のような老人へ向けた最後の言葉だった、ここまで互いの関係がこじれたならば言うべきことはそれだけしか残されていない。
「……ああ、さらばだ」
老人もまたそう言い返した、こちらもそう言うしかないようだ。
そして二人は部下へと指示を出す、それは当たり前のことだが同じ言葉だった。
「「殺せ……一人も生かして返すな」」