商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
バキッという薪が割れる音と共に意識を覚醒させたのはエミリーだ、乱暴に引き起こされたり強引に組み伏せられたりといった感覚ではなく、懐かしささえ感じるような穏やかな起床であった。
視界全体に広がったのは船底の薄暗い天井ではなく見知らぬ部屋だ、調度品が整っており清潔なベッドとよく手入れされているであろう暖炉を見る限りどこかの宿と思われる。
最近は凌辱によって意識を失って、凌辱によって起こされることが当たり前になっていたので、エミリーは穏やかな目覚めにどこか困惑しながら周囲を見渡し、そこで自分がシャーシャたちによって救出されたことを思い出す。
ふうーっと大きなため息を吐き出して再びベッドに倒れ込む、固い床の感触に慣れ始めていた彼女にとってその柔らかい感触はどこか違和感があるようだ。
身体も衣服も清潔であり汗や精液にまみれていない、部屋は暖炉で温められておりなんとも贅沢なものだと思いながらエミリーは二人の友人の姿を思い出す。
「シャルルとキャロルは!?」
救出された時の記憶がどうも曖昧だったので二人の安全を確信できなかったのだろう、エミリーはベッドから飛び上がって部屋の扉へと駆け寄るが、手が触れる前に向こうから開いて彼女のおでこへと激突するのだった。
「わッ!? 大丈夫ですかエミリーさん!?」
扉の向こうから現れたのはミカエラだ、その更に向こうにはシャルルとキャロルの姿もある、どうやら二人も無事だったらしい。
「あ、はい……大丈夫です、すいません」
「ボ、ボクの方こそごめんなさい、ノックすべきでした」
赤くなった眉間に治癒魔法をかけてからエミリーは立ち上がる、時間にして数日もたっていないのだから久しぶりという言葉は似合わないのだが、こうしてミカエラを見ると久しぶりに思えるのだから随分と濃い時間を過ぎしたものだ。
屈辱的な時間ではあったが、なんとか帰って来れた、友人たちの顔を見てようやくその実感があった、エミリーは安堵の溜息を吐き出した。
「エミリーさん目を覚ましてくれてよかった……キャロルさんもシャルルさんもすぐに目を覚ましたのにエミリーさんだけ二日も眠りっぱなしで、ボク心配して……さ、三人が海賊との戦いで行方不明になったって聞かされて、ボク、ボク……」
「ああ、ほらほら泣くなって、ワタシらは大丈夫だ、これくらいで挫けるような奴は春風のキャラバンにはいないっての」
「ん……名誉の回復も終わらせた、問題ない」
若干の強がりが混じったその言葉に納得したのか、ミカエラは涙を拭いてエミリーに向き直る。
「エミリーさん……えっと、捕らえた海賊の人たちの……その、身柄が、えっと」
言葉にしづらいのか、濁しながらなんとか伝えようとするミカエラに代わるようにシャルルが口を開く。
「海賊の何人かが港に晒されてるんだよ、好きにしていいってさ。ワタシらはもう名誉の回復は終わらせたけどエミリーはどうする?」
「名誉の回復ですか? えっと、お二人はどうされたんです?」
「そりゃまあ……なぁ?」
「ん……潰してまわった」
二人は見つめ合ってニヤニヤと笑いあう、全く似ていないこの姉妹はこういう時だけはよく似ているとエミリーは思っている。
「私は遠慮しておきます、例え海賊であったとしても戦場以外での殺生は褒められたものではありませんから……復讐はそれを望む者だけが為すべきでしょう」
復讐に意味はない、とエミリーは言うつもりはなかった。
それが必要である者はこの港に大勢いるだろうし、何だったらエミリーだって被害者の一人なのだ、しかし彼女はそれがどれだけ救いようのない悪人であったとしても最後の瞬間は穏やかなものであると考えているのだろう。
少なくとも彼女はそう思っている、積極的に復讐を行う気分にはなれなかった。
だからといって他者の名誉の回復を邪魔するつもりもないので、せめて海賊たち魂が迷うことなく神の下へと辿り着くことを祈るしかない。
「それよりも、現状を知りたいのですが……どんな感じでしょうか?」
「ああ、それな。とりあえず外の様子を見た方がいいぞ」
シャルルに言われた通りエミリーは宿の窓から外の様子を伺うと、そこでは慌ただしく海兵や住民が動き回っていることが確認できる。
避難誘導を行う者や、大量の武器が乗せられた手押し車を押す者、食糧や燃料を輸送する者もいる、海兵は勿論だが港街に住む民間人らしき者も働いていることがわかる。
人の流れは規則正しく動いている、内陸部へ向かう者は避難しているのだろう、そちらは女子供が主であり逆に海岸側へ向かう者は海兵と男が中心になっているようだ。
親子らしき男女と幼い少女が力強く抱きしめ合って、惜しみながらも陸と海へ別れていく。
「大きな戦いが始まるんですね」
「ん……塩の海賊が復活した」
「ロウ姉が言うには、すぐにこの港街にやってくるってさ」
「そう、ですか……では私たちも準備が必要ですね」
「だ、大丈夫なんですか? エミリーさんは起きたばかりだし……お二人だってまだ本調子じゃないんですよね」
ミカエラはオロオロと三人を見渡して遠慮しながらそう言った、彼女個人の思いとしては友人が危険な戦場に赴くことは心配なのだろう、まして三人は一時的に行方不明……捕虜となっていたのだから、ミカエラの考えも当然だろう。
しかし、短いながらも濃い付き合いなのだ、三人が責任と義務を大事にしていることも理解できてしまう。
だからこう言われることも予想できていた。
「ワタシらはキグナス商会に雇われてるからなぁ、だから給料分の仕事はしないと駄目だろ」
「……ボーナスもでるらしい」
「お金もそうですが、一度結んだ契約は果たさなければなりません……ここで逃げかえれば春風のキャラバンが掲げる看板に泥を浸けることになってしまいます」
結局の所、三人の行動原理はそこなのだ、春風のキャラバンの団員であるという責任と義務で戦っている。
責任と義務、それはキャラバンの団員たちならば簡単に扱える言葉ではない……いや、知性ある全ての者にとって契約とは重たい物である筈なのだ。
契約神の名と力が込められた最高位の契約は言うに及ばず、どんな些細で軽い契約であったとしてもそこに力が宿る、つまりそれを破棄すれば必ず罰が下るということである。
さすがに雷に撃ち貫かれるような天罰は起きないだろうが、信用を失うことは間違いないだろう。
たかが信頼と思う者も中にはいるのだが、真面目に生きる人々にとって契約を果たさずに失った信頼は魂の一部を失うことにも等しいという考えが一般なので、軽い口約束であったとしても果たすことが望ましいと考えられている。
約束、契約、こういった事象に力の大小の差はあっても、契約神の力が必ず込められることから無視することを本能的に拒む傾向にあった。
簡単に約束や契約を破棄するものは大成しない、そんな歌が一般となるくらいには重要視されているのだ。
そこに住民たちへの同情が加わっているのだから部屋に閉じこもっているような選択肢は最初から存在しないのだろう。
エミリー、シャルル、キャロルの三人が迷うことなく戦うことを選んだことに、ミカエラはわかっていたことだが受け入れるしかなかった。
「ミカはどうするんだ、お前は戦えないだろ?」
「ボクは……後方からの支援、だと思う。そっちの人でも必要だと思うから」
「ん……そっちも頑張って」
「包帯を洗ったり薬を届けたりケガ人を運んだりするだけですから、前線の皆さんに比べればボクなんて……」
「そういう言い方すんなって、それだって誰かがやらなきゃ前の奴らが安心して戦えないんだからな」
「シャルルの言う通りですよ、だからミカエラさんは自分に出来ることをしてください」
「自分の仕事に全力を尽くせってな。これ、春風のキャラバンの団員になったら最初に教えられることだぞ」
「あ、はい、さっき団長さんに同じこと言われました」
「そういうことだ、ミカはミカで頑張れ」
「……私たちも頑張る」
ミカエラにはミカエラの仕事がある、戦えなくても読み書きができなくてもやれることはあるのだ、三人は前線へと向かいミカエラは後方へと歩いていく。
宿の外はやはり殺伐としていた、肌を震わせる物騒な気配を漂わせた海兵や傭兵が港へと進んでいき、それに続くのは大量の物資の山だ。
おそらく造船に使われるであろう木材は前線に置かれて船大工たちが簡易の櫓や防御壁に組み上げており、激しい怒声は鳴りやむことなく響いて急速に要塞化が進んでいるようだ。
「港をまるまる改造するなんて、何を想定しているのかしら?」
「ロウ姉さんの指示らしいぞ、そんでキグナス商会が金をバラまいて人手を集めてんの」
「塩の海賊を警戒してですよね? それだけ危険な相手ということなのね」
「ん……あれは危険」
直接、塩の海賊を目の前にしたキャロルだけがこの要塞化に納得しているようだ、寧ろこれだけでも足りないとさえ考えているのかもしれない。
作られているのは要塞だけではないようだ、本来ならば多くの船が停泊して並んでいる筈の港は今や船を寄せ付けない大量の残骸が浮かんで港の機能を完全に放棄してしまっている。
橋は落とされバラバラになり、港際に浮かぶ残骸は元々は船の形をしていたのだろう、目につく全てが解体されてしまっている光景は完全に要塞であった。
海に浮かぶ残骸、陸に積み上げられた防御壁と櫓、そして海兵や傭兵たち、これらで塩の海賊を迎え撃つ計画なのだろう。
ここまでやってもなお安心できない、それが塩の海賊だった。
改めて敵の巨大さを実感しながら三人は邪魔にならないように最前線の港から少し離れた位置からその様子を眺める、歩きながら防御壁の端まで進んでいくとそこには無数の海賊が吊るされていることも確認できる。
既に住民たちによる名誉の回復は終わったのだろう、言葉にすることも憚られる有様となった海賊たちだった物は潮風に煽られながら死肉の匂いを感じ取った鳥に啄まれているようだ。
自らを弄んで汚して回った海賊たちを見てエミリーの心は怒りではなく憐みが支配する、せめて安らかに冥府へ行けるようにと祈ったが、これほどまで苛烈な報復を受けた者たちの最後を考えればまだまだ足りないかもしれない。
同じように思った者がいたのだろう、吊るされた海賊たちの遺体に更に強い祈りを捧げようとしたエミリーの耳に美しい歌声が届く。
死者の魂を癒す鎮魂歌は彼らの遺体に溶け込むかのように響いており、このままアンデットにでもなろうかという海賊の魂は慰められているようだ。
「この歌はね、海で亡くなった戦士たちへ送る歌なの……深い海に沈んだ彼らの魂がそのまま深淵へと引きずり込まれる前に開放するのよ。まだこの国で争いが多かった頃はアンデットも多くてね、そんな彼らを慰める為に作ったの」
歌の主はローレライだ、彼女は三人にニコリと微笑んでそう説明してくれた。
「ふーん、ちゃんと埋葬しないとアンデットになるって本当なんだな」
「ええ、その当時は大変だったのよ。無数のアンデットが群れになって暴れまわってね、幽霊船とか現れてよく戦ったものだわ……彼と一緒にね」
「……塩の海賊と?」
「え? どういうことですか?」
「ん……団長が言ってた、ロウ姉は塩の海賊と知り合いだって」
そう言われてローレライは苦笑いを浮かべた、彼女にしてはその表情は珍しい、少なくとも三人は見たことがない。
「昔の話よ……まだ私がミーシャと名乗っていた頃の話、二百年も前のことだわ」
その名前に誰よりも反応したのはやはりエミリーだ。
「ミーシャ! まさか聖人ミーシャのことですか!?」
女の一人旅で様々な困難を乗り越えて巡礼の旅を終え、神々から聖人の称号を賜ったその存在はエミリーにとって憧れの偉人とも言えた。
それも当然だろう、エミリー自身がそのミーシャと同じ生き方をしているのだから。
同じ道を、遥か先に踏破したミーシャの逸話を記した本は今も彼女の部屋にある、エミリーにとってその存在は暗闇を照らす光にも等しいのだろう。
「ミーシャってあれだろ? いつだったかエミリーが話してた……あれ、でもそれって神代の頃の人だよな? 幾らエルフでも長生きしすぎじゃね?」
「……ロウ姉は不老不死?」
「近いけど少し違うわねぇ……私は巡礼の旅の終わりで聖人となった時に精霊に近い存在となったの。元々、エルフという種族は精霊に近しい存在なのだけれど、それがきっかけでよりそちら側に傾いてしまったの……これでも少しづつだけど老いてはいるから不老ではないし、死ねば冥府へ旅立つから不死でもないと思う」
長く生きたのだろう、三人が想像するよりもずっと長い時間を過ごした筈だ、人は百年も生きることが出来ないがエルフである彼女はその三倍は軽く生きるだろう、まして聖人となって精霊寄りとなったのならば千年単位の時間を過ごすことになる。
どんな気分なのだろうか、生きることに飽きるというのは人の体である三人にはその苦悩の一部すら理解できない。
ただただ、途方もない時間の流れを漠然と感じ取って愕然とするだけだった。
「聖人となってからも巡礼者として様々な場所を旅してね、色んな仕事や戦いを経験して……うん、長い時間を過ごしたわ。最初の百年は瞬きする間に過ぎ去って、次の百年は昼寝の間に、その次は考え事をしていたら過ぎ去って、次は戦って、それから体を癒して……気まぐれに孤児院で読み書きを教えたり、畑を耕したり……後は捕まって奴隷であったこともあったわねぇ」
本当に長く生きたものだとローレライは懐かしむ、戦いに生きることもあれば畑を耕して穏やかに過ごした時間もある、賊に後れを取って奴隷となった時間もある。
今でこそキャラバンの団員として落ち着いているが、そこに至るまでに紆余曲折という言葉では表現できない程の歴史があったのだろう。
嫌な記憶を消すことにしているが、どうしても忘れられないことも多い。
「そうやって長く生きたからでしょうね……いつからか生きることに飽き始めたの。旅の終わりを、人生の終わりを求めてやってきたのがこの国だった、そこで彼と出会ったわ」
そう言ったローレライの頬が朱色に染まる、その出会いを思い出したのだろう、その横顔はまるで恋する乙女のようだ。
彼女の人生の中で最も輝いていた時間、聖人でも娼婦でもなく一人の女として生きて抱かれた唯一の思い出だ、長い時間を生きていたというのにそんな思い出はこの国にしか存在しない。
「第一印象は不思議な人だったわね、海賊なんだけど住民には人気があって、海の魔物や他の海賊と戦ったり密輸船を襲ったりして……後は海に身投げした私をわざわざ引っ張り上げたりしてね、彼が海に出ると途端に荒れた海が穏やかになるのよ、そのおかげで死ねなくなってしまったの……それからは、うん……色々気遣わせてしまったかしら」
「で、惚れちゃったわけだ?」
シャルルの言葉にローレライは少し恥ずかしがりながら頷く。
「ええ、惚れちゃいました」
だが二人の関係は悲恋にしかならない、どういう経緯を辿ったか三人にはわからないが最後にはローレライが塩の海賊を海の底へと沈めてしまうのだから。
「とても楽しい時間だったわ、お金を貰わず抱かれるのなんて初めてだったもの……彼に歌を送ったり、手紙を交わしたりしてね、二人っきりで海に釣りに出たりなんかもしたわ」
旅の終わりを求めてやって来たというのにそこで終わることはなかった、恋を知った彼女はこの国で塩の海賊と出会ったことでその先へ進むことになったのだ。
「こんな時間がずっと続けば良いと思っていた、朝になれば彼がいて微笑んで……汚れ切ったこの体に子を宿せればいいなんて妄想したりなんかして、だけど永遠なんてどこにも存在しなかったわ。精霊となったこの体であっても少しづつ老いていくのだから当然よね、英雄なんて最後には死んでしまうとわかっていたのに……わかっていたのに」
まるで怒りを表現するかのように弦が引っ張られて不快な音が鳴り響く、力を込めすぎたのかそのまま引き千切れてローレライの指先を切り裂いてしまった。
真に力のある魔術師の怒りは例えその気が無くても世界を書き換えるものだ、ローレライを中心に熱が生まれてぐにゃりと景色が歪んでしまう。
そんな圧力に三人は背筋を震わせた、怒らせれば団員一恐ろしいことは本能的に察していたのだが、実際に彼女が怒りを表に出すことがないので笑顔の印象の方が強いのだ。
穏やかに微笑んでいる姿が三人の思い浮かべるローレライだ、だからこそ平時との差がここまで大きいと逃げ出したくもなるだろう。
だが彼女たちが静かにその場を去る前にローレライの怒りは静まった……というよりは内側へと姿を消した。
彼女は大きく溜息を吐くと千切れてしまった弦を指で挟んで引っ張った、すると不思議なことに二つの線が繋がりあって元に戻るのだった。
「彼は死んだわ、毒で殺されて海に捨てられた……そして骨の器に魂を縛られて復讐鬼と化したの」
ローレライはそう言って静かに涙を流す。
「復讐に取りつかれた彼を見ていられなかったわ……だからこそ、ここが旅の終わりだと決めたのでしょうね……共に海に沈むつもりだったのに、最後の瞬間に突き飛ばされてしまったの」
そうして彼女は今日まで生きている、旅は今も終わっていない。
「……私は、彼を殺さなければならないわ」
「ん……殺せるの?」
「どうかしら、そういえばもう死んでいるんだったわね」
ローレライは三人が見慣れたいつもの微笑みを海へと向ける。
その先、海の向こう、まるで青い海を染めるかのように大きな影がそこにはあった。
「……今日で終わらせましょう、彼の魂を開放しなければ」
戦いの始まりを知らせる鐘が打ち鳴らされたのは、それから数分後のことだった。