商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
海の向こうから港を改造した要塞に近づいてくるのは黒い影だ、海面に沈んで突き進むそれは大きなクジラが海を泳いでいるようにも見えたことだろう。
だが違う、その黒い影はクジラではなく巨大な船だ、要塞に接近すると海面を大きく盛り上げてその姿を露わにする。
その船は帆も柱も甲板も穴だらけでボロボロだった、至る所に海藻やフジツボがこびり付いており既に船の体をなしていない、どこか人知れず波打ち際で残骸となっている方がお似合いなのだが、この船は今も海を駆けているようだ。
海から飛び出た瞬間に穴だらけの船体から大量の海水や魚を吐き出して内部の様子を海兵たちにさらけ出す、そこにいたのは眼窩の奥に淡い輝きを宿した骸骨の船員たちだった。
朽ち果てる寸前の船を操る骸骨たちを見て、要塞の向こうにいる海兵や傭兵たちが心を凍り付かせたかのような細い悲鳴を上げる。
それも仕方がないだろう、その船が、そこにいる彼らが放つ気配は命ある者にとって受け入れがたいものなのだ、背筋に氷柱を突き立てられるような感覚を好む者などいないだろう。
「海龍のマークがあるな……あれが本物か」
「吟遊詩人が言うには世界でただ一隻だけ、七つの海を制覇したって話だぜ」
「ならあれが歌に聞く海龍号か?」
「ああ、まぁ……海龍っていうよりは幽霊船って感じだけどな」
「へッ……ビビんじゃねえぞ、伝説に挑めるってんだから楽しもうじゃねえか」
武者震いをする海兵や傭兵たちの前に姿を現したのは幽霊船だけではない、同じように海面を盛り上げて巨大な水柱と共に大きな触手がうねったのだ。
「あのやろう、クラーケンまで従えてやがる」
「それだけじゃないぞ、海面を見てみろ、ありゃサハギンの群れだ」
「連中はなんで塩の海賊に従うんだよ?」
「そりゃ海の覇者なんだからな、魔獣くらいは従えるだろうさ」
幽霊船に骸骨船員、晴天だというのに荒れる海には海の魔獣、混沌もここに極まっただろう。
「総員傾聴おおおおおぉぉぉ!!」
陸と海を分ける防衛線の真ん中、互いの戦力が睨み合う時間を切り裂くかのように、良く響き渡る男の声が船上に広がった。
「姉さん、よろしくお願いします」
「ごくろう……よく聞きな野郎ども!」
戦士たちの視線と耳が集まった所でキグナスが声を出す、先程の男と違ってこちらはそれほど大きな声でもないのに不思議と耳に届く。
「ここが境界だ、ここから先にあるのはこの国の平野と安寧、つまりアタイたちの全てがここにある!」
その言葉と共にキグナスは床を踏みつける、すると音と振動が静かな戦場に響き渡っていく。
「それを怪物たちに汚されるなんてアタイはごめんだね、アンタたちはどうだい!?」
受け入れられるはずがない、海兵も傭兵も徴兵された男衆もこの国で生まれ育った者が大半なのだ、生活基盤が根付いており彼らはそこから動くことが難しいだろう。
生活がある、恋人がいる、家族がいる、そしてなによりも誇りがあった。
そして彼らの前には怪物たちが群れをなしている、ならば戦うしか道は無いだろう。
戦士たちはキグナスと同じように床を踏みつける、それと同時に武器を盾へと打ち付けた。
鋼の武器と木製の盾が奏でる野蛮な音は戦士たちと同じ数だけ生まれて留まることなく戦場に広がっていく、怪物たちを前にして挫けそうになっていた心が燃え上がっていくのだった。
「鋼を打ち鳴らせ!!」
それはまるで龍の咆哮だ、打ち鳴らされる音は一つに束ねられて巨大な衝撃と化していく、数えるのも馬鹿らしくなるほどの戦士たちが息を合わせて鋼を鳴らすのだから、臓腑の奥にまで届くような重低音の振動となって戦場を埋め尽くす。
骨だけとなったアンデットや海の魔獣たちに知恵や理性があるのかわからないが、その咆哮を受けて彼らは自分たちが理解できない思いに囚われていた。
骸骨たちは肉体と共にそれを忘れてしまっているが、僅かにこびり付いた残滓のような感情が答えを出す。
海の魔獣たちはそれを表す言葉を知らない、言語を持たない彼らは本能でそれを理解した。
これは恐怖だ、彼らの打ち鳴らす音とそこに乗せられる気迫に魂が震えている。
攻めているのは自分たちだというのに、有利なのはこちら側なのに、震えているのは怪物たちだ。
古今東西、彼らは知らないがおよそ怪物と呼ばれるような存在は必ずと言っていい程に同じ光景や状況を迎えることになる、邪龍や悪魔、人間性を失った暴君、魔獣にアンデット、恐れられて進む彼らの前に立ちふさがるのは決まって英雄と呼ばれるような存在だった。
英雄と怪物、両者が出会い戦うのは神が定めた摂理なのだろう、世界が生み出されてから星の数ほどの戦いが繰り広げられてきたのだから、この戦いもまた必然ということだ。
神々がそれを望んでいるのだ、積み重なった因果や強い縁で結ばれた運命がここに収束するのも無理はない。
人も怪物も、そして神々も、決着を望んでいる、ならば後はぶつかり合うだけだった。
「サハギンがこっちに取りつきやがった! 丸太を持ってこい!」
「クラーケンを近づけさせんな!」
何か合図があった訳ではないのだが始まりは互いに息を合わせたかのように同時だった、海に浮かんだ残骸をものともせずにクラーケンが防御壁にその触手を伸ばし、サハギンたちが壁へと取りついた。
海の魔獣である彼らが塩の海賊に付き従うのは本能ともいうべき何かがそれを望んだからだ、海の王とも言うべき存在に抗えるような力も意思も知恵も彼らには存在しない。
動物的な本能がただ急かすのだ、進まねばならないと。
しかし知恵を持たない彼らに知恵を持つ人間たちに勝つことは難しいだろう、単純な肉体性能ならば上回っていたとしてもそれを振り回すことしかできない魔獣を恐れるような戦士などいない。
壁に取りついてよじ登ろうとしたサハギンたちは防御壁の上に用意されていた丸太を落とされて潰され、それを運よく躱したとしても海兵が槍や剣で迎え撃ちやはり落とされる。
巨大な体躯を持つクラーケンも攻めあぐねている様子だ、吸盤で壁に吸い付いてその軟体を上へと押し上げるのだが、その触手を剥がすかのようにモリが壁との隙間に差し込まれているようだ。
妨害も迎撃も全て跳ねのけられるだけの力をクラーケンは持っているのだが、不退転の戦士を前に思うように触手が動かないのだろう。
背後に感じる死の海賊からの圧力と、正面から感じる戦士の気迫に挟まれながら先駆けの魔獣たちはただ血を流す、海と陸で線引きされた戦場は片側だけが血で赤く染め上げられていった。
そんな現状を打破するかのように数匹のクラーケンが壁に体当たりして乗り越えようと触手を伸ばす、彼らは既に体中に大量の槍やモリが突き刺さっているのだが、それでも逃げ出すこともできないまま前進しているのだ。
いや、逃げようと思えば逃げられる、しかしそれは海を統べる王への反逆だ、海で生きる彼らにとってそれは神への反逆にも等しいのだろう。
だから前に進むしかない、雨のように降り注ぐ鋼の刃に突き立てられようとも背後に感じる塩の海賊の方が彼らにとって恐怖なのだから。
壁に取りついたクラーケンの一体が無数の槍に突きさされながらもなんとか上り詰めた、あとは自分の触手を振り回せば小枝のように戦士が吹き飛ぶだろう、そして実際にそうなった。
大樹の幹はあろうかという太くて柔軟でありながら筋肉の塊であるそれが戦士の束を吹き飛ばして海へ陸へと叩き落としていく、これまでの鬱憤を晴らすかのように暴れまわるクラーケンだったのだが、その暴虐は数秒後に鎮圧されることになる。
何が起こったのか、クラーケンは最後まで知ることは無かったのだろう、まるで突然魂を失ったかのようにクラーケンは静止してそのまま海側へとずり落ちてしまったのだ。
身体を吹き飛ばされたわけでも、触手を切り落とされたわけでもない、それでもクラーケンは息絶えてしまった、後に残るのは羽飾りを身に着けた黒衣の暗殺者だけである。
キララの刺突剣がクラーケンの体を穿った結果がこれだ、相手からしてみれば小枝程度の刃でしかないがそれが体内に侵入した瞬間に彼の魂は消滅してしまったらしい。
痛みもない、衝撃もない、ただ眠るように死んでいった。
「……贄には困らないわね」
見渡す限り敵だらけだ、クラーケンの後を追って壁の上までよじ登って来たサハギンの群れを突き殺しながらキララはそう言った。
それは死神の寵愛を一身に受ける彼女の使命のようなものだ、昨晩は神託とばかりに夢にまで死神が出て来たので冥府の番人は魂を求めてやまないのだろう、だからなのかキララの振るう死の力はここ最近で最も強く研ぎ澄まされているらしい。
そういう時は決まって相手を即死させることができる、例え掠り傷程度でも魂を消滅させてしまうのだ。
他の場所に取りついたクラーケンも同じような末路を辿っている、獣のような咆哮と共に触手を引きちぎられていたり、背筋を震わすような誰も知らない歌と言葉に惑わされて海へ落ちていたり、海兵たちの持つ鋼に命を絶たれていたり様々だった。
ここにいるのは英雄ばかりだ、怪物退治を宿命づけられた戦士たちが並べば、それはこの世で最も固く高い壁となるということだ。
血を流しながら壁を這いあがり、そして落とされる。
数では圧倒していても現状がこれなのだ、戦場の流れは間違いなく人間側にあるのだろう。
「いい流れじゃん」
防御壁の上でサハギンを蹴り落としながらそう言ったのはシャルルだ、彼女は海賊に投げ捨てられた愛用の剣の代わりに防御壁の上に乱雑に積み重ねられた大量の武器の中からまだマシと言える剣を選んで握っていた。
慣れた重さや長さではないのでまだぎこちない動きが抜けきっていないが、友軍の戦士たちと並んで戦っているので上手くサハギンと一対一を繰り返しているようだ、今のサハギンで彼女が倒したのは十三体目である。
「嬢ちゃん、いい動きするじゃねえか、まだ戦えそうか?」
「大丈夫、大丈夫、これでもちゃんと戦士なんだから問題ないって」
「そうみたいだな。まぁ、疲れたら下がって呼吸を整えな」
「おっちゃんこそ大丈夫なのかよ、みたところアンタは海兵じゃないだろ?」
「元、海兵だな、嫁さん貰ってからは貯金で船を買って漁師生活さ」
会話しながらも剣と槍は絶え間なく敵を切り裂いていく、幸いにもこの場所にはクラーケンは来ていないのでまだまだ余裕があるようだ。
「マジで、嫁さんに反対されなかったのかよ?」
「ふん、ここで尻尾まいて逃げれたらよかったんだが嫁の腹に子供がいるんだよ」
「ああ、なら稼がなきゃなんないな」
「そういうことだ……それに徴兵を受け入れたのは俺だけでもないぞ。なぁ、肉屋さんよ!」
「なんか言ったかヘタクソ漁師!」
少し離れた位置から切羽詰まった男の声がシャルルに届く。
「他にも色々いるな、大工だったり、俺みたいな漁師だったり、普段は農家の癖に冬だけ出稼ぎに戦うような傭兵とかな……後は、海賊の襲撃で家を失った連中も多い」
それぞれにそれぞれの生活があり、それを守る為に戦っているのだろう、覚悟の無い者などここにはいなかった。
「ただお祭り騒ぎが好きな奴もそれなりにいるけどな!」
傭兵らしき男がサハギンと戦いながらそう叫ぶ、その更に向こうでもまるで楽しんでいるかのような戦士の声が届いた。
「こんな戦いはそう経験できるもんじゃないっての。見てみろよ、サハギンにクラーケンに幽霊船だ、生き残れば英雄で、死ねば冥府でいい土産話ができるってもんよ、戦士冥利を上手く刺激してくれるよな」
傭兵らしい、戦士らしい、恐れ知らずな考えで戦う彼らは笑っていた。
「つーかアンタのこと歓楽街でみかけたことあるな」
「あー、娼婦として働いてたからな」
「やっぱそうだよな、間違いじゃなかったか。なら今度俺の相手してくれよ、前に見た時から気になってたんだ」
「ちゃんと金を払うんなら良いぞ」
「うおおぉ!マジかよ、やったぜ!」
「まぁ、お互いに生き残れたらだけどな……それよりちゃんと前見て戦えよ、またサハギンが上って来てるぞ」
それもそうだとばかりに傭兵は剣を握りなおして目の前に集中する、そしてサハギンとぶつかるのだが、そんな両者を狙ったかのように巨大な触手が海面から突如として現れて振り下ろされる、するとシャルルと話しながら興奮で鼻息を荒くしていた傭兵らしき男とサハギンがそれによって叩き潰されてしまった。
どうやら余裕のある戦いはここまでらしい、クラーケンがこの場所にも攻めて来た。
「……割と好みの顔してたのになぁ」
戦場で肩を並べた仲間が次の瞬間に死んでしまう、よくあることなのだがシャルルはあまり慣れていないのか眉間に皺を寄せている。
せめてもの弔いとして彼の抜けた穴を自分が塞ごう、彼女は彼女で戦士らしい考えでここで戦っているのだった。
「剣、借りるぞ」
刃こぼれが目立ってきた剣をサハギンに投げつけてシャルルが拾い上げたのは、先程の傭兵が握っていた実用重視の剣だった、重さも長さもよく手に馴染む上にそれなりのサハギンを切った後だというのに刃こぼれが見受けられないのでもしかしたら業物なのかもしれない。
「ふッ!」
試し切りとばかりにクラーケンの触手を切ってみると大きな抵抗もなく両断することができた。
「良い剣だなぁ、よしよしアンタの分までワタシが戦うから迷わず冥府に行ってくれ」
それは戦士による戦士の為の戦士にしか通じない弔い方法だった、しかし文句はないだろう、間違っても迷い迷ってアンデットになるようなこともないはずだ、彼も彼女も、戦士なのだから。
切り落とされた触手とは別の触手が海から飛び出てシャルルに襲い掛かるが、彼女は流れるように剣を滑らしてその先端を切り落とす。
「悪いがここは通せないぞ!」
戦線の中で一番脆い所であるという自覚はシャルルにもあるのだが、だからといって簡単に抜けられては戦士としての誇りが汚れてしまうだろう。
シャルルは一撃で相手を即死させる力もなければ、人狼の膂力もない、歌で戦場を支配することもできない、まだまだ未熟な戦士なのだから不足分は仲間が埋めてくれる、彼女たちはいつだってそうやって戦ってきた。
クラーケンと戦うのだって初めてではない、動きも重さも体が覚えているので時間稼ぎ位ならば簡単だった、そして彼女が前で戦っていれば炎と矢がしっかりと支援してくれるのだ。
吸盤を張り付けて防御壁の上までやって来たクラーケンの目をいつかと同じように矢が穿つ、それも二つ同時に。
視界を潰されてその次にクラーケンを襲うのは熱の暴力だ、以前の戦いで蓄積された経験からこれで致命傷に至れると彼女たちは理解できている。
シャルルは爆発と同時に駆け出した、エミリーの魔法によって体を吹き飛ばされたクラーケンに止めを刺す為に。
魔獣故にだろう、文字通り人間離れした生命力を持つクラーケンは体を吹き飛ばされながらも触手を振るいながら最後の足掻きとばかりに暴れまわるのだ。
しかしシャルルの疾走に迷いはない、足元の触手を飛び越えてから滑り込むように頭付近を通過した触手を潜り抜けると、勢いそのままに刃を振り下ろす。
既に死に体だったがそれでも暴れまわるクラーケンの命はその刃によって断ち切られるのだった、ずるりと滑って海へと落ちていく死骸を見送る間もなくシャルルの刃はサハギンを切り裂いていく。
「おっと……いよいよ動き出したか」
いつまでたっても魔獣たちだけではこの要塞を攻め落とせないと理解できたのだろう、戦場から一歩引いた位置で海を漂っていた幽霊船がこちらに動き出したのだ。
「キャロル! こっちはワタシとエミリーで支えるから作戦通り団長たちの援護を頼むよ!」
防御壁の後ろに立つ簡易の櫓の上にいるキャロルはその言葉に頷いてから持ち場を移動する、同じ場所にいたエミリーは既に次の魔術を行使する為に集中状態にあるようだった。
その力の高まりを背筋で感じ取りながらシャルルの刃はサハギンを海へ打ち落とし、視線はその先にある幽霊船へと向けられている。
どうやらこの戦いの終わりが見えて来たようだ。
青天の下にある海はかつてない程に荒れていた。