商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
春の暖かい日差しを木々の葉が僅かに遮って穏やかな明かりが肌を撫でている、耳に届くのは鳥のさえずりとキャラバンの車両が動く聞きなれたものだった。
すっかり春の陽気に包まれているので、あの冬の危機がもうどこか遠い記憶になるくらいには気が抜けているのか、キャラバンで暇を持て余している三人娘は隠すこともなくあくびをしてしまう。
港街での戦いから一週間、復興を可能な限り手伝ってから春風のキャラバンはその場を後にして、次の目的地に向かうことになり今はその道中である。
農民崩れの賊が半端な戦力でキャラバンに襲い掛かってくることもあったが、素人に毛が生えた程度の力ではどうすることもできずに撃退出来てしまった、キャラバンの護衛役でもある三人だがここ最近の激闘によって確かな地力が培われており、もう傭兵として一人前と言えるのかもしれない。
仕事中であってもあくびがでるくらいには余裕がある、油断している訳ではないのだが春の暖かな陽気が僅かばかりの眠気を誘っているのは間違いないだろう。
船をこぎ始めたことを自覚したのか、エミリーがハッと顔を上げて自らの両頬を叩いて眠気を払う、その音に釣られたのかシャルルとキャロルも閉じかけていた瞼を開く。
「ふぁ……なんか、あれだ、暇だな」
「ん……暇」
「治安の悪い街道はもう超えましたからね、聖都までもう少しですからこの辺になると兵士の巡回もありますから不埒な輩も現れないでしょう……ふぅ、確かに時間を持て余してしまいますね」
今、三人は巨大な蛇のように突き進むキャラバンの車両の後部、新築された車両の屋根にいた。
この車両は三人の私室に割り当てられており完全に彼女たちの領域だ、屋根から階段を下りれば三人の部屋があり物が広がっている、その車両の前後には同じような車両がけん引用の鎖で繋がれており、それら全てを中央車両ごと引っ張るのがダーボである。
冬の惨事で失った後部車両はこうして新築されており以前よりも使いやすくなっていた、一人前と認められたからなのか一つの車両が丸ごと彼女たちに与えられているようだ。
「ミカとラシュリーたちの部屋を覗きにいくか?」
「お二人は勉強中ですよ、邪魔をしてはいけません」
この春、正式に春風のキャラバンに入団することになったミカエラと、その前に少しだけ早くローレライによって買い取られた奴隷の少女であるラシュリーは、前方の中央車両の一室で文字や計算の勉強中であるらしい。
エミリーは入団する前から基礎学習を済ませていたので、キャラバンに来てからはそう多くの時間を割くことがなかったが、どんな組織や社会であっても新人の間は勉強が不可欠だろう。
あまりいい思い出はないのかシャルルとキャロルは疲れたような表情を浮かべている、エミリーと違って二人はキャラバンに来るまで学習という考えから遠い位置にいたので、その分苦労しており長い時間をかけた。
特に教育係であるローレライが厳しかったことで若干のトラウマがあるのか、少しばかり震えてもいるようだ。
「勉強かぁ~、懐かしいな……色々とわかんないことばっかりだったし、ロウ姉はめっちゃ厳しいからなぁ……ミカとラシュリーはどんな感じなんだろう」
「苦労されているようですよ、ラシュリーは少しだけ入団が早かったのでその分の差があって……ミカエラさんは少しだけ焦っているみたいです」
ラシュリーは失った後部車両を再建していた街でローレライが人手不足の解消の為に購入した奴隷なのだが、まだ成人にすら届いていない幼子であり当然ながら知識も経験も未成熟であった。
それは男に囲われて暮らしていたミカエラも同じであり、年齢こそ違うものの同じ机に座って同じことを勉強しているのだが……どうやらミカエラは頭を抱えて苦労しているらしい。
今まで接する機会すら存在しなかった知識や勉学を知ることの苦労もそうだが、隣で自分と同じように学んで自分よりも一歩先に行くラシュリーの存在が更に焦りを加速させているのだろう。
ミカエラの方が年上だというのに、幼いラシュリーの方が先に進んでいるのだ、焦ってしまうのも無理はない。
だからなのかミカエラはキャラバンの雑事を手伝いながらも、夜遅くまで自習に励んでいるらしい、そんなミカエラの努力を知ってかラシュリーもまたやる気を出しており、二人は良いライバルとなるだろう。
かつて自分たちも通った道でありそこまで古い記憶というわけでもないのだが、三人はどこか懐かしく感じるのだった。
「まぁ、ミカたちには後で差し入れでも持っていくか……それよりもワタシはワタシでやらなきゃならないことがあるんだった」
シャルルは眠気を吹き飛ばすかのように体をほぐしてからエミリーへとこんな提案をする。
「なぁエミリー、ワタシに魔法を教えてくれよ?」
「魔法ではなく魔術ですよ……えっと、シャルルは魔術師になりたいんですか?」
「んん~、どうだろうな、エミリーみたいに魔術が使えたら便利そうだなって思うけど、そこまで大きなもんじゃなくて……ほら、あれだ、もっと強くなりたいからさ」
「ん……私も興味がある」
「キャロルまで……やっぱり力不足を感じてしまいましたよね」
「だろ? ワタシらがもっと強ければ海賊に捕まることもなかっただろうしさ……まぁ、すぐに魔法が使えるとは思ってないけど訓練は無駄にはならないからさ、代わりにエミリーには武器の扱いを教えるよ」
「とてもありがたい申し出なのですが、シャルルは剣を教えた経験があるんですか?」
「一度もないけど……そんな難しいもんでもないんだぞ、簡単に言えば近づいてぶった切る、そんなもんだ」
戦士の戦いはそんな単純なものではないことくらいは魔術師のエミリーにもわかる、どうやら感覚派のシャルルは教師には向かないらしい。
キャロルはどうだろうかと思えば、こちらも姉に似て感覚で物を言うので当てにできない、数字と論理で結果を求めるエミリーには二人の感覚がどうにも理解できないようだ。
「そもそも魔術ってどうやって使うんだ?」
「そうですねぇ……ええっと、大気中に流れる魔力を呼吸で体内に溜めて、それを変換して世界の改変を行うんです」
「うん?」
「重要なのはただ放出するだけでなく、なぜその現象が起こりうるのかしっかりと理解して法則に干渉することですね。なぜ炎は燃えるのか、なぜ風は吹くのか、なぜ雨は降るのか、それらの現象には必ず理由があって、魔術とはその理由を意図的に作り出すことでありただ魔力を放出するだけでは魔術とは呼べません」
「お、おう……」
「そしてこれも重要なのですが魔力を貯め込むことに適した体……これを魔術師は器と呼ぶのですが、その器を作る訓練も必要になります、流派によって様々な訓練法があるのですが私の場合は呼吸によって自然界の魔力を取り込んで体内に取り込んでいますね」
「うん……ううん」
「お二人はそういった訓練を行っていなかったので、やはりまずは魔力を認識して知覚することが魔術を行う第一歩になるかと思うんですが……どうでしょうか?」
「なぁキャロル、エミリーが何を言ってるのかわかったか?」
「ん……訓練しろってことだと思う」
「一言で終わらせるならそういうことですね」
感覚派と論理派の間では彼女たちの認識以上に大きな隔たりがあるということだろう。
「訓練が必要なのはわかるけど、魔術師の訓練って想像できないな……呼吸? なんで呼吸が重要なんだ?」
「大気の中を流れる魔力を吸い込んで体に貯蔵するんです」
「ん……魔力って体にあるものなんじゃないの?」
「その認識で間違いありません、私たちは勿論のこと鳥や虫といった小さな生物であっても少なからず魔力を体内で生み出しているんですが、微々たるものなのでそれらを魔術として運用するには量が足りません。なので意図的に他所から引っ張って来る……私はこれを呼吸で行っているんですよ」
「呼吸ならいつもやってるぞ?」
「ただ呼吸するだけでは駄目ですよ、一緒に大気中の魔力を吸い込むんです、見ててくださいね」
そう言ってエミリーはいつもしている通りに深呼吸を繰り返す、すると体の中に染み入るように魔力を取り込むことができた。
「どうでしたか?」
「どうって言われてもな、深呼吸しているだけにしか見えなかったんだけど……それで魔術が使えるのか?」
「はい、その為に必要な魔力はありますね」
「……全然わからなかった」
魔術師としての訓練とは無縁だった二人からしてみればいきなり理解しろと言われても難しいだろう、逆にエミリーにいきなり武器を持たせて戦ってみろと言っても無理なことなので、やはり重要なのは訓練だった。
「まずは魔力の認識と知覚ですね、そして器を作りましょう」
「魔力を認識って言われてもな……それってあれだろ? エミリーが魔術を使う時に肌がピリピリすることがあるけど、あれに似た感覚なのかな」
「そう、それです。認識はできてるみたいですね、なら後は知覚することです」
「……それはどうするの?」
肌を撫でるような不可視の力をエミリーやローレライが魔術を行使する時に感じることがあるが、それは色も重みもない風のようなものだ、認識はできても理解や知覚にはまだ遠い。
「流派によって様々なのですが……私の先生は体内の僅かな魔力を動かして循環させる方法でした」
エミリーはシャルルの背後に回って両手を肩の上に置いた、そしてつむじを眺めながら体内の魔力を高めて循環させていく。
「こうやって魔力を流していくと、凝り固まった体内の魔力が動き出して…………あれ、もうちょっと強かったかしら、えっと……こうかしら?」
予想していた手ごたえが無かったのか、エミリーはさざ波のようにシャルルの体内に流していた魔力を強めるが……やはり手ごたえがない。
「……大丈夫?」
「あああぁぁぁ……なんか肩が熱い、強めに揉まれてるみたいだ」
「おかしいですね……私の時はこうやって魔力の相互循環を行って知覚できたのですが」
しかしそうはならなかった、どれだけ魔力を送り込んでも肌を撫でるだけで体内にまで届かない、凝り固まった油のように流れる水を弾いているかのようだ。
「う~ん……なにがダメなのかしら」
「とりあえす手を放してくれよ……なんかチクチクしてきた」
痛みを訴えて来たのでエミリーは両手を肩から離す、しかし納得いかなかったのか掌を眺めながらブツブツと呟きながら自問自答を繰り返していた。
「方法は間違っていない筈……私の時はこれで……先生はもっと魔力を送っていたかしら? いえ、痛みは感じなかったし……う~ん」
悩んで考え込んでも答えは出ない、そんなエミリーを見かねたのかシャルルがこう言った。
「ロウ姉さんに聞いてみたら良いんじゃないか……あの人はなんか凄い魔術師なんだろ?」
「聖人ミーシャ様ですからね、私など足元にも及びませんよ……確かにこのまま続けても危険があるかもしれませんし、先達に話を聞くのが一番ですね」
聞けば一時の恥、知らぬは一生の恥とも言う、ましてエミリーは数字と論理で答えを出すことを良しとする魔術師だ、知らぬままよそ見をすることは彼女の在り方に反している。
腕を回して肩を解しているシャルルに詫びをしてからエミリーは屋根を伝って中央車両へと飛び移る、目指すのは二階にあるローレライの自室であった。
後部車両よりも大きくて倉庫も兼ねている中央車両は、最早一つの屋敷と言っても過言ではない程の規模があり、そこにある部屋もまた広いのでローレライの私室は新人教育の教室代わりにもなっているらしい。
ノックをしてから返事を待ち、許可をもらってから扉を上げると、ミカエラとラシュリーが机の上におでこを引っ付けて項垂れている様子が確認できた。
一年ほど前にシャルルとキャロルが同じような体勢をここでよくしていたのを思い出して、エミリーは少しだけ笑顔を浮かべて懐かしむ。
「いらっしゃい、どうかしたのかしら?」
新人をシゴキあげているのは部屋の主でもあるローレライだ、相変わらず酩酊するような色気を振りまきながらも容赦なくミカエラとラシュリーに教育を施しているらしい。
あの港街での戦いの後に、少しだけ気落ちしている様子もあったのだが今は整理できたのかかつてのように穏やかな笑みをこちらに向けてくる、エミリーにとって聖人ミーシャは憧れであり本の中にいる英雄でもあるのだ、沈んだ表情よりも穏やかな笑みの方がずっと頭の中のイメージと合致していた。
しかし名前を変えて生きているということは過去は捨てたにも等しい、何を思ってどんな経緯を辿ったのかエミリーにはわからないが、わざわざ掘り返す必要も感じなかった……目の前にいるのは聖人ミーシャではなくキャラバンの先輩であるローレライ、それでエミリーは勿論のこと団員全員が納得しているのだろう。
そもそも過去に触れられたくない者はローレライに限らず他の団員たちも同様なのだ、何も問題などありはしない。
エミリーにとってミーシャは同じ道を先に歩いた先人であり、ローレライは現在の先生なのだ、どちらであっても尊敬や憧れは変わらなかった。
「はい、少し教えて貰いたいことがありまして……お邪魔でしたか?」
「いいえ、本日の授業はもう終わったわ……さぁ、二人とも、休憩はそれくらいにして次は団長の所で仕事のお手伝いよ」
机の上で眠るように身動き一つしなかったミカエラとラシュリーはその言葉に鞭うたれたように飛び上がって慌てて部屋を後にする、余程疲労していたのかエミリーのことも今まで気が付いていなかったらしく視線が合って驚いていた。
「あ、エミリーさん、」
「こんにちわ」
「はい、こんにちわ。ふふ、二人とも頑張っているみたいですね。あまり無理をしてはいけませんよ」
「あら、無理なんてさせていないわよ……ねぇ、二人とも?」
返事はない、ただミカエラとラシュリーはピンと姿勢を正してコクコクと頷くだけだ。
この反応もまた懐かしい、慌てて団長の下へ向かう二人を見送りながらエミリーはまた懐かしそうに微笑んだ。
「それでどうしたのかしら、聞きたいことって?」
「はい、えっと……実は先程までシャルルとキャロルに魔力の知覚をしてもらおうと相互魔力循環をおこなっていたのですがーーー」
自分の知る知識や経験をもとに行ったが上手く手ごたえを掴めずにいること、安全を考えて熟達の魔術師であるローレライに話を聞きに来たことをエミリーは説明する。
「ああ、なるほど、わかったわ……エミリーが行った魔力循環法は上級者向けのものね、とても緻密な魔力制御が必要になるから無理に行わず正解よ、下手すればシャルルが爆発したかもしれないわ」
「えぇッ!? そんな危険なことをしていたんですか!?」
「エミリーにそれを行った方はとても優れた魔術師だから可能だったの、本来ならばもっと時間をかけてもみほぐすようにやるのが基本ね」
「そうだったんですか……尋ねに来て本当によかったです」
自分が友人を爆発四散させなかったことに安心しながらも、長い時間をかけなければならないことに焦りを覚える。
「シャルルやキャロルが魔術を覚えたいと言っているんです、簡単なことではないとわかっているんですが……訓練は早ければ早いほど良いと思って焦りすぎたんですね」
「間違っていないわ、若いうちに様々な経験を積むことはとても重要よ。読み書きや計算や剣も弓も魔術も、最初の一歩が遅ければどうしても拙くなってしまうもの……でも、そうねぇ、せっかくの一歩なんだから意義のあるものにしたいわよね」
「はい、何か手があるんでしょうか?」
「私がエミリーの代わりにやってもいいんだけど、せっかくだからエミリーにも有用な技術を教えてあげるわね。正式に娼婦としても契約したって聞いたからとても便利なものよ……それで魔力循環を行えばずっと安全だからシャルルとキャロルにも試してみなさい」
どんな技術なのだろうか? ローレライほどの魔術師が有用と言うくらいなのだから何かしらの奥義なのかもしれない、そんな魔術の最奥に存在する技術を知れるかもしれないと考えた時、エミリーはゴクリと喉を鳴らす。
技術とは宝だ、まして魔術は各流派で修行法や魔術に対する考えや価値観も異なる、当然ながら独占している技術というものが存在しており、それを知ることはつまりその流派における頂点に位置することになる。
おいそれと外に出せる技術など存在せず、一番弟子に口伝でのみ伝えて一切書物に残すこともない、それが魔術師の技術であった。
自分の知らない技術を求めて魔術師が殺し合うことも珍しくなく、秘術の隠匿はとても重要なことなのだ。
それをローレライが教えようとしている、エミリーも魔術師なので警戒と欲望が増幅してキョロキョロと周囲を見渡していた。
「ふふふ、そう警戒しなくても大丈夫……難しいことでもないし危険な術でもないから、魔術師界隈では割と有名な技術だから他所から襲われる心配も少ないのよ」
「あ、そうなんですね。てっきり奥義の領域の話になるかとばかり」
「奥義であることは間違いないわよ、簡単であると同時にとても奥深い技術なの……貴方が扱う炎の魔術と同様に最も基本であり最も長い歴史がある……それを極めた魔術師は不老不死にさえ手が届くほどよ」
「そ、そんな魔術が……」
不老不死と聞いてエミリーは驚愕した……当然だろう、それは魔術師の極地の一つなのだから。
「さて、エミリー……魔術の基本とは何かしら?」
「えっと……知覚、認識、理解、そして循環と放出です」
「そうね、ではそれらを基本として行使する魔術の初歩はどうかしら」
かつて自分に魔術の基礎を教えてくれた人物の言葉を思い出す、その言葉に間違いないはずだ。
「初歩の魔術は炎、人の歴史と並び立つ長い歴史があり、全ての魔法の始まりと言われています……少なくとも私が学んだ流派ではそう教わりました」
「よくできました、間違っていないわ……でも初歩の魔術は他にもあるの。炎と呼吸と呪いと占い……あともう一つはわかるかしら?」
炎と呼吸の魔術を柱として深淵へ挑んだのがエミリーが教えを乞うていた流派だ、他の流派はまた違った方針で魔術の深淵へと進もうと考えたのだろう、確か他の流派では……と考えた所でエミリーはローレライが何を教えようとしているのか理解する。
ローレライは答えに辿り着いて顔を赤くしたエミリーを見てクスっと微笑むと、自室のベッドに横たわって上着を脱ぎ去った。
「そう房中術よ……教えてあげるからいらっしゃい」