商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
ラシュリーの生まれはどこにでもある開拓村の一つであり、自給自足と物々交換が基本となるような寒村で畑と牧場を経営する家の三女として生まれた。
上に年の離れた姉二人と兄が三人いる大家族だ、正直に言えば小さな牧場や畑ではそれらの家族を養うこともできないだろう、少女であっても一人分の食糧が消費されたのならば家計にとって痛手であることは間違いない。
長男は牧場の経営を父親と共に回し、次男は同じ開拓村の娘と結婚して畑の拡張に勤しみ、予備の予備である三男は早々に寒村の未来に見切りをつけて都会へと旅立った、二人の姉は結婚して別の村へと赴き残ったラシュリーは年の離れた兄にとって言葉を飾らずに表現するのならば邪魔な存在だったのだろう。
彼もまた家庭を持つ身であり、自分の子供……ラシュリーにとって二つ違いの甥を育てなければならないのだ。
牧場の経営を手伝わせようにもまだ幼い、畑を耕すには体力も経験も足りていない、しかし腹は空かすのだから兄は眉に皺を作る。
それでも両親が健在な内は家にいられた、しかしそれもラシュリーが十歳になる頃に終わりを告げてしまう。
両親の葬儀の一週間後にラシュリーは開拓村から外に出ることになったのだ、村と懇意にしていた商人の小間使いとして雇われることになる……さすがに疎まれているとはいえ奴隷として売られなかったのは兄として多少の情があったのか、或いはただ都合が良かっただけなのかもしれない。
どうであれ兄にとって邪魔者が消えたのだからご満悦だろう、ラシュリーとしても居心地の悪さを幼いながらに感じていたので受け入れるのだった。
寂しさや未練が無いと言えば嘘になる、しかし奉公先の商人は良識を持った人物だったので不満はない、開拓村で羊の世話をするのも憧れていたが商人の弟子としての生活も楽しいのかもしれない。
ラシュリーは馬車の後部で遠ざかっていく故郷を眺めながらそう思うのだった。
ただ商人としての道は直ぐに閉ざされる、村から商人の家へ向かう途中に賊に襲われることになったからだ。
顔なじみで雇い主の商人は凶刃に倒れ、幼いラシュリーは物のように扱われて奴隷となる。
契約書に名前を無理やり書かされて極めて強い強制力を持った契約で名と魂を拘束されて、奴隷商の商品兼下働きの毎日が始まった。
不満は……言葉にすれば幾らでもあったのだが、ラシュリーは一言の文句を漏らすこともなく奴隷商では静かに過ごす。
他の奴隷たちが嘆き悲しみ未来に絶望する隣で、ラシュリーだけはどこか遠い場所を眺めているかのように距離があったのだ。
時折、部屋の隅で瞼を閉じて、何をするでもなくボーっと過ごす彼女を、他の奴隷たちは可哀そうな者でも見るかのように憐み一歩引いた位置を維持する。
それはかつて兄や姉がラシュリーとの距離を測り損ねていた時も同じような距離感があった。
ラシュリーは不思議な子と家族から思われていたのだ、今よりも幼い頃は親も兄弟も知らぬ間に森へ出て朝になるまで帰って来なかったり、罰として家から出るなと言いつけられると部屋の隅で何かを見つめていたり、何かの声が聞こえると不安がって両親に抱き着いたり、何かが少しだけ違っていたのだ。
普通の人には見えない何かを認識して、誰にも聞こえない声を聴く、そして誰も知らない知識を知っていたりする、そんな彼女を家族が不思議がったのも無理はない。
ラシュリー曰「遠くから声が聞こえてくる」だそうだ。
どんな声なのかと家族が尋ねれば、よくわからないとラシュリーは言う。
嘘はない、ラシュリー自身にもその声のことをよく理解していないのだ、生まれて物心ついた頃にはそれが耳に響いており、言葉とも歌ともとれない理解不能な何かが聞こえてくる。
瞼を閉じて耳を塞ごうとも、魂の奥深くから染み入るように体中に広がって、心臓の鼓動のように体内で響く。
その声が自分にだけ聞こえると知った時には、ラシュリーの周囲に一人も理解者がいなかった、兄弟も両親も距離があり、その声だけが彼女の傍にあったのだ。
ラシュリーにとってその「声」だけが、唯一の家族であり友人でもあったのだろう。
泣くと慰めてくれて怪我をすると心配してくれる、この木の実は食べられるのかと尋ねれば教えてくれて明日の天気を知らせてくれたり、森を歩いていると熊が近くにいると危険だと警告してくれる。
彼女は彼女にしか聞こえない声を頼りに生きて来たといっても過言ではない、だからこそ孤立したともいえるのだが。
どうであれ彼女の人生においてその声が切っても切れないものであり、奴隷商で過ごす時間もそれは変わらなかった、他愛のない話をして時に愚痴って時に八つ当たりして、それでも変わることなく声は彼女に届く。
ローレライが店に訪れた時もその声に導かれた結果だとラシュリーは思う、声に急かされるように前に出ると自らを売り込みにかけたのだ。
声を頼りに、声を味方に、声に守られて、彼女は生きている。
ラシュリーはその声を信じており、一部も疑うことなく耳を傾けているのだ。
その声に従った結果、彼女は春風のキャラバンに籍を置くことになり、そこでの生活は忙しいながらも充実していたので、やはり声を信じて良かったと安心した。
声の持ち主はとても物知りなのだろう、幼いラシュリーの知らないことを沢山知っており、いつだって優しく導いてくれるのだ。
キャラバンで自習中にも声が届く、散歩に出てはどうかと提案して来たのでラシュリーは外に出た、既に薄暗くなってきているので明るい街並みとは異なり少し怖かったのだが、声が元気づけてくれたので一歩踏み出す。
それから大人の女性たちの喘ぎ声が響く中を練り歩き、見知らぬ露天商に声を掛けられながらラシュリーが声に導かれ辿り着いたのは一人の大男であった。
声が耳元で囁く、薄着の女性を眺めながら鼻の下を眺めているその大男に声をかけてキャラバンに連れて行ったらどうかと。
なるほど、キャラバンを抜け出すときに天幕近くで暇そうにしていた先輩団員の助けになろうと言いたいのだろう、そう納得したラシュリーはアントニウスに声をかけるとその大きな手を力いっぱい引っ張りながらキャラバンの前まで連れていくのだった。
声にこれで良いのかと尋ねると、声はこれで良いと答えてくれる。
何か大きな仕事をやり遂げたかのような気分になったラシュリーは、大きな充実感と共にキャラバンへと戻る、叱られてしまったが声に導かれたのだから仕方がないだろう。
ラシュリーはキャラバンに戻ると、既にベッドで眠っていたミカエラの隣にある寝床に潜り込んで頭まで毛布で包まる。
そして毛布の柔らかさと温もりを感じながら瞼を閉じる、そうすれば心臓の鼓動を感じるかのように声が鮮明になって彼女に届く。
これからは彼女と声の対話の時間だ、とても物知りでどんなことでも教えてくれる声を聴いていると、ラシュリーはいつの間にか眠りに落ちることになる。
時折、声を出してしまうので相部屋のミカエラが話しかけられたと思って返事をくれるのだが、そうなったら慌てて誤魔化していたのが心苦しくもあった。
ミカエラからしてみれば寝床の中で独り言をしているような状況なのだから、自分に声をかけられたと考えても不思議はない。
ただ、幸いと言うべきなのか、ミカエラに「誰と話してるんですか?」と尋ねられた時に、素直に自分にしか聞こえない声の存在を明かした時に、彼女はどこか納得したかのようにこう言うのだった。
彼女自身にも覚えがあったのだろう「あぁ、偶にありますよね、知らない声が聞こえること……ボクも前は……」と、そこで何かを思い出すかのように瞼を閉じてコクコクと頷いて見せる。
ミカエラが言うには、それは神の声なのだそうだ。
啓示と呼ばれる現象であり、信心深い人や神々に特に愛されている人の耳にだけ聞こえ、または歴史に大きく名を刻んだ偉人なども啓示に導かれるらしい。
なぜその啓示が自分に、という疑問に答えはない、神々はきまぐれなのだから。
なんにせよ、どんな理由があるにせよ、ラシュリーの耳に届く声は今も変わらず響く、彼女にとってそれが神の声であるかどうかは関係がなく、きっとどんな存在であっても受け入れたに違いない。
今日もまたラシュリーは毛布に包まって瞼を閉じる、そして声を聴きながら眠りに落ちるのだ。
遥か遠く、神々の声を聴きながら、彼女は夢の世界に旅立つ。
その夢の世界では先輩団員であるエミリーとシャルルとキャロルが邪悪な何かと戦っている光景が広がっており、彼女たちは何かを守る為に必死になっている夢だった。
もっと力があれば、もっと手札があれば、もっと良い状況であったならば、ここまで血を流すこともないのかもしれない。
どうすれば良いのだろうか、夢の世界で声にそう尋ねると、神々の声はすぐに答えてくれる。
その為に運命の神である私がいるんだよ、いつも通りの安心できる声でそう伝えてくれたのでラシュリーは安心するのだった。
自分も頑張ろう、ラシュリーもまた夜色の剣を握ってキャラバンの仲間を助けようと戦いに挑む。
夢の中なのだからそんなこともできるのだ、ラシュリーが剣を振れば邪悪は吹き飛ぶ。
きっと運命の神様が助けてくれる、だから自分も頑張るのだ。
そう決意を新たにして、ラシュリーは夢の中を駆け抜けていく。
しかし目が覚めると、その夢の内容はすっかり忘れてしまっていたのだった。
寝ぼけ眼のままで何か重要な夢を見たと頭を働かせるのだが、その夢の内容が鮮明になる前に頭の中に運命の神の声が響く。
いつも通りの何百何全と聞いた「おはよう」だ、その挨拶が耳に届いてラシュリーもまたいつも通り挨拶を返す。
「うん、おはよう!!」
運命の神は、いつだって彼女の傍にいるのだった。